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古典の世界を散策してみよう―『徒然草』の驚異―

推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 兼好法師の『新版 徒然草 現代語訳付き』(小川剛生=訳注、角川ソフィア文庫、2015年)は、『枕草子』と並ぶ古典随筆である。『方丈記』とともに隠者文学の傑作と見なされている。学校の教科書でごく一部を読み、受験のために勉強しただけでこの本とのつき合いが終わってしまうひとも多いかもしれない。しかし、それはもったいない話である。著者は、ときに中国の思想や、仏教とその無常観を語り、ときに自然の美しさ(四季の移ろい)を愛でている。学問・芸術論、男性・女性論、行為論、恋愛論、健康論、お酒の話、有職故実などにも話題は広がっていく。理詰めで書かれておらず、段ごとの一貫性もないので、どこから読んでもよいし、どこで止めてもよい。気にかかる箇所が出てくれば、自分でよく考えなおしてみればよい。こうした試みには、おそらく終わりがない。『徒然草』は、生涯の友とするにふさわしい本なのだ。
 兼好法師の生没年は不詳である。1283年から1352年ごろに生きたひとと推測されている。家系や生国を示す確たる証拠もない。30代の初め頃に出家したとされる。その後、京都の修学院、比叡山の横川などで暮らし、双ヶ岡で数年を過ごしたらしい。


 和歌を二条為世に学び、門下の四天王のひとりと称された。歌集には、『兼好法師歌集』がある。老荘思想、儒教、神道、仏教、和漢の文学などにも詳しく、『源氏物語』や『枕草子』も愛読していた。
 『徒然草』の書かれた時期も推測の域を出ない。1330年頃に大半が執筆され、1332の秋までには成立したと見なされるが、執筆の時期、繰り返し行なわれたと推定される加筆・修正、編集などの時期を確定できる資料は見つかっていない。『徒然草』は、全部で243段からなる。厳粛な場面や滑稽な場面に応じて、その雰囲気を映し出すために、漢文調と和文調が使い分けられている。1、2行の短いものもあれば、長いものもある。いくつか取りあげてみよう。

  『徒然草』のよく知られた序段は、こう始まる。「つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(14頁)。「つれづれなるままに」とは、なにかに忙しくせかされているのとは逆の状態を意味している。「忙しい、忙しい」と口にするひとは、時間に追われるようにして、こころが先へ先へと急いでいる。それに対して、仕事のことが気にかかることもなく、目の前に話す相手もいないとなると、おのずと自分のこころに注意が向かうようになる。こころは不可思議な世界であり、そこではさまざまな心象が現われては、去っていく。いっときも静止しないのだ。
 「心にうつりゆくよしなしごと」とは、こころに映し出されるやいなや、直ちに移っていくものどものことである。これらのものの出現と後退を意のままにあやつることはできない。自分の意志によって、つぎに映し出されるものを決めることはできないし、それが移行して今から過去へと去っていくのを止めることもできない。それらは、おのずと現われ、おのずと去っていくのである。それらは、ひととの出会いや自然の知覚、読書経験、思考や想像などの働きの断片、痕跡であり、そのつどの自分の精神的、肉体的な状態や、気分によってことなる現われ方や消え方をするものである。
 「そこはかとなく書きつくれば」とは、そうした、ある意味気まぐれで、どう転ぶかわからないものを、あるがままに追跡して、書きとめていくことである。『徒然草』の話題が、あちこちへ飛ぶのも、このことと無関係ではない。この本の狙いは、予測不能な仕方でつぎつぎと出現するものを追いかけてつかまえ、しるすことにある。序論から結論へという秩序を意識したり、話題ごとに配列を考えたりするといった意図的な操作ははなから除外されているのだ。
 「あやしうこそものぐるほしけれ」は、訳しにくい表現だ。ここには、それまで書いた内容と、そのように書きしるす自分の姿勢に対する兼好法師の反省の気持ちが反映している。彼が念頭においている、こころにおいて生ずる変転の記述は、直接に目でものを見る日常の態度を遮断しなければできない。「世間の人は外の世界を見るが、私は自分の内面を見つめるのだ」と述べたフランスのモラリスト、モンテーニュが目ざしたのと同じことだ。それは、ひとが普通は見ようとしないものを見ようとする風変わりな態度であるから、兼好法師はそれを「あやしい」と見なしたのだろう。彼はまた、肉眼の働きを中断して、心眼を活かしながら自分のこころと直面し続けていると、日常から離れてなんとなく変な具合になると内省して、「ものぐるほしけれ」と続けたのではないだろうか。そんなことを考えさせる「序段」である。

