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社会のなかで生きる―オルテガの社会学―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 オルテガの『個人と社会―人と人々』(A・マタイス 佐々木孝訳、白水社、1989年)は、社会のなかで生きる人間の諸相を描いた傑作である。近世の哲学者デカルトは、「私は考える、ゆえに私は存在する」と宣言し、「私」から出発する哲学を展開した。それに対して、オルテガは、「私は、私と私の環境である」と強調し、「私」と「私の環境」との相互的な関係性を重視する社会学の地平を切り開いた。自分を中心に世界が回っていると錯覚すれば、傍若無人なふるまいをしかねないが、オルテガは偏狭な私中心主義を批判し、私と環境、私と他者の共存の地平を切り開いた。
 オルテガ(1883~1955)は、スペインのマドリードに生まれた。大学を卒業後、カント哲学を学ぶためにドイツに留学した。マールブルク大学での勉強は実り多いものであった。1910年にマドリード大学教授に就任。1929年、独裁政権による同大学の封鎖にさいして辞表提出。1930年、オルテガの名前を世界的なものにした『大衆の反逆』が刊行された。1936年、スペイン内戦勃発のため、家族とともに出国し、フランス、オランダなどで亡命生活を送った。1939年、フランコ独裁政権が成立したため、アルゼンチンの首都、ブエノス・アイレスに移住。1942年にポルトガルに移住。戦後、亡命生活を終えて帰国した。1948年にマドリードに人文学研究所を設立し、スペインの知的な復興に尽力した。1955年、自宅でなくなった。1957年に『個人と社会―人と人々』が出版された。


