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ただならぬひと―エリック・ホッファーの生涯と思索―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』(中本義彦訳、作品社、2002年)は、「沖仲仕(港湾労働者)の哲学者」と呼ばれた人物による自伝である。
 エリック・ホッファー(1902~83)は、ニューヨークのブロンクスにドイツ系移民の子として生まれた。母親は、5歳のホッファーを抱いたまま階段から落ち、それが原因で2年後に亡くなった。その年に彼は失明した。父親のおかげで、5歳前には英語とドイツ語が読めるようになっていた。15歳のときに視力が回復した。父親は、ホッファーが18歳のときに50歳足らずで亡くなった。ホッファー家は短命の家系であった。育ての親になったマーサが口にした「『将来のことなんか心配することないのよ、エリック。お前の寿命は四十歳までなんだから』」(9頁)ということばは、心の奥深くに刻みこまれた(同頁参照)。「そのおかげで季節労働者をしていたときも、あれこれ先々のことを思い悩まずにすんだ。私は旅人のように生きることができたのである」(同頁)。


 ホッファーは、父親の埋葬後に職人組合から支給された300ドルを手にして、温暖な地カリフォルニアに移った。そこでは野宿もでき、道端のオレンジを食って生きていくこともできると考えたからだ(11頁参照)。彼は、その後10年間、ロサンゼルスの貧民街に住み、州立無料職業紹介所でいくつもの仕事を見つけて働くかたわら、暇な時間には公立図書館で読書に没頭した。「私はつましく暮らし、絶え間なく読書をしながら、数学、化学、物理、地理の大学の教科書を読み、勉強をはじめた。自分の記憶を助けるためにノートをとる習慣も身につけ、言葉を使って物事を描き出すことに熱中し、適切な形容詞を探すのに何時間も費やしたりしていた」(17頁)。この間の集中的な勉強と思索がなければ、後年の執筆活動はなかった。
 1930年、28歳になった彼は、稼いだ金が尽きたらまた仕事に戻るという生活が死ぬまで続くことに幻滅する。「今年の終わりに死のうが、十年後に死のうが、いったい何が違うというのか」(41頁)。彼は自殺することに決め、さまざまな自殺方法のなかから服毒自殺を選ぶ。薬局でも買えるシュウ酸を大量に買いこんだ。人気のない場所に行き、一気にシュウ酸を口に流しこんだ。「口中に百万本の針が突き刺さったようだった。激情に打ち震えながら、シュウ酸を吐き出した」(46頁)。その後、彼の頭に「一本の道―どこへ行くのか何をもたらすのかもわからない、曲がりくねった終りのない道としての人生」(46頁)という考えが頭に浮かぶ。「これこそ、いままで思いもよらなかった、都市労働者の死んだような日常生活に代わるものだ」(同頁)。「私は自殺しなかった。だがその日曜日、労働者は死に、放浪者が誕生したのである」(47頁)。自殺の失敗が人生の転機になった。彼は、その後の10年間をカリフォルニアで季節労働者として放浪した。
 この時期のキャンプ体験は、彼の思考全体を独特なものにし、以後30年間の執筆活動の種子を形成した(61頁参照)。彼は、4週間滞在したあるキャンプで、男たちを注意深く観察するようになる。多くの者が傷を負っている。腕が一本しかない男、木の義足をつけた男がいる。「大部分の男たちが、まるで機械の鋭い歯車から逃げ出し、そこに体の一部を残してきたかのようだった」(63頁)。「キャンプにいるわれわれは、人間のゴミの集まりなのだ」(64頁)、「われわれの大半は、社会的不適応者だった」(同頁)、これが彼の下した結論だった。「われわれは、必然的に一番風当たりの弱い場所、つまり戸外の路上へと流れ出た。そして、いま秩序立った社会の下水路に浸かっている。普通の安定した地位に留まることができず、現在の泥沼へと押し流されたのである」(64~65頁)。
 ホッファーは、自分も含めた社会的不適応者たちを見つめながら、かつてオーストラリアやシベリアの荒野などに移住した開拓者の存在に思いを寄せる。「開拓者とは何者だったのか。家を捨て荒野に向かった者たちとは誰だったのか」(66頁)。彼はこう推測する。「明らかに財をなしていなかった者、つまり破産者や貧民。有能であるが、あまりにも衝動的で日常の仕事に耐え切れなかった者。飲んだくれ、ギャンブラー、女たらしなどの欲望の奴隷。逃亡者や元囚人など世間から見放された者。そして、このほかに冒険を求める小数の若者や中年が含まれる。おそらく現在、季節労働者や放浪者に落ちぶれた者と同じタイプの人間が、一昔前は開拓者の大部分を占めていたのだろう」(66頁)。放浪者と開拓者の親縁性について考察を続けた彼は、「人間の独自性とは何かという根本的な問題」(67頁)に突き当たった。
 彼がこの問題に下す結論はこうである。「人間という種においては、他の生物とは対照的に、弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する」(67頁)。「『神は、力あるものを辱めるために、この世の弱きものを選ばれたり』」(同頁)というパウロのことばを援用して、彼はこう続ける。「弱者に固有の自己嫌悪は、通常の生存競争よりもはるかに強いエネルギーを放出する。明らかに、弱者の中に生じる激しさは、彼らに、いわば特別の適応を見出させる」(同頁)。弱者、不適応者が人間の運命を形作る上で支配的な役割を果たし、創造の新秩序を作るという見解だ(同頁参照)。
 彼は、「人間社会における不適応者の得意な役割」(74頁)というテーマに没頭し、心の奥で何度も文章を練りあげた。思索者に変身したのである。キャンプを離れた彼は、その後も季節労働者として働いたあと、1941年にサンフランシスコに定住して、65歳になるまでの25年間を沖仲仕として働いた。この25年間に、彼はそれまでの読書経験や思索を何度も検証した。1951年から1983年の間に、10冊以上の著作が出版された。研究書、評論、日記、アフォリズム集、自伝などが含まれる。
 1967年、ホッファーはCBSテレビの特別インタビュー番組に出演し、その名は全米に広がったが、サンフランシスコのアパートに死ぬまで留まった。40歳までには終わると予想していた人生は、その倍以上の長さにまで延びた。


