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古典を読む醍醐味―イタロ・カルヴィーノのおすすめ―

推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 イタロ・カルヴィーノの『なぜ古典を読むのか』(須賀敦子訳、河出文庫、2012年)は、古典を読まずに生きて死ぬのはもったいないと心底から思わせてくれる、古典への最良の案内書のひとつである。ここには、彼が編集者のひとりとして加わった文学叢書の「まえがき」として書かれたものが多く集められている。長年、さまざまな古典をじっくりと読みこんだ者にして初めて書ける、ウイットと示唆に富んだ文章が満載である。エッセイの達人でもあった須賀敦子は「訳者あとがき」で、カルヴィーノのそれぞれの文章には、刈り取った麦わらのなかに輝くヤグルマソウの青のように、むねがときめく思考があちこちにきらめいていて、つぎの「青」との出会いに胸躍らせたからこそ、翻訳の困難な壁を乗りこえることができたと振り返っている(390頁参照)。
 カルヴィーノ(1923~1985)は、「20世紀文学の鬼才」、「文学の魔術師」などと呼ばれるイタリアの小説家である。キューバで生まれ、2歳のときにイタリアに帰国した。トリノ大学とフィレンツェ大学の農学部に在籍したが、その後トリノ大学の文学部に編入して文学を学んだ。第二次世界大戦末にパルチザンとして戦い、投獄や逃亡を体験し、何度も死の危険にさらされた。1947年、そのときの体験にもとづく作品『蜘蛛の巣の小道』でデビューを果たす。その後、『不在の騎士』、『見えない都市』など、幻想と寓意性に富む傑作を書き、世界的に著名な作家となった。



