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おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

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読書へのいざない―本は精神の成長を約束する-

推薦文 :和田 渡 (阪南大学名誉教授)
   

  M.J.アドラー C.V.ドーレンの『本を読む本』(外山滋比古 槇未知子訳、1997年) は、本を読む経験の特徴や、読書の仕方について語った本である。原題は、How to Read a Book である。第一版は1940年にアメリカで発行され、その後、高校や大学で教材として用いられている。スペイン語、ドイツ語、イタリア語、フランス語などにも翻訳されている。アドラーは、「日本の読書の皆さんへ」のなかで、読むに値する良い本を、知的かつ積極的に読むための規則を本書で述べていると語っている(4頁参照)。彼はまた、この本が世界の名著を読み、考えることを通じて自分を教育し、向上させることに役立てばと願っている(同頁参照)。この本の中心的なメッセージを最初に引用しておこう。「すぐれた読者になるためには、本にせよ、論文にせよ、無差別に読んでいたのではいけない。楽に読める本ばかり読んでいたのでは、読者としては成長しないだろう。自分の力以上の難解な本に取り組まねばならない。こういう本こそ読者の心を広く豊かにしてくれるのである。心が豊かにならなければ学んだとは言えない」(247~248頁)。「単に知識をふやすだけの、情報を伝える本とは違って、読者にとってむずかしいすぐれた本は、永遠の真実を深く認識できるようになるという意味で読書を賢くしてくれる」(249頁)。


 

 本書の目次は以下の通りである。第一部 読書の意味、第二部―読書の第三レベル、第三部 文学の読みかた 第四部 読書の最終目標。第一部の1「読書技術と積極性」の冒頭で、著者は、「本を読む人」、「これから本を読みたい人」のために本書を書いたが、現実には、「情報や知識を主として活字によって得る習慣のある人」(14頁)としての読書家が減少していると述べる。多くのひとが、情報の洪水に巻きこまれ、受動的になって、自分の頭でものを考えなくなっているからである。読書には、積極的に読んで、考えるという態度が欠かせない。「読書の目的-知識のための読書と理解のための読書」のなかでは、二種類の読書について語られている。平たく言えば、「ものを知るひと」になるための読書と、「ものが分かるひと」になるための読書である。前者では記憶力、後者では思索力と洞察力に比重が置かれる。よい本には、読者の理解力をこえるむずかしい箇所がいくつもあり、それを理解しようとつとめる過程で、しだいにものが分かるようになる。それは、「他力本願ではなく、自分で研究し、調査し、熟考して学んでいく過程」(22頁)である。

 

 「2読書のレベル」では、読書が4段階に分けられている。「初歩的な読み書きを学ぶ第一レベル」(26頁)、一定の時間内に割り当てられた分量を読み、内容を把握する「点検読書」(第二レベル)、系統立て徹底的に読む「分析読書」(第三レベル)、ひとつの主題について何冊もの本を相互に関連づけながら読む「シントピカル読書(比較読書法)」(第四レベル)の四つである。段階を踏まなければ、よい本をじっくり考えて読めるようにはならないということである。

 

 著者は、「5意欲的な読者になるには」で、読書をする場合に、正しい質問を正しい順序でする習慣をつけ、その質問に自分自身で答えるようにすることが肝心だと述べる。「何に関する本か」「何がどのように詳しく述べられているか」「本は全体として真実か、どの部分が真実か」「本にはどんな意義があるのか」が根本的な質問としてあげてある。漫然と本を読んでも得られるものは少ない。読書に要求されるのは積極性であり、能動的に問いを発して、考える態度である。

 

 著者によれば、積極的読書とは、なによりも自分で注意深く読み、考え、表現することである(57頁参照)。そのためには、傍線を引く、☆印、※印などを余白につける、キー・ワードを○で囲む、余白に書き入れをするといった工夫をすることが必要だと説く(58~59頁参照)。

 

 第二部では、分析読書の規則が語られる。第一の規則は、自分がどんな種類の本を読んでいるのかをできるだけ早い段階で知ること、できれば読み始める前に知ることである(69頁参照)。第2の規則は、本全体を2、3行か、せいぜい数行の文で表わしてみることである(88頁参照)。著者の意図や主題を知ることである。第3の規則は、本の主要な部分がどのように順序よく統一的に配列されて、全体を構成しているかを把握することである(89頁参照)。第4の規則は、本の作者がなにを問題にしているのかを知ることである(105頁参照)。

 

