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観音経の教え―釈宗演は語る―

推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 宗教に無関心でも、大晦日には除夜の鐘に耳を傾け、初詣には神社で拍手を打って頭を垂れるひとは少なくない。各地の寺社仏閣が観光客でにぎわう光景もよく見かける。そのなかには、仏像をたんに鑑賞するのではなく、合掌して静かに祈るひとの姿もあるが、多くのひとは、寺社訪問を消化すべき観光スケジュールのひとこまとしか考えていないだろう。年末年始や冠婚葬祭の折などに宗教的な習慣を繰り返すひとの多さに比べれば、宗教的な書物を熱心に読み、宗教の教えをかみしめて生きるひとの数ははるかに少ない。
 釈宗演の『観音経講話』(春秋社、2018年)は、1914年から1917年にかけて婦人道話会でおこなわれた講和をまとめたものである。宗演の死後100年を記念して復刊された。「観音経」といっても、若いひとは「なに、それ?」という反応だろうが、50代後半の宗演が女性向けに話した内容は、不思議な魅力にあふれ、何度でも読み返さずにはいられない。一読すれば、「え、よくわからないけど、すごい」と感じ、再読したくなるはずである。読み返すたびに、少しずつ「観音経」の真実が伝わってくるだろう。若者にとくにすすめたい本である。宗教は、年老いたひとのためよりも、むしろ青年が学んで将来に活かすためにある。


