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作家の感受力―生きることへの問いかけ―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 梨木香歩(1959~)の『ほんとうのリーダーのみつけかた』(岩波書店、2020年)は、2015年に東京の書店で行われた若者向けの講演記録と、『図書』に掲載されたふたつのエセー(「今、『君たちはどう生きるか』の周辺で」、「この年月、日本人が置き去りにしてきたもの」)をおさめたものである。この講演は、梨木の『僕は、そして僕たちはどう生きるか』(2011年、理論社)が文庫化された節目として企画された。吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』が書かれた当時と時代状況が似てきたと直感する著者が、現代を生きる若者たちに「君たちはどう生きるか」を問いかけている。 
  著者は、「はじめに」でこう述べている。「2020年、世界は新型コロナウイルスの蔓延という、未だかつて経験したことのない危機に見舞われています。この未知のウイルスは、人の体だけではなく、心や社会の結びつきまで攻撃しているかのようで、もともとあった、戦時中の隣組制度のような同調圧力は、ますます加速してきました」(iv~v頁)。マスコミでは、「自粛警察」、「マスク警察」、さらに「帰省警察」といったことばが飛び交い、他人と違う行動をするひとがバッシングされるというケースが見られるようになってきた。「世間の目」を気にして、他人と同調するひとが増え、同調を強いる人も増えた。公共の場所でマスクをしないひとは白い目で見られる。なんらかの事情でマスクをできないひとは肩身の狭い思いをする。だれもが類似の行動をせざるをえなくなり、相互監視体制の強化が進んでいる。


 この講演のテーマは、「本当のリーダーはあなたのなかにいる」である。梨木は、「群れの動物」(23頁)としてのわれわれは、「磁石がくっつくところを探すように、だれか尊敬できるリーダーを無意識に求めている」(同頁)と言う。犬は、信頼できるリーダーのもとでは安心してその命令に従うようだが(22頁参照)、われわれも、強そうなひとや堂々としているひと、自信満々なひとに惹かれていく、と梨木は言う(23頁参照)。しかし、なかには仲間に入れてもらいたいがために卑屈になったり、群れたくもない仲間にいやいや加わったりする場合もあり、生きることは、しばしば自己嫌悪や葛藤の連続だと彼女は考える(27頁参照)。
 自分が嫌になったり、人間関係の不調に悩んだりするときどうすればいいのか。「それは若い頃はありがちなことなので、ああ、やっちゃったよー、しようがないなあ、って、心のなかでためいきをついていればいいのです。まあ、しかたがないです」(同頁)。躓きが避けられない現実を受け入れることだ。おそらく、だれもが、いつかどこかで、ひとを傷つけたり、ひとから傷つけられたり、失敗して苦しんだり、落ちこんだりして生きている。しかし、われわれがこうむる苦しみの経験はまったく個人的なもので、他人にはうかがい知ることのできない側面をもつ。「それはだれにもわからない。それがわかっているのは、あなたしかいません。あなたのなかで、自分を見ている目がある。いちばん大切にしないといけないのは、そしてある意味で、いちばん見栄を張らないといけないのは、いいかっこしないといけないのは、じつは、他人の目ではなく、この、自分のなかの目です」(27~28頁)。自分のなかで現に起きていることを正直に見つめることが大切だということだ。なぜそれが強調されるのか。われわれは、しばしば、自分から自分を隠して、自分の見るべきところを見ないようにすることが少なくないからだ。自己批判を遠ざけて、自己欺瞞の方へ滑りこんでしまうのだ。
