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おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

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引き出す力―対話の時間―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 清原和博・鈴木泰堂の『魂問答』(光文社、2019年)は、禁断症状による切実な悩みや苦しみを吐露する清原と、それに静かに応答する鈴木との真摯な対話の記録である。
 清原は、2016年2月に覚醒剤取締法違反容疑で逮捕、起訴され、5月の裁判で懲役2年6ヶ月、執行猶予4年の有罪判決を受けた。重度の薬物依存症だった清原は、薬を断たれた反動で重いうつ病に苦しんでいた。「『死にたい、死んでしまいたい』」(6頁)と、幾度となく口にする日々だったという。2018年の春、清原は救いを求めて、かつて知人に紹介されていた住職の鈴木泰堂に思い切って電話をした。そこから本書の問答が始まった。「この本は、泰堂さんから教わる仏の道を光の道標としながら、僕、清原和博が暗闇のなか、再び歩み始めたプロセスを記録したものです。/ まだまだ、道半ばではありますが、その道程を包み隠さずお伝えすることで、僕と同じように悩み、苦しんでいる人たちの一助になればと思っています」(7頁)。
 鈴木は法華山示現寺の住職。法務をこなす傍ら、年間400人以上のひとの悩みを聴き、スポーツ選手のメンタルサポートなども行っている。鈴木は、「薬物乱用防止教育認定講師」の資格を取得し、薬物依存症のひと達の相談にも乗っている。鈴木は、「読者の皆様へ」のなかで、「『人はもともと罪障を抱えながら生きている』」(187頁)という仏教的な人間観を語っている。だれもが前世の罪を背負い、現世では、命を食らいながら、罪深い人生の途上にある。法律に違反していなくても、自分が罪を犯していないとは言えないのである(同頁参照)。「罪障消滅のためその罪に少しでも勝る徳を積んでいく、その修行を続けていくことが、私たちがこの世に生を受けたことの、大切な目的の一つなのです」(同頁)。