  釈宗演(1859~1919)は、福井県の高浜に生まれた。12歳で釈越渓の弟子になり出家した。その後、建仁寺、三井寺などで学び、1878年から鎌倉円覚寺の今北洪川のもとで修行に励んだ。1885年に慶応義塾に入学し、福沢諭吉に英語を学んだ。1887年から1889年までセイロン(現スリランカ)に遊学。1892年に洪川の後をついで円覚寺の管長に就任した。翌年にはシカゴ万国宗教会議に参加するために渡米し、日本人の僧侶として初めて欧米に仏教を紹介した。キリスト教が優勢を占める国で仏教の話などしても通じないという意見が多いなかで、宗演はこの会議を仏教布教の好機ととらえていた。
 1894年から翌年の初めにかけて、夏目漱石が宗演のもとで参禅体験をしている。この時の体験は、小説『門』に活かされている。師と仰いだ洪川の亡き後、自分の門下となって厳しい修行に打ちこんでいた鈴木貞太郎に、宗演が「大拙」という居士号を授けたのも1894年である。1905年にアメリカ、ヨーロッパ、インドを歴訪し、翌年帰国した。1916年の夏目漱石の葬儀には、法話を講じている。1919年、61歳で病没。
 『観音経講話』は、「観音経開講前話」に続き、全部で23回の講話がおさめられている。この講話の特色は、なによりもわかりやすいという点にある。意識的に、重要なポイントが幾度となく強調され、観音経の根本が理解できるように工夫されている。また、過去の禅僧や庶民、武士、政治家などのふるまいの具体例も豊富に示され、多種多様な和歌も引用されて、実に面白い講話になっている。
 宗教は人間をどのような角度からとらえるのかという問題をめぐってこの講和は進む。宗演は、われわれが「観音の現われ、化身、片割れ」であると繰り返す。観音菩薩はわれわれに対峙するのではなく、われわれのなかに姿を現しているというのである。目の前の観音様に向かって合掌することは、同時に、観音が現われている自分自身のこころと身体に向かって合掌するということである。仏とひとを一体的にとらえる観点は、神とひととの絶対的な分離を前提とする欧米の宗教とは違うところだ。
 観音菩薩とはどのような存在なのか。宗演の説明によると、観音菩薩は、慈悲と智慧、勇猛心、道義心を備えている。こうした側面は個々の人間にも見られるはずで、それを信じなければならないと宗演は言う。「我々は智慧の現われ、慈悲の現われ、また意思の力の現われであると、どうしても信じなければならないことになる。こういうところが宗教の極めて大切なところで、そういう自信があるならば、いやしくも観音の慈悲の現われなる人間として、間違った邪しまな、ましていわんや罪悪を作るというようなことには、どうしても心が向けられなくなる。これがありがたいところである」(24頁)。ここには、信仰心による悪徳の抑制効果というものが端的に語られている。われわれのなかに、悪への誘惑を拒否する力が潜むと信じることができれば、悪は遠ざけられるというのである。
 観音がわれわれの化身であると信じて、身を慎まなければならないのは、われわれのなかに悪への傾向を駆りたてるような働きが根深いからである。仏教のすばらしさは、徹底して人間の悪を凝視している点にある。法華経のなかで、「三界はなお火宅の如し」(52頁)と言われる。すなわち、欲界、色界、無色界という人間の三つの世界は、三毒、五慾で燃えたっていると見なされる。三毒とは、貪欲、瞋恚(怒り)、愚痴を指す。宗演はこう語る。「誰にでもあることと思うが、自分の思っていることに、あべこべのことを持って来ると、猛火炎々として、瞋(いか)りの心が頭をもたげてくる。人と人が何か話をして、ひょっと感情の衝突を起こすと、心の中の猛火が炎々と燃え立って来ることがある」(53頁)。人間同士のつき合いでは、口が災いのもととなったり、ちょっとした行き違いで暴力沙汰になったりすることは避けられないということである。
 五慾とは、財慾(金銭慾)、色慾、食慾、名利慾、睡眠慾の五つである。8万4千種類の慾がひそむという説もあるといい、過去の宗教者たちがひとのふるまいを慾という観点から執拗に見つめていたことに驚かされる。おそらく、人間界の些細なもめごとから、犯罪、暴力、殺人にいたる出来事の背景には、慾に翻弄されずには生きられないわれわれの性というものがある。慾の力は強大であり、慾がもたらす悲劇はいたるところで繰り返される。日本では、さまざまの欲に迷った僧達は「生臭坊主」と揶揄されてきたし、カトリック世界における聖職者による未成年者への性的虐待もたびたび記事になる。
 それゆえに、慾の力に屈服して他人から非難されないためには観音様の力を信じ、その力がわれわれにも及んでいると信じることが大切である。こころが猛火に包まれるときに、「観音様を信じておる人、少なくとも平生、多少精神的の修養がある人ならば瞋りの心がむっと頭を上げて来たのを、まあ待てと頭を押さえることができる」(53頁)。相手の不愉快な言動にかっとなって怒りだしそうなときには、観音様を拝み、同時にわれわれは観音様の現われでもあるはずだと意識して拝むと、瞋りの火が消えるというのである(54頁参照)。
 観音経では、だれにも染みついている五慾のほかに、「七宝財」という精神上の宝が備わっているとも語られる。信財(信仰心)」、進財(勇猛心をもって精進すること)、聞財(謙虚に耳を傾けること)、慙財(羞恥心=己を恥じること)、戒財(自分のこころが悪に傾かないように戒めること)、捨財(どんなに良いことをしても、自分がしてやったのだという恩着せがましいこころを捨てること)、定慧財(不動心)の七つである。「我々は精神上において、こういう無尽蔵なる財産を元よりもっているはずである。しかるに我々は、その財産の所有者であることを我自身に忘れている。身はたとえいかに富んでいるといっても、この心の中の財産を欠いた人は、これを精神的に見て貧乏人といってもよい」(64頁)。
 精神的に貧しい状態のままだと、羅刹鬼国をさまよわなければならない。先に述べた三毒、五慾が支配するこの国では、殺生、偸盗、邪淫、妄語、綺語(真実に反してことばを飾り立てること)、悪口(人をあしざまに言うこと)、両舌(二枚舌)、慳貪(物惜しみすること)、瞋恚、愚痴といった「邪見」がひととひととの間に忍びこんで、災いをなしている(65頁参照)。職業、身分を問わず、邪見と無縁に生きられるひとはいない。
 こうした傾向が生ずるのは、われわれのこころがひととのかかわりのなかで絶えず変転して止まないからである。雲が刻々と姿を変えて流れていくように、われわれのこころも一時として静止しない。「昔の人はずいぶん細かなことをいったもので、我々が朝から晩までいろいろに心の変ることを算えて4億2千遍も変化するといっている」(70頁)。宗演は、様々に変化するこころの大半を、先に述べた貪欲や瞋恚、愚痴といった不道徳的なこころが占めていると見なして、こう語っている。「言い換えればいろいろの罪とか咎とか悪心とか、そういう心が勝ちを制していて、良心、慈悲、正義、至誠、人道という観念がごく乏しい。実にあさましきものである」(71頁)。とはいえ、だれもが一方的に悪へと傾くわけではなく、悪に抗して善を志向する傾向も生ずる。「だいたい我々の心は善悪の二つに分かれていて、善とか悪とか常に戦争しているようなものである」(71頁)。人間が常に理性と情念との間の内戦状態にあると見なしたパスカルと同じ認識である。残念ながら、この戦争では、すべきことをするよりも、したいことをしてしまう方が優勢を占めて、しばしば情念が勝利する。
 それでは、いったいどうすればいいのか。それについては、すでに述べたように、怒りや愚痴や邪悪なこころが現われてきたときには、それをしかと見すえつつ、南無観世音菩薩と念じて、同時に自分が大慈大悲の観世音菩薩の化身であることを思い起こすことである。そうすれば、露霜が朝日の前に消えうせるように、邪念も消え去るという(77頁参照)。こういう境地にいたるためには、宗教的な経験を徹底して深めていく修行が必要であり、俗事にまみれて生きる凡人にはむずかしい。
 凡人に参考になる観音経の教えのひとつは、世界が五官では到達できない甚深微妙の領域に富み、それを知るためには肉の眼ではなく、心の眼を活用しなければならないという点である(73頁参照)。眼にとどまらない。耳についても考えを改めなければならない。「耳も肉の耳の外にある。一つの肉の耳ばかり当てにして聴くようではいけない」(同頁)。目に見えるものの次元を突きぬけて、目に見えないものを精神的な眼でつかむこと、耳に聞こえるものを聞くだけでなく、肉の耳には聞こえないものの音を聴くことが大切なのだ。宗演は、力強くこう断言している。「たとえ身にはいかに貴いところの宝で作った瓔珞(ようらく)をさげていても、火に遭えば焼かれてしまうし、水に遭えば流れてしまうもので、真の宝ではない。真の宝というものは心の美にある。我々の精神上の真の宝というものは、決して形にあるものではない」(232頁)。目に見えるものの世界であくせくしている者には、耳の痛い指摘である。
 『観音経講話』は、宗演が高みに立っておこなう説教ではなく、自分に対する批判や自戒のことばを率直に交えながら、観音経の真実を伝えたいという情熱に満ちた講話である。そのめざすところが、たえず自分のこころに立ち戻りよりよく生きること、さらにまた狭い考え方を打破して、より深く柔軟に人間や社会、世界を見つめ、肉眼には見えないもの、肉の耳には聞こえないものとのかかわりのなかで生きていくことだとすれば、本書はそうした人生へのすぐれた指南書だとも言えるだろう。