 多くのひとは、他人の目や、世間の目を気にして、変に見られないように、恥をかかないように、警戒しながら生きている。それと反対に、梨木が強調するのは「自分のなかの目」(29頁)であり、それが「ほんとうのリーダー」(同頁)である。リーダーと言えば、普通は、自分の外部に求める存在であり、「ついていきたい」、「導いてほしい」と思わせる存在である。梨木が求めるリーダーはそれとは異なる。「自分のなかの、埋もれているリーダーを掘り起こす、という作業。それは、あなたと、あなた自身のリーダーを一つの群れにしてしまう作業です。チーム・自分。こんな最強の群れはない、これ以上にあなたを安定させるリーダーはいない。これは、個人、ということです」(同頁)。自分がもうひとりの自分と連携して、チーム・自分をつくるという言い方は、少し奇異に映るかもしれない。それは、自分の外部を見る目のほかに、他人にはけっして見えない自分の内部を見つめる目に、自分の行動を直視させるということだ。他人の群れのなかに自分を埋没させることではなく、自分がもうひとりの自分と向きあい、個人として自立的に存在するということだ。自分のあり方を直視すれば、嫌でも自分の弱さやもろさ、醜さに気づき、過去の失敗や躓きを思い起こさざるをえない。それらを忘却するのではなく、梨木の言い方を借りれば、「自分を客観視する癖をつけること」(30頁)、「批判する力をつける」(同頁)ことが必要なのである。自分を客観的に見るとは、自分が自分に対する距離を保ち、自分のふるまい方を冷静に見つめることであり、現実に起きている出来事に対しても短絡的な見方をするのではなく、さまざまな側面から慎重に判断すること、端的に言えば、自分でよく考えるということである。
 とはいえ、一足飛びに自分で考えることができるようになるわけではない。考えることについて教えてくれるひとがいれば、そのひとから学ぶことだ。しかし、吉野の本に出てくる「叔父さん」のような、少年に考えることの根幹を示してくれるひとはあまりいない。そこで、自分ひとりでもできるのは、新聞記事や哲学書、文学作品などをじっくり読んで、考え、考えたことを文章にするという地道な経験を続けることだ。その経験のなかで、考える力、読む力、書く力が鍛えられていき、自分なりの仕方でものを見る判断力も養われる。多種多様な情報が洪水のように流れる時代には、情報を取捨選択する基準をもち、それを噛み砕く力をもたないと、情報に振り回されて自分を見失いかねない。ときには書かれている内容を疑い、自分で調べてみることも大切だ。「自分で考えるためには、そのための材料が必要です。その材料となる情報をまず、摂取しなければなりません。でもその情報もすべて鵜呑みにするのではなく、自分で真剣に向き合って、おかしいと思ったらこれはおかしいんじゃないか、と、疑問に思わなければならない、そういう時代になりました。つまり、その情報が出てきたところの事情を想像する力もつけなければならない」(35~36頁)。
 おそらく、人間関係に躓いたり、どうすればよいのか分からないような困難な経験に遭遇したり、他人の抵抗に出会って苦しんだりすることなどが自分で考えるようになるためのひとつの契機となるだろう。挫折が思考の出発点になるのだ。挫折を手がかりにして、自分がいったいどういう存在であり、なににすがって生きているのかを自問自答するようになる。それを起点として、さらに自分はなにについて考えようとしているのか、なぜ、なんのために考えるのかなどについても疑問をもつようになる。自分で考えるということは、なんの準備もなくいきなり始まるものではない。親や教師から促されてすぐに始まるものでもない。考えることを促されるような経験が起点となって、自分で考えるようになるのだ。
 自分で考えるようになれば、自分の思考のレヴェルや、今後の生活の目的や関心に応じて、どういう本を読むべきかが徐々に分かってくる。読書をすれば、自分の思考力の不十分さや、情報量の少なさを思い知らされて、ますます読むようになる。読むべき本は増え続け、それにつれて、真に必要な情報の取捨選択もできるようになる。そうした長期にわたる試みのなかで、少しずつ思考力が深まっていく。

