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身体を通して考える―黒田博樹・井上康生・吉田都の場合―

推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)
   

  黒田博樹の『決めて断つ』(KKベストセラーズ、2012年) は、日米のマウンドに立って何度も修羅場をくぐりぬけた黒田が、自分の野球人生を振り返ったものである。黒田の自己評価や他のプレーヤーに対する見方、日米の野球の違いに対する考察、家族との交流などが率直に書かれていて興味深く読める。

 

 本書はプロローグ、挫折、起点、信念、挑戦、戦場、決断、広島と題する全7章、エピローグからなる。プロローグで、黒田は、高校時代の監督のことばを紹介している。「『補欠だったお前が、メジャーリーグで投げてるんだなあ』」(14頁)。黒田はこう書く。「プロ野球界で活躍している多くの、いわば『エリート』と言われるような人とは違うかもしれないけれど、僕には僕の道があり、様々な『決断』があったのだ」(15頁)。黒田は、挫折や試練の連続だった過去を語った理由をこう述べている。「野球だけではなく、日々の生活の中でなかなか結果が出ないと悩んでいる人にも、なにかヒントを提示できればいいなと思っている」(同頁)。


  

 黒田は、全国から有力選手が集まる高校に入学し、彼我の力の差に愕然とする。補欠生活では、走ることが中心だった。卒業後、関東の大学に入り、環境の違うなかで野球を続けることになった。「自分にとってはつらかった経験が、時間が経ち環境が変わったことで大きな財産になっていた」(25頁)。心境の変化はこう総括される。「僕は『しんどい』ことでも、それをネガティブに捉えることはやめようと思えるようになった」(同頁)。「環境が変わるというのは大きなチャンスになりえる、それも学んだ」(同頁)。

 

 黒田は、大学の2年の後半から3年にかけて、技術面でもメンタル面でも大きく成長する。自分よりもすぐれたライバルと競合できるようになり、未来への展望も開かれた。「『目の前の枠の中に目標を作る』という方法」(29頁)を自覚し、目の前の目標をひとつひとつ乗りこえてあたらしい世界に挑戦するという意欲が生まれた。「小さいところで満足していると、その枠の中で収まってしまう。その中での成長にとどまってしまう」(31頁)。

 

 ヒロシマカープに入団した黒田は、27歳でようやく一人前の投手になれたと思う。プロとしては遅咲きの方であるが、カープで先発として投げられることに自信をもった。しかし、2004年のアテネオリンピックに参加して、「『俺はこれほどまで井の中の蛙だったのか』」(59頁)と痛感する。豪華メンバーがいるなかで、黒田に回ってきたのは中継ぎでしかなかった。その悔しさが、「『よし、自分も日本を代表する投手になる』」(61頁)という覚悟にむすびついた。「広島」の枠が破られた瞬間である。

 

 両親を天国に見送り、ひと区切りがついた黒田は、日本よりも上のレベルで投げることを念願し、FA宣言をして、アメリカのチーム移籍をめざす。ドジャースから4年契約を提示されたが、「4年間もそんな苦しいことはできない」(94頁)という理由で、3年に短縮してもらう。その依頼の背後には、まだ一球も投げていない段階での高評価に対する不安もあった(95頁参照)。

 

 メジャーでは、中5、6日が一般的な日本とちがって、中4日のローテーションが普通である。黒田は、この厳しい条件を克服するために日本流の調整を捨て、なによりも体を整えることに専念する。そのために黒田が選択した詳細が、「コラム―ドジャーズ時代のルーティン―」に書かれている(111~118頁参照)。

 

 第5章の「戦場」は、驚くような文章で始まる。「どんな試合であっても、マウンドに上がるときは責任を感じる。もっと言えば、戦場に向かうような気持ちだ。いつだって、その試合で選手生命が終わってもいい、そのくらいの覚悟と決断をもってマウンドに上がっているつもりだ」(120頁)。「ドジャースでは、先発投手がはじめの一歩をグラウンドに出すまで、野手は誰もダグアウトから出ない。(中略)なかには気持ちが入りすぎて、グラウンドに飛び出したくて仕方がない感じの選手もいるのだが、彼らもじっと我慢して、僕ら先発投手が『戦場への一歩』を踏み出すのを待ってくれている」(同頁)。黒田は、先発投手へのそうしたリスペクトに対して責任を果たしたいという思いを強くもつ(121頁参照)。

 

 マウンドがまさに命がけの戦場になる例が書かれている。2009年の試合で、打者の真芯でとらえた打球が黒田の右側頭部を直撃する。その瞬間、球場全体が静まり返り、相手チームの選手も動揺を隠せなかったという(124頁参照)。黒田は故障者リストに入ったが、3週間後に復帰を果たした。

