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おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

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思考力の展開-教育学と社会学の視点―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

  IT(情報通信技術)革命の進行に伴い、記憶力や計算力において人間をはるかに凌駕するコンピューターが活躍し、ロボットが人間の労働の肩代わりをする社会になっても、精巧な機械や機器に考えてもらうわけにはいかない。思考力や想像力、喜怒哀楽の感情や意志力は人間の領分として残るだろう。それどころか、これからは思考力が試される傾向が強まっていくものと思われる。大学入試や中高の入試では、記憶力よりも思考力を問う問題が増え始め、就職試験では、正解の出ない時事問題に学生がどのように対応するかをチェックする会社も現われている。
 IT革命だけでなく、BT(生命科学)革命、環境破壊、地球温暖化などによって、先の読みにくい時代になっている。過去の教訓はあまり役に立たず、「想定外の」というフレーズが安易に頻発され、今後の道筋も定かではない。そこで求められるのは、従来の考え方の枠をはみ出すような、大胆な思考力である。それこそが、窮地に陥ったときの突破力となるだろう。
 今回は、思考力の練磨をテーマにした本を3冊紹介しよう。1冊目は岡田昭人の『人生100年時代の教養が身に付く オックスフォードの学び方』(朝日文庫、2019年)である。岡田は、オックスフォード大学大学院で教育学を学んだ経験をふまえて、積極的に生きるために必要な提言をいくつも行っている。


 本書は、プロローグ「オックスフォードの『学び方』が、なぜ今必要なのか」、「日本にはない世界のトップ校の『教え方』」、「人と集団を成功へと導く『統率力』」、「非連続の発想を実現する『創造力』」、「チームワークで勝ち抜く『戦闘力』」、「正解のない問題に向き合う『分解力』」、「慣例や予定調和を打破する『冒険力』」、「相手に最高の印象を与える『表顕力』」という表題の全7章、エピローグ「The Long and Winding Road」という構成である。こうした「力」を鍛えるための実践的なアドヴァイスに富んだ本である。
 第1章で、「チュートリアル制度」が紹介されている。週に1回1時間、教員と少数の学生(1~3名)が対話を通じて知識や理解を深めていく教育方法である。学生は、毎週何冊もの文献を読破し、教員から課された課題に応える小論文を毎回提出しなければならない。課題についての分析と自分自身の考えの両方が求められ、それにもとづいて教員との間で質疑応答や議論がなされる。この制度は、学生の分析力や議論する力、批判的な思考力、他者との討論を通じて自分で考える力を鍛えるためのものである(23~24頁参照)。毎週、何冊もの文献を熟読・分析し、自分にしか書けないことを詳述し、教員の厳しい質問に答え、議論しなければならないのだから、準備に忙しく、遊びやアルバイトの時間はなさそうである。質疑のあと、なにを得たか、今後の展開はどう予想されるかについて自由な意見交換がなされる。学生の今後を見据えての配慮だ。教員と学生の真剣勝負の場を提供するこの制度は、教員が学生に教えて育て、教員が学生に教えられて育つという教育の理想を反映している。
 この章では、教室での議論の際のポイントとして、お互いがしっかりと向き合うこと、批判は議論を深めるための手段であると了解すること、ゲーム感覚で楽しむことの三つが指摘されている。効果的な議論の方法についても細かいアドヴァイスがある。その他、分かりやすい文章の書き方、本の読み方についても具体的な作法が述べられている。
 第5章の「哲学と仮説で磨かれる『分解力』」は、記憶と思考の比較から始まる。日本の高校や大学の試験では、正確な記憶にもとづく正解を求める知識暗記型の教育である。しかし、社会人になれば、正解のない問題に直面することが多くなる。著者の言う「分解力」は、正解の出ない問題に向き合うときの姿勢を意味する。「分解力は自ら課題を設定し、論理的に考え、自分なりの結論を導き出すプロセスにおける心構えのようなものでしょう」(171頁)。分解力を働かせるうえでは、「情報収集」、「仮説を立てる」、「解を導く」の三つが重要という(174頁参照)問題解決の道筋が見えない状況に直面したときには、この三つを考慮して、いますべきことはなにか、どうすれば望ましい方向に進めるのかを、自分の頭で考えなければならない。この章では、情報の集め方、仮説の立て方についても具体的な説明があり有益である。
 第6章では、「自己確立論」が興味深い。著者は、オックスフォード大学には自己を確立した学生、つまり「自分軸」をもった学生が多いと語る。その特徴はこうだ。「自分軸が人生に必要不可欠なものであることを自覚する」、「他人に頼りすぎず、自立した人間をめざす」、「重要な決断をする際に、明確な基準をもつ」、「他人の気持ちを配慮する余裕を持って生きる」(232頁参照)。人種、言語、文化などが異なる人が集まるオックスフォード大学だからこそ、自分とは異質な他者と切磋琢磨する関係のなかで、自分軸を固めていく学生が育つと言えよう。他方で、均質的、集団主義的な日本の社会では、自分と向き合うことが苦手で、自分らしさをもつことが恥ずかしいと思うひとが少なくないのではないかと著者は述べている(233頁参照)。
 第7章は、相手に最高の印象を与えるためのテクニック集である。要約してみよう。多人数が集まる会場に行く場合には、自分の伝えたい意見を明確にしておく、相手に不快感を与えないための最低限のマナーや知識を身につける、場を盛り上げる一芸や話術をもつ、ファッションのセンスを磨く、服装や頭髪を清潔に保つ、加齢臭を香水によって華麗臭に変える、適度なイメージチェンジをはかる、表情、ジェスチャー、視線、接触とタッチングといった非言語的なコミュニケーションに気を配る、場の雰囲気を和らげるユーモアやジョークを活用する、等々である(237~263頁参照)。
 本書には、海外の大学で苦労したひとの貴重なメッセージが豊富だ。これから海外に行こうとするのみならず、グローバルな社会に出て行こうとするひとは、ひとつでもふたつでも、自分の生活に活かしてほしいと思う。

