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海辺の思索―アン・モロウ・リンドバーグの声-

推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)


 アン・モロウ・リンドバーグの『海からの贈物』(吉田健一訳、新潮文庫(78刷)、2018年)は、休暇中に滞在した離島での思索や海辺の印象などをつづったものである。彼女は、ニュー・ヨークでの、妻として、5人の子どもの母として、文筆家としての忙しい生活を離れて、浜辺の宿にしばらく滞在した。そこでの多忙と閑暇、孤独と共存、生活の技法、女性の生き方などをめぐる思索は、いまも読みつがれている。
 アン・モロウ・リンドバーグ(1906~2001)は、大西洋単独横断飛行に初めて成功したチャールズ・リンドバーグの妻である。アメリカのニュージャージー州出身。1929年にリンドバーグと結婚し、その後、自分でも飛行機を操縦するようになり、夫とともに飛行したときの記録や日記、書簡集なども発表している。
 本書は、序、浜辺、ほら貝、つめた貝、日の出貝、牡蠣、たこぶね、幾つかの貝、浜辺を振返って、あとがきからなっている。彼女の人生観や文明批判、海辺での生活報告、光景描写が混在した本書は、われわれに対して生き方や考え方の助言を与えてくれる。



 「序」はこう始まる。「ここに書いたのは、私自身の生活のあり方、またその私自身の生活や、仕事や、付き合いの釣り合いの取り方に就いて考えてみるために始めたものである」(7頁)。当初、彼女は自分が他人とは違う経験をしているために、自分の考えを述べても他人には伝わらないと考えていたが、書き進めていく過程で、男女を問わず、自分と同じ問題意識を共有する人が少なくないと気づく。「もっと豊かな休止がある律動を、またもっと自分たちの個人的な要求に適った生き方を、そしてまた、他人、及び自分自身に対してもっと新しい、有意義な関係に立つことを望んでいる点では、私と変わらないものが少なくなかった」(8~9頁)。彼女は、「序」をさっそうと、こう締めくくる。「私はここに、私と同じ線に沿ってものを考えている人たちに対する感謝と友情を添えて、海から受取ったものを海に返す」(9頁)。
 「ほら貝」のテーマは、「忙しさと暇」である。彼女の診断によれば、アメリカでの煩雑な生活は「私たちを統一にではなくて分裂に導き、恩寵を授ける代りに私たちの魂を死なせる」(25頁)。仕事や家事、子どもの世話、近所づきあいに追われ、あわただしく過ぎる日々のなかでは、自分自身であることがむずかしくなり、自分の中心が失われていく。日常のせかせかとしたリズムに巻きこまれて、こころが干からびてしまうのだ。詩人の茨木のり子も、「感受性くらい」という詩のなかで、水やりを怠ると魂は枯れてしまうと歌った。それでは、魂をみずみずしく保つためにはどうしたらいいのか。
 「つめた貝」がその問いに答える。魂を新鮮に保つための秘訣は、たとえわずかであれ、日々、孤独な時間を生きることである。彼女の言う孤独は、ひとに嫌われてひとりぼっちで淋しいとか、仲間はずれにされて孤立した状態にあることとは違う(39頁参照)。孤独とは、積極的にひとりであることを選ぶことによって生まれる状態を意味する。孤独は、絶え間ない音楽やおしゃべりの騒音を遮断して、自分の魂のなかから聞こえてくる音楽に耳を傾けることである。それができるようになるためには、ひとりでいることを学ばなければならない(40頁参照)。自分がひとりでいる時間のなかで、自分と接触できなければ、他人に触れることもできない(同頁参照)。「自分自身の心臓部と繋がっている時にだけ、我々は他人とも繋がりがあるのだということが、私には漸く解ってきた。そして私にとっては、その心臓部、或いは内的な泉を再び見付けるのには一人になるのが一番いい」(42~43頁)。ローマの哲人マルクス・アウレーリウスは、『自省録』(神谷美恵子訳、岩波文庫)の第7巻の59でこうしるした。「自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、この泉は君がたえず掘り下げさえすれば、たえず湧き出るであろう」(134頁)。外へ出て行くことをいったん中断して、自分のもとにとどまり、自分のなかへと下降していくことによって、内的な泉を発見できるという考え方だ。
