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古典の森を散策してみよう―『論語』の知恵に学ぶ―

推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 地図や標識の助けを借りれば、目的地にはたどり着ける。いまどきならスマホのナビゲーションに従えばよい。かりに迷っても、だれかに道を聞くこともできる。ところが、人生の途上には、標識もナビもない。そもそも目的地がどこかも分からないのだ。どのようにひととつき合い、なにを目的として生きればよいのか、生きる意味はどこにあるのかといった問題に悩んでも、どこかに解答への道筋が張り出されているわけではない。それは、自分で苦しんで探し出していかなければならないものだ。自分ひとりの力でうまくいかない場合は、友達と議論することが役立つかもしれない。議論してもらちがあかないときに頼りになるのが古典だ。古典には、生き方の指針や考え方のヒントがつまっている。
 『論語』はその代表となる一冊である。「論語」ということばの固い響きもあって、この本をなんとなく堅苦しい説教本とみて遠ざけてしまうひとも少なくないだろう。しかし、そうした先入見を捨てて、まずは読んでみてほしい。
 『論語』は孔子(前552~前479)の筆になるものではない。孔子の死後、顔回、子貢、子路といった弟子たちが「先生」との会話や「先生」の話しぶり、暮らしぶりを思いおこし、まとめたものである。一部には、弟子同士のやりとりも活写されている。複数の弟子たちの目に映る孔子の姿は多種多様である。善と悪、君子と小人、政治などについて語る孔子の表情は、相手によってそのつど変化する。ストレートな語りもあれば、ひねりを効かした言い方もある。ときにはやんわりと弟子の傲慢をいさめたり、ときには落ちこんだ弟子をさりげなく励ましたりもしている。そのひとつひとつの発言が、人生の手引きになり、するべきこと、考えるべきことへの示唆が与えられる。



