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コロナから見る世界―共存と侵略をめぐる問い―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)
 

パオロ・ジョルダーノの『 コロナの時代の僕ら 』(飯田亮介訳、早川書房、2020年)は、2020年の春、急速にコロナ感染がひろがるローマで短期間に書き綴られた全部で27のエッセイをまとめたものである。日本語版には、イタリアの日刊紙に掲載された記事「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」が「著者あとがき」として追加されている。文体はやわらかだが、その内容は、われわれにウイルスと人間、世界について何度でも考えることを促してくる。

パオロ・ジョルダーノは1982年にイタリアのトリノに生まれた。大学院では素粒子物理学を専攻した。2008年に『 素数たちの孤独 』で作家としてデビューした。この作品は200万部以上売れ、ストレーガ賞、カンピエッロ文学賞新人賞などを受賞した。


 

 本書の原題はNel contagio(感染して)だが、邦訳は「コロナの時代の僕ら」である。このタイトルは本書の内容をよく反映している。「われわれの時代のコロナ」ではない。時代の主役はコロナであり、われわれはいまや地球上でわがもの顔にふるまう身分を奪われ、コロナに隷属するか、コロナと共存する存在でしかないのだ。ギリシアの悲劇作家のソフォクレスは、『 アンティゴネー 』のなかで、慮りを忘れ、傲りたかぶる人間は、やがてひどい打撃をこうむることになると述べた。ジョルダーノは、世界中でウイルスが猛威を振るう今日の状況のなかで、地球上の主役として各地で横暴で強欲な活動をしてきた人間に、「まだ十分に考えられていないことを考えること」と「生き方の転換」が求められていると言う。

 

 「引っ越し」は、ジョルダーノの文明批判である。彼はこう述べる。「環境に対する人間の攻撃的な態度のせいで、今度のような新しい病原体と接触する可能性は高まる一方となっている。病原体にしてみれば、ほんの少し前まで本来の生息地でのんびりやっていただけなのだが」(64頁)。人間は、快適な生活のために土の道をコンクリート舗装し、そこに暮らしていた微生物や虫たちを殲滅した。砕石のために山々を切り崩し、動物を別の場所へと追いやった。地方の山間部は、しばしば大量の不法投棄によって荒廃したまま放置されている。アマゾン川流域では、金鉱を採掘する人間が熱帯雨林を破壊し続けている。樹木はつぎつぎと伐採され、生き物たちは逃げるしかない。生き物の腸に生息する細菌も移動を余儀なくされている。人間の自然への蹂躙は収まりそうにない。

 

 「あまりにたやすい予言」の冒頭で、著者はこうしるす。「ウイルスは、細菌に菌類、原生動物と並び、環境破壊が生んだ多くの難民の一部だ。自己中心的な世界観を少しでも脇に置くことができれば、新しい微生物が人間を探すのではなく、僕らの方が彼らを巣から引っ張り出しているのがわかるはずだ」(67頁)。自分たちがなにをしているかを謙虚に顧みない人間が、平穏に生きていた微生物や動植物に無慈悲なまでの攻撃を繰り返し、無抵抗な生きものたちは翻弄され、困惑している。著者はこう予言する。「COVID‐19とともに起きているようなことは、今後もますます頻繁に発生するだろう。なぜなら新型ウイルスの流行はひとつの症状にすぎず、本当の感染は地球全体の生態系のレベルで起きているからだ」(69頁)。人間至上主義者たちの蛮行は緑の自然環境を荒涼としたものに変え、地球の温暖化を引き起こしている。豪雨や大洪水、旱魃、異常気象などは、それに抵抗してバランスを回復しようとする地球の苦しみの姿にも思える。

 

