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カナダ文学の一面―多文化主義のゆくえ―

推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)


 アリス・マンローの『ディア・ライフ』(小竹由美子訳、新潮社、2013年)は、「短篇の女王」とよばれた作家の最後の短篇集である。
 マンローは、1931年にカナダのオンタリオ州の田舎町に生まれた。1968年に出版された最初の短篇集はカナダ総督文学賞を受賞した。その後も短篇集を書き続け、2005年には、「世界でもっとも影響力のある100人」のひとりに選ばれた。マンローのノーベル文学賞受賞(2013年)の報に接した作家のジュンパ・ラヒリは、こう述べている。「短篇にはなんでもできるのだということを、わたしはマンローから教わった。マンローは短篇という形式をひっくり返してくれたのだ。より深く探りたい、壁を打ち倒したいという気持ちを起こさせてくれた。人と人との関係、人間の心理の不可解さは、なおも文学の核心であり原動力なのだとマンローの作品は証明している」(386~387頁)。
 マンローの短篇は、いずれも、家庭生活や、自分の身の回りの世界でおきる出来事を見つめ、ひとがひとと係わって生きることや死ぬこと、愛すること、争うことなどの諸相を静かな筆致で描き出している。ひとりひとりの心理や行動に対するマンローの徹底した観察と思索が、短篇のなかに緻密に織りこまれている。日常の生活は、ありふれた出来事の連続のようにも見える。しかし、よく注意してみると、しばしば、出来事のひとつひとつに深い意味が隠されていることが分かってくる。マンローの短篇は、些細な出来事のなかに潜む意味をみごとにすくいあげている。




 この作業を支えるのが記憶と想像力の働きだ。マンローは、記憶を介して過去の出来事をよみがえらせながら、ありえた話、ありうる話を紡ぎだしている。訳者は、「あとがき」のなかで、マンローがあるインタビューで語ったことを紹介している。「『わたしたちは記憶によって、自分の物語を自分自身に語り続ける―そして他人には、自分の物語のいささか違うバージョンを語る。絶えることのない語りの力なくしては、人生を掌握することはできない』」(390頁)。
 『ディア・ライフ』には、「日本に届く」「安息の場所」「プライド」「湖の見えるところで」など10篇の創作と、「フィナーレ」として、「目」「夜」「声」「ディア・ライフ」と題する4篇の自伝的色彩の濃い作品がおさめられている。
 「目」は、幼年期の回想である。「わたしが五歳のとき、両親は突然男の赤ん坊をこの世に生み出し、あんたがいつも欲しがっていたでしょ、と母は言った」(310頁)で始まる。のっけから、母親に対する「わたし」の違和感や、遠慮が前面に出てくる。「不思議の国のアリスが巨大になってウサギの穴から出られなくなるところでわたしはひどく悲しくなったが、母が楽しそうなので笑った」(311頁)。母親べったりの生活は、セイディーという女性が働きにくるようになって変わる。「母といる時間が少なくなると、わたしは何が本当で何が本当ではないか、考えられるようになった。このことを誰にもしゃべってはいけないということは、ちゃんとわかっていた」(同頁)。
 セイディーの趣味はダンスだ。「毎週末ダンスに行っていたが、ひとりで行くのだ。自分ひとりで、自分のために、と彼女は言った」(314頁)。ダンスホールでは、男たちの誘惑をきびしくはねつけ、自分のために踊っていた。セイディーは、男に捕まりはしないかと怖がっているわたしにこう語りかける。「この世には怖がらなくちゃならないものなんかひとつもないんだよ、自分でちゃんと気をつけてればね」(315頁)。「わたし」は、さっそうと生きるセイディーに強くひかれる。
 回想は小学校時代の葬儀で出かける場面に移る。セイディーは、ダンスの帰りがけに後ろからきた車にはねられて命を落とした。「わたし」は、母に連れられて教会での告別式に向かう。柩におさめられた遺体をおそるおそる見ているときに、「わたし」は、不思議な体験をする。「わたしには見えたのだ。わたしのほうの側のまぶたが動いたのだ(中略)もしも彼女なら、彼女の内側にいたならば、まつげのあいだから外を覗けるくらいごくわずかに持ち上がったのだ」(324頁)。「そのときわたしは驚かなかったし、ちっとも怖くはなかった。たちまちこの光景はわたしがセイディーについて知っているすべてとなり、それに、なぜかまた同時に、わたし自身にかかわる何か特別な体験となった。(中略)それは完全にわたしのためのものだった」(324頁)。
 不可思議な現象は一度限りで、セイディーの記憶は「けっこう速やかに」(同頁)薄れていく。「学校という衝撃のせいもあったのだが、わたしはそこで、ひどくびくびくすることと自己顕示欲を奇妙に混ぜ合わせてなんとかやっていくことを学んでいた」(324~325頁)。その後も、「わたし」は、セイディーのことを思い出すときには、超自然的な現象がおこったということを信じていたが、「ある日、たぶんもう十代になっていたかもしれないが、自分の内面に薄暗い穴を抱えたわたしは、もうあれを信じてはいないと自覚したのだった」(325頁)。
 余韻の残る結末である。結論めいたことはなにも語られない。小説のなかの時間が、読者の心の時間に反響をもたらして消えない。