 本書の冒頭のエッセイ「なぜ古典を読むのか」は、日ごろ古典に親しむひとにも、古典などとはまったく縁遠いひとにもぜひ読んでもらいたい。カルヴィーノ独自の、全部で14にのぼる古典の定義が、古典を読むことへの秀逸な誘いになっている。たとえば2番目の定義、「古典とは、読んでそれが好きになった人にとって、ひとつの豊かさとなる本だ」(11頁)。夢中になって古典を読む経験は、そこから得られる感動や思索などを通じて肥やしになるということである。長い間読みつがれてきた本には、読者の魂を変える力が秘められている。その力によって、読者は本を読む前と後では違う人間になる。「ひとつの豊かさ」とは、古い自分を脱ぎ捨てて、あたらしい自分と出会うという幸福に恵まれることを意味する。いっとき面白いだけで終わってしまうはやりものとは、そこが大きくちがうところだ。
 古典の読み方はひとそれぞれだ。古典が好きになれないひとは、古典からなにも学べないし、読む力が貧弱であれば、読んでも古典はあまり響いてはこない。カルヴィーノは、青年時代に古典を読むことの二面性についてこう述べている。「若いときの読書は、忍耐が足りなかったり、気が散ったり、どう読めばいいかについての経験もなく、人生経験も浅かったりで、それほど実りのないこともある」(同頁)。他方で、「読書は、若者がやがて経験することどもの原型であったり、あるいは、それを入れる容器、比較の対象、分類の枠、価値を測定するもの、美のパラダイムなどであり得る」(同頁)。古典を読んでもさっぱり身にならないこともあれば、古典を読みこむ経験を通じて精神的な力量が養われることもある。古典によって刻みこまれた精神の痕跡は、のちの人生にも影響を及ぼしつづけるだろう。
 4番目の定義はこうである。「古典とは、最初に読んだときとおなじく、読み返すごとにそれを読むことが発見である書物である」(12頁)。古典は、新聞や週刊誌とは違い、何度でも読み返せるし、読むたびにあらたに気づくことが増えてくる。古典の奥深い世界は、読者の成長につれてすこしずつ異なる姿を見せてくれるのである。カルヴィーノは、9番目の定義でこう述べる。「古典とは、人から聞いたりそれについて読んだりして、知りつくしているつもりになっていても、いざ自分で読んでみると、あたらしい、予期しなかった、それまでだれにも読まれたことのない作品に思える本である」(15頁)。彼によれば、こういうことがおきるのは、読者と本との間に火花が生じて、個人的なつながりができたときに限られる(同頁参照)。本当に好きな古典をひもとく経験は、自分と作品との親密な交流の場に身をおく、スリリングな出来事として成就するのである。このことは、11番目の定義とむすびつく。「『自分だけ』の古典とは、自分が無関心でいられない本であり、その本の論旨に、もしかすると賛成できないからこそ、自分自身を定義するために有用な本でもある」(16頁)。古典は、われわれにときには感動や共感だけでなく、抵抗と反発の意識をもたらす。卑小な自分が打ち砕かれることもある。その苦しみに耐えぬいて自問自答を繰り返し、思索を深めていく試みが、自己の再吟味、再定義へとつながっていく。
 カルヴィーノは、古典を読むことと、そうでない本を読むこととをどう関連づけるかについて興味深いことを語っている。彼がつきつける疑問はつぎのふたつである。「『もっと根本的なところでわれわれの時代を理解するのに役立つ本を読まないで、なぜ古典を読めというのか』」(17頁)。「『時事問題にかかわる印刷物がなだれのようにわれわれを圧し潰そうとするこの時代に、古典を読む時間や余裕はどこにあるのか』」(同頁)という疑問である。彼は古典一辺倒ではなく、日々出版される洪水のような印刷物にもそれなりの敬意を払いつつ、自分の理想をこう述べている。「時事問題その他は、窓の外の騒音ぐらいに思えるのがいちばんいい。窓のそとでは交通渋滞や天候不順があることを知りながら、部屋にいて古典の言説の透徹した格調高いひびきに耳を傾ける」(18頁)のが望ましいというのだ。今日のわれわれの忙しい生活のリズムは、じっくりと古典を読むことを許さないようにも見えるが、それでもなお古典とのつながりを保っていこうというのが、彼の願望である。
 このエッセイの結論はこうだ。「私たちが古典を読むのは、それがなにかに『役立つから』ではない、ということ。私たちが古典を読まなければならない理由はただひとつしかない。それは読まないより、読んだほうがいいからだ」(21頁)。古典の価値を知るひとの発言だ。今日の時代状況の理解や、社会の構造の把握に役立てるために読む本は巷にあふれている。健康維持、資産運用といった具体的な目的に役に立つような実用書も続々と出版されている。それらの多くは、実利的な目的をかなえるためには便利だろうし、暇をつぶすのにもいいだろう。しかし、かならずしも読まなくてもいい本かもしれない。それに対して、古典は読まずにすますのは惜しい本であり、読んだほうが断然いい本なのだ。なぜならば、カルヴィーノが言うように、古典には読み返すたびにあたらしい発見があるからだ。それを通じて、世界、自然、動物と植物、人間と社会、歴史に対する見方が深まってくる。
 本書でカルヴィーノは、クセノポン、ディドロ、スタンダール、ディケンズ、フローベール、パヴェーゼなどの作家の作品世界を深く読みこんで、自由自在に論じている。読んでいない本は、ぜひ読みたいと思わせる筆の運びだ。以下では、スタンダールとモンターレの作品を読者にすすめる名人芸的な文章のごく一部を紹介しよう。
 「『パルムの僧院』入門 はじめて読む人たちのために」の最初の方で、この本の魅力がこう表現されている。「多くの若者がこの小説のはじめの何ページかを読んだだけで魅惑され、予期せずに手にとったこの作品が、比類ないすぐれた小説であると確信し、これこそずっと読みたいと思っていた小説だと思いこみ、そのあとの人生で彼らが出会うあらゆる小説の基準になる」(176頁)。この本の鮮烈な衝撃を受けた読者は数限りないだろうと、彼は推測する。「きょう私がもういちど『パルムの僧院』を手にとったとしたら、これまでの人生のさまざまな時期に再読したときと同様に、自分の好みやものの見方の変化にもかかわらず、あの本が奏でる音楽の流れの激しさ、(中略)あの冒頭の数章の語りは、私をふたたび捉えて放さないだろう」(177頁)。『パルムの僧院』を読む喜びが生き生きと伝わってくる。
 ロラン・バルトも冒頭の数ページがもつ熱と歓喜に感嘆したひとりである。カルヴィーノは、遺稿となった彼の文章の結びの箇所を引用している。「そこには、フランス軍の到着によってミラノになだれこんだ幸福と快楽の量が、奇跡的に私たち読者の歓喜とうまく調和していて、語られたことの効果が、産みだされた効果と、みごとな一致をみせている」(187頁)。
 「モンターレの岩礁」は、モンターレというイタリアの詩人への追悼文である。この詩人の詩のエッセンスが端的に語られる。「モンターレの詩が彼以外のものでありえないのは、その正確さ、すなわち言語表現も、リズムもそれらによって喚起されるイメージも、ぜったいに他のものと交換不可能であること」(310頁)。締めくくりはこうだ。「漠然とした、抽象的なことば、どんな用途にも合ったことば、ものを考えないため、いわばいわないために便利なことば、公的から私的なものに蔓延する言語表現の黒死病の時代にあって、詩人モンターレは、正確さを、理由のある言語選択を、経験の唯一性をすばやく捉える目的をになって語彙の安定を追いつづけた」(311頁)。ここで2箇所に出てくる「正確さ」が伝えようとするのは、カルヴィーノによれば、「個人の倫理しか救えない、破壊の風に吹かれ、渦を巻きつづける世界」(312頁)である。「それは、第一次、第二次世界大戦の世界だ。そしてもしかしたら、第三次大戦の」(同頁)。
 世界の破局を予感し、怖れるモンターレは、日常のひとこまに目をとめつつ、動乱と静謐の対比的な世界を切り取っている。「自然のなかの微小な存在までが、詩人の日々の観察のなかでは深淵をかたちづくっている」(313頁)。その例として、『鳥賊の骨』所収の「アルセニオ」からの詩が引用されている。