 彼女は、孤独についてこう述べる。「我々が一人でいる時というのは、我々の一生のうちで極めて重要な役割を果たすものなのである。或る種の力は、我々が一人でいる時だけにしか湧いて来ないものであって、芸術家は創造するために、文筆家は考えを練るために、音楽家は作曲するために、そして聖者は祈るために一人にならなければならない。しかし女にとっては、自分というものの本質を再び見出すために一人になる必要があるので、その時に見出した自分というものが、女のいろいろな複雑な人間的な関係の、なくてはならない中心になるのである。女は、チャールス・モーガンが言う、『回転している車の軸が不動であるのと同様に、精神と肉体の活動のうちに不動である魂の静寂』を得なければならない」(48~49頁)。自分の軸を自分でつくっておかなければ、多忙な生活に追われる間に、いつのまにか自分の存在がすりきれてしまうのだ。
 リルケも「若き詩人への手紙」のなかで、詩人になるために大切な孤独について語っている。一箇所だけ引用してみよう。「必要なものは、孤独、大きな内面的な孤独というものだけです。自らの内部へと入り、何時間も誰にも会わないこと、―これが成し遂げられなければなりません」(『リルケ全集6』(彌生書房、1974年、27頁)。アン・モロウ・リンドバーグは、リルケと同様に、「自分の内部に注意を向ける時間」(55頁)の重要さを強調し、それこそが「一つの革命」(同頁)に値すると述べる。現代という技術的、機械的なものが発達した時代にあっては、自分の外へと向かう遠心的な傾向が強まり、求心的な方向は先細りだからである。
 「たこぶね」では、もう一度、孤独の意義が語られる。彼女によれば、孤独は女が成熟するために欠かせない。成熟するために、「女は自分一人で努力しなければならないのであって、他人がいかに熱心にその手伝いをしたがっても、他人の助けを借りる訳にはいかないのである」(94~95頁)。「女は自分で大人にならなければならない。これが、―この一人立ちできるようになるということが、大人になるということの本質なのである」(95頁)。彼女の言う成熟とは、相手がだれであれ、『人間と人間の、人間としての関係』(93頁)を築けるようになるということである。「女は(中略)、『誰か他のもののために自足した一つの世界』にならなければならないように思われる」(96頁)。お互いに「人間としての関係」を成立させるためには、その関係に先立って、それぞれが自分の世界を充実したものにすることが必要になるのである。したがって、成熟のための努力は、男にも求められる。「男も、女も、この非常に困難な仕事をし遂げなければならなのではないかと私は考える。男も、自分だけで足りる一つの世界になる必要があるのではないだろうか」(96頁)。この種の困難な仕事は、各自の孤独な経験のなかでこそ実現されるものであろう。
 孤独な経験のなかで人間的な自立性を養うために必要なことは、彼女によれば、なによりも自分に向き合うという「内省の習慣」(同頁)を身につけることである。仕事以外の場面でひととつき合うことや、芸術・文化への関心を深めることも、同じく自分の世界をつくるために不可欠であると見なされる。
