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宗教の要諦―鈴木大拙の一念―

推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)


 鈴木大拙(1870~1966)は、金沢に生まれた。本名は貞太郎。22歳で上京し、学生時代に、鎌倉円覚寺の今北洪川、釈宗演に参禅して、大拙という道号を受けた。1897年、釈の推薦でアメリカのポール・ケーラスのもとに行き、ケーラスの『老子道徳経』や道教関連書類の英訳を手伝った。1908年には、『大乗仏教概論』をイギリスで出版し、1909年に帰国。東京の大学で英語学などを教えていたが、1921年に真宗大谷大学(現大谷大学)に移り、仏教を教え始めた。その後、英文の雑誌『イースタン・ブディスト』を創刊し、仏教や禅の思想を世界に紹介した。1936年以降、海外のいくつかの大学で講義をおこない、1966年に95歳で逝去した。晩年の鈴木が取り組んでいた親鸞の『教行信証』の英訳は未完に終わった。
 鈴木が残した英語、日本語による著書、論文は多数あるが、今回はそのなかから3冊紹介しよう。


 鈴木大拙『禅と日本文化』(北川桃雄訳、岩波新書、1940年)は、著者が英文で書いた『全仏教とそれの日本文化への影響』(1938年)の前篇6章と、「禅と俳句」を北川が和訳したものである。「序」を寄せた同郷で親友の哲学者・西田幾多郎は、「君自身は記憶して居られるか否かは知らぬが、君は若い時から佛教は世界に弘むべきだといってゐた。今その言が思ひ合されるのである」(ⅰ頁)と往時を回想している。鈴木は、「原著者序」のなかで、日本人を批判している。「近頃の邦人は亀の子のように頭や足をすっこめて固くなる一方のようにも見えるが、ほんとうに生長するには思想的にも精神的にもまた外延する必要があると自分は信ずる。ことに無価の宝を懐く自分らではないか」(ⅲ頁)。
 本書は、第1章が「禅の予備知識」、第2章から第7章まででは、禅と美術、武士、剣道、儒教、茶道、俳句とのつながりが論じられている。第1章には、仏教と禅の世界への招待のことばが明晰で格調高い文体でつづられている。鈴木によれば、仏教の真髄は般若(超越的智慧)と大悲(愛、憐情)にある(2頁参照)。般若とは、生と世界の根本的な成り立ちを洞察することであり、それを通じて大悲が働き始める(同頁参照)。分かりやすく言えば、万物が仏の大いなる力に預かって存在していることを自覚すれば、みな等しく生かされて存在する万物への憐れみの情が涌いてくるようになる、それが仏教の教える根本的な経験だということだ。それでは、般若への道はどうして開かれるのか。答えは、「禅によって」である。鈴木は言う。「禅は、無明と業の密雲に包まれて、われわれのうちに睡っている般若を目ざまそうとするのである。無明と業は知性に無条件に屈伏することから起るのだ。禅はこの状態に抗う。知的作用は論理と言葉となって現れるから、禅は自ら論理を蔑視する」(3頁)。禅の分かりにくさの理由が端的に示されている。禅は知的な理解を超えた地平にあり、頭で分かろうとしても無駄なのだ。禅の真理は、「身をもって体験することであり、知的作用や体系的な学説に訴えぬということである」(7頁)。「禅のモットーは、『言葉に頼るな』(不立文字)というのである」(同頁)。座禅という、身をもってする鍛錬を通じておのれのこころと向き合う経験を経なければ、般若は得られないのである。
 禅と美術の関連を扱う第2章では、この種の、こころや生命の経験が禅僧の描く絵画を特色づけている点が指摘される。「おそらく東洋人の最も特異の気質は、生命を外からでなく、内から把握することであろう。禅は、まさに、それを掘りあてたのである」(16頁)。鈴木は、禅に固有な方法についてこうも述べている。「それはわれわれ自身の存在、すなわち、実在そのものの秘密を直接に洞察することである」(150頁)。禅における自己還帰的な特徴の指摘である。
 禅の修業の場が山林に囲まれた静寂の場所にある場合、禅僧はそこでおのれの実存とこころの動きを見つめるだけでなく、こころが開かれている自然物にも向かう。鈴木は、彼らの観察の特殊性に注目し、こう述べる。「それは単なる博物学者の観察ではなくて、禅僧たちはその観察する対象の生命そのもののなかまで入りこまねばやまぬ。だから、いかなるものを描いても、かならず、彼らの直観を表現することになって、『山や雲の精神』が、その作品のなかにおだやかに息づいているのを、感じることができるのである」(24頁)。彼らは、対象の外側からの観察をきっぱりと拒否し、対象とひとつになって、対象のいのちを感受しながら描いているという。それゆえに、描かれた山や雲にはこころが宿り、禅僧の観照そのものの表現となる。
 第7章「禅と俳句」では、『聖書』の「門を叩け、されば開かれん」という表現のなかの「叩く」について、独特な理解の仕方が示されている。「精神的にいえば、ここにいう叩くはまったく普通の叩くではない。その存在を組成する肉体的・知的・道徳的・精神的のいっさいをもって、自我を創造の門に叩きつけることである。人間の全存在が、まったく力つき、身内の最後の一滴の力を使ってこの(創造の)門に投げつけられるとき、はじめてそれは衝撃を生じて彼を不可思議の領域に突き進めるのである。禅の鍛錬はこの体験に至らせる」(161~162頁)。まずは全身全霊を賭して禅の修業に打ちこまなければ、不可思議の経験には遭遇できないという禅の厳しさが語られている。この経験が、通常の意識レヴェルを超えた次元で開かれる悟りである(163頁参照)。
 鈴木は、悟りの別の一面についてこう語る。「それは通常に異常を見、平凡な事実に神秘的なものを感知し、創造全体の意味を一気に領得する一点を把握し、一本の草の葉を採ってこれを丈六の金身仏に変ずるのである」(163頁)。この禅の悟りは、蛙が水に飛びこむ、蝶が花に舞う、月が水に影を宿すといった、自然の普通の出来事に深く関心をもつこととひとつであり、その関心が詩的な形式をとったのが俳句である(165頁参照)。鈴木の定義によれば、俳句は「最深の真理を直覚的につかみ、表象を借りてこれをまざまざと現実的に表現すること」(166頁)である。鈴木は、その具体例として、参禅の経験をもった芭蕉の「古池や 蛙とび込む 水の音」という俳句を取りあげている。この句の理解は、宗教的な意識論(意識、半意識、無意識[蔵識、無没識]、宇宙的無意識)と結びつけて圧縮した仕方で表現され(171~172頁参照)、禅的な世界観の深みをかいま見せてくれる。俳句に興味のあるひとには特に読んでほしい。
 かつて欧米の読者に強い影響をおよぼした本書は、こんにち読んでも、依然として刺激的である。日本文化のさまざまな分野における禅とのつながりを知るための最良の一書である。

