吉田兼好
(よしだ-けんこう) [1283ごろ−?
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鎌倉-南北朝時代の歌人、随筆家。
弘安(こうあん)6年ごろの生まれ。生家は京都吉田神社の神職。卜部兼顕(うらべ-かねあき)の子。慈遍の弟。卜堀川家、のち後二条天皇につかえて左兵衛佐(さひようえのすけ)となる。30歳ごろ出家遁世(とんせい)し、二条為世(ためよ)に師事。為世門四天王のひとりにあげられ、「続(しよく)千載和歌集」以下の勅撰集に18首はいる。50歳前後に随筆「徒然草(つれづれぐさ)」をまとめたといわれる。文和(ぶんな)元=正平(しようへい)7年(1352)以後に死去。家集に「兼好法師集」。
【格言など】手枕(たまくら)の野辺の草葉の霜枯に身はならはしの風の寒けさ(「新続古今和歌集」)
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よしだ-けんこう【吉田兼好】",
日本人名大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com ,
(参照 2018-10-25)
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