  釈宗演『禅に学ぶ明るい人生』(国書刊行会、2019年)は、『人生明るい世渡り』というタイトルで1933年に出版された本の復刊本である。冒頭の但し書きで、当時の戦時非常体制のなかで示された宗演の国家認識には、現在から見ると偏った箇所があり削除したとあるが、隠しだてを嫌い、ときには自分をさらけ出して直裁に語った宗演は、向こうの世界でその配慮を苦々しく受けとめているかもしれない。
 本書は、折々の講和の一部を57篇に編集したもので、附録として、鈴木大拙の「釈宗演師を語る」、徳富蘇峰による「釈宗演老師のこと」、芥川龍之介が夏目漱石の葬式を描いた「葬儀記」が加えられている。宗演は、「我が仏教は、けっして、年寄り仏教ではない。老人より若い人に必要です」(41頁)と述べて、若者に宗教を推奨している。宗教の一面はこう定義されている。「世間の人は、宗教とか信仰といえば、『お経の中にあるものだ。お寺へ行かなければ得られないものだ。僧侶に会わなければ求められないものだ』と思っているようですが、それは大きな間違いです。けっして、ワザワザそんなところに求めなくても、自己本心の発露するところ、そこに、宗教は躍如として現れているのです」(74~75頁)。われわれは、外物のために自ら欺かれ、喜怒哀楽に妄動し、自分のこころのありように無頓着なまま生きやすいが、立ちどまって自心を省みるのが宗教だというのである(74~75頁参照)。
 もうひとつの定義を引用する。「要するに、我々が、『生・老・病・死』の四苦の中に在って、その中に『ある物』の存在を認め得たならば、そのとき、不生不滅の境地に入り、安心立命することができるのです。我々は、もともと、この『ある物』から生まれでているのであって、ただその事に気がつきさえすればよいのです」(192頁)。宗教の核心が謎めいたことばで表現されているが、宗教は、狭い自己へと閉ざされるこころを、この「ある物」へと開くところにあらわれてくるのであろう。
 この本には、この世界で明るく生きていくための宗教的なアドヴァイスが満載である。
「なにに注目し、どう生きるか」を考えるヒントも豊富である。