 本書の最大の魅力は、これまで述べてきたように、著者の孤独についての省察である。海辺の暮らしぶりについての記述も魅力的だ。1週間後にやってきた妹との暮らしの朝の始まりはこう表現されている。「私たち二人は同じ小さな部屋で、木麻黄の木の枝を吹き抜けるそよ風の音と、浜辺に静かに砕ける波の音で、善良な子供の深い眠りから眼を覚ました。そして滑らかに拡がっていて、前の晩の潮が引いた後に残された濡れた貝殻が方々に光る浜辺まで、跣で駈けて行った。朝、海で一泳ぎすることは、私にとっては洗礼を受けて祝福され、世界が我々に感じさせる美しさと驚きに対して再び眼を開かれるような働きをする。そして私たちは浜辺から駈け戻って、家の裏にある小さなヴェランダで熱いコーヒーを飲んだ。ヴェランダは台所用の椅子二つと、私たちの間に置かれた子供用の卓子だけで一杯の狭さで、私たちは日光に足を伸ばして笑いながら、その日一日の予定を立てた」(99~100頁)。美しい世界との身体的交流のさまが目に浮かんでくる。
 一日の終わりはこう結ばれる。「私たちは寝る前に、もう一度星空の下に出て行って、浜辺を歩いた。そして歩き疲れると、砂の上に仰向けに寝そべって空を見上げ、空の広さに私たちも拡がって行くような感じになった。星は私たちの中に流れ込んできて、私たちは星で一杯になった。(中略)そしてしまいに、星と星の間にある広大な空間から、私たちはそこの、私たちがいる浜辺に戻って来た。(中略)私たちは家に着いて、再び善良な子供の眠りに誘い入れられた」(102~103頁)。都会での水平移動に忙しい生活のなかではすることのむずかしい空と大地の経験報告である。
 彼女は、この一日のすばらしく充実した経験のなかから、ひととひととの理想的な関係のヒントをさぐりあてる。大切なことは、一方では、おたがいに親密な仕方で交流することであり、他方では、浜辺や星が与えてくれる偉大な印象のなかで人間的なものを忘却することだと気づくのである。ふたつが行き交うのが望ましい。「二人は親密とか、個別的とか、仕事本位とかいうものから抽象的で普遍的なものへ、そしてまたそこから個人的なものへと、自由に往復することができなくてはならないはずである」(107頁)。孤独と共存、人間を超えたものへの自己の解放という三つの次元が重なり合う場面が構想されている。彼女は、こう結論づける。「現在よりももっと成熟した人間と人間の関係、二つの孤独の出会いと言うのは、こういうものなのではないだろうか」(107頁)。
 彼女はまた、海辺の光景を見つめつつ、経験の断続性に思いをはせている。われわれの生は持続的であるように見えても、じつは潮の満ち引きのように断続しているというのである。「断続的であること、これを人間が自分のものにすることは非常に難しい。我々の生活が引き潮になっている時に、それをどうすれば生き抜くことができるだろうか。波の谷に入った時はどうすればいいのだろうか」(109~110頁)。潮の満ち引きの断続性、切り替わりは、外側から観察できるから、その分かれ目を察知できる。ところが、われわれの経験が切り替わる場面は、潮の流れのようには凝視できない。生の途上では、生の局面が後退したり、反転して前進したりするそのつどの位相が見定めがたいのである。それでは、どうすればいいのだろうか。そのヒントは、つぎの文章にある。「ここの浜辺での生活から私が持って帰ることになった一番大事なものは何かと言えば、それは或いは、潮が満ち干きするそのどの段階も、波のどの段階も、そして人間的な関係のどの段階も、意味があるということの思い出かも知れない」(110頁)。生のどの段階にも意味があるのだから、現在の状態をあるがままに受け入れて生きていこうという覚悟が感じられる。有名人であるがゆえの、長男の誘拐、殺害という、常人には推し量りがたい苦難をへた彼女ならではの重いことばである。
 「幾つかの貝」は、都会と島での生活の比較論が中心だ。島に来たばかりの彼女は、都会生活の習慣を引きずったまま所有欲にせかされて、浜辺の美しい貝を欲張って集める。しかし、貝が多すぎて、集めれば集めるだけ、狭い部屋はますます狭くなる。その間に、彼女は、美しいものをたくさん集めることと、ひとつの美しいものを本当に味わうことの違いに気づく。空間をもので埋めることよりも、ひとつの美しいもののために広い空間を捧げるようになる。断捨離生活のスタートだ。「一本の木は空を背景にして意味を生じ、音楽でも、一つの音はその前後の沈黙によって生かされる。蝋燭の光は夜に包まれて花を咲かせる」(114頁)。
