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現代の危機と人類の行方―歴史・科学・哲学―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』(上、下)(柴田裕之訳、河出書房新社、2018年)は、評判になった『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』の続編である。著者は、オックスフォード大学で中世史、軍事史を学び、現在はヘブライ大学で歴史学を教えている。
 「われわれはどこから来たのか。われわれは何者なのか。われわれはどこに行くのか」、画家のゴーギャンは、自分の大作にこのタイトルをつけた。『ホモ・デウス』は、この問いに答えようとする渾身の一冊である。『サピエンス全史』は、過去から現在にいたるまでの人類の歩みを、認知革命、農業革命、科学革命に焦点をあてて壮大なスケールで描いた。『ホモ・デウス』は現在起きていることを見すえつつ、人類の未来を予測している。現在、AIやIT(情報通信技術)はめざましく進化し、遺伝子工学やサイボーグ工学、バイオテクノロジー、ナノテクノロジーの分野での発展も急である。錯綜しつつ相互に影響を及ぼし合う分野の全体を見通し、今後の展開を予測できるひとはいないし、危機的な事態がおとずれる前にだれかがブレーキを踏んで、人類の破滅を回避してくれると期待することもできない。これが著者の悲観的な見通しである(69~70頁参照)。こうした状況のなかで、未来がいったいどうなるのかを著者は見定めようとしている。


 本書の第1部は、ホモ・サピエンスと他の動物の関係を考察している。その理由を著者はこう述べる。「超人的な知能を持つサイボーグが普通の生身の人間をどう扱うか、みなさんは知りたいだろうか? それなら、人間が自分より知能の低い仲間の動物たちをどう扱うかを詳しく調べるところから始めるといい」(89頁)。第2部の中心的な問いは、「ホモ・サピエンスはどのようにして人間至上主義の教義を信奉するようになったのか?」(同頁)である。その教義とは、「森羅万象は人類を中心に回っており、人間はあらゆる意味と権威の源泉である」(同頁)という考え方である。著者は、その教義が経済的、社会的、政治的にどのような意味をもつのかを問題にしている。第3部では、現在の苦境と人類がたどりうる未来について説明がなされ、人間至上主義を実現する試みが凋落する理由が語られる。それに代わるものがなにかが問われている。第1章「人類が新たに取り組むべきこと」のおしまいはこう締めくくられている。「振り返ってみると、ファラオの失墜や神の死は、どちらも好ましい展開だった。人間至上主義の破綻もまた、有益かもしれない」(90頁)。

 第2章「人新世」のなかでもっとも興味深いのは「生き物はアルゴリズム」と小見出しがついた箇所である。この見方は、過去数十年間の研究にもとづき、生命科学者たちが主張し始めたものである。「アルゴリスムとは、計算をし、問題を解決し、決定に至るために利用できる、一連の秩序だったステップのことをいう」(107頁)。このステップの維持のためにはデータが必要となる。データを重視する立場は、膨大なデータを収集、解析し、問題の解決をめざすデータ至上主義に行き着く。著者の予測によれば、21世紀はアルゴリズムに支配される(同頁参照)。結果として、これまでの人間中心主義に終止符が打たれるかもしれない。「人間至上主義が『汝の感情に耳を傾けよ!』と命じたのに対して、データ至上主義は今や『アルゴリズムに耳を傾けよ』と命令する」(下巻、239頁)。著者は、データ至上主義が世界を征服すれば、人間は「データへと落ちぶれ、ついには急流に呑まれた土塊のように、データの奔流に溶けて消えかねない」(下巻、243頁)と危惧している。
 最終章のおしまいで、著者は、現代に見られる3つの相互に関連した動向を指摘している。第1は、科学が生き物はアルゴリズムであり、生命はデータ処理であるという包括的な教義に収斂しつつあるということ、第2は、知能が意識から分離しつつあるということである。第3は、意識は持たないが高度な知能を備えたアルゴリズムが、間もなく、われわれが自分自身を知るよりもよくわれわれのことを知るようになりうるということである(下巻、245~246頁参照)。著者は、この3つの動向は、次の3つの重要な問いを提起すると述べ、読者にもその答えの探求を期待している。「1 生き物は本当にアルゴリスムにすぎないのか? そして、生命は本当にデータ処理にすぎないのか?/ 2 知能と意識のどちらのほうが価値があるのか?/ 3 意識は持たないものの高尚な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか?」(下巻、246頁)。これら3つの問いに答えるためには、科学的な生命論とは異なる仕方で生命について考え、意識することの意味や自己認識の可能性についても深く反省しなければならない。また、膨大なデータの集積によって判定される自己とは次元を異にする自己の存在領域がどこに見いだされうるのかも、慎重に考察しなければならないであろう。
 本書は、副題に示されているように、日々進化するテクノロジーによって、未来にどんな事態が予測されるかを、膨大な知識を駆使して描き出した力作である。

 