  中島美千代の『釈宗演と明治 ZEN初めて海を渡る』(ぷねうま舎、2018年)は、宗演と同郷の作家が、宗演の生涯を丹念に追跡してまとめあげた評伝である。序章 ふるさと若狭高浜、出家から、慶応義塾で洋学を学ぶ、セイロン遊学、管長就任、シカゴ万国宗教会議、欧米布教、南船北馬までの全7章、終章 ZENは世界へという構成である。
 宗演の修行時代、今北洪川、鈴木大拙、福沢諭吉、夏目漱石らとの交流、禅を欧米に伝えるための積極的な活動ぶりなどが活写されている。シカゴで17日間にわたって開催された国際的な宗教会議の様子は詳しく記述されており、とりわけ興味深い。「仏教の要旨併びに因果法」と題する宗演の論文は8日目に発表され、拍手喝采をあびたという。この会議は、仏教がアメリカに広がるきっかけとなった。
 本書は、宗演が明治初期の廃仏毀釈運動による仏教衰退を案じ、後年はヨーロッパ列強によるアジアの国々の植民地化の現実を知って日本の将来を危惧した状況を詳細に記述している。列強に対抗する力を仏教に求めた宗演の姿も描かれ、彼が生きた明治という激動の時代がなまなましく浮かびあがってくる。

人物紹介


釈宗演 (しゃく-そうえん) [1860*−1919]

明治-大正時代の僧。
安政6年12月18日生まれ。臨済(りんざい)宗。今北洪川(こうせん)の法をつぐ。慶応義塾にまなび、セイロン(スリランカ)に留学。のち円覚寺派、建長寺派の管長を兼務。明治26年シカゴでの万国宗教大会に出席。初めて欧米に禅を紹介した。臨済宗大(現花園大)学長。門下に鈴木大拙ら。大正8年11月1日死去。61歳。若狭(わかさ)(福井県)出身。俗名は一ノ瀬常次郎。号は洪岳、楞伽窟(りょうがくつ)など。
©Kodansha
" しゃく-そうえん【釈宗演】", 日本人名大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-03-11)

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