 本書には、2018年秋から、2019年夏までの問答が収録されている。全6章には、四苦八苦、怨憎会苦、五蘊盛苦、求不得苦、愛別離苦、善因善果というタイトルがついている。
 第1章の問答で、清原はうつ病で苦しむ日々を口にしている。死にたいと思う、気力が湧かない、夜は寝つけず、目がさめると、また一日が始まるのかと愕然とする日々だ(13頁参照)。生きている理由や、自分が生きている意味がわからない。それでも死なずに生きてこられたのは、いつか会えることを望むふたりの息子の存在のおかげだったという(18頁参照)。
 あるとき、清原は、雑誌の仕事で、久しぶりに甲子園で高校野球を観戦する。そこで、かつてバッターボックスに立っていた記憶が蘇ったと語る清原に、鈴木はそこで「本来の自分というのを、思い出すことができた?」(17頁)と問いかける。清原はこう答える。「やっぱり、薬物に手を出してしまい、挙句の果てに逮捕までされて。それからというもの、僕はずっと自分を、自分のことを否定し続けてきました。もう、自分の存在自体を消し去りたい、この世から消してしまいたいという気持ちで。そういうふうに思いながら、ずっと、ずっと生きてきましたから」(同頁)。
 後半では、清原が「敗者復活戦」に向かう覚悟を語る。薬物で苦しんでいるひと達を支援する立場に回るためにも、「敗者復活戦には絶対に勝ちたい」(37頁)。鈴木は、それを受けて、「薬物」というレッテルは剥がせないとしても、そのレッテルのまま、薬物の乱用防止や依存症のひとびとの支援活動に回ることこそが清原の役割ではないかと続ける(37~38頁参照)。
 第2章では、清原が過去に受けたドラフト会議の傷と、現在進行中の、自分のこども達に会えないという心の傷が問答の焦点になる。鈴木はブッダが説いた「四苦八苦」について語る。「四苦八苦」とは、だれにも平等に与えられた生、病、老、死という四つの苦と、「愛別離苦」(愛するひとと離れなければならない苦しみ)、「怨憎会苦」(憎んでいるひとと会わなければならない苦しみ)、「求不得苦」(求めるものを求めれば求めるだけ得られない苦しみ)、「五蘊盛苦」(体と心が思うようにならない苦しみ)を合わせたものである。清原は、「愛別離苦」と「求不得苦」の苦しみと、病の苦しみの渦中にある。ブッダは、8種類の苦しみは乗り越えられると説いた。どうしたら可能かを考え続けた鈴木は、大病や難病に感謝するひとに出会って、苦しみに立ち向かうひとがそれを乗り越えるご縁をいただくことができると確信する。鈴木は、清原が今の苦しみから逃げずに立ち向かい、それを克服できれば、多くのひとを勇気づけることができると励ます。痛い失敗の経験や、病の苦しみも、受け止め方次第では、泥沼に咲く蓮のように開花につながるのだ。
 第3章では、清原は44日間の留置場での辛い経験を語る。ずっと監視され、なにもかもが思い通りにならない生活や、真冬の冷たい食事はこたえたという。鈴木は、勾留生活に「感謝していたりはしませんか?」(83頁)と問いかける。辛い経験をしたおかげで、あたらしい道が開けたと自覚できれば、感謝の気持ちが芽生えることもあるだろうと推測したからである。「まだそこまでは」と答える清原に、鈴木は、「『あの逮捕のおかげで、いまの自分がいる。逮捕してくださったことに、いまでは心から感謝しています』」(85頁)と言える日が必ず来ると告げる。鈴木はまた、薬物経験者としての清原が薬物乱用防止を訴えれば、説得力は絶大で、僕が足元にも及ばない影響力をもち、僕が救えないひとを救えるかもしれないと、清原の無限大の可能性に期待を寄せている。
 第4章で、覚醒剤を使うようになったきっかけが語られる。現役引退後の清原は、暇をもてあますことも多くなった。バラエティ番組で番長キャラを演ずる自分が嫌になり、ストレスがたまった。それを発散するために毎晩飲み歩くようになり、闇の世界の住人とのつながりができた。最初は、自分でコントロールできると甘く考えていたが、いつの間にか、覚醒剤に操られるような生活におちいった。家族との別居、離婚のあとは、ますます薬物に溺れ、注射器を使用するまでになり、生活は破綻した。覚醒剤の過剰摂取で2度中毒症状になり、緊急搬送された病院で、頭に電気を流す電気ショック療法を受けて、かろうじて生きのびた。それでも薬物を断てず、ついに逮捕の日を迎えた。
 逮捕によって、薬物からは遠ざけられた。しかし、清原は告白する。「逮捕、そして勾留は薬物をやめるきっかけにすぎなくて。そこから先、ずっとやめ続けていくことというのが、もう途方もなく厳しく苦しく辛いんです」(111頁)。「本当に、今すぐ人生を終わりにしたい、死んでしまいたいと、何度思ったかわからないぐらい。それぐらい、辛い日々ですから」(112頁)。
 鈴木によれば、日本では薬物に手を染めたひとや、依存症で苦しむひとへのケアやサポートが手薄である(113頁参照)。アメリカでは、依存症から立ち直って社会復帰をしたひとは、「『高いハードルを、頑張って乗り越えた人だ』」(113頁)と称賛されるという。日本で薬物事件の再犯率が非常に高い背景には、犯罪者に冷たい社会の側にも一定の責任があるだろうと、鈴木は考えている。清原は、薬物の誘惑に自分ひとりの力で勝つことは不可能であり、薬物依存症に詳しい専門家のサポートが必要だと訴える。
 第5章では、母の死の翌日にもかかわらず、すでに予定されていた厚生労働省主催の薬物依存症の啓発イベントに参加した清原のこころの葛藤が描かれている。司会者から「『今日、ここに登壇することに迷いはなかったですか?』」(131頁)と聞かれた清原はこう答えた。「『少しでも、自分と同じように苦しんでいる人のためになればと思い、すぐに(参加を)決めました』」(同頁)。参加者からは拍手と声援を受けた。
 第6章で、鈴木はこう語りかけている。「最愛の息子である清原さんの目の前に、薬物依存からの回復、親子の絆の再生、そして、社会復帰という高い、高い山がそびえていた。その、険しい山道を這いつくばるようにして登っていく息子のために、お母さんは自分がこの世を去る、そのときに合わせるかのように、たしかな足がかり、手がかりを用意してくださったと、そんなふうに思えて仕方がない」(173頁)。
 「おわりに」で、清原はこう述べる。『あの逮捕の日、傲慢な化け物、清原和博も死んだのかもしれません』(179頁)。16歳の夏から甲子園大会に出場し、プロ野球でも活躍した清原は、周囲のひとからちやほやされ、20代で大金を手にして、自分を中心に世の中が回っていると錯覚し、感謝のこころを失い、傲慢な人間になった。逮捕で状況は一転し、周りからひとびとが去っていくにつれ、清原は孤独感にさいなまれるようになった。いまでは、「頑張ってください、応援していますよ」と声をかけてくれるひとのことばが身に染みるという(179~180参照)。現在の心境はこう述べられている。「以前までは、自分のために誰かが動いてくれることを、当たり前のように思っていましたが、いまは、誰かのために自分が動きたい、誰かの役に立ちたいと、そう強く願う自分がいます」(180~181頁)。
 ブッダは、罪を免れるひとはだれもいないと人間にすくう根深い悪を見据え、ひとびとの生き方を見つめて苦しみの諸相を説き明かした。他方で、罪や苦しみからの解放の道を模索し続けた。ブッダはまた、利己主義的な発想にとらわれ、自分の欲望や願望を優先させることよりも、自分以外のひとのために心底つくすことが幸せへの道につながるとも述べた。
 本書は、ひとつの犯罪によって苦しみの底に沈んだ清原が、敗者復活戦に賭ける苦闘の日々を浮き彫りにしている。ブッダ的な人間観と幸福観を体現した鈴木のアドヴァイスは、罪と無縁ではありえないわれわれにも響いてくる。

