蔵書検索(OPAC)
HOME > 資料案内 > 新しく入った本 > おすすめの一冊
新着資料 ベストセラー 学生の購入リクエスト
映画・ドラマの原作 テーマ図書 おすすめの一冊
おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

前の本へ

次の本へ
幸福について考える―水木しげるとゲーテ―

推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)


 ブッダ、アリストテレス、セネカ、ショーペンハウアー、ヒルティ、アラン、ラッセル、三谷隆正、吉本隆明、ダライ・ラマなど、幸福について語ったひとは少なくない。しかし、幸福について考える余裕をもって生きたひと達と違い、忙しい日々に飲みこまれるようにして生きていると、「幸福ってなんだろう」と疑問をもったり、生きる意味や幸・不幸の意味について考えたりしている暇はない。まして、だれかの幸福論を読んでみようなどと思うこともないだろう。
 とはいえ、わずらわしい人間関係や、せかされてストレスがたまる生活に疲れてしまったとき、そこからいったん距離をとって、「幸福とはなにか」、「われわれを幸せにするものはなにか」について考えてみることは、生き方を見直すきっかけになるだろう。「自分がなにをしたいのか」、「どのような生き方を望んでいるのか」について反省する機会ともなるだろう。そうした見直しや反省は、その後の人生を生きていくうえで、必ずプラスになる。それも、若いときがいい。老い先短くなり、多忙な生活が過ぎて、つきあいも減り、ストレスも少なくなる年齢になってから考え始めても遅いのだ。


 水木しげるの『水木サンの幸福論』(角川文庫、2007年)は、哲学者達のいささか堅苦しい幸福論とはひと味もふた味もちがう、実体験にもとづいた、明るくユーモラスで元気の出る本である。
 水木しげる(1922~2015)の育った鳥取県の境港は、いま「水木ロード」が観光スポットとなり、多くの観光客を集めている。漫画で町おこしする計画には、当初反対するひともいたようだが、さびれていた町の一角が、いまは一転して、あちこちに妖怪たちのいる愉快な散歩道に変わり、子供や大人でにぎわっている。2003年に開館した「水木しげる記念館」の運営も好調だという。
 『水木サンの幸福論』は、「水木サンの幸福論」と「私の履歴書」の二部構成であり、「わんぱく三兄弟、大いに語る」と漫画「花町ケンカ大将」が特別付録として加えられている。この本で、80歳を超えた水木は、「遊びや趣味に没頭し、妖怪の探索に明け暮れた」(11頁)子供時代や、戦争に翻弄された日々を回顧しつつ、現在は、老体になっても漫画の締め切りに追われる日々だと語り、結局、幸せだったのか不幸せだったのか、それがわからなくなったと告白する。そこで彼は、幸福観察学会を作り、自分が「何十年にもわたって世界中の幸福な人、不幸な人を観察してきた体験から見つけ出した、幸せになるための知恵」(12頁)を世に広めることをめざす。その知恵が、「幸福の七カ条」として太字で示されている。全部を引用してみよう。

第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまでも自分の楽しさを追求すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 なまけ者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。(12~13頁)