 『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』(中本義彦訳、作品社、2003年)は、 副題にあるように、ホッファーが入念に練りあげたアフォリズムをまとめたものである。彼には、精読し、ノートを取り、自分の洞察や着想などを書きとめる習慣があった。それをいったん寝かせたあとで、再度熟考し、平均して50語から200語ぐらいの文章で簡潔に表現した。
 彼はドイツ出自でありながら、原書で読める抽象度の高い、難解なドイツ哲学を好まず、モンテーニュやパスカル、ルナンなどの英訳書の具体的で明快な文章に魅了された。これらのモラリストたちによる箴言が、ホッフアーの手本になった。とりわけモンテーニュの影響は強かった。彼は、『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』の「モンテーニュの『エセー』」のなかで、繰り返し3回読んだこの本についてこう述べている。「読むたびに私のことが書かれている気がしたし、どのページにも私がいた。モンテーニュは私の考えの根底にあるものを熟知している。彼の言葉は的確で、ほとんど箴言調である。このとき、私はすばらしい文章の魅力というものを知ったのである」(91頁)。モンテーニュは、自分を語ることは人間を語ることでもあると確信していた。ホッファーはそのスタイルを踏襲した。アフォリズムの158で、彼はこう述べている。「われわれは自分自身を見通すときにのみ、他人を見通すことができる」(75頁)。アフォリズムへの信頼はこう表現されている。「厳密な科学用語によってわれわれの精神生活を語ることは、おそらく不可能であろう。科学用語によって、人は自らを笑ったり、憐れんだりできるだろうか。われわれの精神生活を語るためにあるのは、詩かアフォリズムかのいずれかである。後者の方が、おそらくより明確であろう」(76頁)。
 本書は、「情熱的な精神状態」(1955年)と「人間の条件について」(1973年)、「補遺」からなる。前者には、最初の著作『大衆運動』(1951年)のテーマ、「どのような人間が大衆運動にひきつけられていくのか」、「その運動のなかで生じる熱狂の源泉はなにか」に関連するアフォリズムが集められている。このテーマが生まれ育った状況は、自伝の「季節労働者のキャンプ」のなかでこう述べられている。「一人でいるときこそが最も創造的なときだと信じて生きてきたが、思想の種子が芽生えたのは群衆の中に身を置いたときである。たしかに、私が最初にして最良の本を書いたときは完全に孤独な状態であったが、実際その本のなかで展開した思想は一人でいるときに生まれたものではない」(68頁)。彼が自分の思想を育てたのは、季節労働者として働いていた1930年代である。この時期、ヨーロッパではヒトラーやスターリンの全体主義が台頭し、アメリカでは大恐慌によってひとびとが激烈な変化にさらされた。ホッファーは、そうした激動のなかで群集が熱狂的な動きをする状況を見つめながら、その背後に潜むものがなにかをめぐって自らの思考を研ぎ澄ましていった。アフォリズムの13を引用してみよう。「激烈な変化の時代は、情熱の時代である。人間は、まったく新しいものには決して適応できないし、その準備もない。われわれは自らを適応させなければならないが、あらゆるラディカルな適応には自尊心の危機がともなう。われわれは試練に耐え、自らを証明していかねばならないのだ。こうして、激烈な変化に身をさらされた者は、不適応者になる。そして、不適応者は、情熱的な雰囲気の中で生き、呼吸するのである」(13頁)。
 「情熱的な精神状態」のなかには、辛らつなアフォリズムも少なくない。いくつか引用してみよう。いずれも、モラリストとしての人間観察が冴えている。「アメリカ人の浅薄さは、彼らがすぐハッスルする結果である。ものごとを考えぬくには暇がいる。成熟するには暇が必要だ。急いでいる者は考えることも、成長することも、堕落することもできない。彼らは永久に幼稚な状態にとどまる」(80~81頁)。「押しボタン文明というものは、成長による変化―静かに、ほんの少しずつ進行する変化を感知できない。驚くべきは、神学者もまた、成長による発展を感知できないことである。彼が抱く創造と変化についての観念は、技術者や革命家のそれに劣らず、押しボタン式なのだ」(81頁)。「人間は理性にほえたてられ、欲望にふりまわされ、恐怖にささやかれ、希望に招き寄せられて、よろめきながら人生を生きる。だから、人間が最も強く切望するのが、自己忘却であっても不思議はない」(98頁)。
