蔵書検索(OPAC)
HOME > 資料案内 > 新しく入った本 > おすすめの一冊
新着資料 ベストセラー 学生の購入リクエスト
映画・ドラマの原作 テーマ図書 おすすめの一冊
おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

前の本へ

次の本へ
読むことと書くこと―贈ることば―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 卒業生にとって、節目の季節としての3月が終わると、4月からはあたらしい生活が始まる。学生時代になにをしたか、しなかったかで、その後の方向はある程度まで決まる。本を読む習慣をもたなかったひとは、これからも本とは無縁なままに、多忙な生活を生きていくことになる可能性大である。他方で、本の魅力に触れたひとは、本を傍らにおき、暇を見つけて本に親しむだろう。
 『きみに贈る本』は、6人の作家(中村文則、佐川光晴、山崎ナオコーラ、窪美澄、朝井リョウ、円城塔)が若者を念頭においておすすめの本を紹介したものである。新聞に連載され、好評を得た。3ページごとの短文集であるが、それぞれの作家が自分の読書経験を率直に語り、本を読む快楽や苦痛について述べている。ひとつの作品に対する愛と嫌悪という矛盾した心情を綴ったものもある。
 中村は、太宰治の『人間失格』を、「自意識と、他人への恐怖に苦しめられる男の人生記」(15頁)と特徴づけ、読んだときの経験をこう語っている。「僕は高校生の頃、他人(クラスメイト)たちが一つの教室に決められた時間に


集まることに突然気持ち悪さを感じて、学校に行けなくなったのだけど、その時にこの小説を読んだ。読みながら僕は、『ここに書かれているのは僕だ!』という、『人間失格』を読んだ読者にとって典型的な反応をすることになった。悩んでいるのは自分だけではない、と思える感覚」(同頁)。中村は、自分が共感するような、あるいは嫌悪するような人物を描いた小説を読むことで、他人への想像力が養われると述べる。彼はまた、読書を通じて「自分の精神に滋養を与える時間」(16頁)を確保してほしいと読者に望んでいる。西加奈子の『サラバ!』をすすめる文章のなかにはこういう一文がある。「物語の中に身を置き、主人公を見つめ、時に同化しながら、自分のこれまでの人生やこれからの人生について考えることができる。/ 人の目をどうしても気にしてしまう人、ちょうどいま生き方を模索してる人などなど、たくさんの人におすすめです」(25頁)。

 朝井リョウは、感動や共感とは異質な衝撃を与えてくる作品として、村田沙耶香の『殺人出産』をすすめている。朝井は著者をこう評している。「私たちの思考にびっしりと生えている常識をずるりと引っこ抜き、『ほら、意外とすぐ抜けたよ!』とその根っこをこちらに差し出してくるような小説家です。感動した、とか、共感した、とか、そういう感想を抱くより、読み終わったあとじっと考え込んでしまうような、そんな作品を書く方です」(146頁)。「共感できないことだからこそ、理解しようと思考する。今の自分の常識ではありえないことだからこそ、自分とは違う人の意見を掬い取り、視野を拡げる。わからない、ではなく、どうしてわからないのだろうと考えることで、わからないことすら自分の栄養分にしてしまう」(同頁)。他方で、朝井は心底共感できる作品として、豊島ミホの『神田川デイズ』を紹介している。彼は、この本を大学生のときに読んで、共感するあまり狭いワンルームのアパートの床をのたうちまわったという(148頁参照)。「この本はそのまま、田舎から東京へ出てきたばかりの大学一年生の心臓をごそっと抜き取り、血の滴るそれを高く掲げながら学生街をぬらぬらと練り歩かんばかりでした」(149頁)。「頁を捲るたび、まるでヤスリでもかけられたかのように自分の心の形が整っていった感覚は、今でも忘れられません」(同頁)。
 円城は、『人間失格』についてこう述べる。「どのあたりが苦手なのかというと、あれですね、何を当たり前のことをいつまでもくどくど書いているのだ、という気持ちになります。(中略)同じことを何度言うのか。文学には、何のためというものは関係ないとわかっていてもそうなるのです」(193~194頁)。「主人公は自分が人間らしく振る舞えないことを強調しますが、これで『人間失格』というにはちょっと大人しすぎます。こういう人、たくさんいるし、もっとひどい人を知っているよとか言いたくもなるってものです」(194頁)。円城は、太宰の作品に対する屈折した感情をこう表現している。「なにかこう、紙面がまとわりついてくるような感覚が嫌です。嫌と思うのも嫌です。話題にするのも嫌なのに、こうして書いてしまうことが嫌なのです」(195頁)。読者によって好悪の差が激しい太宰だけに、共感するひとも少なくないだろう。