 大澤真幸の『思考術』(河出ブックス、2013年)は、読み、考え、書くことを仕事とする著者が、その具体的な過程を自分の生活に即して明らかにした、一種の内幕本である。序章 思考術原論、第1章 読んで考えるということ 社会科学篇、第2章 同タイトル 文学篇、第3章 同タイトル 自然科学篇、終章 そして、書くということ、という構成である。
 序章は特にすすめたい。編集者のインタビューに答える形式で書かれている。なにを、いつ、どこで、いかに考え、なぜ考えるのかと問われて、大澤が自分の考えを表明している。彼ははじめの方でこう語る。「人間は放っておけばものを考える、というものではない。ほんとうはものを考えなきゃいけないのかどうかすらわからない。けれども、考えずにはおられないということが起きる」(11頁)。仕事に疲れて帰り、食べて、テレビを見て、飲んで寝るという生活が続くひとには、考えることは二次的なことにすぎない。だれもが自然にものを考えるようになるわけではない。めんどうくさいことを考えるよりも、楽なほうに流れてしまうのもよくあることだ。パスカルは、「人間は考える葦だ」と述べたが、考える暇などなく忙しく生活し、あるいは、暇があっても考えようとはしないのも人間である。だから、考えることの価値を素朴に肯定するのはためらわれる。
 とはいえ、大澤が言うように、ある種の人間は、考えずには生きられなくなる。「世界との折り合いの悪さみたいなもの」(11頁)や、「生きることに対する違和感みたいなもの」(同頁)を感ずるひとは、つまずいて立ちどまり、それまでのペースでは歩けなくなる。そこで、思考が始まる。傷が深ければ深いほど、思考も遠くまで行こうとする。その思考のなかから、一生のテーマが育ち、生涯の方向が決まるということも起こる。
 大澤は、「2 いつ思考するか」のなかで、「出来事の真っ最中にものを考えていく」(15頁)と述べる。そこでは流れに身をゆだねたり、身を引いたりして、自分が二重化する感覚を味わうといい、それが社会学の展開には不可欠だと語る(16頁参照)。大澤によれば、われわれがいままさに経験していることがなにかを表現する学問である(同頁参照)。「社会学の探究者は、何か『こと』が起きれば『同時代に生きる者として社会学的に何を言えるか』という問いを突きつけられている」(16頁)。この社会で起こる出来事や事件のなかには、評論家の表面的な解説が届かない闇や根深い背景があって、そこに迫るためには社会学的な思考が欠かせないということだ。そのためには、社会学のさまざまな理論も学んで、思考の幅を広げることだけでなく、なぜ自分が特定の問題にこだわるのかと自問しながら本を読むことも大切である。ゼミで読んだむずかしい本の要約を求めたときに、ただの抜き書きですます学生に対して、大澤は、「『それは君が考えるときの言葉で置き換えるとどうなる?』」(22頁)と問いかけるという。むずかしい術語を未消化なまま口にするのではなく、自分のことばで他人に納得させられるように語れという教師の鞭である。
 「5 なぜ思考するか」では、自分の考えは他人を説得できるものでなければならないという大澤流の信念が表明される。「自分なりに考えた。自分なりに納得した。その納得した内容を他の人に対して説明できるかどうか。それらは、それぞれ分離したプロセスというよりも、人を説得するということが考えるということと一体化していると思った方がよい」(39~40頁)。それゆえに、研究会や読書会で自分の考えを伝え、批判を受け、再考する機会は大切だ。それが一人よがりの思考を反省し、自己批判や思考の掘りさげを促すよいきっかけとなる。「人間というのは、特に考える動物ではない、はっきり言うと、むしろある程度以上は考えようとしない動物である」(42頁)。それでは、人間により深く考えるように導くものなにか。他者である。「他者から与えられるインパクトなのだ。そういう衝撃がないと人は考えるようにはならない」(同頁)。他人から打たれないと、自足して狭い世界に閉じこもってしまう。他者の一撃は、孤独な時間のなかで何度も自分を鼓舞し、言葉に深さと力を与える経験へとつながる。
 深く考え抜かれたことばで書かれ、読みつがれているのが古典である。千年も前に書かれた本がいまも生きぬいているのは奇蹟的だが、古典のことばには永遠のいのちが息づいていて、いまもわれわれのこころに響いてくる。大澤はおしまいで、過去から未来へとつながる古典のような本をめざしたいと語り、こう締めくくっている。「あの三月十一日の事件以降、私たちは倫理的な課題として未来の他者と向き合うことになった。私もそのことを正面から考えるようになった。そうして考えたものがいまだ生まれていない未来の他者が読むに値するものであってほしい。それが思考の究極の目的である」(44頁)。