 「人間の条件について」は、「龍と悪魔のはざまで」、「トラブルメーカー」、「創造者たち」、「予言者たち」、「人間」の全5章からなる。ホッファーは、第1章で、特異な人間観を語っている。「人間の起源について考察するとき、驚くべきは、われわれが重きを置く価値の根源にひそむ邪悪さではない。むしろ衰えを知らない悪意と残忍さを、慈善心、愛、天国へ行くという理想へと転化する魂の錬金術である」(128頁)。「われわれは悪魔の子孫である。人類にとって人間がいまなお最も恐るべき敵である以上、人類の生き残りは、いまだにさらなる人間化に委ねられている」(同頁)。「自然界における錬金術は、魂の錬金術―人間の魂においては善と悪、美と醜、真と偽が絶えず相互に変化するという事実―から考え出されたのではないだろうか」(129頁)。人間が悪魔の子孫であるという一種の性悪説に異論を唱えるひともいるだろう。しかし、自分自身と周囲の人間を観察すれば、おそらく誰もが邪悪な心の傾きを認めざるをえない。それが生まれついてのものか、後天的なものかは分からないが、われわれが悪意や憎悪を抱くことは否定できない。とはいえ、それにつきる存在ではない。彼が言うように、われわれは悪意と善意、憎悪と愛などの間で揺れ動く存在でもあるのだ。「善と悪はともに成長し拮抗しつつも、未分化のまま存在する。われわれがなしうるのは、その均衡を善へと傾けようとすることだけである」(132頁)。
 ホッファーによれば、勇気、愛情、希望、義務といった高貴な属性が、魂の錬金術によって無慈悲さへと転化するなかで、思いやりだけが善と悪の不断の往来から距離を保つ(137頁参照)。「思いやりは魂の抗毒素である。思いやりがあるところでは、最も有害な衝動でさえ相対的に無害のままでいられる」(同頁)。彼は、弱者こそが人類の生き残りに決定的な役割を果たしたのであり、「病弱者や障害者、老齢者に対する思いやりがなければ、文化も文明も存在しなかっただろう」(138頁)と述べる。彼は人間の思いやりのこころに期待を寄せる一方で、悲観的な見方も書きとめている。「人間に対する限りない、すべてを包みこむ思いやりをもってしても、巨大で激烈な変化の時代の明らかに解決不能な問題に対処することは、できないのではなかろうか。これまでのところ、社会が再出発をはかると、そこには常に悪魔がひそんでいた」(138~139頁)。
 第5章は、人間がテーマである。ホッファーは、われわれが自分自身、そして他人と関わる経験の諸相を反省しながら、人間のさまざまな特徴を描き出している。アフォリズム143はこうだ。「人間同士の間に、何と多くの深い亀裂が存在することか! 人種、民族、階級、宗教の分裂だけではない。男と女、老人と若者、病人と健康な人の間にも、ほとんど完全な無理解の溝が横たわっている。共同生活が相互了解のうえに成り立つものなら、社会は決して存在していなかっただろう」(188~189頁)。約半世紀前のこの洞察は、格差が広がり、コロナによってさらに社会の分断が深まりつつある現代の状況をそっくり照らし出している。
 彼は、「われわれは一人でいるとき、何者なのだろうか。一人になると、存在しなくなる人もいる」(188頁)と述べて、単独でいる時にこそ自分が試されるのだと自覚していた。アフォリズムの150でこう記されている。「自分自身との対話をやめるとき、終わりが訪れる。それは純粋な思考の終わりであり、最終的な孤独の始まりである。注目すべきは、自己内対話の放棄がまわりの世界への関心にも終止符を打つということだ。われわれは、自分自身に報告しなければならないときだけ、世界を観察し考察するようである」(191頁)。ホッファーにとって、自分の内面を見つめることと、自分が置かれている外部の世界を観察することとは一体であった。内と外との絶えざる往還のなかで、彼の思索は深化した。
 年季の入ったアフォリズムは、簡単には理解できない。読む側の経験が深まり、思索が鍛えられなければ、文字面を追うだけの空しい時間が過ぎるだけで、章句はこころに響いてはこない。彼のアフォリズムは、われわれに孤独な自己内対話を求めている。



人物紹介

ホッファー【Eric Hoffer】[1902~1983]

米国の社会哲学者。正規の教育を受けず、独学で数学・物理学・植物学を修得。港で働くかたわら大学で政治学を講じ、「沖仲仕の哲学者」「波止場の哲人」と称された。著作に「大衆運動」「波止場日記」などがある。

©Shogakukan Inc.

"ホッファー【Eric Hoffer】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-01-27)


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