 『個人と社会―人と人々』の大半は、1939年にブエノス・アイレスでおこなわれた講演をまとめたものである。冒頭には、前年の講演の「要約」が序論にあたるものとして掲載されている。オルテガはそこで、当時の歴史的苦悩の大部分は、社会学がその根本問題(政治、国家、法律、全体と個人、国民、革命、戦争、正義など)を十分に解明していない点に起因すると述べている。こうした問題を分析することによって、「社会とはなにか」についての透徹したヴィジョンが獲得されるというのが彼の主張である。1939年のドイツ軍によるポーランド侵入を契機にして、戦争は世界的な規模にまで拡大した。オルテガは、当時の時代状況を注視しながら、「社会的なものとはなにか、社会とはなにか」を明らかにしようとしている。
 本書では、「われわれが個人として生きる(孤独)」、「他人とともに生きる(共存)」、「社会のなかで生きる」という三つの場面について具体的な考察がなされている。
 オルテガは、「1自己沈潜と自己疎外」のなかで、戦前から戦中の国家と人間の傾向をこう要約している。「真実なる選択をおこなったり、内省に引きこもることを可能にする地平線の静寂を享受している国はもはやわずかしかない。ほとんど世界全体が疎外されており、そしてこの自己疎外の中で人間は、自分のもっとも本質的な属性を喪失している。すなわち自分の信じているものは何か、真実自分がたいせつにしているものは何か、真実自分が忌みきらっているものは何か、を納得し見きわめるために思索したり自己の内部にこもるという可能性を失っているのである」(23頁)。状況に応じて右顧左眄するのではなく、状況から身を引いて、自己の内部に沈潜し、状況について思索することが求められる。しかし、思索することで終わるわけではない。それはあくまで、自分が置かれている状況のなかで、どのように行動するかを決めるためなのである。「われわれの朽ちることなき深みに静かにひきこもる能力」(43頁)を行使して、どう考え、どう行動するかという戦略を練らなければ、われわれは、「われわれを気もそぞろにさせ、われわれの正気を失わせようと脅かしてくる行動」(45頁)に足をすくわれてしまいかねない(45頁参照)。オルテガは、人間が思考力を賦与された知性的な存在だとする見方を「驕り」として退けている。人間は、しばしば、どのように行動するかを落ち着いて考えることをせず、自分が何をしているかわからなくなる存在なのである。オルテガは、戦争という不幸な状況を招いた一因は、われわれが自己に沈潜する能力を喪失した点にあると見なしている。
 「2 個人的生」は、根本的な実在としての「私の生」(50頁)を主題にしている。オルテガによれば、私の生は自分が自分自身に与えるものではなく、自分に与えられるものである(54頁参照)。この与えられた生を生きる私は、自分が選択したのではない環境(世界)のなかで生きていかなければならない。「生は思いがけなくわれわれの上に投げ出されているのである。(中略)つまりわれわれが生まれた場所と時、そして生まれた後に生きる場所と時の中で、われわれは好むと好まざるとにかかわらず泳ぎきらなければならないのである」(同頁)。われわれは石のように存在することはできず、常に与えられた環境のなかで、なにかをして生きていかざるをえない。自分の生き方を自分で選択しなければならないのである。私の生を他人に生きてもらうわけにはいかない。その意味で、「生は本質的に孤独であり根本的孤独である」(60頁)。しかし、われわれは本質的に孤独な存在だからといって、孤立しては生きていけない。環境を作りあげている鉱物、植物、動物、自分以外の人間たちと向き合い、ぶつかり合って生きていかなければならないのである(62頁参照)。
 「4『他者』の出現」は、われわれが他者(他人)とともに生きる存在であることを主題にしている。われわれは、一方では、環境のなかで、自分ひとりで行動しなければならない。歩く、食べる、呼吸する、排泄する、寝るといった行動を他人にしてもらうわけにはいかない。ものを見たり、考えたり、書いたりする行動も人まかせにはできない。他方では、われわれは家族や、隣人、同僚などと交わる存在である。相互の関係がギクシャクする場合もあれば、円滑に進む場合もあるが、関係を避けては通れない。
 「5対個人的生 われわれ―なんじ―われ」では、われわれが孤独な存在としてすべきことが再度強調されている。「人間は自分の生という業務、すなわち責任を有するのは自分だけである生という業務、の収支決算を定期的かつ明確に行なわなければならない」(125頁)。「人間の生が有する真正なる現実には、自己自身の孤独の深みにひんぱんにひきこもらなければならないという義務が含まれている」(同頁)。オルテガは、この点を執拗に強調している。それというのも、われわれはしばしば周囲からの同調圧力に屈して自分の責任を放棄し、付和雷同しやすいからである。われわれはまた、「自分自身に向かって自己を容赦なくさらけ出すこと」(同頁)、自分自身を「裸にすること」(126頁)という自己批判を回避し、自己保身に走りやすい存在でもあるからである。
 われわれは、他人と共存して生きる存在でもある。共存が可能になるのは、われわれの間に相互作用が生じ、同類の意識が働くからである。「私の自我が私の内部で持つと同じような意味を持つ自我を、彼もまた持っているということである(中略)、つまり彼は私と同じように、考え、感じ、欲し、目的を持ち、わが道を行くなどのことをするのだ」(131頁)。
 しかし、私にとっての私と、私にとっての他者との間には明確な相違がある。私は私の内部に直接結びついているが、他者の内部は私に直接は与えられない。けれども、他者はその身体を通じて私に表現する存在であり、その表現を通じて、私は他者の内面に近づくことができる。「たとえば私は、他人が何かを眺めているのを見る。『魂の窓』である彼の眼は、他の動作よりも彼について多くを語ってくれる。なぜならそれらは、まなざしという、内面から生まれる数少ない動作だからである」(117頁)。他者が私に相対するときにも同じことが言える。共存は、われわれが相互に接近可能な存在であることによって可能になるのだ。