 

 穂村弘の『あの人に会いに 穂村弘対談集』(毎日新聞出版、2019年)は、穂村が選んだ9人との対談の記録である。思春期に入った穂村は、世界との違和感を覚え、生きづらさを痛感する日々のなかで、自意識の塊になってうずくまっていたという。救いを求めて必死に本を読んでもぴんとくるものには出会えなかった(3頁参照)。「でも、ごく稀に奇蹟のような言葉や色彩やメロディに出会うことができた」(同頁)。それらのおかげで、穂村は「長く続いた青春の暗黒時代」(3~4頁)を生きのびることができた。のちに、対談の仕事が来るようになり、穂村は、奇蹟のような作品を作ったひと達に創作の秘密を尋ねて回った。
 対談の相手は、以下の9人である。谷川俊太郎(詩人)、宇野亞喜良(イラストレーター)、横尾忠則(美術家)、荒木経惟(写真家)、萩尾望都(漫画家)、佐藤雅彦(映像作家)、高野文子(漫画家)、甲本ヒロト(ミュージシャン)、吉田戦車(漫画家)。
 谷川は、「集合的無意識」ということばを知って、創作のインスピレーションは下から来ると思うようになったと言う(19頁参照)。「日本語という土壌に根を下ろしているという感覚が、ぼくには常にあります。(中略)その土壌に根を下ろして、そこから言葉を吸い上げて、ある種のフィルターによって言葉を選ぶ。そして、葉っぱができたり花が咲いたりするように詩作品ができてくる」(同頁)。谷川は、自分を植物と重ね合わせて、創造の秘密を語っている。
 横尾は、ファンタジー(非物質的なもの)と現実の統合を、禅の瞑想やインドの旅を通して体感したかったと言う(57頁参照)。インスピレーションはどこから来るのかという穂村の問いに対して、横尾は、自分の経験や記憶、集合的無意識、地球のみならず宇宙に蔓延しているエネルギーの作用などをあげている(57~58頁参照)。自分に到来するものをキャッチするためには、自分に固執せず、自分を解き放す(放下)ことが大切であり、意識過剰はよくないと語っている(58~61頁参照)。
 荒木の発言には、その人柄と同様、独特の味わいがある。「ダメなやつがいくら撮ってもダメなんだよ。撮る人の人間性を写真がバラしちゃうんだ」(81頁)。「女でも、花でも、街でもさ。情がなかったら撮れないよ」(82頁)。撮影のさいに、どうやって自分の愛情ポイントを見つけるのかと穂村が問いかけるが、荒木は「自分でも不思議でしょうがないよ」(83頁)と答えをぼかしている。
 萩尾は、作品を作るときの経験をこう語っている。「自分でも不思議なところなんですが、物語ができあがる前に重要事項が浮かんでくる感覚があるんです。描いているときは、わからないんですが」(118頁)。穂村がこう反応している。「萩尾さんの中でタイムスリップが起きているようなものですね。作品が完成した時点から、今描いている自分に『ここに、伏線を入れよ』という指令が来る」(同頁)。「そういう感覚ですね」(同頁)。萩尾は夢の不思議についても語っている。「たまにデジャヴみたいな夢を見るでしょう。ユングがいう集合的無意識の中に入り込んでしまったような」(119頁)。
 佐藤は、作品を創造するときに起こることをこう表現している。「『かっこいい』を計るものさしがあって、それがピッタリはまる感覚なんですよ。自分のものさしでもなく、誰かのものさしともちょっと違うもので、こういう言い方をすると神様に失礼かもしれませんけど『神様のものさし』みたいなものが見えたときにピッタリはまるんです」(140頁)。
 甲本は作曲についてこう語る。「自分の意識下ではどうなってるかわかんないけど、曲作るときってなんにも考えないんですよ」(179頁)。「歌詞とメロディが同時にできる?」(181頁)という穂村の問いに対して、甲本はこう答える。「同時です。多くの曲は四、五分でできます。一番から三番までフルコーラスがぱっと浮かんで、ずらずらずらずらずらっ~て降りてくる」(同頁)。
 ほとんどのひとが、創造を受身の経験として語っている。ことばが「下の方から」上がってくる、着想が自分のなかからやってくる、神様のものさしのようなものが見えてくる、曲が降りてくるなど、言い方はさまざまだが、よい作品をつくるためには、自力だけではまったく不十分で、他力の恩寵を待たなければならないということだ。創造という、神のみわざを語ることばが人間の芸術制作に転用されることからも明らかなように、自分を超え、自分を受容器、一種の媒介として生まれてきたものこそが作品の名に値するのである。
 リラックスした雰囲気のなかで進行している本書の対談は、さりげないことばのやりとりが楽しい。芸術家の創作の秘密を知るためのおすすめの一冊だ。

