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自分とはなにか―ルソーの探求―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 大学のキャリアセンターでは、職員が就職をめざす学生に必ず「自己分析」をすすめる。「あなたがどういう性格の人間で、どんな仕事に就きたいのか、どんなふうに生きたいのか」、それがはっきりしないと方向が決まりませんよと、学生を諭す。職員のアドヴァイスをきっかけにして、「これまでなにをしてきたのか、熱心に取り組んだものはなにか、そもそもこの私ってなに?」という問いが生まれ、「自分探し」の旅が始まる。とはいえ、「自分はいったい何者なのか」という問いに簡単に答が見つかるはずはない。この問いは、紀元前から現代にいたるまで、哲学や心理学、文学、社会学、宗教などの世界で繰り返し問われてきたものだ。図書館や書店のコーナーには、「自分、自己」についての本が並んでいる。日常生活では、だれもが「私、僕」とひんぱんに口にしている。しかし、「私、僕ってなに?」と改めて問うてみると、分からないことだらけでとまどってしまうひとが多いだろう。学生はそれぞれがこの問いをかかえて、将来の職業との関連で自分を見つめなければならない。



 ルソーの『孤独な散歩者の夢想』(永田千奈訳、光文社、2012年)は、死の2年前に書き始められ、未完に終わった「自己探求」の記録である。自己意識、自己と他者、自己と社会、自己と自然に関してルソーの心に湧きあがる思いが書きとめられている。「自分を探求する」という試みがどういう性質のものであり、どのような射程をもつものかを知るには絶好の本である。
 ルソー(1712~1778)は、スイスのジュネーヴ出身。『学問芸術論』『人間不平等起源論』『政治経済論』『新エロイーズ』『エミール』『告白』などの著者。人民主権を主張する『社会契約論』は、フランス革命を導くことになった。1794年、革命政府によって、ルソーの遺骸はパリのパンテオンに移され、ヴォルテールの隣に埋葬された。
 『孤独な散歩者の夢想』は、「第1の散歩」から始まり、「第10の散歩」の途中で終わっている。この本の中核となるのは、理性を行使する集中的な思索ではなく、自分の内的な世界に浮上する思いを自由に遊ばせ、それを見つめることで可能になる夢想である。深く考えると疲れ、つらく、苦しくなると意識していたルソーが、気ままに物思いにふけりながら、それを楽しんで書き綴ったものである。
 「第1の散歩」は、恨み節から始まる。「この世にたったひとり、もう兄弟も、隣人も、友人も世間との付き合いもなく、天涯孤独の身。私ほど人付き合いが好きで、人間を愛する者はいないというのに、そんな私が、満場一致で皆から追放されたのだ」(9頁)。壮年期にひとびとから賞讃されたルソーは、『エミール』で述べたキリスト教とは対立する理神論が原因で、一転して犯罪者扱いされた。逮捕を恐れてスイスに逃亡したが、村民の迫害を受け、孤独な境遇に追いやられた。「皆から切り離され、すべての関係を断ち切られた」(同頁)ルソーは、自分に言い聞かせる。「今、唯一私にできることは、自分が何者なのかを探求することだけだ」(9~10頁)。そのためには、自分がおかれた状況を把握しなければならないと、ルソーは自分が世間から閉め出されるにいたった経過を総括する。
