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おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

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青春・読書・人生―河合・三木・亀井の見方―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 筆者の若い頃、周囲の学生たちは、食費を削ってまで本を買い求め、ノートをとりながら熱心に読んだものだった。いまどきそういう学生を目にすることはあまりない。電車のなかで文庫本を読むひとも激減している。多くのひとから読書の習慣は消えつつある。
 かつては、読書を習慣にすることの大切さを強調するひとが少なくなかった。いまでは、一般の新聞で本が話題になるのは、特定の読書週間か、書評欄か新刊書紹介の記事ぐらいだ。とはいえ、本を愛してやまないひとはいる。今回は、読書の意義を熱心に説いた3人が書いた、いまも読みつがれる本を紹介しよう。

 河合栄治郎の『新版 学生に与う』(インタープレイ、2004年)は、1940年に出版され、学生のみならず、勤労者や大人にも読まれた。本書は、前年に出版法違反事件で検事の取り調べを受け、勤務先の大学で休職を命じられた著者が、1940年の2月、3月の36日間で集中的に執筆した一冊である。河合はその後起訴され、1943年に大審院で罰金刑が確定した。戦時中は沈黙を強いられ、病気で急死した。行間に学生への愛情と期待があふれる情熱の書である。いまでも河合の著作を読み、その思想を研究するひとは少なくなく、本書を読みやすく改変した抄訳も出版されている。2016年には、「河合栄治郎研究会」の活動に共鳴した全国4大学の4ゼミが『学生に与う』をテキストとして採用し、ゼミ生の感想文を収録、出版したという。


 河合栄治郎(1891~1944)は、東大で経済学を教えた。1922~25年にイギリスに留学、1932~35年にドイツに留学し、ナチスの台頭を目にした。理想主義的な自由主義の立場から、マルクス主義にもファシズムにも反対した。学内の国家主義的な思想をもつ教授と対立し、大学自治の問題で争った。
 本書は第1部「価値あるもの」、第2部「私たちの生き方」からなる。第1部の「1 はしがき」で河合はこう熱く語る。「学生諸君、私は祖国の精神的弛緩に直面して、何ものかに訴えずにはいられない本能を感じる、だが諸君に訴えずして何に訴えるものがあろう。諸君は青年である、若芽のような清新と純真とに富んでいる、まだ悪ずれのしない諸君には、私の孤衷に聞くパトスがあろう」(15頁)。
 河合は、第1部の「5 教養(1)」のなかで、教養を「自己が自己の人格を陶冶すること」(51頁)と定義している。それは学校に期待するものではない。学生ひとりひとりが自分の未熟さを自覚して、自分で自分を鍛えあげていく試みが、河合の言う教養である。この考え方が、第2部の「14 読むこと」の底流にある。河合によれば、自分の問題を求めて本を読むのが真の読書である。それがなにかを発見できれば、次には、解答を求めるための読書が続く(213~214頁参照)。