 第三部では、文学作品を読むことが日常的な現実とはことなる、「もっと深い大きな現実に向かうこと」(201頁)だと力説される。「その現実とはわれわれの内面の真実、われわれが心の中に独自に描く世界である。これを発見できれば、ふつうでは得られない深い満足を経験することができる」(同頁)。

 

 第四部では、著者は読書と人間の成長、とりわけ精神の成長とをむすびつけて語っている。「人間の精神には一つ不思議なはたらきがある。それはどこまでも成長しつづけることである。(中略)肉体にはさまざまの限界があるが、精神に限界はない」(253頁)。「だが人間にだけ与えられたこのすぐれた精神も、筋肉と同じで、使わないと萎縮してしまうおそれがある。精神の鍛錬を怠ると、“精神萎縮”という代償が待っている。それは精神の死滅を意味する恐ろしい病である」(254頁)。「自分の中に精神的な貯えをもたなければ、知的にも、道徳的にも、精神的にも、われわれの成長は止まってしまう。そのとき、われわれの死がはじまるのである」(同頁)。衰えるのは、精神や筋肉だけではない。口当たりのよい、やわらかいものばかり食べていると、咀嚼力が弱まるし、エレベーターやエスカレーターばかり利用していると、脚力も衰えてさっそうと歩けなくなる。

 

 読書が精神に新鮮な刺激を与え、強靭な精神をつくるという著者の主張には説得力がある。ただし、冒頭で述べたように、精神を鍛えるのは、手軽に読み流せる本ではなく、かみくだいて、手間ひまをかけて読む本である。精神の活動をうながす積極的な読書は、たえず成長する若々しい人間を作りだす。読書の成長をうながす力にあずかるひとは幸いである。

 

 

  『10代のうちに本当に読んでほしい「この一冊」』(河出書房新社編集部=編、2016年) では、「ほかの誰もが薦めないとしても、絶対に若いうちに読んでおいたほうがいいと思う本を紹介してください」という編集部の依頼に答えて、作家や写真家、僧侶、研究者など30人がとっておきの本を推薦している。さまざまな分野の本や漫画本が紹介されているので、きっとお気に入りの本が見つかるだろう。「目から鱗」の本も少なくない。

 

 

 映画監督で作家の 森達也 は、 アーサー・C・クラークの『幼年期の終り』(福島正美訳、ハヤカワ文庫、1979年) というSF小説をすすめている。「世界は一つではない。多重で多層的だ。そしてSFは、そんなことに気づかせてくれるジャンルだ」(18頁)。こう結ばれる。「読み終えたあなたが何を思うかはわからない。僕は十代の時期に読み終えたとき、この世界と人々に対して、強い希望を持った。でもそれは、決して楽観的な希望ではない。悲観的な希望だ。絶望と紙一重。だからこそ強い。だからこそ記憶に残り続ける。だからこそ今も大事な一冊だ」(20~21頁)。

 

 

 詩人で童話作家の 工藤直子 は、 ジュール・ルナールの『博物誌』(岸田国士訳、新潮文庫、1954年) を推している。中学生のころ、友達から耳にしたという「蝶」という題の一文が載っている。

二つ折りの恋文が、花の番地を捜している。

 

 工藤はこう続ける。「(こ、こいぶみ? 二つ折り? …・・・なるほど、蝶の羽は『二つ折り』。恋の手紙を届けたいところは…・・・『花』! きゃ、す、すてき!)

オトメな私は、すぐ好きになりました。もちろん、すぐ全文を覚えました。全文といったって、一行だもんね」(28頁)。

 

 おしまいは、本へのしゃれた誘いだ。「さて、『博物誌』のなかに、ほかにもすきなものが沢山ありますが、とりわけ、ぷぷぷと笑ってしまうのは、『蛇』という一文です。/想像してみてください。あなたは、どんな文だと思う? なんで、たいていの人が、ぷぷぷ、と笑ってしまうのだと思う?」(31頁)。

 

 作家の 山崎ナオコーラ がすすめるのは レイモン・ラディゲの『肉体の悪魔』(新庄嘉章訳、新潮文庫、1954年) だ。この恋愛小説は、16~18歳の頃の作品である。ラディゲは、20歳で夭折した。

 

 山崎は、こう締めくくっている。「『肉体の悪魔』は、心の震えをひとつひとつ書き留めた、ガラス細工のような小説です。この繊細な小説を楽しめる一番の読者は、十代の若者だと思います。ぜひ手に取ってみてください」(74頁)。

 

 

 作家・活動家の 雨宮処凛 は、熱のこもった文体で AKIRAの『COTTON100%』(現代書林、2004年) を推している。

 