 「今、『君たちはどう生きるか』の周辺で」(2018年)は、この本を信頼して読んできた梨木の吉野に対するオマージュである。『君たちはどう生きるか』は、この時期、文庫版のほかに漫画本にもなって、勢いよく売れていた。「吉野源三郎のヒューマニズム」(58~59頁)に共感する層が増えているからだと、彼女は推測している。「ヒューマニズム」ということばで意味されているのは、人種や身分、年齢、職業などにとらわれずに、お互いがいたわりあい、協力しあい、ともに成長しながら、豊かな交流を実現していくということだ。「叔父さん」と「コペル君」の交流は、まさにヒューマンと言えるものだ。
 梨木は、この本の冒頭の部分から引用している。「『コペル君は妙な気持ちでした。見ている自分、見られている自分、それに気がついている自分、自分で自分を遠く眺めている自分、いろいろな自分が、コペル君の心の中で重なりあって、コペル君は、ふうっと目まいに似たものを感じました』」(51頁)。主人公のコペル君がデパートの屋上から街を見下ろしているときに思ったことだ。人は成長するにつれて、いくつもの自分を生きていることに気づく。他人を見ている自分と他人から見られている自分、他人や日々起きてくる出来事に対する自分の態度を見つめ返す自分、自分のものの見方やふるまい方を見つめなおす自分など、色々な自分がいる。幼い頃には、自分中心的な見方が優勢だとしても、いずれは、自分の生き方が他人や世間の出来事によって限定されていることが分かってくる。他人がいてこその私だということも身にしみるようになる。
 梨木は、「自分のなかの目」を通して自分と向きあうことの大切さを強調し、吉野はコペル君を通して自分や社会に対していくつもの目をもつことの重要さを語った。こうした目を育てることによって、まずは自分の姿勢を問いただす視点が生まれ、自分の拠って立つ基盤を検討することにもつながる。こうした作業が地道になされれば、狭い思考や一方的な思い込みで他人を誹謗中傷したり、ののしったり、馬鹿にしたりする行為にブレーキがかかるだろう。
 しかし、ことはそう簡単ではない。われわれは、カントというドイツの哲学者が強調した「自分で考えること」や「相手の立場に立って考えること」が容易ではない時代に生きている。われわれは、自分と向きあい、自分と対話する時間をもつことよりも、手っ取り早く、ネット上で気に入らない他人をからかったり、罵倒したりすることに忙しい。相手と対面して、ことばを交わすこともむずかしくなった。
 われわれはしばしば「人材」の名で呼ばれ、役に立たなくなればいつでも取替えがきく材料のような存在として扱われがちである。われわれはまた「消費者」の名で呼ばれ、商品の購入や情報の収集へと絶えず駆りたてられている。新聞、雑誌や、ネット上の夥しい情報は、不断にわれわれを刺激し、通過して消えていく。そのあわただしいリズムは、われわれから落ち着いて自分や他人、社会を見つめる力を奪い去っていく。吉野の本にあふれる、暖かい交流に支えられた「ヒューマンなもの」は消えて、「とげとげしいもの」が染み出しつつある。消費者に残るのは、過剰な情報による消耗と疲労である。見も知らぬ他人が無責任に垂れ流した情報は、それに食いついて消費するわれわれを刻々とみすぼらしい存在へと変えていく。
 梨木はこう語る。「『インスタ映え』という言葉には、人目を引くことに価値を置き、他者に評価してもらって初めて安心する、極めて主体性の希薄な日常が透けて見える。ほとんどが他者に消費されて消えていく日々」(53頁)。パスカルや、ラ・ロシュフコーといったフランスの人間観察者たちが繰り返し述べたように、われわれは、自分の日常を見てもらいたい、自分のことを語りたい、偽装した自分を自慢したい、ほめてもらいたい、注目されたい、評価されたいといった自分中心的な欲望から逃れられない存在である。自分を押し出すことが恥ずかしいこととは思えず、暇さえあればちっぽけな自分を露見させて、他人の評価を待つのだ。「個の確立」や、「主体性の擁護」が声高に語られた時代もあったが、現代の主役は個人の姿をかき消してしまう圧倒的な情報である。その一部をコピーしたり、ペーストしたりして消費する学生たちは、自分で本を読んで考える力を育てられず、希薄な存在へと移行していく。片時もスマホを離さないひとは、つかの間の情報につながれ、それにぶら下がる隷属的な存在へと変っていく。
 毎日新聞夕刊の「オピニオン」欄(2020年8月25日)で、学園紛争後、長らく学習塾で教えてきた哲学者の長谷川宏のことばを聞き手がまとめている。その一部を引用する。「人々は、権力者の指示に従うことをまるで道徳的な義務であるかのように考え、『自粛警察』のような動きまで出てきた。日本の近代化は、やはり『個』の主体性、自主性を育てるものではなかったのだと改めて感じました」。他方で、長谷川は、塾関係者40人ほどで行った5泊6日の合宿体験後、今の子供たちも「個」として大切にされたい、やりたことをやりたいという感覚をもっていると述べ、哲学者のヘーゲルについては、200年も前に世界史の全体をとらえる体系を構築する一方で、「個」としての思想的営みから決して逃げない強さをもっていたと評価したという。
 われわれが群れにまぎれこんで、自分で考えず、主体的に行動しなければ、他人からの同調圧力に流されるまま、息苦しい閉塞状況が続くしかない。コロナのいまほど、「個」を育てるひとりひとりの地道な試みが大切なときはない。 


人物紹介

梨木香歩 (なしき-かほ) [1959−]

平成時代の児童文学者,小説家。
昭和34年生まれ。学生時代イギリスに留学し,児童文学者のベティ・モーガン・ボーエンに師事。平成7年「西の魔女が死んだ」で新美南吉児童文学賞,小学館文学賞などを受賞。同年「裏庭」で第1回児童文学ファンタジー大賞。18年「沼地のある森を抜けて」で紫式部文学賞。23年「渡りの足跡」で読売文学賞随筆・紀行賞。鹿児島県出身。同志社大卒。著作はほかに「からくりからくさ」「春になったら莓を摘みに」「水辺にて on the water/off the water」など。
©Kodansha

"なしき-かほ【梨木香歩】", 日本人名大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-01-20)


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