 

 ナタリー・ゴールドバーグの『書けるひとになる!―魂の文章術』(小谷啓子訳、扶桑社、2019年)は、書くことを主題にしている。書くということはどういう種類の経験なのか、文章を綴るときになにが起きているのか、なぜ書くのか、なにをどのように書くのか、書かないとどうなるのか、書くことをどのように生徒に教えるのかといった話題が満載である。書くことの喜びや楽しさを語る彼女の筆は弾んでいて、明るく、エネルギッシュな自伝的エッセー集である。原題は、Writing Down the Bones Freeing the Writer Within である。彼女は、この本についてこう紹介している。「これは書くことについての本だ。それと同時に、生きる修行としての書くこと、つまり、自分の人生の深奥まで探り、真正な人間になるための手段としての書くことについての本でもある」(6頁)。彼女にとって、書く修行は、自分の生のすべてととり組むことである(7頁参照)。彼女は、自分のこころの動きや、目の前の事物、風景などをよく見つめて、文章にすることこそがもっとも大切であると強調している。
 ナタリーは詩人、作家であり、創作クラスの講師を務めている。40年以上にわたって禅の修行を行い、いくつもの創作クラスでは、書くことと精神的な修行との結びつきを強調しながら授業を進めている。本書には、彼女の禅の先生である片桐大忍老師のことばが何度か引用されている。一箇所だけ引いてみよう。「『座禅をするとき、自分は消え失せなければならない。そうすれば座禅が座禅をしてくれる。(後略)』」(70頁)。ものを書くときの態度もそうあるべきだとナタリーは考える。「書くという行為自体が文章を綴っていく。あなたは消え失せる。あなたはただ、自分の中を流れていく思考を記録するだけだ」(同頁)。余分なことを考えずに、書くことに専念すればよいのだという覚悟が述べられている。彼女は、文章の良い書き手になるためには、たくさん読むこと、真剣によく聴くこと、たくさん書くことが大切だと述べる。「考えすぎは禁物だ。言葉と音と色鮮やかな感情が生み出す熱の中に飛び込み、ペンを紙の端から端まで動かしつづけよう」(79頁)。
 普段ものを書く習慣をもたないひとは、なぜ書くのか、どうして書かなければならないのかといぶかしく思うかもしれない。なぜと問うよりも、まずは書くことをすすめる現在のナタリーも、かつてはこの問いをかかえていた。彼女は、「なぜ書くのか」のなかで、25年以上も前に雑誌に書いた文章を再録している。そこには、それまでずっと口をつぐんできたから、ひとりぼっちだから、みんなが話し忘れている物語があるからといった理由が並べてある(168~169頁参照)。彼女は、このエッセーをこう締めくくっている。「書く理由は書く行為そのものの中にある。書くのは字が上手になりたいからであり、自分がばかだからであり、紙の匂いがたまらなく好きだからだ」(170頁)。
 「第一の思考」のなかで、彼女は文章を書く場合のルールをあげている。手を動かす、書いたものを消さない、綴りや、句読点、文法などを気にしない、コントロールをゆるめる、考えない、急所を攻めるの六つである。このルールに従ってものを書くことは、「自分の心の奇妙な癖をとらえるまたとないチャンス」(14頁)になるという。書くことを一種の修行と見なして続けてきたひとだから言える実践的アドバイスだ。
 「エロティシズム―深刻なテーマ」では、「愛とエロティシズム」という大きなテーマで書くときのこつが書いてある。このテーマで書き始めても、自分が本当に言いたいことがなにであり、どうすればそこにたどり着くのかが分からないことはよくある(144頁参照)。そこで、彼女はこう提言する。「書き出しはつねに自分自身のことから始めよう。そして筆の流れに身をまかせるのだ。”エロティシズム”という言葉は重々しい。落ち着かないときは部屋を見まわして、小さな、具体的なものから書き始めよう」(144頁)。彼女はまた、このテーマには別の切り口で迫ることもできるとして、「あなたを熱い気分にするものは?」、「あなたが関係を持っているものは?」、「あなたが始めてエロティックな気分になったときのこと」といったテーマをあげている(146頁参照)。
 「書くことは共同作業」のなかで、ナタリーは、われわれが自分以外のさまざまなものとつながる存在であることを力説している。「自然の中でひとりきりになって書こうとするときでさえ、自分自身およびまわりのすべて―机、木、鳥、水、ペン―などと親しく交わらなくてはいけない。私たちは他の一切から分離した存在ではない。そう思うのはエゴの錯覚だ」(118頁)。彼女はまた、自分でものを書いているひとと知り合いになり、書いたものを見せ合うことも有意義だと言う(118頁参照)。自分ひとりで書いていると、ひとりよがりになったり、自己嫌悪に陥ったりして、先に進まなくなることがある。書いたものを知り合いに読んでもらい、意見や批判に耳を傾けることで、自分の書き物に対して違う態度で接することができるようになる。こうして、書くことは共同作業として成就するのだ。
 本書のもっとも印象的なフレーズを引用しよう。「書くことを呼吸のように考えよう。庭いじりをしたから、地下鉄に乗ったから、クラスで教えたからといって、人は呼吸をやめたりはしない。書くこともそれと同じくらい基本的なことなのだ」(198頁)。アルベルト・マングェルは、読むことが呼吸と同じように必須のものだと述べた。ナタリーにとって、書くことは死活問題なのである。彼女は、日常の絶え間ない実践を通じて、この境地に達している。この文書のあとに、1984年に書かれたノートが続く。「日々の生活の核心に触れながら、その中に立って書きつづけることによって、私の心はとことん開かれ、自分に対するやさしさが生じ、またそこから、まわりのすべてに対する慈悲が輝きでるからだ。その慈悲は、目の前のテーブルやコーラ、紙のストロー(中略)といったものに対してだけではなく、渦巻く記憶、心の奥にある憧れ、毎日対処しなければならない苦しみに対しても向かっていく。ペンを紙に走らせて、自分自身の心の中にある思考の固い殻を割り、自分に枷をはめるような考え方を捨て去れば、慈悲は内側から自然と現れてくる。/だからこそ、物書きになるのは非常に奥深いことなのだ。それは私が知る中でも最も深遠なことだ。それに代わるものはない、と私は思う」(198~199頁)。
 周囲のものや隣人、風景などをじっくり見つめて書くことは、作家やエッセイストでもなければ日常生活の一部にはなりにくい。しかし、ナタリーが言うように、書くことが変身を約束するのだとすれば、これは挑戦する価値のある試みである。