 世間からまったく孤立し、「まるでどこかよその惑星から落ちてきた異星人のような気分」(18頁)を味わうルソーは、以後は自分のことのみを考えて生きようと決意する。己の魂と語り合い、自分の内的な傾向について熟考し、心に浮かんでくることを書きとめることに専念しようとするのだ(19頁参照)。「こうして日々の思いを書き綴っていけば、この奇妙な状態のなかで私の精神的な糧となってきた感情や思考を認識し、それによって、自分の本性や、性質を新たに見出し続けることにもつながるだろう」(20頁)。ルソーは、日々、心身ともに変化し続ける存在としての「自分の心の変化、その変化の連続」(21頁)を理解しようと試みる。「私は、自然学者が日々の気象状況を記録し、調べるのと同じように自分自身のことを記録し、探究しようと思っている。自分の心にメーターをつけ、その動きを逐次『計測』する」(同頁)。「自己探求」とは、自分自身のために自分の心の動きや感情のゆれを丹念に記録することにほかならない。「モンテーニュは、他者に読ませるために『随想録』を書いたが、私は自分のためだけに夢想を書き記す」(22頁)。ルソーにとっての夢想は、物思いと同じ意味である。この本の特色は、ルソーが物思いにふけるだけでなく、その渦中で即座にそれを記録するという離れ業をやってのけている点にある。
 「第2の散歩」の冒頭で、ルソーは自分の心の動きを記録する方法について述べている。それは、「孤独な散策を書き記すこと、散策中、頭を空っぽにし、何の抵抗もせず束縛も受けず、気質のままに思考しているうちに、ふと浮かんでくる夢想を忠実に書きとめること」(24頁)である。積極的になにかを思い浮かべるのではなく、受動的に思い浮かんでくることをすばやくつかんで文章にするのだ。それは、次から次へと際限なく浮かんでくるので、ルソーは、自分の内側に眠る資源が思いがけず豊かなものだと気づく(25頁参照)。
 「第3の散歩」で、ルソーは幼少期から世間にもまれ、この世での幸せを諦め、別の世界に安らぎを求めるようになったと述べる。「こうした感情があったからこそ、私は常に自分という存在の本質、その行く末について知りたいと思うようになり、ほかの人よりも強い関心を抱き、熱心に探求するようになったのだ」(45頁)。
 ルソーは、40歳の頃、知的な好奇心や名誉欲を満たすために学ぶ学者と違い、自分についての思想を血肉化するために本気で学ぶことを決意したと力説している(同頁参照)。「私は、今こそ一生に一度のチャンスであると信じ、自身の内面を厳しく見つめ直すことにした」(50頁)。「今こそ、全力を尽くして自分の哲学を求める時期だと私は思った」(53頁)。持続的な自己探求は、後年の『告白』となって結実した。
 「第4の散歩」は嘘が主題である。ルソーは、デルフォイの神託にある「汝みずからを知れ」は、『告白』の執筆時に考えていたほど簡単ではないとしるす(70頁参照)。真実から目を塞ぐために嘘をついたり、何度も作り話をしたりして、自分の裸の姿を直視してこなかったからだ。ルソーは、この章では、「真実を語る」、「語るべき真実を語らない」、「優しい嘘」、「罪のない嘘」、「創作」といった虚実に関するケースをあげながら、嘘によって偽装された自己の正体を見抜くことのむずかしさを指摘している。「自分自身について書くとき、自分でも意識しないうちに、そのつもりもないままに不都合な部分を隠してしまったことはときにあるかもしれない」(95頁)。無意識に自画自讃したり、虚栄心にかられてありもしない話を吹聴したりすることは避けられない。自分が自分に隠されていることは少なくない。だからこそ、「あなた自身を知りなさい」というメッセージは普遍なのである。
 「第5の散歩」は、本書のなかでもっとも美しい夢想の記述である。かつてスイスのサン・ピエール島に2ヶ月間滞在したルソーが、島の自然を讃え、幸福の喜びをつづっている。「あの幸福感はいったい何だったのだろう、あの気持ちの良さは何から来ていたのだろう」(107頁)。それを示すすばらしい文章を引用してみよう。「皆がまだテーブルについているうちに、こっそりと席を離れ、ひとりボートに飛び乗る。水面が穏やかな日はそのまま湖の中央に漕ぎ出す。湖の真ん中まで来ると、ボートのなかに長々とあおむけに寝そべり、空を眺める。あとは何もしない。水の流れにまかせてゆっくりと漂う。ときには、数時間にわたりぼんやりと夢想に浸る。混沌とした、だが、心地よい夢想。