 

 2012年、黒田はドジャースからヤンキースに移籍する。あるとき、球団のスタッフからの伝言が伝わる。「『Hirokiがドジャースと比較して改善して欲しいところがあったら、遠慮なく話してきて欲しい』」(180頁)。組織の固定化を排し、柔軟に組み替えていこうとする球団の柔軟な姿勢に、黒田は驚く。

 

 第7章「広島」で、黒田は、かつての不人気、夏場の蒸し風呂に近い球場といったカープの厳しい環境のなかで育てられてきた過去を顧みて言う。「僕のような人間が偉そうなことは言えないけれど、もし、いま自分の環境に嘆いている人がいるとしたら、その環境でどう生き抜くか、を考えてみて欲しい。決して環境に愚痴を言っても始まらない。それができるかどうかは、大きな分岐点だと思うし、僕を見て少しでもそれを感じてくれたらうれしい」(193頁)。うまくいかないのを、周りのひとや環境のせいにしてすますのはやさしい。うまくいかない理由を考えて、うまくいく方向に踏み出すことはなかなかできないが、愚痴をこぼすだけで終わりにはしないでおこうというメッセージだ。

 

 エピローグで、2012年のヤンキースの春のトレーニングを終えた段階で、想像以上の衝撃を受け、こうつぶやいている。「それは環境や待遇などといったことでは決してなく、チームの空気感というのだろうか、いままで感じたことのない表現しようのない感覚だった。/この感覚はなんなのだろうか―」(200頁)。この不可思議な感覚こそが、「井の中の蛙」から広い外の世界へと勇躍した黒田の得た最大の収穫かもしれない。なぜなら、その未知の感覚は、黒田にさらにもうひとつ別の世界への挑戦をうながしているからである。黒田の挑戦に限界はない。

 

 「『黒田博樹という人間を、もうひとりの黒田博樹という人間が常に見てる』」(215頁)、これは、黒田のマネージャーを務めた小坂勝仁の黒田評である。ひとはさまざまな場面で、決断を迫られる。自分に問いかけて、方向を選択しなければならない。小坂は、黒田が自分の問いかけを見つめるもうひとりの自分をもっており、それが両親の教育によって培われたものだろうと推測している(215~216頁参照)。

 

 『決めて断つ』は、野球に興味のないひとにも訴える力をもつ本である。ぜひ手にとって読んでほしい。

 

 

  井上康生の『改革』(ポプラ社、2016年) は、ロンドン五輪で惨敗した日本柔道を、リオデジャネイロ五輪で復活させるまでの、井上の困難に満ちた4年間の戦いの記録である。黒田は野球を通して自分との戦いを生きたが、井上は、組織の改革と個々の選手の最大限の活躍を可能にするための戦いに全力をそそいだ。

 

 本書は、序章の「リオ前夜」と、終章の「リオ五輪」の間に、意識改革、メンタル、フィジカル・コンディショニング、技術・戦略、組織、リーダー、情報と代表選考と題する全7章が置かれている。組織論、リーダー論、教育論、身体論、スポーツ実践論、自己管理論などとして読める豊かな内容を含んでいる。

 

 井上は、第1章の「意識改革」のなかで、個々の選手に対して、自分で考え、自己管理できる自立した姿勢と、変化してやまない世界の柔道の現実を知り、自分のあり方を考えて生きることを求めている(48頁参照)。第2章の「メンタル」では、試合で実力を発揮するためには、ライバルの強さを認め、自分の足りないところを素直に受け入れ、弱点を埋め、相手に勝てるような準備をする緻密さが必要だと強調されている(65頁参照)。自他の現実を反省し、修正作業を継続することは、スポーツの世界に生きる者だけでなく、学生や社会人にも大切なことに違いない。

 

 井上は、大学の3年ごろから、将来の柔道界を背負う人間に成長するための教育を受けた。組織を動かすための原理、公的な場所での言葉遣いやふるまい方、新聞と本を読むこと、歴史に学ぶことなどが教えこまれた。もしも自分がある状況に置かれたらどうするかを常に考え、さまざまな問題が生じたときには、なぜそうなったのかを徹底的につきつめてみるという習慣をもつということがなによりも大切だとも教えられた(41~42頁参照)。

 