 この章で注目すべきは、オルテガが、私という個人の生から出発して、他者の出現を論ずるという順序を中断しつつ、経験的な発生の場面に立ち返っていることである。成人としての人間の考察から始めるのでなく、ひとりの人間が成人になるまでの経験を観察しているのである。「各人の生に最初に現われてくるのは他の人間である。なぜならあらゆる『各人』は一つの家族の中に生をうけ、そしてこの家族もけっして孤立して存在するものではない」(133頁)。「自分たちが生きていることに初めて気づいたときにはすでに、われわれは他者と共に、そして他者のまん中にいるばかりでなく、他者になじんでいる」(134頁)。われわれは、誕生以前も以後も家族や隣人、医療者たちの助力や協力のお蔭で存在するのである。ひとびとの間に生まれて、ひとびととの間で生きる存在なのである。人間のこうしたあり方を、オルテガは、「われわれ主義、われわれ性」と呼んでいる(138頁参照)。出発点として考慮されているのは、デカルト的な孤立した「私」ではなく、相互にかかわる「われわれ」である。「ふつう考えられることとは反対に、第一人称は最後に現われてくるのである」(140頁)。デカルトの「私」は、成長して、自分で考えることのできる主体としての「私」である。それに対して、オルテガが注目する、ひとびとの間に生まれたばかりの幼児は、ひとびとが話していることばを聞きながら、ことばを習得する経験の途上にあり、考えることができるまでには相当の年月を要するのである。
 「6 ふたたび他者たちとわれについて 彼女への短い旅」では、成長した「私」に他の人間がどのように現われるのかという問題が再度扱われている。「彼女への短い旅」という言い方で、オルテガの女性論も展開されている。重要な観点のひとつは、他の人間が身ぶりを通じて現われるということである。オルテガは、前章に続いて、まなざしの表現が豊かな理由は、まなざしが直接内面から出てきて、弾丸のように正確な直線を描くからであり、さらには、眼窩、落着きのないまぶた、虹彩と瞳などのみごとな俳優が、内部に舞台と劇団をかかえた劇場に匹敵するからだと述べている(145頁参照)。彼はまた、驚くほど巧妙に働く眼の筋肉(括約筋、眼瞼筋、拳筋、虹彩の筋肉繊維)のお蔭で、内的な深みのわずかな違いでまなざしが変化するとも述べている(同頁参照)。その具体例として、執拗なまなざし、対象の表面をすべるようなまなざし、対象をまるで鉤のようにとらえるまなざし、直視と斜視、流し目、盗むようなまなざし、甘美で魅惑的なまなざしなどがあげてある。そうした多様なまなざしを通じて、他者はその内面を伝える存在として現われてくるのである。
 「7 他者という危険ならびにわれという驚き」は、他者の二面性を浮き彫りにしている。一方は、3人称としての他者が、自分にとっての親しい「なんじ(あなた)」に変わる側面である。日常の生活においては、われわれにとっての多くの他者はすれ違うだけの存在であり、注意して見つめたり、追跡したりする存在ではない。彼らは「親密度ゼロの純粋な他者」(188頁)でしかない。しかし、特定の状況においては、疎遠であった他者はその行為や、顔つき、身ぶりを通じて、私にとってのなんじに変わる。それは、出会うという経験である。この種の経験においては、私はなんじに挨拶し、握手やお辞儀をし、ことばを交わして親しく交わる。
 オルテガは、われわれが親しく交わるなんじの存在を、同時代人を超えて、死者たちにまで拡張して考えている。「他者は生者だけではないのだ。いままでけっして見たことはないが、それでもなんじである他者がいるのである。すなわち家族的思い出、廃墟、古い記録文書、物語、伝説などは、われわれにとって時代を異にした、したがってわれわれと同時代のものではない他の生の新しいタイプのしるしである。われわれはそれらのしるしの中に、すなわち現在の顔つきや身ぶりや動作ではないしるしの中に、それら過去の、昔のなんじたちの現実を読みとることができなければならない」(196~197頁)。
 他方は、未知の他者が危険きわまりない側面をもつということである。他者はしばしば悪意をもって行動し、身近なひとを襲い、傷つける。「他者がたとえわずかな程度であっても、われわれにとって敵意にみち凶暴であるのは、けっして不測の事態などではなく、なんじはしょせんなんじであるという簡単な事実だということである」(200頁)。わたしと親密性の希薄ななんじの間には、頻繁に対立や闘争が起こる。いさかいや揉めごとも絶えない。オルテガによれば、こうした人間関係こそが、われわれに自分の限界や、具体的なありかたを教えてくれる(210頁参照)。
 「9 挨拶に関する考察」は、人間の行動の社会的な性格を論じる1章である。われわれが日常的におこなっている挨拶が具体例としてあげられている。要点を手短にまとめてみよう。1挨拶はだれもがする行為である。2挨拶は私にも、私以外の人間にも起源をもたない。挨拶はおこなわれているからするものである。3 挨拶の創始者は私でもあなたでもなく、他のだれかでもない。挨拶は私が自発的におこなうものではない(230~231頁参照)。オルテガによれば、挨拶は周りのだれもがしているからするものであり、その行為が何を意味するのかははっきりと理解されてはいない。
 にもかかわらず、挨拶は繰り返される。「だれがわれわれにそれを強いるのか」(234頁)。この問いは、本書の中心的な課題である「慣習」論につながる。オルテガによれば、慣習はわれわれの行動に対する強制力をもつものである。国家がわれわれに課す義務、周囲から押しつけられる衣服上の規範、日常生活のなかの言語的規範などはその具体例である。「われわれは、この世に生を受けて以来、慣習という大海の中に沈められて生きているのであり、そしてこれら慣習はわれわれの見いだす最初の、そしてもっとも強力な実在であると言うことができる。すなわち慣習は(中略)われわれの社会的環境もしくは世界であり、われわれがその中に生きるところの社会なのだ。われわれはこうした社会的世界あるいは慣習を通して、人間および事物の世界を、宇宙を見るのである」(235頁)。
 「10挨拶に関する考察―語源学的動物たる人間―慣習とは何か」は、「慣習論」の白眉である。オルテガは、冒頭で慣習の特質についてこうまとめている。「われわれの出生以来、慣習はあらゆる側面からわれわれを包み、われわれをしめつけている。さらにはわれわれを圧迫し、抑圧し、われわれに侵入し、浸透する。ほとんどぎりぎりいっぱいまでわれわれに浸透し、われわれを満たす。われわれは生涯それらの囚われびとであり奴隷なのだ」(237頁)。われわれは、慣習という社会的な束縛を逃れて、自由自在に行動することは許されてはいないのである。
 オルテガは、挨拶の歴史的な背景をさぐり、また挨拶の起源を探究した生物学者、スペンサーの論文を参照しながら、どのようにして慣習が形成され、消失するのかといった問題に肉迫している。アラブ人やインド人、アメリカ・インディアンなどの挨拶の仕方にも言及した具体的な記述に説得力がある。オルテガは、人間がかつて野獣であったという性状を保持しているために、相互の接近が悲劇を招く可能性があり、挨拶はその危険を避けるためのテクニックであったと述べている。彼はまた、好戦的挨拶と平和的な挨拶の違いについて述べたり、弱くあいまいな慣習と強く厳格な慣習を対比して論じたりしている(261~264頁参照)。いずれも大変刺激的な挨拶論である。