特に明確な目的もない、とりとめもなく移ろう物思いだ。こうした夢想はいつの日も、私の好みからすると、世間が人生の楽しみと呼ぶ、どんな甘美な体験と比べても百倍は価値のあるものである」(110~111頁)。「夕暮れが近づくと、高みから降り、湖畔に腰を下ろすのが好きだった。ひっそりとした隠れ家のような場所があり、砂の上に腰を下ろす。波音と水の動きが私の感覚をとらえ、私の魂から雑念を取り払う。こうして私は甘美な夢想に身を浸す。気がつかないうちに夜になっていることもしょっちゅうだった。寄せては返す波の音。いつまでも続き、ときに大きく聞こえてくる波の音。夢想が心のざわめきを消し、空っぽになった内面を満たすように、水の音と眺めが私の耳と目に休みなく流れ込んでくる。そうしていると、わざわざ頭を使って考えなくても、ただこうしているだけで存在することの喜びを感じることができるのだ」(113頁)。ルソーが語るのは、「日々の快楽にあるような不完全で脆弱な相対的な幸福」(116頁)ではなく、「充足した幸福、完璧な幸福、魂のなかに埋めるべき空白を残さない本当の幸福」(同頁)である。それは、世俗の波にもまれ、右往左往する多忙な生活のなかでは絶対に得られない。「自分が自分であることだけで神のように満足できる」(117頁)至福の時間なのだ。こうした幸福が味わえる条件は、「心が穏やかであること、情念によってその平穏を乱されないこと」(118頁)である。
 この章のおしまいで、ルソーはこう述べている。「現在、夢想が深みへ向かえば向かうほど、私はあの島の光景をありありと思い浮かべることができる。(中略)だが、残念なことに、想像力の衰えとともに、あの島を思い浮かべるのもだんだん困難になり、長くは続かないようになってきてしまった」(121頁)。
 「第6の散歩」では、ルソーは周囲のひとびとの自分に対する豹変ぶりを嘆きつつ、自分がどう振る舞ってきたかを回顧している。「私は生まれつき誰よりもお人好しな性格をしていたが、四十年間、一度も人に裏切られることなく生きてきた。その後、突如、人も物も何もかもが違う別世界へと放り込まれ、まったく気がつかないうちに幾多の罠にはまり、二十年たってようやく自分のおかれた状況が分かってきたというわけだ」(136頁)。周りから無数の嫌がらせや迫害を受けて人間嫌いになったルソーは、自分ひとりだけの孤独な世界に引きこもった。
 「第7の散歩」は、植物論が中心であり、植物がルソーの心を救済するさまが描かれている。自分の心の動きを追いかけて苦しみ続けるルソーは、自然界の細部を見つめることで心の安定を得た。この章の植物讃歌は圧巻である。「樹木、低木、植物は大地を覆う飾りであり、衣服のようなものだ。(中略)水の流れや鳥のさえずりに囲まれ、自然によって活力を与えられ、花嫁衣裳のように植物に彩られた大地は、三界の調和を通して、生命力にあふれ、好奇心をかりたて、心を引き付ける光景を見せてくれる」(150頁)。「瞑想や夢想において最も甘美な体験は、自分を忘れるときにのみ訪れる。私が言葉にならないほどの恍惚と陶酔を感じるのは、生命の大きな体系に溶け込み、自然そのものと一体になるような気がする、まさにそのときなのだ」(156~157頁)。
 「第8の散歩」で、ルソーは自分を孤独へと追いつめた人間たちのことを再び思い起こす。周りのひとから手のひら返しにあってショックを受けたルソーはこう語る。「それまで自分が人に愛され、尊敬されるに値する人間だと思い、当然のこととして人々の敬意や好意を受けてきた私が、ある瞬間にとつぜん、史上最悪の恐ろしい怪物と見なされてしまったのだ」(178頁)。「誰もが陰謀に加担していた。ひとりの例外も、逸脱者もない」(179頁)。なぜ、こうしたことが起きたのか。空しい探索を重ねた末に、彼は気づいた。「彼らは全員、たったひとりの例外もなく、地獄のような心が生んだとしか思えない、不当の極みとも言うべき不条理なシステムのなかにいたのだ。そして、とりわけ私のことになると、人々の頭から理性が消えてなくなり、心から道徳がなくなるのも分かってきた」(181頁)。とはいえ、ルソーは彼らを一方的に批判しているわけではなく、自分のなかにひそむ高慢な気持ちや自尊心に注目して、それを自制できなかった自分を悔いてもいる。 ルソーは、周囲のひとびととの関係を回避し、今やひとり楽しく暮らす幸福を享受していると、この章を締めくくっている。