 『完訳論語』(井波律子訳、岩波書店、2016年)は、現時点(2018年)では最新の訳本である。中国や日本で出版された数々の注釈書や翻訳書を踏まえて書かれている。原文、訓読、現代語訳、語注、解説という構成である。本書の帯には、「笑い、嘆き、歌い、怒り、そしてともに語りあう。世界の<大古典>に息づく、何とも魅力的な、これぞ、人間愛」とある。司馬遷は、『史記』のなかで、教育者としての孔子には70人あまりの高弟がおり、感化された弟子は3000人にのぼると述べた。孔子がひとをとりこにする魅力的な人物であったことは間違いないようだ。
 『論語』は、全部で20巻、500余りの章からなるが、大半が短いものであるが、最初から全部読もうとしても続かない。適当に開けたページに書かれた章を読むだけよい。それに刺激されて、人間の生き方、人間関係、社会についての思索が広がってくるはずだ。以下に、ほんの一部を紹介してみよう。
 「学而1-3」は、人口に膾炙する「子曰く、巧言令色、鮮(すくな)し仁」(4頁)である。現代語訳はこうである。「先生は言われた。『巧妙な言葉づかい、とりつくろった表情の人間は真情に欠ける』」(同頁)。「デジタル大辞泉」の訳文は、「巧みな言葉を用い、表情をとりつくろって人に気に入られようとする者には、仁の心が欠けている」である。『論語』の鍵語のひとつである「仁」は、「相手を思いやるこころ、相手に愛情をもって接する気持ち」などを意味する。口達者でとうとうと語るひとは、他人の歓心を買いたいだけで、相手の気持ちなど考えていないということだ。そんなひとが少なくないので、気をつけたほうがいいという孔子のメッセージだ。
 「為政 2-15」は、一種の学問論である。「子曰く、学んで思わざれば則ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則ち殆(あや)うし」(37頁)。「先生は言われた。『書物や先生から学ぶだけで自分で考えないと、混乱するばかりだ。考えるだけで学ばないと、不安定だ』」(同頁)。キーワードは「思う」という動詞である。「思う」とは、漠然となにかを思い浮かべることではない。とりとめもなく夢想することでもない。強い好奇心をもって、自分の頭で深く考えることである。教師からであれ、本からであれ、学んだことを受動的に受け入れるのではなく、その内容を自分で積極的に吟味してみることである。その姿勢がないと、物知りにはなれても、物の分かったひとにはなれない。また、ただあれこれと思案して、ひとの話も聞かず、本も読まなければ、ひとりよがりの言動を避けられない。偏った考え方をしていても、そのいびつさが気にならなくなって、「お山の大将」になりかねないのだ。本や教師から学びながら自分で考え、自分の考えを深めるためにさらに学んでいくという二本立ての道筋が求められている。
 「里仁 4-4」は、仁徳を強調する1章である。「子曰く、苟(いや)しくも仁に志せば、悪しきこと無き也」(83頁)。「先生は言われた。『もし少しでも仁に志せば、悪事をするようなことはなくなる』」(同頁)。アリストテレスは、徳を積むことの大切さと人間の悪徳の諸相について多くを語ったが、孔子も同様だ。「仁に志す」ためには、仁がどういう行動において示されるかを日ごろから意識し、その行動を自分で実現するように自分を導いていかなければならない。孔子が仁にこめる意味は、先に述べたように、「相手に愛情をもって接すること」であるが、この意味での仁徳を実現することは容易ではない。ひとはむしろ、自分の欲望や衝動をおさえられずに、相手を支配したり、暴力をふるったりしやすいからである。自分のふるまいが悪に傾きやすいことを知るひとは、自戒して善行をめざすかもしれないが、その危険性に無頓着なひとは、悪の誘惑にそそのかされて蛮行に走る。仁徳的な行動を通して相手につくすことはけっして簡単にはできないのだ。
 「里仁 4-7」も一種の徳論である。「子曰く、人の過つや、各おの其(そ)の党に於いてす。過ちを観れば、斯(ここ)に仁を知る」(87頁)。「先生は言われた。『人が過失をおかすのはそれぞれ類による。過失を見れば、その人の仁のほどがわかる』」(同頁)。徳を積んだひとのさりげないふるまいは、あまり目立たないが、思慮を欠いた軽率なふるまいはすぐ分かる。人間の過失は、自分の欠点にはふたをして、他人の欠点ばかりを指弾する人間の格好の餌食になる。残念ながら、われわれは過つことなく生きてはいけない。成長途上の子どもや若者ばかりでなく、教師、政治家といったひとの上に立つはずの人間もすべて同様だ。孔子は上段から徳を説くのではなく、ひとの過ちとその原因をさぐることによって、徳の意味を考えてみることをすすめている。
 「里仁 4-16」は、ひとかどの人物と、そうでない人物との比較論である。「子曰く、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る」(96頁)。「先生は言われた。『君子は義(正しさ)に敏感に反応し、小人は利益に敏感に反応する』」(同頁)。日常のさまざまな場面で、私利私欲に虜になって「したいこと」をするのではなく、「すべきこと」をするのはむずかしい。「利」は、往々にして「理」にまさる。二枚舌を使わないためには、正義の感覚がとぎすまされていなければならないが、残念ながら、不正もまたしばしば正義にまさる。人間の利己性を撃つ孔子の寸鉄である。
 「述而 7-3」は、孔子の自己批判の章である。「子曰く、徳の脩(おさ)まらざる、学の講ぜざる、義を聞きて徒(うつ)る能(あた)わざる、不善を改むる能わざる、是(こ)れ吾が憂い也」(176頁)。「先生は言われた。『徳義の修養が不十分であること、学問の勉強が不十分であること、正しいことを聞きながら、わが身をその正しさに移せないこと、悪しき点を(自覚しながら)改められないこと、これが私の悩みの種だ』」(同頁)。孔子は正直に告白しているが、正しいことをし、悪いことをしないということがそもそもむずかしく、徳の修養や勉強には限界がないということを自覚していたからだろう。自分自身の欠点を率直に語る孔子に対して、弟子たちはどのように反応したのだろうか。「うぬぼれてはならない」と肝に銘じる機会になったと思われる。
 孔子は、人間の道や仁、徳を説いただけでなく、礼儀作法や音楽、スポーツにも強い関心を示した。「述而 7-13」には、孔子がある音楽を聞いて、3ヶ月間肉の味さえ分からなくなるほど感動したという話が出てくる(186頁参照)。美しい音の響きにこころを震わせ、身体を動かすことにも熱心な孔子は、しかめっつらをした道学者というイメージからは遠い。「述而 7-31」にこうある。「子、人と歌いて善ければ、必ず之(こ)れを反(かえ)さしめて、而(しか)る後に之れに和す」(206頁)。「先生は歌の会のさい、いい歌だと思われたときには、必ずもう一度うたわせたあと、自分も合唱された」(同頁)。孔子は音楽を愛し、楽器も演奏すれば楽しく歌うことも好んだという(同頁参照)。孔子が身近に感じられるエピソードだ。
 「衛霊公 15-」24は、不滅のアドヴァイスだ。「子貢問いて曰く、一言にして以て身を終うるまで之を行う可(べ)き者有りや。子曰く、其れ恕か。己の欲せざる所を、人に施す勿(な)かれ」(471頁)。「子貢がたずねて言った。『一言だけで生涯、行ってゆくべきものがありますか。先生は言われた。『それは恕であろうか。自分がしてほしくないことを、他人にしてはならない』」(同頁)。「恕」とは、「相手のことを思いやること」である。われわれは、しばしば得手勝手に、自分のしたいことをして、他人に迷惑をかける。他人の立場を考えて、自分の行動にブレーキをかけることほどむずかしいことはない。それだけに、孔子の一言がいっそう身に沁みる。
 おしまいに、孔子の弟子のひとりのことばを、「子張 19-6」から引用しよう。「子夏曰く、博く学びて篤く志し、切に問いて近く思う。仁、其の中に在り」(562頁)。「子夏が言った。『広く学んで(ここぞというところで)集中的に考え、切実な問題意識をもって身近なことから考えてゆく。仁徳はこのなかから生まれてくる』」(同頁)。日ごろから幅広く学んで思考力を鍛え、身近なひととのトラブルについてよく考えるようにすれば、他人の苦労も分かり、ひとを思いやることもできるようになるということだ。
 日常生活のなかでは、ひととの間がぎくしゃくしてしまう、なにをしたらよいのか分からない、自分のことが嫌になる、他人がうとましくなるといった困った事態がつぎからつぎへとおこる。そんなときに『論語』をひもとくと、孔子のことばが響いてくる。まさに、困ったときの『論語』頼みだ。