 

 三宅香帆の『人生を狂わす名著50』(ライツ社、2017年)は、本を熱愛する20代の大学院生が書いたブックガイドである。ある書店のウェブサイトに掲載され、反響を呼んだ記事がもとになっている。ひとりでも多くのひとに人生を狂わすような本を読んでほしいという三宅の強い願いが伝わってくる。
 「まえがきにかえて―人生が狂うってどういうこと?」のなかで、三宅は、自分の読書経験を振り返りながら、こう述べている。「私はあんなに『現実』から離れたくて本を読んでいたのに、いつのまにか、読んだ本によって、『現実』そのものを変えられてしまっているようなのです」(9頁)。彼女は、読書のおかげで、周りが疑わずに受け入れている生活のルートから逸脱し、世間的な常識の外に出てしまったのだ。締めくくりはこうだ。「役に立つとか立たないとかよりも、もっともっと大きな、遠くを見させてくれる存在として、『本』に触れていただけたなら。これから生きてくけっこう大変な人生を、一緒に戦ってくれるような本を、見つけていただけたなら。/ 私としては、これ以上幸せなことはありません。/ 一緒に、本を、物語を愛して生きていきましょうねっ」(14~15頁)。
 本書では、ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』から、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』までの全50冊、その次に読むおすすめの本として150冊が紹介されている。小説、評論、歌集、対談集、漫画などさまざまである。
 「都会とか現代とか、『忙しさ』にちょっと疲れたあなたへ 『スティル・ライフ』」のなかでは、「人生を狂わせるこの一言」として、著者池澤夏樹の名文が引いてある。「音もなく限りなく降ってくる雪を見ているうちに、雪が降ってくるのではないことに気付いた。その知覚は一瞬にしてぼくの意識を捉えた。目の前で何かが輝いたように、ぼくははっとした。雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、真実に、世界は上昇を続けていた」(67頁)。
 三宅がもっとも熱を入れて書いているのが俵万智の『恋する伊勢物語』である。高校生のときに三宅はこの本を読み、俵万智は「伊勢物語に対する愛を共有した運命の相手」(359頁)になったという。「私が大好きで心から愛して恋している伊勢物語を、こんなふうに、もっとおもしろく読んでくれる人がいる! 『恋する伊勢物語』を読んで、感動したのはそこだった」(363頁)。「もしかすると、この『恋する伊勢物語』は、あなたにとってただの『つまらない物語』を実は『こんなにおもしろいものだった』とびっくりさせてくれる本かもしれない。もしかしたら、あなたを伊勢物語との恋に落としてくれるかもしれない」(364頁)。
 「あとがき」から、三宅流で本をすすめる箇所を引用する。「もうやだって泣きたいときとか、この先一生楽しいこともないんじゃないかって絶望したとき、本を読めばいいんです。本は、どうにもならないあなたの人生をちゃんと動かしてくれます(時には狂わせてきますけどね!)」(387頁)。「あなたがきついときつらいとき、誰もそばにいないとき。どうか、本だけでもそばにいてくれますように―そんな願いを込めて、私はこの本を書きました」(388頁)。本書は、数々の魅力的な本のエッセンスを、気軽に読めるように文体に工夫を凝らして、コンパクトに紹介している。気になる一冊があれば、ぜひ手にとって読んでほしい。