 「第9の散歩」では、ルソーは大好きな子供たちとすごした喜びの経験を想起するかたわらで、自分が過剰なまでに他人に反応するたちなので、人づき合いはつらいと嘆いている。「他人の表情に苦しみや痛みを見ると、私はひどく敏感に反応してしまう。たぶん、本人以上に激しく苦しみや痛みを感じてしまうのだ。つまり、想像力が感覚を増幅させ、私は他人の苦しみをわが身に、しかも本人以上に強く感じてしまうのだ」(214頁)。「誰かのちょっとした表情、しぐさ、目配せだけで、喜びがしぼんだり、痛みが和らいだりする。私が私でいられるのは、ひとりでいるときだけ、それ以外のときは、いつも周囲に降りまわされてばかりいるのだ」(215頁)。ルソーは、ひととの交わりにおいて、気を使いすぎたり、過剰に反応したり、本音を出せなかったりして、関係をぎくしゃくしたものにすることが多い自分をもてあましている。
 中途で終わった「第10の散歩」は、ルソーが50年前に出会った運命の女性との日々の追憶である。「実に短い時期ながら、二度と戻らぬあの日々、あのとき、私はいっさいの混ざりものも障害もなく、生まれたままの自分でいられた。あのときだけは本当の意味で生を実感できたのだ」(224頁)。「あの、儚くも貴重な七年がなかったら、私は今も本当の意味で自分を知らずにいたことだろう。実際、その後の長い人生、私は常に無力、無抵抗で、他人の情念に悩まされ、降りまわされ、引きずられてきた。それゆえ、嵐のような人生のなかにあって、私はただ受け身にまわるばかりであった」(同頁)。ルソーは、他人にかき回され、苦しめられ、神経をすり減らされ、自分を見失って生きてきた人生を悔やむ。「だが、思いやりと優しさにあふれる女性に愛されて過ごしたあの数年間だけは、自分のしたいことをなし、こうありたいと願う自分でいることができた」(224~225頁)。
 こうして、ルソーの自己探求の散歩は中断したままになった。本書は、人間関係に翻弄され、窮地に陥ったルソーが、自分は何者かと考えるのではなく、自分の思いに身をゆだねる夢想を通じて自分の過去を描き出す試みである。ルソーの願った共存の崩壊と孤独という問題があぶりだされている。本書には、女性との数年間の懐かしい日々の追憶、他人からの迫害に困惑した日々の悔恨、追いつめられた孤独な時間のなかで享受した幸福感の再現など、記憶に残る文章が多い。ルソーを迫害したひとびとも、それに苦しんだ本人もすべていなくなった今、この珠玉のような夢想録のみがわれわれの手元に残されている。

 

 

 

 


人物紹介

ルソー【Jean-Jacques Rousseau】[1712~1778]

フランスの啓蒙思想家・小説家。スイス生まれ。「学問芸術論」で人為的文明社会を批判して自然にかえれと主張、「エミール」では知性偏重の教育を批判した。また、「社会契約論」では人民主権論を展開し、フランス革命に大きな影響を与えた。著書はほかに「人間不平等起源論」「告白録」など。
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"ルソー【Jean-Jacques Rousseau】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2020-08-07)

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