 これを読んで、すなおに納得するひともいれば、「え?どういうこと」と違和感を覚えるひともいるだろう。水木の説明を聞いてみよう。
 まず第一条。水木の観察によれば、現代人は、成功や栄誉、勝ち負けにこだわり、悲壮な顔をしてあくせく働くばかりで、好きなことに没頭する幸せをもたない(14頁参照)。子供時代に受けた教育でも、「成功者こそ幸せ」(14)と教えられたが、水木は納得しなかったという。だれもが成功できるとは限らない。成功ばかりを追い求めて生きていると、失敗が不幸観を強めることになる。水木のアドヴァイスはこうだ。「成功しなくてもいいんです。全身全霊で打ち込めることを探しなさい」(15頁)。
 第二条は、しないではいられないことをすることの勧めだ。したいことをし、したくないことをしないですますのはよくあることだ。することが面倒で、むずかしいことは先送りして、結局しないままで終わることも少なくない。それでは、しないではいられないこととはなにか。水木の答えは明快だ。「簡単なことですョ。好奇心を大事にすればいい。好奇心がわき起こったら、とことん熱中してみる。これが近道であります。そうすると、『しないではいられないこと』が姿を現してくる」(同頁)。それがわからなければ、子供時代に熱中していたことを思い出せばよいという。「人間は好きなこと、すなわち『しないではいられないこと』をするために生まれてきたんです。初心に返って、仕事にあらためて喜びを見出すのもいいし、ずっとやりたかったのに我慢していた趣味をやってみるのもいい」(16頁)。好奇心の向かうことに没頭する時間が少しでもあれば、仕事に追われてすり切れてしまうことは避けられるだろう。
 第三条は、水木流奇人変人の勧めだ。周囲の目や、世間のルールなど気にせずに、本気で夢中になれることをし、自分の道を突き進んでいると、周りからは変わり者、奇人と呼ばれるようになるが、水木は「奇人は貴人」(17頁)だと言う。奇人は、「誰が何と言おうと、強い気持ちで、わがままに自分の楽しみを追い求めているのです。だから幸せなのです」(同頁)。
 第五条は、いくら努力しても報われず、望む結果に結びつかないことは度々だが、好きな道を進んでいるなら、愚痴をこぼさず、ただひたすら努力するしかないというアドヴァイスである(19頁参照)。
 第六条では、水木は若者には努力が必要と言う一方で、中高年には「愉快になまけるクセ」(20頁)を求めている。彼は、子供の頃から、死なない、病気にならない、働かなくてもすむという、現実にはありえないなまけ者の世界に憧れていた(20頁参照)。戦争中に知ったラバウル族に自分の憧れが実現されている幸福な世界を見出し、終戦時にはこの楽園に本気で移住することも考えたようだ(21頁参照)。年老いてからは、連載の本数を減らし、78回の「世界妖怪紀行」を行って、「なまけ術」を実践した。その結果、仕事もさらに充実したというから、結構な話である(21~22頁参照)。
 第七条は、水木の妖怪讃歌である。彼は、五感で捉えられる「見える世界」のほかに「見えない世界」が広がり、そこには地獄や極楽があり、妖怪や精霊、憑き物などがうごめいているという(22頁参照)。だがいまや、妖怪達は明るい光に棲家を奪われ、絶滅の危機に瀕し、現代人はその存在を忘れ去ろうとしているので、これは大問題だと水木は憤慨する(22~23頁参照)。「いろいろな文献を読むと、かつて妖怪が盛んに活動していた昔は、現代にはない充実感のようなものが山野に満ちあふれていたようなのです。その存在感が薄れるとともに、どうも人間はつまらなくなったようです」(23頁)。漆黒の闇を恐れ、そこにただよう妖怪達の気配におののく機会を失った都会人は、影をなくして、明るいだけの平板な存在へと転落したのである。水木にとって、目に見えないものはこころの安定剤であり、元気と幸せの源泉である。「彼らは人類を活気づけ、生き生きとさせる不思議な力を持っているのです!目に見えないものを信じなさい。そうすれば、彼らから元気と幸福を授けてもらえることでしょう」(同頁)。
 おしまいの方で、水木は、もっとも強い影響を受けた「人生の大師匠」(24頁)ゲーテについて言及している。彼は、徴兵に取られて戦場に送られたときに、亀尾英四郎訳の『ゲーテとの対話』を雑嚢に忍ばせたという(同頁参照)。「『いつも遠くへばかり行こうとするのか?見よ、よきものは身近にあるのを。ただ幸福のつかみ方を学べばよいのだ。幸福はいつも目の前にあるのだ』」(24~25頁)、「『世の中のことは何でも我慢できるが、打ち続く幸福な日々だけは我慢できない』」(25頁)など、水木を啓発したゲーテの幸福観が引用されている。
 水木流の実践的な幸福論には、幸せに生きるためのヒントがつまっている。自分のせわしない生活を振り返って見るきっかけを与えてくれるのではないだろうか。