  第9段は、愛欲論である。「まことに、愛着の道、その根深く、源遠し。六塵の楽欲多しといへども、皆厭離しつべし。その中にただかの惑ひのひとつやめがたきのみぞ、老いたるも若きも、智あるも愚かなるも、かはる所なしと見ゆる」(21頁)。兼好法師によれば、われわれは欲望を刺激するさまざまなものを遠ざけることはできても、愛欲に惑わされずに生きることはできない。愛欲は年齢や人格に関係なく、どんなひとにも染みついているのだ。第8段の冒頭にはこうある。「世の人の心惑はすこと、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな」(20頁)。昔もいまも、「色」への執着がもたらす悲劇や喜劇はつきない。出家した兼好法師は、色欲について思いをこらすことができたが、俗人は愛欲に溺れて高揚感を感じたり、見苦しいまねをしたりして生きていかざるをえないのだ。
 第13弾は読書のすすめである。「ひとり、燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞこよなう慰むわざなる。/文は文選のあわれなる巻々、白氏文集、老子のことば、南華の篇。この国の博士どもの書けるものも、いにしへのは、あわれなること多かり」(25頁)。中国であれ、日本であれ、永く読みつがれてきた古典をただひとりで読むことは無上の喜びだという読書礼讃である。古典をひもとけば、いまは亡きひとが自分の考えあぐねていたことをはっきりと述べていることに気づき、故人が親密な友人のように感じられてくる。古典の深い思考に、こちらの浅慮が恥ずかしくなることも度々であり、古典はすぐれた教師の役割も果たす。古典に親しむことは、無類の快楽となるのだ。
 第49段には、われわれが銘記すべきことが書かれている。「はからざるに病を受けて、たちまちにこの世を去らんとする時にこそ、初めて過ぎぬる方の誤れることは知らるなれ。誤りといふは他のことにあらず、速かにすべきことを緩くし、緩くすべきことを急ぎて、過ぎにしことの悔しきなり。その時悔ゆとも、かひあらんや」(56頁)。訳者の現代語訳を見てみよう。「不慮病に罹り、突然この世を去ろうとする時になって、初めて過去の行状が間違っていたことを思い知らされるのである。間違いというのはほかでもない。急いですべきことを後回しにし、後回しにしてよいことを急いでしてきた過去が後悔されるという。その時になって後悔しても、詮はなかろう」(301頁)。ローマの政治家にして哲人のセネカも、「生の短さについて」のなかで、「土壇場になって生き始めても遅すぎるだろう」という意味のことを述べた。おそらく、死に臨んで、「これでよかった」と言えるひとはまれだろう。たいていの場合、「こうしておけばよかった」と後悔の念にさいなまれるに違いない。そうなるのは、著者が言うように、急いですべき大切なことを先送りにして、いまする必要のないことばかりをしてきたからだ。いつおとずれるかも知れぬ「終わり」を考えず、この先がいつまでも続くと錯覚すると、生活に緩みが生じて、急いでいましなければならぬことがなされないままに終わってしまう。その代わりに、いましなくてもよいつまらないことにだらだらとかかわることになる。「明日はわからない、いましかない」と考えると、緊張感が生まれ、いますべきことに専念できるようになる。時代と場所を超えた不変のアドヴァイスと言うべきだろう。
 第49段とつながるのが第108段である。この箇所も現代語訳を引用してみよう。「仏道に入ろうとする者は、遥か未来までかけて歳月を惜しむべきではない。ただ現在の一刹那が、いたずらに過ぎることを惜しむべきである。もし、誰かがやって来て、お前の命は、明日必ず無くなると告知されたならば、今日一日が暮れるまでの間、何をあてにし、何に励むのか、我々が普通に生きている今日という一日も、そのような状態の一日と何が違っていようか。一日の間に、飲食・大小便・睡眠・会話・歩行など、やむを得ないことで、多くの時間を費やしている。その残りの時間となると、いくらもないのに、無駄なことをし、無益なことを言い、無益なことを考えて時間を過ごすばかりか、一日を費やし、何ヶ月にわたって、遂に一生をいたずらに送るのは、実に愚かなことである」(338頁)。この仏道をめざす者への忠告は、それ以外のひとにもあてはまる。すべてのひとは、死という終着点に向かっているのであり、その死はいつなんどき訪れるか分からないからである。それゆえに、いまできることに精を出す覚悟をもち、それを実行できれば幸いである。
 先の読めないなかで、いったいどんな生き方をするのがよいのか。それを示唆するのが、第188段の一部である。「一生の間に、主として望ましいと思う事柄の中で、どれを優先すべきかとよくよく考え比較して、一番大事なことを熟慮し決定した上で、それ以外は断念し、一つのことに精励すべきである。一日の間、一時の間でも、多くの用事が生じてくるなかで、少しでも有益なことに精を出し、それ以外は擲って、重要なことをすみやかに行なうべきである。どれも放棄するまいと心中執着したままでは、一つのことすら成就するはずがない」(388頁)。あれもこれもと欲張って手を出すよりも、自分にもっとも大事なことはなにかを熟慮し、それに集中することが最善なのである。忙しい現代社会において、時間をいかに有効に使うかはちまたに溢れる実用書の主要なテーマのひとつだが、意外なことに、そのルーツは『徒然草』にあったのである。
 第117段は、一種の人間関係論である。『論語』に見られる孔子の友人論を受けているようだ。「友とするにわろき者七つあり。一つには高くやんごとなき人、二つには若き人、三つには病なく身つよき人、四つには酒を好む人、五つにはたけく勇める兵、六つには虚言する人、七つには欲ふかき人」(117頁)。高貴なお方や、勇ましい武将、欲の深い人間がつき合いにくいというのは分かる。病人の苦しみが分からない元気者は友としては避けたいし、酒を飲むと豹変するひとや、酒に飲まれて失態を重ねるひとも遠ざけたい、嘘をつくひとも嫌だという兼好法師の心境も理解できる。しかし、若いひとが友としてふさわしくない理由はなんだろう。無礼、無作法な若者に憤慨したからだろうか、話の通じない若い世代に失望したせいだろうか。この段のおしまいで、よき友として、「物くるる友、医師」(118頁)とならんで「智恵ある友」(同頁)があげてあるから、おそらく兼好法師は、知恵の足りた若者は少ないと見ていたのであろう。
 当時の世相はこう描写されている。第74段である。「蟻の如くに集まりて、東西に急ぎ、南北に走る人、高きあり、賤しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰る家あり。夕に寝ねて、朝に起く。いとなむ所何事ぞや。生を貪り、利を求めて、やむ時なし」(80頁)。このあとには、どんなにあくせく働いても、結局、老いて死ぬだけだという皮肉な言い回しがくる。世人のありふれた行動に対する出家人の少し斜にかまえた態度もかいま見える。
 『枕草子』を意識して書かれたと思われる自然讃美の文章もすばらしい。春の季節のうつろいを描いた第19段の一部を見てみよう。「『もののあはれは秋こそまされ』と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一際心も浮き立つものは、春のけしきにこそあめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、垣根の草萌え出ずるころより、やや春ふかく霞みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折しも雨風うちつづきて、心あわただしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、よろずにただ心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそ負へれ、なほ梅の匂ひにぞ、いにしえのことも立ちかへり恋しう思ひ出でらるる。山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて思ひ捨てがたきこと多し」(29~30頁)。
 冬の季節はこう描写されている。「さて冬枯のけしきこそ、秋にはをさをさおとるまじけれ。汀の草に紅葉の散りとどまりて、霜いと白うおける朝、鑓水より煙の立つこそをかしけれ。年の暮れ果てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあわれなる。(中略)/かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへめずらしき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ」(31~32頁)。
 自然に恵まれた地域にとどまらず、多くのひとが蟻のように行き交う都会でも、こころにゆとりがあれば、四季の移ろい、草花の生長と衰微、雲や風光の変化などに「もののあわれ」を身にしみて感じることもできるだろう。兼好法師は、春夏秋冬のそれぞれの風情に感受性が開かれていれば、心身がうちふるえる経験を享受できるという福音をわれわれに伝えている。