  下村湖人(1884~1955)の『論語物語』(講談社学術文庫、2017年第64刷)も合わせて読んでみてほしい。下村は生涯をかけて『論語』を読みこみ、そのなかの章句を駆使して、小説風に仕立てている。
 下村は、「序文」でこう述べている。「こうした『論語』のなかの言葉を、読過の際の感激にまかせて、それぞれに小さな物語に仕立ててみたいというのが本書の意図である。むろん、孔子の天の言葉の持つ意味を、誤りなく伝えることは、地臭の強い私にとっては不可能である。しかし、門人たちの言葉を掘り返して、そこに私自身の弱さや醜さを見いだすことは、必ずしも不可能ではなかろうと思う」(5~6頁)。下村は、「序文」をこうむすんでいる。「著者はただ『心』を描けばよかったのである。史上の人物の心でなく、著者自身と著者の周囲に住むふつうの人間との『心』を描けばよかったのである」(7頁)。
 下村は、幾度となく『論語』を読み返し、孔子とその弟子たちの交流のさまを生き生きと想像して、物語に仕上げている。そこには、下村のこころが投影されている。『論語物語』は、彼らと下村のこころが二重写しになった傑作である。
 さきに取りあげた「為政 2-15」の章句について、下村はていねいにかみ砕いて、こう述べている。少し長くなるが引用してみよう。「学問にたいせつなことは、学ぶことと考えることだ。学んだだけで考えないと、道理の中心がつかめない。だからいつも行き当たりばったりだ。ちょうど真っ暗な部屋で、柱をなでたり、戸をなでたりするようなもので、個々の事柄を全体の中に統一して見ることができないのだ。むろん考えただけで学ばないのもいけない。自分の主観だけにとらわれて、先人の教えを無視するのは、ちょうど一本橋を渡るように危ういことだ。向こうまで行きつかないうちに、いつ水の中に落ちこむかしれたものではない。事柄によっては、いくら考えてもなんの役にも立たないことさえあるのだ」(91頁)。
 『論語物語』には、『論語』の世界を教育にたずさわるひとに広く伝えようとする下村の思索と情熱が息づいている。教育をうける側のひとにも勉強になるにちがいない。