つむじ風が、ほこりを巻き上げる
屋根に、また渦巻いては人気のない
空き地に。
ホテルのよく光る窓
ガラスのまえには、頭巾をつけた馬たちが
じっとして、土を嗅いでいる。


 モンターレの人間に対する態度は、こう表現されている。「あらゆる集団が声をそろえていう精神の共有や団結の情熱からは隔絶したモンターレではあっても、彼は、ひとりひとりの人間を、人々の人生との相互依存を忘れることは決してない」(313頁)。のちに、この種の相互依存は、死者の存在にまで拡張される。「年とともに彼がより頻繁に表現するようになったテーマのひとつは、死者が私たちのなかに存在するその仕方、私たちひとりひとりが独自の人格を失うことに甘んじられないという考えに依るものだ」(315頁)。
 追悼文はこう締めくくられる。「彼の本を『内側』から読みつづけるということ。これが彼を生かしつづけるための保証であるのは確実だ。そして、読んでも読んでも、彼の詩は、本をひらくたびに読者を魅了し、尽きることがない」(315頁)。
 繰り返しになるが、古典は何度でも読み返すことができ、そのたびにあたらしい発見ができる、豊かさをもたらしてくれる本である。どの古典でもよいので、再読の経験をもち続けてほしい。

 カルヴィーノの『最後に鴉がやってくる』(関口英子訳、国書刊行会、2018年)は、1945年から49年にかけて書かれた彼の最初の短篇集である。58年に書かれた2篇も合わせておさめられている。国書刊行会が叢書「短篇小説の快楽」として出版しているシリーズの最終巻である。自伝的な小品もあれば、20代前半の青年のこころに刻まれた戦争とパルチザン闘争の記憶が息づく作品もある。カルヴィーノ自身の分類によれば、これらの短編集は、レジスタンスの物語、終戦直後のピカレスクな物語、少年と動物のお話に分かれる(322頁参照)。
 表題作の「最後に鴉がやってくる」は、パルチザン部隊とドイツ兵士の戦いを背景にした作品である。主人公は、射撃の腕がずばぬけた少年である。少年は、生物、無生物を問わず、目に入る標的を的確に撃ちおとす。クライマックスは、少年に追われて岩陰に身を隠した兵士と、少年が対峙する場面だ。ふたりの上空に鴉がやってくる。少年は、兵士の予想に反して鴉に銃口を向けない。そのかわりに、松ぼっくりをひとつ、またひとつと撃ち落とし続ける。次第に兵士がじれてくる。以下は、おしまいの箇所である。「少年に鴉が見えていないなどということがあるだろうか。もしかすると、そもそも鴉なんて飛んではおらず、自分の幻影なのかもしれない。きっと死にゆく者はあらゆる種類の鳥が飛ぶのを見るものなのだろう。そしていよいよ最期というときに鴉がやってくる。いや相変わらず松ぼっくりを撃っている少年に教えてやればいいだけの話だ。そこで兵士は立ちあがり、黒い鳥を指差しながら、『あそこに鴉がいるぞ!』と叫んだ。自分の国の言葉で。/その瞬間、兵士の軍服に縫いとりされた両翼をひろげた鷲の紋章のど真ん中を、弾が撃ちぬいた。/鴉が、ゆっくりと輪を描きながら舞いおりた」(162頁)。
 この小品の舞台は戦争である。少年がおもちゃのようにして扱う銃の犠牲になって、川の鱒や、空で舞う隼や、山鼠、カタツムリ、蜥蜴、蛙などが死んでいく。敵の兵士も、銃弾に倒れる。少年の心理には立ちいらず、生々しい死の場面はいっさい省かれ、淡々と死の報告だけが続く。それは、戦争の過酷さを生き延びたカルヴィーノが、事実の重みを濾過して仕上げた寓話的な戦争物語だ。

人物紹介

イタロ・カルヴィーノ (Italo Calvino) [1923―1985]

イタリアの小説家。キューバ生まれ。北イタリアのサン・レモで育つ。第二次世界大戦末期にパルチザンとして戦った経験を基にした処女作の長編『蜘蛛(くも)の巣の小道』(1947)はネオレアリズモの代表的作品に数えられる。文学的にはパベーゼとビットリーニの2人を父とするといわれ、戦後社会への批判と失望とから、単なるリアリズム小説を脱却して、幻想と寓意(ぐうい)を基軸に『まっぷたつの子爵』(1952)、『木のぼり男爵』(1959)などを著し、さらに空想科学の要素も含めて『宇宙喜劇』(1965)、『見えない都市』(1972)を発表した。また、編著『イタリア民話集』(1956)は20世紀の記念碑的作品であり、読み替えの物語『宿命の交わる城』(1973)と『冬の夜に旅人が』(1979)は記号論を先取りした構成になっている。その後、文学・社会論集をまとめた『水に流して』(1980)、連作小説『パロマー』(1983)を発表。アメリカのハーバード大学における連続講義のための原稿『カルビーノの文学講義』(1988)を完成させる直前、急逝した。
[河島英昭]
" カルビーノ", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com, (参照 2018-04-17)

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