 井上の視野を広げたのが英国留学である。海外の選手の効率的な練習の仕方に出会い、彼我の柔道の差異が見えてきたのである。日本の内にとどまり、外に出なければ、「井の中の蛙」になりかねない。井上は、外国の柔道なんて本当の柔道ではない、海外の柔道を研究しても仕方ない、日本柔道こそがすべてだといった内向きの姿勢を批判している(116頁参照)。

 

 第5章の「組織」のなかで、本書の根本的なメッセージが述べられている。「何ごとも進化するためには変化が必要であり、変化するには新たな挑戦が必要です。失敗を恐れていては何もできません。人間の成長というものは、失敗と共にあるものだと思います」(215頁)。「失敗を恐れず挑戦し続ける試みなしに、人間的な成長はない」ということだ。ロンドン五輪で手痛い敗北を喫し、涙を流し、その屈辱をバネにしてよみがえった井上ならではの発想である。万事順調ということはない。何事においても、失敗や挫折は避けられない。問題は、失敗とどうつきあうかである。井上は言う。「自分がどういう柔道家になりたいのか、どういう人生を歩みたいのかをしっかり考えておけば、ある程度の失敗であれば、それほど問題は大きくならないはずです。失敗したらそこから学べばいいだけです」(290頁)。とはいえ、失敗の原因や背景を探り出すことはむずかしく、失敗しても、すぐ蓋をしてすますことも少なくない。失敗から学ばないと、同じ失敗を何度でも繰り返すことになるのだ。

 

 もうひとつの重要なメッセージは、「敵の身体を知り己の身体を知れば百戦あやうからず」(268頁)である。相手をじっくり観察し、その特徴(長所や弱点)を把握し、同時に自分の強みがどこにあり、どういう点がもろいのかを知って、戦う準備を怠らないようにしようということだ。しかし、この試みは、自分ひとりでは成就しない。コーチの助言や指摘が不可欠である。選手自身の自立と、選手とコーチの協力が勝利への道に通じている。

 

 『改革』にも、『決めて断つ』と同様に、柔道の選手のみならず、学生や社会人にとっても参考になる助言が数多く書かれている。それらをヒントにして、どう振る舞うべきかをよく考えてほしい。

 

 

  吉田都の『バレリーナ 踊り続ける理由』(河出書房新社、2016年) は、17歳のときのローザンヌ国際バレエコンクールでのローザンヌ賞受賞を契機にして、30年近く英国を拠点に活躍した吉田の自伝である。吉田の経験したプロの踊り手としての苦難は想像を絶するものがあるが、本書での筆の運びは軽快そのものだ。平易な日本語の文章であり、読む苦労もいらない。しかし、注意して読み返すと、平凡なことばで大切なことが書かれていることに気づく。

 

 本書は、「好き、は人生の導き手」、「『自分の居場所』を見つけるために」、「ライバルは、自分」、「補い合い、引き出しあう関係」、「変化する自分と向き合いながら」、「エレガントに生きる」、「心にも栄養を」の全7章からなる。

 

 吉田のモットーは、「毎日コツコツと続けること」、「継続は力なり」、「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」である(直筆のあとがき参照)。日々の地道な努力を可能にしたのは、「バレエが好きという情熱」(4頁)であった。回転やバランス、ジャンプを組み合わせたステップの練習は、週一度の休日以外は、毎日繰り返される(21頁参照)。つらく、苦しい稽古を続けるなかで発見があり、それが自分の進化、成長につながり、喜びの感情が生まれてくるから、しんどくても稽古の継続が可能になるという(22頁参照)。

 

 英国ロイヤル・バレエスクールでの留学生活のなかで、吉田は、自己主張を恐れず、先生とも対等に意見を戦わせる生徒たちの態度に刺激を受ける。卒業後、サドラーズウェルズ・ロイヤルバレエ団でプロのダンサーとして出発した吉田は、踊りでなにを表現するのか、自分が踊ることの価値とはなにか、プロとしての責任とはなにをすることかといった問題を考え始める。「誰かに頼るのではなく、自分を見つめ、自分と対話し、自分なりの方法を探すことができたような気がします」(52頁)。

 

 吉田はバレエの奥深さを、身体の両義性につなげて語っている。「バレエは身体で表現する芸術なのだから見た目がきれいならばそれでよい、と思われるかもしれません。しかし、その身体を動かすものは心、センス、感覚です。どんなに美しい衣裳を着てスポットライトの中に立ったとしても、踊り手の普段の生活や内面まで、すべてがさらけ出されてしまうような怖さが舞台にはあります」(59頁)。観客に見える踊り手の身体の運動に、外部からは見えない踊り手の人間性が反映する。踊りを美しくみせるためには、心も美しく磨くことが大切だということだ。

 