 キム・チュイの『小川』(山出裕子訳、彩流社、2012年)は、ベトナム系カナダ人作家の第一作である。この作品もカナダ総督文学賞を受賞し、英語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語などに翻訳されている。
 キム・チュイは、1968年、ベトナムのサイゴン(現在のホーチミン市)に生まれた。1975年のサイゴン陥落によって国外脱出を余儀なくされ、ボートピープルとしてマレーシアの難民収容所にたどりついた。10歳のときに、カナダに難民として受け容れられた。モントリオール大学を卒業後、いくつかの職業を経て、執筆活動に専念するようになった。彼女は、移民に開かれた政策をとるカナダにおいて、中国系、日系の作家などとならんで活躍している。
 『小川』は、キム・チュイの自伝的な小説である。ベトナム時代の経験、家族や親戚のこと、難民収容所での出来事、カナダでの移民生活などの記憶が断片的につづられている。文章全体は、タイトルから連想されるように、静かに流れているが、その背後には、激流が渦巻いている。文体の静と、難民になるという過酷な経験を語る内容の動の対比が鮮烈な作品である。激流にのまれた者でなければ書けないことが淡々と書かれている。読者は、著者の記憶の濾過作用によって変容された出来事を、想像力によって再現しなければならない。
 サイゴンから逃れるひとの苦難は、つぎのように描かれている。「『ボートピープル』、つまり、海路で逃げ、生き延びた人たちを受け入れるために、赤十字はベトナムの隣国に難民キャンプを作った。そこまで辿り着けなかった人たちは、逃げている間に海に落ち、『ボートピープル』にすらなれず、名もなく死んでいった。私は硬い土の上に直に横たわることができたのだ。二百人しか収容できない難民キャンプに受け入れられた二千人の難民の一人になれたという、神の祝福を受けた身なのだ」(20頁)。
 難民キャンプでの生活の一部はこう語られている。「母とその友人は、私たちに英語を教えてくれた。私たちは毎朝、わけもわからないまま、後について英単語を繰り返した。キャンプにいる二千人の人々の糞尿でいっぱいになった穴がすぐそばにあるというのに、彼は遠いところに美しい地平があることを教えてくれた。彼の顔を見なければ、糞尿の臭いがせず、蛆虫もいない地平は、想像できなかっただろう。食糧配給の時間に地面に投げ出される傷んだ魚を食べなくていい日が来ることを、想像することはできなかっただろう。きっと、夢をつかむために腕を伸ばそう、という気持ちをも失っていただろう」(22頁)。
 用あってサイゴンに戻ったキム・チュイが目にした個室の光景は、こう表現されている。「その中では、六人の少女が壁ぎわに並んで立っていた。踵の低い靴を履いて、派手目の化粧をした彼女たちは、細い体を震わせ、チカチカするネオンの灯りの下に裸で立っていた。六人の男たちが、丸めてゴムで縛った百ドル札を矢にし、少女たちを的に、ダーツ投げをしていた。紙幣の矢は弾丸のような速さで煙った部屋を横切って、少女たちの透明な肌に当たった」(121頁)。キム・チュイは、カナダで入れ墨をした少女を見て感想をもらす。「モントリオールで、入れ墨などで自分の肌に消えない傷をつけている若い女の子に出くわすと、肉眼では見えない、消し去ることのできない、深い傷を肌に負っている少女たちを見てほしいと願わずにはいられない。二つの傷を並べて、比べてみたい。飾りの傷と、負わされた傷を。金を払って得た傷と、支払われて得た傷。一方は目に見え、もう一方は目に見えない。一方は肌を彩り、もう一方は肌の奥底に沈んでいる」(123頁)。入れ墨をする女の子は、家庭や人間関係に起因する、目には見えない傷を肌に刻んで見えるものにしているのかもしれない。サイゴンの少女たちは、受けた傷を心の奥底に刻んで生きなければならない。