 水木しげるの『ゲゲゲのゲーテ』(双葉新書、2015年)は、水木が幾度となく読んで、こころに刻みつけたゲーテの93のことばを集めたものである。表紙には、「水木サンの80%がゲーテです」とある。ゲーテの格言や箴言、警句などは、戦後も水木のこころの糧となった。本書では、山下肇訳の『ゲーテとの対話(上・中・下)』(岩波文庫)から引用されている。
 本書は、水木しげるインタビュー、第1章 ものを創り出すこと、第2章 働くこと・学ぶこと、第3章 生きることはたいへんです、第4章 死の先にあるもの、水木しげる×武良布枝インタビュー、剣豪とぼたもち(短篇漫画)からなっている。
 最初のインタビューのなかで、水木は10代の終わりごろに初めてゲーテを読んだと言う。その後、戦争と死の恐怖を克服したいと、ゲーテの文学作品の数々や、カント、ヘーゲル、ニーチェなどの哲学書も読んだが、一番頼りになるのがゲーテだったという。「ゲーテはひとまわり人間が大きいから、読んでいると自然に自分も大きくなった気がするんです」(15頁)。「『ゲーテとの対話』の各所に傍線を引いて熱心に読んだのはいつですか」という質問には、こう答えている。「それは二十代のときですよ。ゲーテと比べると、ショーペンハウエルやニーチェは人間の見方が小さいというかねえ。おおまかに見るおおらかさが必要なんだけど、それがないんです」(21頁)。「馬鹿な編集者が多かったですか」(28頁)という質問に対する水木の発言はこうだ。「多いんじゃないですか。給料をもらっている人間の多くは餓死する心配がないから、あまり努力はしないし、自分を解放する技術というものがない。編集者に限らず、サラリーマンの8~9割が馬鹿なんじゃないですか」(同頁)。「では、そういう馬鹿は、どうやって生きていけばよいのでしょう」(29頁)とさらにつっこまれて、水木はこう断言する。「自分を理解することが大事ですよ。自分のことを正しく見られない人っていうのは勘も鈍いし、成功や幸せとは縁遠い。水木サンのように、ゲーテを暗記するまで読むのはいいことです」(同頁)。
 つぎに、各章のなかから、いくつかゲーテのことばを引いてみよう。傍点は原文ママである。「明晰な・・・文章を書こうと思うなら/ その前に、彼の魂の中が明晰でなければだめだし、/ スケールの大きい・・・・・・・・文章を書こうとするなら、/ スケールの大きい性格を持たなければならない」(37頁)。まさに、「文は人なり」である。天才についてのゲーテの発言。「ほかの人びとには青春は一回しかないが、/ この人びとには、反復する思春期・・・・・・・がある」(62 頁)。ゲーテの天才ぶりに、水木はこうコメントしている。「高齢で、重職にもついていたというのに、70歳を過ぎてから16、7歳の娘に結婚を申し込むんです。すごいですよ」(63頁)。
ゲーテは「自分」についてこう語る。「誰でも自分自身が/ 一番よく知っていると思いこんでいる。/ それで多くの人が失敗をし、/ 多くの人が長いこと迷わねばならない」(127頁)。虚栄心や自尊心、自愛心などによって、自分を見る目を曇らされてしまい、自分について勘違いして生きているわれわれへの皮肉な診断である。おしまいに、ゲーテの幸福観。「誰しも、自分自身の足元からはじめ、/ 自分の幸福をまず築かねばならないと思う。/ そうすれば、結局まちがいなく/ 全体の幸福も生れてくるだろう」(168頁)。アランも述べたように、幸福は自分でつくるものだという積極的な考え方だ。