 『論語』を気楽に読んでみたいと思うひとには、八田真太の『論語 関西弁で深く読み解く孔子の思想』(アールズ出版、2012年)がおすすめだ。八田は、「はじめに」のなかで、「関西弁の柔らかい表現や言い回しにしたら、尖った言葉の棘を取り、言葉の意味を感じ取りやすくできるのではないかと思いつきました」(8頁)と、出版の動機を述べている。その意図は達せられたようだ。孔子の関西弁はじんわりと胸に沁みてくる。
 本書は、原文、書き下し文、関西弁訳、解説という構成である。全部で108の章句が選ばれている。そのなかから、例を3つあげよう。第4章の12「子曰く、利に放(よ)りて行なえば、怨み多し」(68頁)。「(孔子)先生は言わはった。『自分の都合のええことしか考えんかったら、人からようさん恨みを買うようになるで』」(同頁)。第9章の23「子曰く、後世畏るべし。焉(いずく)んぞ来者の今に如かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆること無くんば、斯(そ)れ亦(また)畏るるに足らざるのみ」(144頁)。「(孔子)先生は言わはった。『若者にはきちっと敬意を示さんとあかんで。将来の可能性はお前らよりもあるんやさかいなあ。せやけど、四〇歳、五〇歳になってもその人を評価する声が聞こえてけえへんかったら、そんなやつはこれから先もあかんのとちゃう?』」(同頁)。第15章の27「子曰く、巧言は徳を乱る」(202頁)。「(孔子)先生は言わはった。『人に気に入られよう思うておべんちゃら言うようやったら、せっかく積んできた徳にキズがつくで』」(同頁)。
 2500年も前の孔子のことばは、いまもなお人間関係の潤滑油だ。自分とのつき合い方、他人との交わり方について教えられることは尽きない。まさに、「師のことば畏るべし」である。

人物紹介

孔子 (こう‐し)

中国、春秋時代の学者、思想家。名は丘(きゅう)。字(あざな)は仲尼(ちゅうじ)。儒教の開祖。魯の昌平郷陬邑(すうゆう=山東省曲阜県)に生まれる。大司寇(だいしこう)として魯に仕えたが、いれられず、辞して祖国を去り、多くの門人を引き連れて、約一四年間、七十余国を歴訪、遊説。聖王の道を総合大成し、仁を理想とする道徳主義を説いて、徳治政治を強調した。晩年、教育と著述に専念し、六経(りくけい)、すなわち易、書、詩、礼、楽、春秋を選択編定したとされる。後世、文宣王と諡(おくりな)され、至聖として孔子廟(文廟ともいう)にまつられ、近代に至るまで非常な尊敬を受けた。呉音で読んで「くじ」ともいう。また、折目正しい態度、堅苦しい人物や物事などのたとえにいう。(前五五一頃〜前四七九)
" こう‐し【孔子】", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2018-07-12)

下村湖人 (しもむら-こじん) [1884―1955]

小説家、教育家。佐賀県の生まれ。本名虎六郎(ころくろう)。旧姓は内田、のち下村家の養子となる。佐賀中学時代から文学に志し、第五高等学校を経て東京帝国大学英文科卒業。新進詩人として注目されたが、実家・養家の没落のため教育界に進み、24年間、旧制中学・高等学校の教職にあった。その後は友人田沢義鋪(よしはる)(1885―1944)を助けて青少年の指導にあたり、1933年(昭和8)大日本連合青年団講習所所長となり、その機関誌に『次郎物語』第1部を連載。これが好評だったので『魂は歩む』(1936)、『若き建設者』(1944)などを執筆、青少年向きの教養小説として高く評価されている。ほかに随想集『教育的反省』(1934)、『心窓記』(1943)、伝記『田沢義鋪』(1954)などがある。
[上笙一郎]
" 下村湖人", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2018-07-12)

八田真太 (はった-しんた)

1977年兵庫県神戸市生まれ。立命館大学経済学部卒。単身中国に渡り日本語学校を設立。現在は自ら教鞭を執る傍ら雑誌や新聞のコラム執筆、公園等多方面で活躍。ジョイフル日本語学校学校長。華南理工大学客員講師。広州市柔道協会日本人顧問。広州日本語教師の会会長。2010年中国雲南省に『八田希望小学校』寄贈。著書に『八田校長が教える 超萌大阪弁』(北京世界図書出版社)など。―本書より

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