 マーガレット・アトウッドの『負債と報い 豊かさの影』(佐藤アヤ子訳、岩波書店、2012年)は、2008年に行なわれたマッシー連続講演の記録である。1961年に始まったこの講演には、カナダの批評家のノースロップ・フライ、アメリカの言語学者のノーム・チョムスキーなどが登場している。
 アトウッドは、1939年にカナダの首都オタワに生まれた。カナダを代表する作家・詩人である。児童書、評論、戯曲、ノンフィクションなども手がけ、幅広い活動を展開している。近年は、環境問題に関心をもち、2010年に開催された「第七十六回国際ペン東京大会二〇一〇 環境と文学『いま、何を書くか』」で基調講演を行なっている。
 『負債と報い 豊かさの影』(原題は、PAYBACK Debt and the Shadow Side of Wealth である)のテーマは、著者のことばによれば、「人間の複合概念としての負債」(2頁)、「想像上の複合概念」(同頁)を取りあげ、「飽くなき人間の欲望と強烈な恐怖をこの複合概念がどのように映し出し、拡大しているかを探ること」(同頁)である。この講演の狙いのひとつは、欲望にかられて「借金して生きる」という人間と、人間の欲望を巧妙に利用し、刺激して稼ごうとする営利組織のたくらみの裏に潜むものがなにかを、古代にまで遡る歴史的な視野のもとで暴き出そうとすることである。質屋の歴史が語られ、『聖書』の内容が分析され、「負債」という概念が検討されている。この概念は、さらに文明論的な考察の文脈に取り入れられて、破局へと向かう現代文明の危機との関連でも論じられている。
 アトウッドの根本的な関心は、つぎの発言に集約されている。「人は、存在しているというだけで誰かに、もしくは何かに負債を負っているのではないか。もしそうなら、どんなツケを誰に、あるいは何に負っているのか。そして、どう返すべきなのか」(1頁)。負債は、人間同士の関係だけでなく、人間と自然、地球との関係にまで広げて考察されている。
 本書は、「古代の貸借均衡」「負債と罪」「筋書きとしての負債」「影なる部分」「清算」の5章からなっている。クライマックスは、第5章の「清算」である。アトウッドは、この章でそれまでの章の内容を振り返っている。それを参考にして、まとめてみよう。第1章では、人類が古くから持つ「公平、均衡、正義の意識」(173頁)が取りあげられ、その基礎の上に、金銭的、道徳的な債務と返済の精巧なシステムが築かれてきたというアトウッドの見解が述べられている(174頁参照)。第2章の主題は、借金と罪のつながり、負債と記憶、負債と契約書の関連である。第3章では、負債が西欧の小説の支配的なテーマであったとして、シェークスピアやチャールズ・ディッケンズの小説が引き合いに出されている(175頁参照)。第4章では、負債と清算のダークな側面、すなわち「債務者監獄、高利貸の非合法な取り立て戦略、債務者の一掃、重く不公平すぎる税金を課す統治者への反乱」(175~176頁)などの話題が提供されている。
 アドウッドは、第5章では、人類の自然に対する負債という問題の行く末を、「精霊」にこう語らせている。「人類の科学技術システムは、人が注文したいと思う物を何でも挽き出せる挽き臼だ。でも、その機械の止め方を誰も知らない。科学技術による能率的な自然からの搾取の最終的な結末は、生命のない砂漠だろう。天然資源は、生産の機械によって食いつぶされて使い果たされてしまうだろう。その結果、自然へのツケは無限になっていく。しかし、それよりはるか前に、人類の支払い期限が来るんだ」(215頁)。彼女は、フィクションとして悲観的な見方を提示したあと、現実的な提言を行なっている。「恐らく、私たちは自分たちの暮らしのありようの本当のコスト、さらには、生物が生息する生存圏から私たちが取り出してきた天然資源の真のコストを算定してみる必要があるでしょう」(217頁)。
 第5章の結末は、所有の欲望に追われて、傲慢にふるまう人間の狭隘さを撃つ文章で終わる。「自分は本当に何も所有してないのだ、とスクルージは思います。自分の肉体でさえも。自分が持っているものはすべて借りものにすぎない。本当の金持ちじゃないんだ。大きな負債を抱えているのだ。どうやって借りを返していけばいいのだろうか。どこからはじめるべきなのだろう」(217頁)。アトウッドの「終末」を見すえたうえでの問いかけは、借金をし、その返済に終われて忙しくて生きるひとには届かない。しかし、われわれが地球に仮住まいしている身にすぎず、その間、自然の恵みを受け、自然に借りをつくって生きているのだとすると、その借りを返すためになにができるのだろうかと考えはじめることを避けてはならないだろう。

