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工藤はこう続ける。「(こ、こいぶみ? 二つ折り? …・・・なるほど、蝶の羽は『二つ折り』。恋の手紙を届けたいところは…・・・『花』! きゃ、す、すてき!)
オトメな私は、すぐ好きになりました。もちろん、すぐ全文を覚えました。全文といったって、一行だもんね」(28頁)。
おしまいは、本へのしゃれた誘いだ。「さて、『博物誌』のなかに、ほかにもすきなものが沢山ありますが、とりわけ、ぷぷぷと笑ってしまうのは、『蛇』という一文です。/想像してみてください。あなたは、どんな文だと思う? なんで、たいていの人が、ぷぷぷ、と笑ってしまうのだと思う?」(31頁)。
作家の
山崎ナオコーラ
がすすめるのは
レイモン・ラディゲの『肉体の悪魔』(新庄嘉章訳、新潮文庫、1954年)
だ。この恋愛小説は、16~18歳の頃の作品である。ラディゲは、20歳で夭折した。
山崎は、こう締めくくっている。「『肉体の悪魔』は、心の震えをひとつひとつ書き留めた、ガラス細工のような小説です。この繊細な小説を楽しめる一番の読者は、十代の若者だと思います。ぜひ手に取ってみてください」(74頁)。
作家・活動家の
雨宮処凛
は、熱のこもった文体で
AKIRAの『COTTON100%』(現代書林、2004年)
を推している。
「『逃げろ! 逃げろ! 逃げろ! そして旅立て!!』『落ちろ! 落ちろ! 落ちろ! そして目覚めろ!!』/この本に書いてあることは、そういうことだ」(94頁)。「天才と狂人を足して二で割らないアーティスト」(95頁)の少年時代の旅の記録がこの本だ。映画の場面としか思えないような破天荒なエピソードを紹介した後、雨宮はこうもらす。「地上5センチほどの『どん底』から見た世界の、なんと滅茶苦茶で不条理で馬鹿馬鹿しくも美しいことか」(96頁)。
「人生に正解などない。その上、私がこの本から教えてもらったことは『堂々と間違えろ』ということだ。人はきっと、正しく生きるためではなく、間違えるために生まれてきたのだ」(98頁)。
僧侶の
小池龍之介
のおすすめは、
福本伸行の『賭博黙示録 カイジ』(講談社、1996年)
だ。悪党が主役のギャンブル漫画である。小池はこう考える。「個人個人の価値が暴落して砂粒のような、ないしゴミのようなものになった社会だからこそ、そのいやな事実に直面して人々が絶望してしまわぬように、『あなたたちは、かけがえのない存在ですよ』と洗脳して、せっせと積極的に自分から動くように仕向けようという方向性が、背景にあるのではないでしょうか」(103頁)。きれいごとのイメージが刷りこまれる洗脳社会にあって、この漫画に登場する悪党たちが口にするドギツイ言葉には、刷りこみを解毒するパワーが秘められていると、小池は言う(103頁参照)。
おしまいの二文を引用する。「ある意味、悪党だからこそキレイゴトを離れて言い放つことのできる名暴言の数々に触れたとき、当時高校2年生だった筆者は、痛快さを感じていたものでした。ギャンブルの限界状況でむき出しにされる人間心理の描写とともに、嘘のない“むき出し”に触れられる漫画、です」(104頁)。
登山家で作家でもある
服部文祥
は、
ティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』(村上春樹訳、文春文庫、1998年)
を取りあげる。一人の兵士が体験したベトナム戦争報告である。「本書は私がはじめて出会った、戦争をごまかさないでそのまま提示する作品でした。『本当のことが書いてある』と全身で感じることができる作品だったのです」(115頁)。「登山とはなにか、登山者とはなにか、『本当のことを書きたい』と思いつづける私は、今でも本書をよく読み返しています。内容に関しても、表現に関しても、学ぶことが多く、書き手としての覚悟も教わった本書を、私の一冊としてお薦めします」(116頁)。
この本に登場するひとたちは、未来の本読みたちのために心のこもった文章を寄せている。話題は内外の文学、推理小説、手紙、数学、遺伝子などさまざまである。「本当のこと」が知りにくくなった社会を不安視する本や、東京の暗部を抉りだした本も紹介されている。読書を通じて、人間の多面性や世界の多層性、多重性にきっと目が開かれるだろう。
小池昌代・芳川泰久・中村邦生『小説への誘い 日本と世界の名作120』(大修館書店、2015年)
は、3人の著者が入念に準備して世に送るみごとな名作ラインナップである。装丁が美しく、手触りのよい本でもある。選ばれた120冊は、いずれもずっと読まれ続ける傑作ぞろいである。青年時代に読めば、のちの人生がきっと一変することだろう。
120の名作が、「少女の時間」「少年の日々」「恋を知るとき」「情念の炎に身をこがして」「家族の肖像」「いのちの根源を見つめて」「旅に招かれて」「都市をさまよう」「性の深淵をのぞく」「老いつつある日々のなかで」「動物さまざま」「ゆたかな物語の世界」「方法の探究」「奇想のたのしみ」「短篇集を味わう」「これぞクラシック」に分類されている。ほとんどの著者の顔写真か肖像画が掲載され、簡単な人物紹介もある。本の表紙も載っている。全体は、著者のひとりによる推薦文と、他の著者による「私も一言」という短文からなっている。
付録として、「この小説も忘れがたい! 私の偏愛する十冊」がつけられている。
中身のほんの一部を紹介しよう。「少女の時間」のなかで、
太宰治の『女生徒』
を取りあげた小池は、おしまいでこう述べている。「太宰はいつだって、時代を超越した、華のある作家なのだ」(11頁)。「これぞクラシック」のなかでは、
『源氏物語』
について、中村がこう締めくくっている。「
谷崎潤一郎
をはじめ、数多い現代日本語訳も合わせ、この古典的テキストの多言語的複数性こそ、約一千年をこえてなお衰えぬ輝きの証明なのだ」(239頁)。
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