 岩本茂樹の『思考力を磨くための社会学』(中央公論新社、2018年)は、大学の人気講義をまとめた入門書である。やわらかく、平易な文体で書かれていて、読みやすい。 
 「学ぶ喜び、生を豊かにする社会学」(3頁)を望む著者は、学生の興味を引くような工夫をこらして、楽しく読んで、考えてもらおうとしている。「本書の目的は、文学や映画のメディア作品を採り上げ、そこから人間の営みや文化とはどのようなものかを社会学的につかみ取ろうということにあります。そして、この知を紡ぎ出す作業から導き出された知が、ブーメランとなって私たちの社会や生活を見直すことに繋がるのではないかと考えています」(4頁)。「本書では、自己の恥ずかしい体験談や、文学・映画を採り上げながら社会学を語ることになるのですが、それは皆さんに社会学の知に触れる喜びを伝えたい思いがあるからです」(22頁)。
 各章の最後の、「深めよう」という質問欄は、「思考力を磨く」というタイトルが嘘偽りの看板ではないことを示している。質問に答えるためには、内容を理解するだけでなく、それを自分の経験にもとづいて、自分のことばで表現しなければならず、そうすることによってたくまずして思考力が磨かれるように仕組まれているのだ。
第2章「私のモニュメント―それってストーカー?」で、岩本は高校3年生のときの苦い失恋体験から語り始めている。このときは身勝手な強引さが災いして振られてしまったのだが、それ以外に、映画「卒業」のダスティ・ホフマン演じるベンの恋人エレーンに対する強引な行動や、小説『レ・ミゼラブル』におけるマリユスのコゼットに対するつきまといの例をあげる。さらにアメリカのリンデン・グロスの書いた『ストーカー―ゆがんだ愛のかたち』や香山リカの『<じぶん>を愛するということ』、上田紀行の『内なるストーカー』の内容を紹介して、「積極的なアプローチ」と「ストーキング」の境目はどこにあるのか、過去と現在では恋愛における男女のふるまいがどのように違って把握されているのかといった問題を提起する。おしまいの「深めよう」欄の二番目の問いはこうである。「DVやさまざまなハラスメントなどの用語の誕生と社会との環境を探ってみましょう」(51頁)。愛をめぐる作法や掟の変遷を知ることは、とりもなおさず社会における人間関係の根源的な変化を探求することにほかならない。
 第11章「『海の上のピアニスト』からメディア論へ」は、メディア批判だ。今日の社会では、スマートフォンの普及によって、ひとびとの行動が急激に変化している。時刻表や地図をも持ち歩く必要もないし、正確な待ち合わせ場所を決めなくても電話やラインのやりとりで会える。スマホに身を預けた生活だ。岩本はこう述べる。「メディアは人びとをつかみ、揺さぶり、転がしまわし、人びとの心の窓を開いたり、閉じたり、マッサージします。そこから、マクルーハンは『メッセージ』をもじって『メディアはマッサージ』とも言いました」(230頁)。スマホによって気持ちよくマッサージされているうちに、記憶力や計算力は鈍り、思考力も失われていき、現に起きている出来事を批判的に考えることができなくなっていく。スマホは人間をマッサージして骨抜きにするだけでなく、行動監視に有効な道具にもなりつつある。
 岩本は、こういう時代に生きているからこそ、いま起きていることを歴史的な背景や文化状況と関連づけて掘り下げる社会学の思考が必要だと一貫して訴え続けている。大澤と同じ立場だ。