  アトウッドには『サバイバル 現代カナダ文学入門』(加藤佳子訳、御茶の水書房、1995年)という著作もある。カナダ文学の諸相を知るには格好の本である。カナダ留学や、カナダで働くことを考えるひとには、特に読んでほしい。

人物紹介

アリス・マンロー (Alice Munro) [1931-]

カナダの英語作家で短編小説の名手として知られる。2013年度ノーベル文学賞を、84歳で受賞。カナダ人のノーベル文学賞受賞は初めて。代表的作品は「イラクサ」「林檎の木の下で」など。その短編小説の一編「ジャック・ランダ・ホテル」が、ノーベル賞を競ったといわれている村上春樹の編集によって「恋しくて Ten Selected Love Stories」(13年)という翻訳もののラブストーリーのアンソロジーに収録されている。[川村湊][2014.03]
" アリス・マンロー[文芸]", 情報・知識 imidas 2017, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2017-08-24)

キム・チュイ (Kim Thúy) [1968-]

1968年、ベトナムのサイゴン(現ホーチミン市)に生まれる。10歳でカナダに移民。モントリオール大学で学んだ後、裁縫師、通訳、弁護士、レストラン経営者など経験を経て、2009年に処女作Ruを発表し、同作でカナダ総督文学賞などの数々の文学賞を受賞。現在は、モントリオールに在住し、執筆活動に専念している。―本書より

マーガレット・アトウッド (Margaret Atwood) [1939-]

1939年生まれ。カナダを代表する作家・詩人。長編小説、短編集、児童書、ノンフィクション、詩集、評論等、幅広い作家活動を展開。これまで、カナダ最大の文学賞であるカナダ総督文学賞(2回)、ギラー賞(1回)をはじめ、ブッカー賞、アーサー・C.クラーク賞、コモンウェルス作家賞、ハメット賞などを受賞。
邦訳書に『侍女の物語』『スザナ・ムーディの日記:マーガレット・アウトウッド詩集』『浮かびあがる』『青ひげの卵』『食べられる女』『マーガレット・アウトウッド短編集』『寝盗る女』(上・下)『昏き目の暗殺者』『闇の殺人ゲーム』『ペネロピアド』『ほんとうの物語』『またの名をグレイス』(上・下)ほか。―本書より

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