  古文が苦手というひとには、『現代語訳 徒然草』(佐藤春夫訳、河出文庫、2004年)がおすすめだ。作家ならではの大胆できりっとした訳文が気持よい名訳である。
 小川剛生『兼好法師』(中公新書、2017年)は、兼好法師が生きた時代の資料を入念に研究し、彼の出自や経歴に関する見解が彼の死後に捏造されたものであることを明らかにしたスリリングな力作である。著者は、『徒然草』の時代的な背景や当時の状況を仔細に検討し、それらを踏まえてこの古典をあらたに読み直すことを読者に期待している。

人物紹介

吉田兼好 (よしだ-けんこう) [1283ごろ−? ]

鎌倉-南北朝時代の歌人、随筆家。
弘安(こうあん)6年ごろの生まれ。生家は京都吉田神社の神職。卜部兼顕(うらべ-かねあき)の子。慈遍の弟。卜堀川家、のち後二条天皇につかえて左兵衛佐(さひようえのすけ)となる。30歳ごろ出家遁世(とんせい)し、二条為世(ためよ)に師事。為世門四天王のひとりにあげられ、「続(しよく)千載和歌集」以下の勅撰集に18首はいる。50歳前後に随筆「徒然草(つれづれぐさ)」をまとめたといわれる。文和(ぶんな)元=正平(しようへい)7年(1352)以後に死去。家集に「兼好法師集」。
【格言など】手枕(たまくら)の野辺の草葉の霜枯に身はならはしの風の寒けさ(「新続古今和歌集」)
©Kodansha
" よしだ-けんこう【吉田兼好】", 日本人名大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2018-10-25)

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