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いまを生きる幸福―幸せのレッスン―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 生きているとラッキーなことが起こるし、アンラッキーなことにも遭遇する。しかし、幸せは、運・不運とは違って偶然に生じるものではない。ひとはどうすれば幸せに生きられるのだろうか。幸せとは、いったいどういう状態を意味するのだろうか。今回は、旅の終わりで幸せの意味をつかんだ女性の物語を紹介しよう。
 エレーヌ・グリモーの『幸せのレッスン』(横道朝子訳、春秋社、2018年)は、生の意味(方向)を見失って落ちこんでいたピアニストが、旅行中に出会ったひと達との対話や風景との交流を通じて、愛と自由、幸せに生きること、人間や自然との共存などについての考えを深めていく経験をつづった本である。
 エレーヌ・グリモーは世界的に著名なピアニストである。彼女は、3ヶ月先まで演奏スケジュールがびっしり詰まっているという状況で、世界中をあちこち忙しく飛び回っていたが、そんな生活に次第に消耗してしまう。彼女はそのときまでの生活を支えていた信念をこう述べる。「音楽と結ばれて、私はもうじゅうぶん幸せじゃないの? それに、音楽について何か問題に直面したときは、こんなふうに考えることに決めたはずだ―答えは過去を悔やむことにではなく、新しい未来を作り出すことにしかない。これこそが万能薬であり、あらゆる葛藤を解決してくれるんだ―と」(4~5頁)。先々の演奏の充実をめざして練習に取りくむ彼女は、未来志向型のタイプであった。他方で、録音にさいしては、理想の音と現実の音との間のギャップをどう埋めるかという問題にいつも苦しんでいた。「私は日々のルーティンの中でくたくたになっていたのだ」(9頁)。彼女は、演奏のスケジュールにせきたてられるようにして暮らすなかで、すっかりエネルギーを奪われ、枯渇してしまったのだ。疲弊した彼女のこころに、得体の知れない悲しみの感情がつきまとうようになった。