 

 


人物紹介

清原 和博 (きよはら かずひろ) [1967−]

 

元プロ野球選手。大阪府生まれ。小学3年生でリトルリーグに入り、才能を開花。高校進学の際はPL学園に入学。1年から4番を務め、5季連続で甲子園に出場。優勝2回、準優勝2回という成績を残し、自らが放った甲子園通算13本塁打は歴代最多記録。1986年、ドラフト1位で西武ライオンズに入団。1年目で31本塁打を放ち、高卒新人記録を更新した。その後、西武の4番として君臨し、6度の日本一を経験。1977年、FAで読売ジャイアンツへ。4番として苦しむ時期はあったものの、9年間で185本塁打を積み重ねた。2006年にオリックス・バファローズへ移籍。膝の怪我に悩まされ、2008年に現役引退。プロ野球通算525本塁打は歴代5位。引退後は解説者等として活動していたが、2016年2月に覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕され、懲役2年6ヶ月、執行猶予4年の有罪判決を受けた。-本書より

鈴木 泰堂 (すずき たいどう) [1975−]

宗教法人示現寺代表役員/法華山示現寺住職/僧侶。神奈川県生まれ。立正大学仏教学部仏教学科卒業。1987年、在家から出家し、命がけで仏道に邁進する父に憧れて弟子となる。1998年、日蓮宗僧籍取得。2008年、仙台住職遷化により住職に就任。以降法務をこなしながら、年間400人以上の相談者の「心の悩み」やスポーツ選手のメンタルをサポート。2014年、瞑想と写経を取り入れた「メンタルファシリテーション」を考案し、東京都港区のコートヤードHIROにて毎月実施。その他、各種団体主催のセミナー講師など活躍の場を広げている。 -本書より

穂村 弘 (ほむら ひろし) [1962−]

 

歌人。北海道生まれ。歌集『シンジケート』でデビュー。著書に『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』『ラインマーカーズ』『ぼくの短歌ノート』『世界音痴』『にょっ記』『本当はちがうんだ日記』『野良猫を尊敬した日』ほか。訳書に『スナーク狩り』(ルイス・キャロル)ほか。『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞、『楽しい一日』で第44回短歌研究賞、『鳥肌が』で第33回講談社エッセイ賞、『水中翼船炎上中』で第23回若山牧水賞を受賞。-本書より

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