 しかし、他方で、地球の温暖化の恩恵を受ける病気にとっては、好都合な環境が生まれている。エボラ、マラリア、デング熱、コレラ、ライム病、ウエストナイル熱などの病気だ(72頁参照)。今後も感染症はさまざまな地域で繰り返し流行するだろう。ジョルダーノは、自主隔離を強いる感染の流行が、僕らに考えてみることを勧めている。「何を考えろって? 僕たちが属しているのが人類という共同体だけではないことについて、そして自分たちが、ひとつの壊れやすくも見事な生態系における、もっとも侵略的な種であることについて、だ」(73頁)。

 

 「日々を数える」のなかで、著者は『 旧約聖書 』の詩篇の祈りをひとつ引用している。「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください」(98頁)。感染が続いている状況下で、だれもが感染者数や死者数、退院者数、マスクの販売枚数、株価指数、会社の倒産数、失業者数などの数字を気にかけて不安な日々を過ごしている。それが避けられない日常だ。しかし、著者は、こう推測する。「詩篇はみんなにそれとは別の数を数えるように勧めているのではないだろうか。われらにおのが日を数えることを教えて、日々を価値あるものにさせてください―あれはそういう祈りなのではないだろうか。苦痛な休憩時間としか思えないこんな日々も含めて、僕らは人生のすべての日々を価値あるものにする数え方を学ぶべきなのではないだろうか」(99頁)。主の計らいによる一日一日をありがたい奇蹟として受けとめて生きていくなかで、知恵の心が養われていく、それが祈りの伝えるメッセージである。「おのが日を数える」とは、情報として刻々と伝えられる数字を知識として知ることではなく、与えられた一日を価値あるものにするために、いま問うべき問いがなんであるかを考え、その問いを深めていくことである。彼はこう提案している。「この時間を有効活用して、いつもは日常に邪魔されてなかなか考えられない、次のような問いかけを自分にしてみてはどうだろうか。僕らはどうしてこんな状況におちいってしまったのか、このあとどんな風にやり直したい?/ 日々を数え、知恵の心を得よう。この大きな苦しみが無意味に過ぎ去ることを許してはいけない」(99~100頁)。表層の知識は時間が経てば忘れ去られるが、「問いをたて、それを執拗に考える試み」によって少しずつ身につく知恵は失われない。

 

 著者あとがきの「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」は、著者の真摯な内省の記録だ。彼は現状をこう診断している。「僕たちは今、地球規模の病気にかかっている最中であり、パンデミックが僕らの文明をレントゲンにかけているところだ。数々の真実が浮かび上がりつつあるが、そのいずれも流行の終焉とともに消えてなくなることだろう。もしも、僕らが今すぐそれを記憶に留めぬ限りは」(108頁)。現状をよりよく記憶するためには、現に起きている出来事を丹念に追跡するだけでは不十分である。それを見据えつつ、「今までとは違った思考をしてみるための空間を確保しなくてはいけない」(109頁)と彼は強調する。ひとつの問いが提示されている。「すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか」(109頁)。仮にすべてが終わらないとしても、コロナ後にどのような世界を期待するのかは、ひとりひとりに問われている。

 著者は、「僕が忘れたくないこと」として、9の項目をあげている。4項目だけとりあげてみよう。最初は、購入していた飛行機のチケットを、搭乗できないと分かっても、とにかく出発したいという思いで諦められなかった自己中心的で愚鈍な自分の姿である(111頁参照)。2番目は、「頼りなくて、支離滅裂で、センセーショナルで、感情的で、いい加減な情報が、今回の流行の初期にやたらと伝播されていたこと」(111頁)である。3番目は、緊急情報がイタリア語を理解し、コンピューターを持ち、それを使いこなせるとみなされた市民向けに流され、移民たちのことは一切考慮されなかったということである(112頁)。4番目は、「今回のパンデミックのそもそもの原因が秘密の軍事実験などではなく、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそあること」(113頁)だ。彼は、この4項目を通じて、彼自身の自己中心的な愚鈍性、多くのイタリア人の思慮の浅さやイタリア人中心主義、傲慢で横暴な人間たちの自己中心主義を記憶にとどめたいとしている。