 オルテガの思想に関心のあるひとには、中島岳志の『オルテガ 大衆の反逆 多数という『驕り』』(NHKテキスト「100分de名著」、2019年)を入門書としておすすめする。オルテガの生涯や思想のエッセンス、歴史観などが分かりやすく解説してある。


人物紹介

オルテガ・イ・ガセト 【 Ortega y Gasset, José 】 1883.5.9~1955.10.18

スペインの哲学者、思想家。

著名なジャーナリストの子としてマドリードに生まれる。マドリード大学で学んだ後、ドイツに留学し [1905-07] 、マールブルク大学のH.コーエン、ナトルプ等の新カント学派や現象学、解釈学から影響を受ける。帰国後、マドリード大学形而上学教授 [10-] 。啓蒙的な思想文芸雑誌《Revista de Occidente》を主宰 [23-36] 。王制後のスペイン共和国 [31] で憲法制定議員となる。内乱勃発に際し、アルゼンチンに渡り、のち帰国 [48] 。《現代の課題▼:El tema de nuestro tiempo, 1923》では、〈生の理性razón vital〉を重視する人間論を展開するとともに、合理的に体系化された思想を忌避し、パースペクティヴィズムを主張。講演、評論、エッセーなど多様な形式によって思想を表現した。自由主義の立場からファシズムやマルクス主義を批判した。20世紀の文明批評、大衆社会論の代表的著作《大衆の反逆▼:La rebelión de las masas, 1929》では、権利要求のみに走る大衆主義を強く批判し、その精神主義的主張により貴族主義者、保守主義者とも見なされた。

〖著作〗 無脊髄のスペイン:España invertebrada, 1922.愛について:Über die Liebe, 1933.Buch des Betrachters, 1934.Stern und Unstern, 1937.Das Wesen geschichtlicher Krisen, 1943.体系としての歴史:Geschichte als System, 1943.

©Iwanami Shoten, Publishers

"オルテガ・イ・ガセト(Ortega y Gasset, José)", 岩波 世界人名大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2020-11-17)

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