 スコット・ハートリーの『FUZZY-TECHIE イノベーションを生み出す最強タッグ』(鈴木立哉訳、東洋館出版社、2019年)は、ひとつの先入見を打破する目的で書かれている。ハイテク主導の経済社会では科学、技術、工学、数学(STEM)の分野で活躍できる職能が不可欠であり、人文系の学問で得られる知識や教養は役に立たないとする、今日では多くのひとが共有している偏った見方である。ハートリーは大学では政治学を専攻した。卒業後はグーグルやフェイスブックなどの会社に勤務してきた経歴をもち、文系と理系の協力の大切さを実感している。タイトルの「ファジー」(文系)と「テッキー」(理系)は、スタンフォード大学で用いられている表現であり、前者は人文科学や社会科学を、後者は工学や自然科学を学ぶ学生を指すという(1頁参照)。著者は人文系の教育を重視する理由をこう述べる。「テクノロジーが人々にとって身近で大衆的なものへと進化し、いたるところで目にするようになるとともに、リベラルアーツの意味合いを問い続け、人の欲求と欲望について深く考察することが、技術ツールを開発する上で必要不可欠の条件になってきたのだ」(2頁)。「この世の中で最も深刻な諸問題の解決策を見つけるには、コンピューターのコードだけでなく、人と人との関係性を理解する必要がある。倫理もデータも、深く思考する人々も深層学習する人工知能(AI)も、つまり人と機械の両方が求められているのだ」(3頁)。ユヴァル・ノア・ハラリは、『ホモ・デウス』のなかで、AIによってこれまでしていた仕事を奪われた人間は「無用者階級」になると予言したが、ハートリーの見方はもう少し楽天的である。自動化できる作業が増えても、状況に応じて柔軟に対応する作業や、複雑な問題の解決を機械に任せるわけにはいかないと考えているのだ。
 技術革新が勢いを増すアメリカでは、STEMの分野で身につけた「ハードスキル」こそが有効で、文系の分野で「ソフトスキル」を学んで卒業しても、まともな職業には就けないと公言するひとも少なくないという。だがハートリーは、STEMスキルを学んでも、リベラルアーツ教育を受けなければ将来の活躍は期待できないだろうと述べる(24頁参照)。リベラルアーツ教育では、クリティカル・シンキングやディスカッションが重視され、創造力や問題解決能力、意志的な決定力、相手を説得させうる議論の展開力など現場の戦力としてなくてはならない能力が鍛えられる(29頁参照)。
 ハートリーはこう述べる。「幅広い知識と思考方法を学び、世界が何でできているのかを知り、問題解決をどう図るべきかをよく探究しないと、自分が最も強い関心を抱いているものが何か分からないし、自分が没頭できる仕事も見つけられないはずだ―リベラルアーツ教育の中心的思想はここにある」(46頁)。彼によれば、学生が社会に出て働くうえでの基礎となるのは、その教育を通じて養われる批判的思考力、読解力、論理的分析力、論証力、論旨明快で人を納得させるコミュニケーション能力などである(47頁参照)。自分がなにをしたいのかを見定めるためには、自分がどういう人間であるのかをよく知らなければならない。職場での同僚との議論においては、自分の考えや意見を明瞭に表現し、相手が話すことを正確に理解しながら議論を深めていくことが求められる。そうした自己認識や他者認識のための道筋や手がかりを与えてくれるのが人文系の科目なのである。彼はこう指摘する。「文系社員と理系社員の協力体制を意識的に改善し、人間的要素と新技術ツールの可能性を理解できる正しいスキルを持った人々を積極的に迎え入れない企業は、急速に退化するおそれがある」(51頁)。
 シリコンバレーで働くテクノロジーの専門家の多くは、自分の子供をリベラルアーツ教育を推進する学校に通わせているという(218頁参照)。こうした学校で重視されているのは、知的な好奇心と自信、創造性、高いコミュニケーション能力、他人への共感力、学びと問題解決能力などである(同頁参照)。ハーバード大学の学長は、2016年のある講義のなかで、人文科学の勉強を通じて、よく考える習慣、批判的な目、人間の問題を解釈し、判断する余裕を持つための技術と情報、混乱や変化で忙しくうるさい世界に意味を見つけるための集中力、そして特に重要なものとして、他人の身になって考える共感力などが身につくと述べた(272頁参照)。理系の分野で学ぶ知識や技術は日々更新されるが、文系の学問で学ぶことは古くはならず、古典は不滅である。それをじっくり読み、考えることによって、人間や社会を批判的に見る目も養われていくのである。
 ハートリーは、あるベンチャー・キャピタリストの主張を引用している。「『ロボットとAIが今よりずっと強力になる時代になっても、その時にもまだ、人々にはできるがAIにはできないものがたくさんあるはずだ。たとえば、創造力、イノベーション、探検、芸術、科学、エンターテインメント、他の人々を思いやる、といったことなど。機械にどうやってこうしたことをさせるのか、我々には皆目見当も付かない』」(334~335頁)。スタンフォード大学の人工知能研究所の女性ディレクターの発言も紹介されている。「『私たち(人間)は、莫大なデータの計算は恐ろしく苦手です。けれども、物事を抽象的に把握し、創造性を発揮することは実に得意なのです』」(335頁)。
 最終章では、加速度的に変化している社会に対応するために、今後はSTEM教育対リベラルアーツ教育という対立図式を超えて、両者の融合と共存を視野に入れた教育が必要であると強調されている。テクノロジーの進化が労働や人間関係のあり方に予測できない変化をもたらす状況のなかで、それに対処していくためには、文系的な柔軟に考える側面と理系的な緻密な観察と分析の側面の協力が不可欠なのである。
 ユヴァル・ノア・ハラリは、鳥瞰的な視点から人類の未来を予測して『ホモ・デウス』を書いたが、ハートリーは、ハイテク社会の急激な変化に実践的に対処するための処方箋を提示している。