 島の生活では、ものは多すぎず、時間もゆっくり流れる。都会では、友達に会える時間がわずかなため、立て続けに話さなければならない。「この島では、私は友達と黙って一日の最後の薄い緑色をした光が水平線に残っているのや、白い小さな貝殻の渦巻や、星で一杯の夜空に流星が残す黒ずんだ跡を眺めていられる」(116頁)。
 本書のクライマックスは、島での生活によって生じた価値転換にかかわる箇所だ。それは、彼女が「島の教訓」(120頁)と呼ぶものであり、人生に対する感覚を鈍らせないための生活指針である(同頁参照)。まとめてみよう。「質素な生活」、「体と知性と精神生活の間の平衡保持」、「無理をせずに仕事をすること」、「意味と美しさに必要な空間の設定」、「一人でいるための、また二人だけでいるための時間をつくること」、「精神的なものや、仕事、人間的な関係からなる人間の生活の断続性を理解し、信用するために、自然との接触を忘れないこと」である(同頁参照)。これらの指針は、コネティカットでの生活を調べるレンズの役割をする「島の眼」(同頁)がもたらしたものだ。「私は島の眼でものを見ることを忘れてはならない。貝殻が私にそれを思い出させてくれて、私の島の眼になってくれるだろうと思う」(同頁)。
 「浜辺を振返って」で、彼女は自分の個人主義的な傾向の強い考え方を自己批判すると同時に、時代批判も行なっている。彼女は、質素な生活、内的な自足、人間的な関係の充実を求めることと、世界各地の災厄的な状況への反応との間のみぞを意識しつつ、こう述べる。「我々の心や、頭や、想像力が広い範囲にわたって働かされるのはいいことだと私は思うが、我々の体や、神経や、耐久力や、寿命はそれほどに伸縮自在のものではない。私の一生は、私の心を動かす凡ての人々の要求に行為によって答えるのには短すぎる」(124頁)。
 彼女によれば、現代生活のなかで、われわれがもっとも損害をこうむっているのは、「自分が現にいる場所と、現在と、それから個人というものとその他の人間との関係」(126頁)である。「未来への競争で現在は脇へ押しやられ、自分から離れた場所のことが取上げられて、自分が現にいる場所は無視され、個人は多数によって圧倒されている」(同頁)。「今、ここに、個人と個々人の人間関係に帰れ」、これが彼女のモットーである。海が彼女に教えるのは、忍耐と信念、寛容であり、質素と孤独、断続性である(128頁参照)。
 『海からの贈物』は、アン・モロウ・リンドバーグからのわれわれへの贈物である。彼女の主張は鮮明である。それにどう反応し、なにを考えていくかが、贈物へのお返しとして求められている。

人物紹介

リンドバーグ・アン・モロー (Anne Morrow Lindbergh) [1906-2001]

アメリカの女性文筆家。夫は大西洋横断飛行で有名なリンドバーグ。1932年、長男の誘拐殺害事件にみまわれる。自身も飛行機に乗り、その記録に『東方への空の旅』North to the Orient(1935)、『風よ聞け』Listen! the Wind(38)がある。ほかに、海辺で特に既婚女性の生活について省察した『海からの贈り物』Gift from the Sea(55、増補75)、結婚をテーマにした小説『深く愛されし者』Dearly Beloved(62)、日記と書簡『内と外の戦争』War Within and Without(80)、最近作に『時の刻み』Nick of Time(94)など。巧みなイメージが印象的である。
(松井優子)
" リンドバーグ アン・モロー", デジタル版 集英社世界文学大事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2018-08-20)

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