 「仕事を忘れて好きなことを思いっきりやろう。(中略)時間の流れを緩め、日々のルーティンから自分を解放しよう」(10頁)。「自分自身を見つめ直そう。自分と向きあおう。広い世界の空間が、愛が、そして孤独が今の私には必要なのだ」(同頁)。彼女は、3週間のヴァカンスを利用して一人旅に出る。
 イタリアのアッシジが最初の目的地に決まった。途中の店のレジで偶然に知り合ったひとりの年配の男性(文学を教えていた退職教員、以下「先生」と表記する)が同乗者になる。二人の会話がはずむ。最初のクライマックスだ。「どんな先生に習ったのか」という目の前の先生の問いかけに、彼女はこう答える。「『何よりも大切なのは、疑うことだ。そして疑いを乗り越える秘訣を持つことだ。』先生はこう教えてくださったんです」(31頁)。「疑う? 何を疑うのですか?」、「自分自身を、です。曲をもっと深く理解できるのではないか、もっとうまく演奏できるのではないか、もっと独創性にあふれた演奏ができるのではないか、こんなふうに自分自身を疑い続けるんです」(同頁)。先生は、疑いを乗り越える秘訣とはなにかを問う。「確信です。私を駆り立てるこういった強い思いこそ、人間が持つ理性の中で最も美しいものなんだと確信することです」(32頁)。同感した先生は、類似した思いを学生たちに伝えてきた過去を振り返り、学生が自分のなかの最良の部分を見出せるようになるための条件をこう語る。「それは今の自分をけっして卑下することなく、謙虚でありつづけること。それと同時に、今の自分にないものをけっしてあきらめずに求め続けるのだ、という強い決意を持つことです」(32頁)。
 今度は、彼女が、優れた学生とはどんな学生なのかと問いかける。「『今』という瞬間に生まれるものを、ぱっとつかむことができるのです。『今』という瞬間の神秘を自分のものにできる。優れた学生とは『今』という瞬間を扱う名人なのですよ」(33頁)。その意味が彼女にはよく理解できない。
 先生は教師の夢とは、学生から「『先生、結局、生きるとはどういうことなんですか』」(34頁)という質問を受けることだと述べる。先生は、生きることを教え、伝えることが教師のつとめだとも語る。生きることは、「それぞれの苦しい体験の中で自発的に学んでいくものではありませんか?」(同頁)と反論する彼女に対して、先生が力説する。「とんでもない! 生きることを学ぶということは、何よりもまず、人生を愛することを学ぶことです。愛するとはどういうことかをね。窓を開けてみてください。そこには空や海がある。そこから愛は流れるように入ってきます。そして十分に愛に浸かったら、そのあとは死ぬことではなくて、死なないことを学ばなくてはなりません。それは自分の命を完成された作品の中に注いでいくこと、ひとつのヴィジョンを持って表現することです」(35頁)。「どんなヴィジョンですか?」(同頁)という問いに、先生はボードレールのことばを口にする。「『詩によって、詩を通して、そして音楽によって、音楽を通して、魂は墓の背後に広がる燐然たる輝きにふと気づくことができる』」(同頁)。「私たちがこの世で過ごす時間は短い。たとえ、人生に意味を見つけられなくても、この奇跡的で神秘的な一瞬から自分たちの楽園を作ることができるんだと強く信じなければならないのです」(36頁)。
 先生はまた、生きることを信じることは、それがもつ力を信ずることであり、「生きる力とは、自分以外の存在へ向けての命の躍動です。自分以外の存在を愛すること、賞讃することです」(37頁)と述べる。「生きる力、つまり『支配力』ではなく、人間の持つ『可能性』が申し分なく発揮されるのはいつかというと、鳥が大空を飛んでいるとき、魚が海で泳いでいるときのように、自由であるときなのです」(同頁)。自分を愛するのではなく、自分以外のものに愛を振りむけることが自由のあかしだというのである。
 先生によれば、学校は「自由になることを学ぶ場所」(40頁)である。学校は、学生が自由になることを学ぶ時間のなかで、なにが真実であるのかを見極め、心を磨く、本を読む、恋をする、世界を見出すといったもっとも人間らしい活動に打ちこむ場所なのである(40~41頁参照)。
 別れぎわに、先生は彼女に問いかける。「いったいあなたは何を期待していらっしゃるのかな?」(45頁)。彼女は肩をすくめて答える。「音楽をよりよく演奏すること、作品をよりよく解釈することです」(同頁)。「ひとつ提案があります。音楽をよりよく演奏したいのなら、音楽を生きてみてはいかがかな?」(同頁)、こう言い終えて、彼は車から離れた。
 「音楽を生きる」という謎めいたことばは彼女から消えない。彼女は訪れた修道院で、庭の手入れの手伝いをしているベアトリスという女性と出会う。彼女は「『音楽を生きることはできるのか?』」(65頁)という問いをぶつける。ベアトリスは、こう答える。「はっきりとは分からないけど、こんなふうに言えるんじゃないかな。自然そのものが音楽を生きている。大地は歌を持っている。時間だって歌を持ってるって」(66頁)。
 ベアトリスはさらに話し続ける。「最近、世界と仲直りするために自分の第六感を鍛えようと思ってるの。あるがままに世界を見ること、世界の音を聞くこと、世界の香りを嗅ぐことができるようになる方法を身につけたい。世界と世界の記憶とを体験し、世界とそこに存在するさまざまなものの秘密の呼応関係を知りたい」(68頁)。「第六感を鍛えたりしてるうちに、私はこんなふうに思うようになった―私たち人間が、自分の人生や、自分自身や、自分の運命を信じようとしないから、世界も人間に対して心を開いてくれないんじゃないかって」(69頁)。
 もう一度、「『音楽を生きることができるのか』」(71頁)という問いに戻ってくる。ベアトリスはこう続ける。「その疑問をこんなふうに言い換えてみたらどう? 大自然の中でこれまで耳にした音楽のうち、自分自身を心から感動させた音楽はいったい何か? 自分の全存在がかき回され、その衝撃がしばらく心を離れなかったのは、どんな音楽を聴いたときなのか?」(71頁)。この問いによって音楽的な感動の原体験へとへと連れもどされた彼女は、「音楽を生きる」ことのヒントを得る。