 

 

人物紹介

中村文則 [1977−]

愛知県東海市生まれ。福島大学卒業。2002年「銃」で新潮新人賞を受賞し、デビュー。04年『遮光』で野間文芸新人賞、05年「土の中の子供」で芥川賞、10年『掏摸』で大江健三郎賞を受賞。12年、同作の英訳が「ウォール・ストリート・ジャーナル」年間ベスト10小説に。14年、米でデイヴィッド・グディス賞を受賞。-本書より

佐川光晴 [1965−]

東京都新宿区生まれ。北海道大学法学部卒業。出版社勤務をへて屠畜場で働き、2000年「生活の設計」で新潮新人賞を受賞してデビュー。『縮んだ愛』で野間文芸新人賞、『おれのおばさん』で坪田譲治文学賞を受賞。小説のほかノンフィクションに『牛を屠る』『主夫になろうよ!』など著書多数。-本書より

山﨑ナオコーラ [1978−]

福岡県生まれ。国學院大學卒業。2004年「人のセックスを笑うな」で文藝賞を受賞してデビュー。作品に『昼田とハッコウ』『かわいい夫』など多数。好きなコーラはダイエットコーラ。目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。-本書より

窪美澄 [1965−]

東京都生まれ。2009年「ミクマリ」で「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞。受賞作を含む『ふがいない僕は空を見た』で11年、山本周五郎賞受賞。12年『晴天の迷いクジラ』で山田風太郎賞を受賞。-本書より

朝井リョウ [1989−]

岐阜県生まれ。早稲田大在学中の2009年「桐島、部活やめるってよ」で小説すばる新人賞を受賞してデビュー。13年『何者』で戦後最年少で直木賞を受賞。14年、直木賞受賞後の第1作『世界地図の下書き』で坪田譲治文学賞を受賞した。-本書より

円城塔 [1972−]

北海道札幌市生まれ。東京大学大学院博士課程修了。2007年「オブ・ザ・ベースボール」で文學界新人賞、10年『烏有此譚』で野間文芸新人賞、12年「道化師の蝶」で芥川賞、『屍者の帝国』(伊藤計劃と共著)で日本SF大賞特別賞、14年、『Self-Reference ENGINE』の英訳版でフィリップ・K・ディック記念賞特別賞を受賞。-本書より

ナタリー・ゴールドバーグ (Natalie Goldberg) [1948−]

詩人、作家、創作クラス講師。40年以上にわたって禅修行に取り組み、創作クラスでは精神修行としての書くことを教えている。2020年にも米国各地で創作・瞑想合宿を予定。デビュー作である本書は米国で100万部を売り上げ、現在14ヵ国語に翻訳されている。米国ニューメキシコ在住。-本書より

三宅香帆 [1994−]

高知県出身。文筆家、書評家。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。天狼院書店(京都天狼院)元店長。大学院にて萬葉集を研究する傍ら、2016年天狼院書店のウェブサイトに掲載した記事「京大院生の書店スタッフが「正直、これ読んだら人生狂っちゃうよね」と思う本ベスト20を選んでみた。 ≪リーディング・ハイ≫」が2016年年間総合はてなブックマーク数ランキングで第2位に。選書センスと書評が大反響を呼ぶ。著書に外国文学から日本文学、漫画、人文書まで、人生を狂わされる本を50冊を選書した本書(ライツ社)、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』(サンクチュアリ出版)がある。-幻冬舎ホームページより

ページトップへ戻る