 「『逃げろ! 逃げろ! 逃げろ! そして旅立て!!』『落ちろ! 落ちろ! 落ちろ! そして目覚めろ!!』/この本に書いてあることは、そういうことだ」(94頁)。「天才と狂人を足して二で割らないアーティスト」(95頁)の少年時代の旅の記録がこの本だ。映画の場面としか思えないような破天荒なエピソードを紹介した後、雨宮はこうもらす。「地上5センチほどの『どん底』から見た世界の、なんと滅茶苦茶で不条理で馬鹿馬鹿しくも美しいことか」(96頁)。

 

 「人生に正解などない。その上、私がこの本から教えてもらったことは『堂々と間違えろ』ということだ。人はきっと、正しく生きるためではなく、間違えるために生まれてきたのだ」(98頁)。

 

 

 僧侶の 小池龍之介 のおすすめは、 福本伸行の『賭博黙示録 カイジ』(講談社、1996年) だ。悪党が主役のギャンブル漫画である。小池はこう考える。「個人個人の価値が暴落して砂粒のような、ないしゴミのようなものになった社会だからこそ、そのいやな事実に直面して人々が絶望してしまわぬように、『あなたたちは、かけがえのない存在ですよ』と洗脳して、せっせと積極的に自分から動くように仕向けようという方向性が、背景にあるのではないでしょうか」(103頁)。きれいごとのイメージが刷りこまれる洗脳社会にあって、この漫画に登場する悪党たちが口にするドギツイ言葉には、刷りこみを解毒するパワーが秘められていると、小池は言う(103頁参照)。

 

 おしまいの二文を引用する。「ある意味、悪党だからこそキレイゴトを離れて言い放つことのできる名暴言の数々に触れたとき、当時高校2年生だった筆者は、痛快さを感じていたものでした。ギャンブルの限界状況でむき出しにされる人間心理の描写とともに、嘘のない“むき出し”に触れられる漫画、です」(104頁)。

 

 

 登山家で作家でもある 服部文祥 は、 ティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』(村上春樹訳、文春文庫、1998年) を取りあげる。一人の兵士が体験したベトナム戦争報告である。「本書は私がはじめて出会った、戦争をごまかさないでそのまま提示する作品でした。『本当のことが書いてある』と全身で感じることができる作品だったのです」(115頁)。「登山とはなにか、登山者とはなにか、『本当のことを書きたい』と思いつづける私は、今でも本書をよく読み返しています。内容に関しても、表現に関しても、学ぶことが多く、書き手としての覚悟も教わった本書を、私の一冊としてお薦めします」(116頁)。

 

 

 この本に登場するひとたちは、未来の本読みたちのために心のこもった文章を寄せている。話題は内外の文学、推理小説、手紙、数学、遺伝子などさまざまである。「本当のこと」が知りにくくなった社会を不安視する本や、東京の暗部を抉りだした本も紹介されている。読書を通じて、人間の多面性や世界の多層性、多重性にきっと目が開かれるだろう。

 

 

  小池昌代・芳川泰久・中村邦生『小説への誘い 日本と世界の名作120』(大修館書店、2015年) は、3人の著者が入念に準備して世に送るみごとな名作ラインナップである。装丁が美しく、手触りのよい本でもある。選ばれた120冊は、いずれもずっと読まれ続ける傑作ぞろいである。青年時代に読めば、のちの人生がきっと一変することだろう。

 

 120の名作が、「少女の時間」「少年の日々」「恋を知るとき」「情念の炎に身をこがして」「家族の肖像」「いのちの根源を見つめて」「旅に招かれて」「都市をさまよう」「性の深淵をのぞく」「老いつつある日々のなかで」「動物さまざま」「ゆたかな物語の世界」「方法の探究」「奇想のたのしみ」「短篇集を味わう」「これぞクラシック」に分類されている。ほとんどの著者の顔写真か肖像画が掲載され、簡単な人物紹介もある。本の表紙も載っている。全体は、著者のひとりによる推薦文と、他の著者による「私も一言」という短文からなっている。

 

 付録として、「この小説も忘れがたい! 私の偏愛する十冊」がつけられている。

 

 中身のほんの一部を紹介しよう。「少女の時間」のなかで、 太宰治の『女生徒』 を取りあげた小池は、おしまいでこう述べている。「太宰はいつだって、時代を超越した、華のある作家なのだ」(11頁)。「これぞクラシック」のなかでは、 『源氏物語』 について、中村がこう締めくくっている。「 谷崎潤一郎 をはじめ、数多い現代日本語訳も合わせ、この古典的テキストの多言語的複数性こそ、約一千年をこえてなお衰えぬ輝きの証明なのだ」(239頁)。


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