読書は、著者のことばを自分で確かめ、自分で考えぬいて、自分が腹の底から納得できる道筋をつけていく一種の冒険なのである。それが学生時代から始まれば幸いだが、なかなかそうはいかない。「若い時に読書の趣味が身についていないと、人は一生読書する気持ちになれない。そして学生時代を経過したあとでも、本を読み続けているかいないかで、その人の一生の運命が定まるものである」(213頁)。人間にとっては、なにを選択するか、しないかがしばしば人生の分岐点となる。
 河合は、古典を読むことを強調しつつ、こう述べる。「時間と空間を超越して、人であるかぎり何人の胸奥にも触れうる普遍性をもつものが、あの古典である。(中略)しかし古典には普遍性があるだけに、自分という特殊との繫がりをつけるのにほねが折れることがある」(208頁)。古典を読もうとするひとを、古典が遠ざけることもあるので、作家の伝記や、解説書などを読んで、準備して古典を読めばよいという。「一冊も古典を熟読したことがないのは、あまりに寂しい。自分を作ってくれたといえるような古典を、人は一巻でももちたいものである」(208頁)。
 「15考えること、書くこと、語ること」では、河合が自己経験の記述を交えて「考えることと書くこと」について興味深く述べている。「書くためにはすでに何か考えていることがなければならないはずであるが、さて、紙を前において筆をとってみると、なかなか書けないものである。その時に考えていたことが、いかに朦朧としたものであったかが気づかれる。実際書く時ほどわれわれの注意を集中させることはない。これに比べると読むことは楽なものである。書くとなると、おおげさにいうと骨を削り身を殺ぐという感じがする。それなればこそ、書くことにより、自分の考えが精密に正確になってくる」(218頁)。「書き始めた時と書いたあとを比べると、自分が自分以上になったように思うことがあるのは、書いているうちに、無意識に潜在していたものが、意識の界に顕在したからなので、そのこと自体は書くことからくるのではなく、考えることからくるのであるが、単に考えていると、ともすれば焦点がそれからそれへと移動して、考えがから回りをしているものである。それが書くとなると、焦点が決定されてくるから、注意がそれに集中することになる」(同頁)。書くことがどういう経験であり、そこにおいてなにが起きてくるかが見事に表現されている。
 「語ること」に関しては、河合は軽妙な文章を残している。「書くことに上手下手があるように、語ることにもそれがある。何よりもまず、何をいわんとするのか、考えを整理することがたいせつであり、次にいわんと欲するところを、簡に失せず冗にわたらず、達意に表現することが望ましい。よく会合の挨拶や祝辞などで、何をいうのかわからないくらいに支離滅裂であったり、本人も始末にあぐんでつづまりがつきかねて困っていることなどがあるが、あれなど他人は迷惑千万で気をつけて貰いたいものである」(225~226頁)。
本書の第2部で、河合は学生に向けて、講義・試験、友情、恋愛、社会、職業、卒業などさまざまなことを語っている。80年も前に書かれたものだが、けっして古くさくはなっていない。いまの時代にはそぐわない主張も散見されるが、読めば刺激されることうけあいである。