 エッカーマンの『ゲーテとの対話(上・中・下)』(山下肇訳、岩波文庫、2018年、上53刷、中と下42刷 [1968-1969年初版刊行])は、とりわけ青年に訴えかける本である。たゆまない研究を重ねて広い視野を獲得し、人間や動植物、自然を観察し続けてきた老ゲーテの発言は、奥が深く、汲みつくせない味わいをもっている。ニーチェは、本書をドイツ語で書かれた最良の本と見なした。
 ゲーテ(1749~1832)は、文学、政治、芸術、科学などの分野で巨大な足跡を残した。本書は、1823年から1832年までの約9年間の間に、ゲーテの讃美者であったエッカーマンとの間でなされた対話の記録である。エッカーマンは、「まえがき」で控えめにこう告白している。「なんと九年・・という歳月のあいだ私を幸福にしてくれた彼のさまざまな言葉のあふれんばかりの豊かな充実を思い、それにひきかえ、その中から私の文字にあらわすことのできたほんの僅かな部分をいま眺めてみると、この自分がまるで、さわやかな春の雨を、ひらいた両の手でけんめいに捕えようとしながら、その大部分を指の間から漏らしてしまう子供のように思えてくるのである」(上の11頁)。「この並はずれた精神的人間は、いわばどの方向にも違った色を反射してみせる多面的なダイアモンドになぞらえることができる。だから、彼ゲーテが、さまざまな状況において、またさまざまな相手に応じて、別の人間であったように、私もまた、私の場合に、ただまったく謙虚な意味で、こう言いうるにすぎない、これは私の・・ゲーテである、と」(上の13頁)。
 1827年の興味深い発言を引用してみよう。「『私たちは、みな神秘の世界をさまよっている。私たちは、まだ未知のある雰囲気につつまれている。(中略)おそらく、特殊な状態にあるときに、われわれの魂の触覚が、肉体の限界を乗り越えて、近い将来に対する予感、いや真の透視を起こすことは、たしかだろうよ』」(下の214頁)。「『われわれは、誰しも自分の中に電力や磁力のようなものをそなえている。そして、同質のもの、異質のものに接触するに応じて、磁石のように、引力と付力を働かせるのだね』」(下の215頁)。ゲーテは、テレパシー、予知といった、魂に固有の働きに強い関心を示していた。
 もうひとつは、読書論だ。「『みなさんは』と彼はつづけた、『本の読みかたを学ぶには、どんなに時間と労力がかかるかをご存知ない。私は、そのために八十年を費したよ。そして、まだ今でも目的に到達しているとはいえないな』」(下の297頁)。大読書家でもあったゲーテから、読書はむずかしいと言われると、背筋がひやりとする。

人物紹介

水木しげる (みずき-しげる) [1922−2015]

漫画家。大阪に生まれ、幼少時に鳥取県境港に移り育つ。本名、武良(むら)茂。妖怪漫画の第一人者として長年にわたって活躍。代表作「ゲゲゲの鬼太郎(きたろう)」では日本古来の民間伝承を描き、さまざまな地方の妖怪を紹介した。戦争体験を生かした「昭和史」でも知られる。他に「のんのんばあとオレ」「悪魔くん」「河童の三平」など。平成22年(2010)文化功労者。
©Shogakukan Inc.
" みずき‐しげる【水木しげる】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-02-27)

ゲーテ (Johann Wolfgang von Goethe) [1749-1832]

ドイツの詩人・小説家・劇作家。小説「若きウェルテルの悩み」などにより、シュトゥルム‐ウント‐ドラング(疾風怒濤(しっぷうどとう))運動の代表的存在となる。シラーとの交友の中でドイツ古典主義を確立。自然科学の研究にも業績をあげた。戯曲「ファウスト」、小説「ウィルヘルム‐マイスター」、叙事詩「ヘルマンとドロテーア」、詩集「西東詩集」、自伝「詩と真実」など。

"ゲーテ", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-02-27)

ページトップへ戻る