 

 われわれが地上で生息できるのは、大地がわれわれを支えているからであり、光や大気や水に恵まれているからである。植物が酸素を供給してくれなければ、われわれは死ぬしかない。われわれは地球という惑星の支配者などではなく、地球こそがわれわれの主であり、われわれは仮住まいを許されたもろくも、はかない存在にすぎない。こうした見方は、これまではごくまれにしか尊重されてこなかったかもしれない。しかし、一部の人間の自然や生き物に対する「侵略的なふるまい」が、地球上でのあっという間のウイルス感染に結びついているとすれば、われわれは自然に支えられて生きるものとして、自然に対する畏敬の念を忘れず、謙虚に生きることを学びなおさなければならない。大規模な森林開発や樹木の乱伐によってウイルスを難民化することを慎重に避けて、ウイルスとの共存を図ることが大切なのだ。

 

 ジョルダーノは率直にこう述べている。「僕には、どうしたらこの非人道的な資本主義をもう少し人間に優しいシステムにできるのかも、経済システムがどうすれば変化するのかも、人間が環境とのつきあい方をどう変えるべきなのかもわからない。実のところ、自分の行動を変える自信すらない。でもこれだけは断言できる。まずは進んで考えて見なければ、そうした物事はひとつとして実現できない」(115頁)。いずれも尻込みしてしまうような大問題である。しかし、だからといって放置してすませることはできない。たとえほんのわずかであっても、自分のできる範囲で、自主的に考えることを続けていくことが必要である。「『まさかの事態』」(116頁)は、今後も起こりうる。今起こっていることを知り、これから起こることを想像することも求められている。

 

 

 ドメニコ・スキラーチェの「 『これから』の時代(とき)を生きる君たちへ イタリア・ミラノの校長先生からのメッセージ 」(世界文化社、2020年) は、「生徒たちへの手紙」(2020年2月25日)と「追伸―日本の生徒たちへ―」(3月27日)の2部構成である。前半の手紙は、新型コロナウイルスの感染拡大により休校指示が出されたときに、高校の校長先生のスキラーチェがホームページに掲載したものである。

 

 スキラーチェは1956年南イタリアのクロトーネに生まれた。大学で哲学を学んだあと、ミラノの高校で26年間、文学と歴史を教えた。その後いくつかの高校で校長を務めている。

 

 スキラーチェは、この手紙を、1603年にミラノで流行したペスト騒動を描いたアレッサンドロ・マンゾーニの小説『 いいなづけ 』31章の冒頭部分の引用から始めている。中世のヨーロッパで大流行したペストでは、1億人以上が犠牲になった。この小説を読むと、ウイルス流行時には、外国人やよそ者の危険視、最初の感染者探し、制御のきかない噂話やデマ情報の拡散といった出来事が、今も昔も繰り返されていることが分かるという。 スキラーチェは、『旧約聖書』の「伝道の書」第1章9節から、「日の下に、新しいものはない」ということばを引用している。この世界にはまったく新しいものはなく、常になんらかの先例があるという意味だ。ヨーロッパでのペストの大流行や、スペイン風邪の世界的大流行がそうである。

 彼は、自分の高校の生徒に、自宅での気持ちのもち方や過ごし方について6つのことを伝えている。1冷静さを保ち、群集心理にまどわされない、2必要な予防策をとり、いつもどおりの生活を続ける、3休講中の時間を生かして、散歩を楽しみ、良書を読む、4元気なら、ずっと家に閉じこもっていない、5スーパーや薬局に駆けこまない、6マスクは、体調が悪く、必要とするひとたちに残す。いずれも、高校生の体調や健康、心理、行動に配慮したアドヴァイスである。