 その後、彼女は先生からハンブルクに住む知人のハンス・エンゲルブレヒトにオルゴールを届けてほしいと依頼され、一通の手紙が添えられていた。その一部を要約する。太陽や花ざかりの木、風景などはそこにあって、充足しており、われわれを幸せな気分にしてくれる。それらは見返りを求めない。しかし、人間はいつも完璧を求めたり、よりよい状態をめざしたりして、いま現にここにいることから遠ざかってしまう存在である(77頁参照)。「自由とは、魂が身体とともに生き、身体が魂とともに生きることである。つまり、自由であるためには、魂が『今、ここで』燃えている命を生き、身体が『今、ここ』で燃えている魂を生きることが必要なのです」(78~79頁)。「『音楽を生きる』とは、何よりもまず、あなたの命が音楽によってこそ引き継がれるものであってほしい、という私の願いでもあります」(79頁)。先生は、先へ先へと急ぐのではなく、いまを存分に生きることの大切さを強調している。ヴェネチアに旅立つ直前のエレーヌとの会話で、ベアトリスはこう語る。「今この瞬間を生きている人がいる。彼らは今を作り、今を豊かにし、今に重みを与え、今を輝かせている」(83頁)。
 ハンブルクに着いて、彼女はハンスの住まいを訪ねる。先生は、かつてハンスの家庭教師をしていた。ハンスは、4歳から母の指導でヴァイオリンを習い、演奏家になった。母はハンスに、「作曲家が目指した理想を再現する」(208頁)という完璧な演奏を求めた。それに異論を唱える先生は、「『今、ここ』(210頁)で、音楽そのものも最も深い存在を目覚めさせるために演奏するのだと主張した(同頁参照)。その後、ハンスは事故で視力を失い、音楽や芸術のために生きるのはやめ、音楽や芸術とともに生きていこうと決心する(213頁参照)。未来よりも、いまを優先して生きることを決意したのである。その決心によって、完璧な演奏を求めて常にアクセルを踏み続ける多忙な日々から、自分のためにだけ演奏するゆったりした時間が生まれた。
 エレーヌはハンスに自分の悲しみについて語る。「悲しみはまだずっとそこにいる。一日も早く追い出したいんだけど、その悲しみがどこから入り込んできたのか、私にはわからないんです。いったい、どんなひび割れから私の中に入り続けているのかしら?」(212頁)。ハンスは、いまは実現されていない演奏の完璧さを追いかけ続けた過去を振り返りつつ、こう返答する。「悲しみというものは、何かのあとを追いかけることから生まれます。僕たちは真実や、音楽や、天国のあとを追いかける。自分自身の外側にそれを探し求めます。だけど、それはそこにはありません。それを見つけるためには、僕たちの存在の内部に深く潜ること、自分にははっきりと見える心の中に潜ることが必要なんです。(中略)悲しみを感じるのはいつかといえば、それはルーティンや怠惰のせいで、自分の魂の中に深く潜ることをやめている時ではありませんか? 自分の心の中を掘り返すこと、一番根っこの部分まで掘り返すことを絶えず続けていけば、僕たちはますます質素に、ますますシンプルに生きることができるようになる。自分を飾り立てるごてごてした装飾をあっさり手放して、一番大切なことをつかむことができるようになるんです」(214~215頁)。自分の魂の世界の奥深さに無頓着だと、ついつい外部にあるものを際限なく追い求める方向に傾く。それをきっぱり断ち切るのが最良の選択だというメッセージだ。「今、ここ」で、自分の中へ潜っていくことに集中すれば、おのずと悲しみの感情は薄れていくと、ハンスは告げた。
 この会話が、エレーヌの幸福論へとつながっていく。この本の最終のクライマックスだ。彼女は自分の存在についてこう考える。「私であるということは、私の魂にふさわしい生き方をすることだ。神さまが私たちひとりひとりに与えてくれた、それぞれの運命に応えること。この世に存在するという奇跡を、それぞれの人間がそれぞれの生き方で受け止めること」(224頁)。彼女は、「『あなたの命が音楽によってこそ引き継がれるものであってほしい』」(224頁)という男性のことばは、「『何も与えられなければ、何も生まれない』」という意味だと理解する。彼女は、生きることは、「何かを伝えること、命を渡す人になること。信じること、愛すること、考えること、存在すること。そして、手を差し伸べることだ」(224頁)と気づく。こうした態度が欠けていたことが悲しみの原因であったことにも思いを凝らす。
 彼女は生きることの条件を満たすだけでなく、幸福の条件も模索する。「幸せに生きることは、自分自身の力で学ばなければならない。そして、それができたなら、復習しなければならない。それは、誰もなまけることができない気が遠くなるような練習曲だ。(中略)幸せに生きることは、人生の義務そのものだ」(225頁)。彼女は、自分で学んだ幸せをこう定義する。「幸せだけが、消えていこうとする命の灯に最高の輝きを与えることができるのだ。幸せとは神秘だ。けっして消えることがない神秘。喜びという名の輝きに包まれた恍惚。崇高な音楽のように、けっして言葉ではつかむことができないもの」(226頁)。
 3週間の旅が終わる頃、エレーヌを当惑させていた悲しみの正体が明らかになる。「私の悲しみ? 昨日まで私を包んでいたぞっとするような悲しみは? それは、幸せに生きるという義務、分かちあうという義務をすっかり忘れ、世界との調和を失ってしまっていたことが原因だったのだ」(227頁)。彼女は、悲しみの由来をさぐるなかで、未来のよりよい演奏のことを第一義に考える姿勢が、音楽を生きる現在の喜びをそぎ落としていたことに気づく。音楽はまた、「私」の演奏の問題であると同時に、聴き手になにを伝えられるかという問題でもある。音楽は「私」と「他者」との間に息づくものなのだ。幸せに生きることも、単に私事ではすまされず、それは他人との間でどう生きるかという問題にむすびつく。エレーヌは、自分の音楽に対する態度を見つめなおすことによって、共に音楽を生きる世界へと踏み出したのである。
 『幸せのレッスン』は、エレーヌが旅で出会ったひとびととの対話を通じて自分を発見するまでの過程を生き生きと描く傑作である。旅によってもたらされる、日常とは異なる豊かな時間の物語でもある。