 

 『ホモ・デウス』の著者は、データ至上主義が社会を席巻すれば、人間はデータへと落ちぶれ、データの本流に飲みこまれて消えてしまいかねないと危惧した(上述)。今日の日本の社会では、ネットやマスコミの情報の渦のなかに巻きこまれた「自分」が、もはや情報の通過点にすぎないような状況が生まれている。
 北村妃呂惠の『AI時代を生きる哲学 ライフケアコーチング 未知なる自分に気づく12の思考法』(明石書店、2018年)は、情報の巨大な力に押しつぶされて「自分」の濃度が薄まっていく日本で、「自分」にこだわり、「自分」について哲学書などを手がかりに考え抜き、やがて「自分」を他者へと開いていく過程を自伝的にまとめたものである。
 著者はライフコーチングの考案者であり、2013年から京都でライフケアコーチング勉強会を始め、その後、活動を東京にも広げている。
著者は9歳のときに、「『わたしがわたしだと思うわたしとは何か?』」、「『なぜわたしは生まれてきたのか?』」、「『わたしが死んだらどうなるのか?』」(17頁)という問いをこころに抱く。これらのすぐには答えの出ない問いと向き合うなかで、著者は哲学に出会い、さらに仏教思想や文学、教育学、心理学などを学び、「人がよりよく生きるための対人援助実践法」(32頁)としてのライフケアコーチングを考案した。
 第1章「ライフケアコーチングの基礎」では、仕事や家庭、人間関係のなかでトラブルに苦しむひとに対話を中心にして、よりよい生活ができるように導くことをめざすコーチングの12の具体的な実践法が語られている。そこでは、意志や想像力、感情と思考などの重要な働きが注目されている(68~69頁参照)。
 第2章で、12の実践法に関する詳しい内容が記述され、第3章で実践の具体的な事例が紹介されている。そこでは、人間関係のもつれや葛藤などから追いつめられたひとが、著者との対話を通じて生活のリズムを取り戻していく事例や、あたらしい気づきの機会を得て立ち直るひとの事例などが報告されている。
 生活のさまざまな場面におけるAI技術の導入によって、われわれは利便性のかげで多くのものを失った。パソコンやスマホのお蔭で、手紙や葉書に切手を貼り、ポストに投函するわずらわしさは無くなったが、同時に、ひと文字ひと文字に相手への思いをこめて文をしたためるという贅沢な時間は消失した。ネット上での便利な情報伝達の背後で、ひととひとが直接顔を合わせてことばを交わす時間も激減した。だからこそ、「AI時代を生きる哲学」は、個々の人間の主体性を奪いかねないAI主導型の社会で、AIに抗してより主体的に生きることの大切さを声を大にして訴えている。



人物紹介

ユヴァル・ノア・ハラリ (Yuval Noah Harari )[1976−]

イスラエル人歴史学者。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して博士号を取得し、現在エルサレムのヘブライ大学で歴史学を教えている。オンライン上の無料講義も行い、多くの受講者を獲得している。著書『サピエンス全史』は世界的なベストセラーとなった。-本書より

スコット・ハートリー (Scott Hartley)[1983−]

スタンフォード大やコロンビア大を卒業後、グーグルやフェイスブック、ハーバード大学バークマン・センターを経て、シリコンバレーのベンチャーキャピタル、サンドヒル・ロード(Sand HillRoad)などでインベストメント・パートナーを務めた。オバマ大統領の元イノベーションフェロー。現在はニューヨーク・ブルックリン在住。-東洋館出版社ホームページより

北村妃呂惠 (きたむら ひろえ) [1960−]

 

ライフケアコーチング考案者。京都生まれ。立命館大学文学部哲学科教育人間学専攻卒業。立命館大学大学院応用人間科学研究科応用人間科学専攻修士課程修了(人間科学修士)。2009年米国CTIコーアクティブ・コーチングのプロコーチ資格(CPCC)取得時から、個人向けのライフケアコーチの仕事を始める。2013年から京都でライフケアコーチング勉強会を開始。2017年東京勉強会を開始。現在(株)トランセンド取締役。-本書より

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