 鈴木大拙『東洋的な見方』(角川ソフィア文庫、2017年)は、1963年の初版本(春秋社)を底本としている。この年、鈴木は93歳、最晩年の著作である。
 本書には、鈴木自身が「近来自分が到着した思想を代表するもの」(3頁)と見なす論文が14編おさめられている。鈴木は、東西の思想が交流し、相互の理解を深めることを通じて「世界文化」の展開につながることを切望している(「序」と87頁参照)。この壮大な理想を遠望しつつ、東洋的な考え方の特色が詳細に述べられている。
 最初の論文「東洋思想の不二性」は、東西の思想の比較論である。鈴木によれば、西の思想は「二分性の考え方、感じ方」(7頁)に立脚し、主客対立的な世界にとどまる。東のそれは、主客二分化以前の、けっして対象的な仕方では意識されない世界(無意識)がこころの奥底に働いていることを感じ取っている。西洋の二分性の徹底は学ばなければならないが、それだけでは不十分である。世界文化の展開のためには、東洋的な見方の徹底によって、二分性文化の不備を補足するべきだというのが鈴木の主張である(10頁参照)。我と汝、自国と他国といった二分法的な思考は、しばしば、自己への執着、自国中心主義、他国の排除などへと傾きやすく、紛争のもとになりやすい。
 それと異なるのが、東洋的な考え方の特徴を端的に示す「入不二法門」である。「不二」という仏教用語は、自他、男女などのように相対立すると見なされるものが、実際には二分化されず、一体化しているとする見方である。鈴木によれば、「入不二法門」とは、「『一切の法において、言なく、説なく、示なく、識なく、諸々の問答を離れる』」(13頁)ということである。論理で論理を反転させず、ことばによってことばを否定する次元を断ち切って、ことば以前の世界に飛びこむことである(14~15頁参照)。それは、「横超、飛躍、直入」などと呼ばれる身をもってする経験である(14頁参照)。この経験の徹底の先に開かれる「不二法界の世界」(17頁)は、こう表現されている。「二でも三でも百でも万でも、この世における有限の事と物とは、いずれも円融無礙的に参差し、錯綜する。二分性はけっして絶対的でない。いつも自分を否定して、そうして自分に還ってくる。一はそのままで一でなく、二はそのままで二でない。一に即して二であり、二に即して一である」(同頁)。この世界が、西欧の二分法に対抗する「東洋的世界観」として強調されている。
 東西の見方の違いは、「現代世界と禅の精神」のなかで、思議の世界と不思議の世界とも関連づけて説明されている。前者は理性によって分割する分別の世界であり、後者は分別不能な世界である。分別できない世界に入って生きるためには、「未知の領域へ驀進または侵入する覚悟で、全存在を投げ出す」(73頁)という「体究、体得、体取」(同頁参照)の態度をとることができなければならない。鈴木が特に力説する点である。
 「東洋学者の使命」は、鈴木が東洋的なものの中心と見なし、世界にぜひとも知らせたいと願う禅についての熱をおびた論考である。禅について無知なひとにも禅の核心に近づけられるよう工夫が凝らされている。おしまいの一段落に、鈴木の使命感が現われている。「『一二三四五』と分割したり切断したり限定したりして、ついには殺してしまうような世界だけに生きていては、人間の全貌はわからぬ。したがって人間らしい生涯は営まれない。どうしても、一たびは円融自在、事事無礙の世界を一瞥しなくてはならぬ。ここに東洋的具眼の人々が、声を高くして、全世界にその使命を伝えなければならぬ」(103頁)。
 本書には、「自由・空・只今」「このまま・・・・ということ」「荘子の一節―機械化と創造性との対立への一つの示唆―」「東洋文化の根底にあるもの」「日本人の心」などの得がたい論考がおさめられている。われわれが生きている時代の特色や、機械技術を優先する文明の危機をずばりと指摘するものも少なくない。ぜひ熟読して、東洋、西洋、世界へと視野をひろげつつ、現代をどう生きるかを考えてほしい。