 

 

人物紹介

エレーヌ・グリモー (Hélène-Rose-Paule Grimaud) [1969−]

1969年、エクサンプロヴァンスに生まれる。マルセイユ音楽院でピエール・バルビゼに師事した後、13歳でパリ国立高等音楽院(CNSMDP)に進学、ソリストとしての研鑚を積み、1987年に東京で最初のリサイタルを行った。その後、ダニエル・バレンボエム、クラウディオ・アバド、ウラディミール・アシュケナージ、ピエール・ブーレーズ、リッカルド・シャイー、デイヴィッド・ジンマンなど名だたる指揮者と共演、好評を博している。また、15歳でのCDデビューから現在に至るまで、さまざまな楽曲の録音を世に送り出し、2016年1月には「水」をテーマにした楽曲を収めた『ウォーター (Water)』、2017年4月にベスト盤『パースペクティヴ(Percepectives)』を、2018年9月には「記憶」をテーマにした『メモリー(Memory)』をリリース。
執筆活動も行う彼女は、2003年に処女作Variations sauvages (Éditions Robert Laffont)(『野生のしらべ』北代美和子訳、ランダムハウス講談社、2004年)、2005年にLeçons particulières (Éditions Robert Laffont)、2013年にRetour à Salem (Éditions Albin Michel)を出版し、世界中の多くの読者を魅了している。
野生動物の保護育成にも積極的に取り組み、1999年にアメリカにオオカミの保護育成施設「ニューヨーク・ウルフ・センター」を設立。2006年までアメリカに居住していたが、現在はスイスを拠点に、旺盛な演奏活動を続けている。-本書より

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