 

 三木清の『読書と人生』(講談社文芸文庫、2013年)は、1942年に出版された。その後、ふたつの出版社で文庫化されて、いまも多くの読者を得ている。
 三木清(1897~1945)は哲学研究を続ける傍ら、ジャーナリズムの世界でも活躍した。1930年に、日本共産党への資金援助の嫌疑を受け、治安維持法によって検挙され、そのために法政大学での職を失った。一旦釈放されたが、のちに起訴され、豊多摩刑務所に勾留された。同年に執行猶予付の判決を受けて釈放された。1945年に、治安維持法違反の容疑者を匿い逃亡させた容疑で再度検挙され、同刑務所に移送され、敗戦後ほどなく獄死した。
 「如何に読書すべきか」は、貴重な読書論である。こう始まる。「先ず大切なことは読書の習慣を作るということである」(110頁)。「学生の時代に読書の習慣を作らなかった者は恐らく生涯読書の面白さを理解しないで終るであろう」(同頁)。河合と同じ見方だ。三木は、忙しくて本など読む暇はありませんと弁解するひとに向かってこう語る。「読書の時間を作るために、無駄に忙しくなっている生活を整理することができたならば、人生はそれだけで豊富になるであろう」(111頁)。「毎日、例外なしに、一定の時間に、たとい三十分にしても、読書する習慣を養うことが大切である」(同頁)。暇ができたら読書しようというのは、読書の習慣をもたないひとの口実にすぎない。三木はこう断言する。「読書にも勇気が必要である」(112頁)。いくら多忙であっても、時間を区切り、「よし、読むぞ」という気概をもって本を読むことが大切だということだ。この種の気概は、読書を望む強い気持ちがなければ生まれてこない。
 三木によれば、読書は一種の技術である。「すべての技術には一般的規則があり、これを知っていることが肝要である」(112頁)。本の読み方には、多読、濫読、精読といったある程度共通の方法がある。ただし、読書という精神的な作業の場合には、一般的な規則に従う仕方に個人差が生まれるから、それぞれが自分にふさわしい技術を発明することが望ましいというのが三木の主張である(113頁参照)。そのためにはまず濫読が必要であり、それを通じて、やがて自分がじっくり読むべき一冊の本がみつかるというが、まさにそのとおりだろう。
 「何を読むべきか」(118頁)については、三木の見解は明瞭である。善いものを読み、悪いものは読んではならないという見方である。「ひとはただ善いものを読むことによって善いものと悪いものとを見分ける眼を養うことができるのであって、その逆ではない」(118頁)。とはいえ、善い本を見分けることは容易ではない。それゆえ、他人の異見や批評を参考にしながら、「自分に役立ち、自分を高めてくれるような本」(123頁)を読むことが大切だという。そのためには、自分の資質を知らなければならない。やさしい本や、読者に媚びる本を遠ざけ、善いものにぶつかっていき、わかるまで読む習慣をもつことも重要だと三木は言う(118頁参照)。
 三木が善い本としてあげるのが古典である。「古典は決して旧くなることがなく、つねに新しく、つねに若々しいところを有している。古典を読むことによってひとは書物の良否に対する鑑識眼を養うことができるのである」(119頁)。時代の感覚に触れ、今日の問題がどこにあるかを知るためには、新刊書を読むことも必要だが、古典の価値は不滅だと三木は考えている。
 おしまいに三木は、「正しく読むということ」(124頁)を力説している。それは「何よりも自分自身で読む」(同頁)、「自分の見識に従って読むこと」(同頁)、「緩やかに読む」(125頁)ことである。これがいまの自分には必要と判断した本を、じっくりと自分で考えて読むということである。三木は、昔のひとにみられた緩やかに読むという善い習慣は、特に学生時代に努力して養われなければならないと述べている(同頁参照)。それこそが、人間の土台となるからである。「自分の身につけようとする書物は緩やかに、どこまでも緩やかに、そして初めから終りまで読まなければならぬ」(126頁)。
「緩やかに読むということ」は、「繰り返して読むということ」(同頁)である。本をよく理解するために必要なステップと見なされている。一度読むだけでわかる程度のやさしい本は読み飛ばしてもさしつかえないが、古典は注意深く、丁寧に繰り返して読むことを要求する。細部を吟味しながら読むことで、自分にとっての重要な意味が発見されることもある(128頁参照)。この「発見的に読むということ」の重要性が力説されている。「発見的に読むには自分自身に何か問題をもって書物に対しなければならぬ。そして読書に際しても自分で絶えず考えながら読むようにしなければならぬ。読書はその場合著者との間の対話になる。この対話のうちに読書の真の楽しみが見出されねばならぬ」(128~129頁)。
 本書は、「読書は、思索であり、著者との対話であり、真の楽しみである」という三木の読書讃歌であり、三木の読書への情熱が伝わってくる。

 