人物紹介

岡田 昭人 (おかだ-あきと) [1967-]

1967年大阪府生まれ。東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。オックスフォード大学教育学博士。同志社大学卒業後、ニューヨーク大学大学院で異文化コミュニケーション学の博士号を取得。オックスフォード大学教育学大学院にて日本人で初めて教育学の博士号を取得。東京外国語大学で20年にわたり日本人と留学生に教育学や異文化コミュニケーション学を教えている。テレビ、新聞など、メディア出演多数。『オックスフォード式超一流の育て方』など著書多数。

大澤 真幸 (おおさわ-まさち) [1958-]

1958年、長野県松本市生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。 著書に、『身体の比較社会学(Ⅰ・Ⅱ)』(勁草書房)、『虚構の時代の果て』(ちくま学芸文庫)、『文明の内なる衝突』(河出文庫)、『不可能性の時代』(岩波新書)、『ナショナリズムの由来』『<世界史>の哲学』(講談社)、『ふしぎなキリスト教』(共著、講談社現代新書)、『ゆかいな仏教』(共著、サンガ新書)、『動物的/人間的』(弘文堂)など。―本書より

岩本 茂樹 (いわもと-しげき) [1952-]

神戸学院大学現代社会学部教授。1952年兵庫県生まれ。関西学院大学卒業。同大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。30年間にわたり様々な教育に従事する。定時制高校で教鞭を執った経験を纏めた『教育をぶっ飛ばせ―反学校文化の輩たち』(文春新書)は話題となる。他の著書に『先生のホンネ』(光文社新書)、『自分を知るための社会学入門』(中央公論新社)など多数ある。―本書より

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