 校長は、ウイルス流行による危機的な事態になると、マンゾーニや作家の ボッカッチョ が描いたように、われわれの社会生活や人間関係が毒されて、人間らしい行動ができなくなると述べる(14頁参照)。目には見えない敵がいたるところにいて、いつ襲われるかわからないと恐怖心にとらわれてしまうと、われわれは本能的に同じ人間を怖れたり、攻撃の対象とみなしたりするのだ(16頁参照)。それを避けるためには、われわれの貴重な財産である理性的な思考をもってほしい。それができなければ、ウイルスの勝利に終わると締めくくられている(同頁参照)。

 

 後半の手紙は日本からの依頼によって書かれたものである。この手紙が書かれた3月下旬、イタリアの状況はさらに悪化している。死者は9000人を超え、外出は禁止され、多くの企業は活動を停止している。高校ではリモート学習に切り替えられた。このシステムのお蔭で、先生と生徒との間のコミュニケーションが可能になり、生徒たちが生きている実感をもてるようになったと、校長は感じている。

 しかし、家に閉じこもって過ごすのは苦しい。生身の人間関係を通じて成長する機会を奪われるのも辛いと感じる生徒は多い。校長は、アメリカの作家ピーター・キャメロンの小説『 Someday This Pain Will Be Useful To You 』を例に出して、現在の痛みが、いつかは皆さんの財産になるだろうと、希望のメッセージを伝えている。

 校長はまた、隔離された時間を生かして、自分自身について、人生について考えるように望んでいる。「今回の非常事態は、21世紀に生きる私たちが抱いていた確信のいくつかを揺るがしました。自分たちを“無敵の勝者”だと思っていたのに、実は脆いことに気づかせてくれました。現代社会のすさまじいリズムに巻き込まれ、流されて生活していたのに、立ち止まらざるを得ない状況になりました」(39頁)。日本でも昨年までは、4月下旬から5月にかけての「ゴールデンウイーク」には、内外への大移動が起こっていた。ひとの移動が消えた現在は、校長が言うように、われわれの生活スタイルを見直し、命や愛、友情、自然など、本当に大切なものはなにかを静かに考える機会になるのかもしれない(39頁参照)。

 校長は、この手紙のおしまいにこうしるしている。「この危機を乗り越えたとき、皆さんはきっと変わっていることでしょう。よい方向に変わることができるかもしれません。もっと自覚を持った、もっと素晴らしい人間になることができるかもしれません。本を読み、考えることで、この孤独な長い日々を無駄に失われた時間にせず、有益で素晴らしい時間にしましょう」(41頁)。

 今回とりあげた2冊の本は、コロナ禍にみまわれて急遽出版されたものだが、現在の危機を乗り越えるヒントを与えてくれる古今の良書はほかにも無数ある。その種の本に魅了されて読みこんでいく間に、深く考える力が養われてくる。読書は、われわれが自分で自分を叱咤し、鍛えていく時間を生きることでもある。誰もが自室でできることだ。閉じこもりの時間から解き放たれて部屋を出るときには、いまよりも思慮深くかつ魅力的な存在になっていたいものだと思う。

 

 


人物紹介

パオロ・ジョルダーノ(Paolo Giordano)[1982−]

小説家。1982年、トリノ生まれ。トリノ大学大学院博士課程修了。専攻は素粒子物理学。2008年、デビュー長篇となる『素数たちの孤独』は、人口6000万人のイタリアでは異例の200万部超のセールスを記録。同国最高峰のストレーガ賞、カンピエッロ文学賞新人賞など、数々の文学賞を受賞した。


Hayakawa Books & Magazines(β) より引用

ドメニコ・スキラーチェ(Domenico Squillace)[1956−]

 

イタリア・ミラノの「アレッサンドロ・ヴォルタ」高校校長。25歳のとき、大学の哲学科を卒業、ミラノの高校で26年間、文学と歴史の教師を務める。その後、ロンバルディア州とピエモンテ州で6年間校長を務め、2013年9月から現職。  

 

世界文化社ホームページより引用

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