 亀井勝一郎の『青春論』(角川ソフィア文庫、2014年)は、1957年に出版された『現代青春論』の改訂版である。何度も版を重ねて、いまも書店の本棚に並んでいる。古びて、すぐに忘れ去られる青春論が多いなかで異色の本である。
 亀井勝一郎(1907~1966)は、大学在学中に左翼活動に入り、治安維持法違反容疑で検挙投獄された。転向を誓って釈放され、その後、国家主義者へと傾いた。戦後に論壇に登場するが、たびたび過去の「変節」を批判された。亀井の『日本人の精神史研究』は、急逝のため未完に終わっている。
 亀井は、文庫版への「後記」のなかで、戦後10年間、機会があれば青年の直面しそうな問題をとりあげてきたと述べ、こう続けている。「それは青年に教えるというよりは、私自身の過去の青春をたしかめるとともに、その時期から担ってきた問題を改めて思い起し、自分のうちの青春の連続をもたしかめてみたかったからである。時代は大きく変り、世代によってものの考え方も感じ方もちがってくるのは当然だが、他方では、いつの時代にも永続する問題もあるにちがいない。それについて語ってみたかった」(152~153頁)。これは、50歳直前の中年男、亀井の告白である。思春期の恋愛や失恋、人間関係のもつれや葛藤を振り返る年齢に達したひとが語る青春論には、上滑りな体験談や自己顕示、若者への説教などが混じるものも少なくないが、それらの多くは時代の変化とともに色あせて消えていく。しかし、亀井は、自分の考え方が時代的な制約を受けていることを自覚しながらも、他方で、どの時代にも共通する青春の固有性とはなにかを突きとめようとしている。亀井にとって、青春は回想される過去にとどまらず、息づく現在でもある。亀井は、いまもなお持続している自分の青春の内実をたしかめるために書き、同時に青春というものの核心に迫ろうとした。亀井の青春論は、「青春とはなにか」という、どの時代の青春にも共通する本質を問う論考となったのである。それゆえに、時代が移ろっても読みつがれることになった。
 本書では、友情、恋愛と失恋といった思春期を彩る問題への言及が目を引くが、もっとも印象に残るものとして、青年に期待するメッセージをあげてみよう。「若さに期待するもの」のなかで、亀井はこう述べている。「青年時代に一番大切なことは、いつまでたっても解決できないような、途方にくれるような難題を、自己の前に設定することではなかろうか。(中略)どんな難題でもいい。それを一つだけ担うことだ。重荷のように背負うことだ」(145~146頁)。難題のひとつが読書である。亀井は、入学生や卒業生に「読書三年計画」(これぞと思ったひとの全集を三年がかりで読み通す計画)をすすめてきたという。それによって、「知的に持続するエネルギー」(146頁)が養成されると考えるからだ。「働く人には困難だが、一冊の本でもいい、なるべくどえらいヤツを選んで、毎日一ページずつ、考えながら読むこと。平凡なことかも知れないが、こうした習慣を青年時代に身につけておくことは絶対に必要だと思う。青春は夢なのではない。現実的な、一刻も争えない人間土台構築の時期なのだ」(同頁)。「青春とははじめて秘密を持つ日」のなかでも、「地道に一つの本を精読し、一年も二年も時間をかけて、心ゆくまで厳しく探求する習慣をもつこと」(11頁)が大切だと強調されている。亀井が若者に期待するのは、自分に困難な課題を課して、自分を持続的に鍛える姿勢である。ニーチェも同じことを述べた。簡単にできることを後回しにして、面倒くさいことにチャレンジしなければ、つかの間の青春に悔いを残すことになるという忠告である。
 亀井は、本書で、おそらくだれもが思春期に経験するできごとのエッセンスを清冽な文体で書きとめている。苦しみや悩みの多いこの時期に読めば、きっと生きるヒントが得られるだろう。

 

人物紹介

河合栄治郎 [1891−1944]

大正-昭和時代前期の社会思想家,経済学者。
明治24年2月13日生まれ。大正15年母校東京帝大の教授となり,社会政策を担当。T.H.グリーンの理想主義哲学の影響をうけ,マルクス主義批判,ファシズム批判を展開した。昭和11年二・二六事件で軍部を批判。14年平賀粛学で休職。昭和19年2月15日死去。54歳。東京出身。著作に「トーマス・ヒル・グリーンの思想体系」「社会政策原理」など。-ジャパンナレッジ「日本人名大辞典」より

三木清 [1897−1945]

大正-昭和時代前期の哲学者。
明治30年1月5日生まれ。西田幾多郎(きたろう),ハイデッガーらに師事。昭和2年法大教授となり,唯物史観の立場から哲学を論じて論壇にむかえられた。5年治安維持法違反で検挙,20年再検挙される。昭和20年9月26日獄死。49歳。兵庫県出身。京都帝大卒。著作に「パスカルに於(お)ける人間の研究」「唯物史観と現代の意識」「人生論ノート」など。-ジャパンナレッジ「日本人名大辞典」より

亀井勝一郎 [1907−1966]

昭和時代の評論家。
明治40年2月6日生まれ。新人会に参加したが,昭和3年三・一五事件直後に検挙され,獄中転向。10年保田(やすだ)与重郎らと「日本浪曼派」を創刊,ついで「文学界」同人となる。古典や仏教美術に関心をふかめ,「大和古寺風物誌」などをかく。戦後は「日本人の精神史研究」をライフワークとした。41年芸術院会員。昭和41年11月14日死去。59歳。北海道出身。東京帝大中退。-ジャパンナレッジ「日本人名大辞典」より

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