  鈴木大拙『禅のつれづれ』(河出書房新社、2017年)は、『大拙つれづれ草』(読売新聞社、1966年)を底本としている。晩年に書かれたものをまとめたものである。「大拙つれづれ草」「東洋と西洋」「現代における人間本来の自由と創造性」「日本再発見」「わが真宗観三題」「妙好人」などからなっている。おしまいは、「老人と小児性」(遺稿)である。
 本書のなかでもっとも興味深いのは「日本再発見」である。鈴木は、明治時代に西欧から流入したnatureを「自然」と訳したために、東洋的思想における根本的なものが忘却されたと指摘する(106頁参照)。鈴木によれば、「自然」ということばは、老子の道徳経の「道は自然に法とる」が初出であり、「自から然る」(106頁)、「他からなんの拘束を受けず、自分本具のものを、そのままにしておく、あるいはそのままで働く」(106~107頁)という意味である。
 それに対して、鈴木は、英語の「自然」が主観に対する客観的な存在を意味し、主客相対的な世界に位置づけられていると見なす。欧米の登山家や冒険者などが、しばしば「自然の征服」という発言をするのはその一例である。西洋の多義的な「自然」概念のなかに、この種の主観に対立する「自然」が含まれることは否定できない。この文脈では、「自然」は人間の外部にあり、人間と対峙するが、東洋的な「自然」は、「自他を離れた自体的主体的なるもの」(108頁)である。「西洋のネーチュアの二元的なるに対して、東洋の『自然』は一元的包摂性である」(118頁)。
 東洋の「自然」は、「最近どうですか」、「おかげさまで、元気にやってます」という日常の会話に結びつけられる。「おかげさま」と言うが、だれのおかげ、何のおかげなのか。「しかしてこの実質が、この人に対して、その表象たる『影像』によりて、いかなる『力』を仮し与えたか。その上、この『力』なるものが、いかにも不思議なもので、生きている一人の実質ある人間に対して、その健康と幸福とを保証してくれるのである」(119~120頁)。これに続いて決定的な発言がくる。「この『かげ』の名で通っている、その後ろにある『実質』を何かというと、究極のところは『自然』に帰るよりほかないのである。われらは、無意識ながらに、われらを、その中に容れている、不思議の『力』をもっている『自然』―これがあるのでわれらは、いずれも『今日』あるをうるのである」(120頁)。生きてあるもの、天地の間にあるもの、過去および未来の一切のものは、この目に見えぬ「力」に保護されて生きているのである(同頁参照)。「単に『おかげ』といって、だれの、または何の『おかげ』とも言わぬところに、いかにもめいめいの『力』に働きかけられている、人間生活の真実相がうかがい知られるのである」(120~121頁)。
 「おかげさまで」とは、「自然」の目に見えぬ力に生かされてあることへの感謝のこころを示している(121頁参照)。われわれは自分の意のままに生きることはできない。そのように錯覚すれば、自分の意にそまぬものを抑圧したり、排除したりすることになる。無用な対立や抗争のもとだ。鈴木が、日本で再発見すべきもののなかで最大級のものと位置づけている「おかげさま」は、「自然」の恩寵にあずかって生きるわれわれの姿を照らしだしている。
 本書は、鈴木の人柄そのままに、気さくで、飾らない文章で書かれているが、何度でも読み直し、考え直すべき深い洞察があちこちに無造作にばらまかれている。そのひとつひとつを拾い集めて、鈴木との対話を継続することが大切だと痛感される本である。

人物紹介

鈴木大拙 (すずき-だいせつ) [1870−1966]

明治-昭和時代の仏教学者。
明治3年10月18日生まれ。帝国大学にまなび、鎌倉円覚寺の今北洪川(こうせん)、釈宗演(しゃく-そうえん)に師事。明治30年アメリカにわたり、「大乗起信論」の英訳、「大乗仏教概論」の英文出版をおこなう。42年帰国後学習院教授、大谷大教授。英文雑誌「イースタン-ブディスト」を創刊、アメリカの大学でおしえ、仏教や禅思想をひろく世界に紹介した。昭和24年文化勲章。昭和41年7月12日死去。95歳。加賀(石川県)出身。本名は貞太郎。著作に「禅と日本文化」など。
【格言など】絶対の威力に生きて責任をもたぬものあり、名を国家と云う(昭和17年西田幾多郎への手紙)
" すずき-だいせつ【鈴木大拙】", 日本人名大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2018-12-17)


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