 吉田は、29歳のときに、英国ロイヤル・バレエ団へプリンシパル(トップの階級に属するダンサー)として移籍し、44歳まで在籍した。吉田は、自分の欠点を気にするコンプレックスが成長のバネになると言う。「人間は“自分はできている”と思うと、そこで成長が止まってしまう生き物なのでしょう。けれども、まだまだだ、と思うと自分の欠点を見つけ出しそれをなんとか改善しようと努力します」(75頁)。

 

 このバレエ団で、吉田は、「いつもエレガントに振る舞うことを心がけて」と言われ続ける(133頁参照)。吉田は、こう考える。「エレガンスとは、どんなに大変なことでも努力している気配は一切見せず、軽々とやって見せるスマートさである」(135頁)。美しい、凛とした立ち姿こそがエレガンスの基本とも考えている(138頁参照)。吉田はまた視点を拡張して、自分のためではなく、他者や社会のために尽力する生き方こそがエレガントだとも考えている(149頁参照)。


人物紹介

黒田博樹(くろだひろき)[1975〜]

1975年2月月10日生まれ、大阪府出身。ニューヨークヤンキース所属。

小学1年生で野球を始める。ボーイズリーグ「オール住之江」でプレーした後、上宮高校に進学。しかしエースとなることは叶わず卒業後、専修大学へ。3年時には東都リーグ1部昇格に貢献。大学最終年1部リーグではエースとして活躍。15試合に当番し6勝4敗。

1997年ドラフト2位(逆指名)で広島東洋カープに入団。150キロを超えるストレートを武器に1年目から規定投球回数をクリア。2001年に初めて2桁勝利を達成すると、以降カープのエースとして君臨。2004年はアテネオリンピック日本代表に選出。2005年はキャリアハイの15勝を挙げ最多勝、さらにゴールデングラブ賞、ベストナインに選出される。2006年は13勝、1.85という驚異的な防御率で最優秀防御率のタイトルを獲得。

2008年、フリーエージェント権を行使しメジャーリーグ・ロサンゼルスドジャースへ3年契約で移籍。1年目からローテーションを守り続け、2年連続のポストシーズン進出に貢献。2010、11年と2年連続で2桁勝利を達成した実績を引っ提げ、2012年メジャーリーグの名門、ニューヨークヤンキースに1年契約で移籍した。右投げ右打ち。184cm、85kg。

―本書より

人物紹介

井上康生 (いのうえ・こうせい)[1978〜]

全日本柔道男子監督。東海大学体育学部武道学科准教授。柔道家。

1978年宮崎県生まれ。東海大学体育学部武道学科卒業後、同大大学院体育学研究科修士課程修了。柔道は5歳のときから始め、全国少年大会を始め、全国中学、インターハイなど各年代の大会を軒並み制覇。切れ味鋭い内股を武器に、大内刈、大外刈、背負い投げを得意とする超攻撃柔道で数々の結果を残した。

2000年シドニー五輪IOOkg 級金メダル、2004 年アテネ五輪IOOkg 級代表。1999、2001 、2003 年世界選手権IOOkg 級で優勝。2001 ~ 2003 年全日本選手権優勝。

2008 年に選手としては第一線を退き、2009年から2年間、英国に留学。ロンドン五輪では全日本特別コーチ、2012 年11 月からは、リオデジャネイロ五輪に向けての全日本柔道男子監督を務めた。

2016 年のリオデジャネイロ五輪においては、1964年の東京五輪以来となる「全階級メダル獲得」を達成する。同年9月に、2020年の東京五輪までの続投が発表された。

著書に『ピリオド』(幻冬舎)、監修警に『DVD付心・技・体を強くする!柔道基本と練習メニュー』(池田書店)がある。

―本書より

人物紹介

吉田都 (よしだ みやこ)[1965〜]

1965年東京都生まれ。9歳からバレエを始め、83年、ロー ザンヌ国際バレエコンクールでローザンヌ賞を受賞、英国 ロイヤル・バレエスクールに留学。84年、サドラーズウェル ズ・ロイヤルバレエ団に入団、88年、プリンシパルに昇格。 95年、英国ロイヤル・バレエ団にプリンシパルとして移籍、 以後2010年に退団するまで、数多くの舞台で主役を務め る。確かなテクニックと音楽性、叙情溢れる豊かな表現力は “ロイヤル・バレエの至宝”と称され、22年間にわたり、最高 位であるプリンシパルとして世界の頂点を極めた。現在はフ リーランスのバレリーナとして舞台に立ち続ける傍ら、後進の 育成にも力を注いでいる。

―本書より

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