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おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

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先の見えない世界で―先を見据えて生きる―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 1979年に「岩波ジュニア新書」が発足した。その主旨はこうしるされている。「わたしたちは、これから人生を歩むきみたちが、生きることのほんとうの意味を問い、大きく明日をひらくことを心から期待して、ここに新たに岩波ジュニア新書を創刊します」。ジュニア世代の読者を念頭に置いたこのシリーズは、しかし、大人にも興味深いライン・アップとなっている。すぐれた絵本が子供だけでなく、大人にも楽しめるのと同じだ。
 『新・大学でなにを学ぶか』(上田紀行編著、岩波書店、2020年)は、このシリーズの一冊である。隅谷三喜男著『大学でなにを学ぶか』(1981年)の続編である。著者の13名は、全員が東京工業大学リベラルアーツ研究教育院で教えている。それぞれが自身の学生時代の経験を踏まえ、未来の大学生に率直な思いを伝えている。特に目を引くものを紹介してみよう。


 伊藤亜紗の「女子学生たちへ」がお勧めだ。伊藤は、目の見えない人や吃音のある人など障害を持つ人の感じ方について研究する傍ら、目の見えない人と一緒にスポーツ観戦する方法の開発にも取り組んでいる(32頁参照)。この文章は、彼女がボストンのマサチューセッツ工科大学(MIT)に客員研究員として在籍していた時期に書かれている。キャンパスにあふれる女子学生の多さに驚きつつ、日本の状況を思い起こす。「女の子が、たいていは無意識のうちに、自分の生き方の選択肢を狭めてしまうような雰囲気が日本にはあるのではないか。日本の女の子は、何となく空気を読んでしまって、のびのびできていないのではないか」(34頁)。そこで、彼女はこうしるす。「女の子を思い切り贔屓して、女の子の背中を思い切り押すようなメッセージをつづりたいと思います」(同頁)。その一方でこうつけ加えている。「男性だって、あるいはそれ以外の性の人やマイノリティの人、障害を持っている人だって、生きづらさを抱えることがあるでしょう。そういった人たちにも、以下のメッセージが届くといいなと思っています」(同頁)。
 伊藤は、「世界は書き込み可能(Writeable)」であるという感覚を持ってほしい」(35頁)と学生たちに願う。それは、世界を自分たちの手でよりよく作り変えることである。「アリが巣に住みながら絶えずそれを直し続けているように、私たちの生きる社会は作り途中なのです。どうしたら世界をもっとよりよいものにできるか。そのために自分は何ができるか。その前向きな力が、今の日本には圧倒的に足りていません」(35~36頁)。
 彼女は、今の日本の偏った傾向を批判する。たとえば、ウィキペディアンは9割が男性であり、哲学の文献には、出産の経験についての記述がほとんどない。「人間とは何か」を問うのが哲学だとしても、苦しい出産を経験する女性のことは軽視されている。障害者の経験や感じ方についてもあまり顧みられていない。だからこそ、彼女は、「ダメなところがたくさんある社会に書き込みをする」(40頁)ことを学生たち、特に女子学生に求める。「何か違和感を持つことがあったら、その背景を調べ、あなたに可能な書き込みをしてほしい。どんなに小さなことでも構いません。お客さんとして社会を傍観しているのではなく、プレイヤーとしてフィールドに下り、参加してほしいのです」(同頁)。理不尽な目にあって落ちこんだり、つまずいたりしても、なぜそうなるのかを考えて、現状を少しでもよい方向に変えようとしてほしいという強いメッセージだ。
 中野民夫の「僕は大学時代、何よりも旅から学んだ」も面白い。彼は大学では宗教学を学び、7年間の営業職を経たのちに休職して留学した。30年会社勤めをし、早期退職して大学教員になった。
 今日の大学では、学生たちはともすれば子ども扱いされ、厳しい出席管理によって授業に縛りつけられる傾向が強まっている。講義など馬鹿にして出席せず、学生運動や好きなことに熱中する学生が多かった時代とは隔世の感がある。
 中野は、人生の意味や社会の理想について真剣に探究したいと期待して入学したが、大教室での一方的な講義に嫌気がさし、問題意識が合わない同級生ともうまくいかず、ひとり浮いてしまった(86頁参照)。「『もっと主体的な人生を始めなければダメだ』」(同頁)と思いつめた彼は、大学の外へと動いた。中古の原付バイクで佐渡島へ渡り、つづいて北海道を旅した。1年生の夏には休学を決意し、働いて貯めたお金でアジアの国々を旅したが、ミャンマーで体調を崩した。下痢と嘔吐に苦しむ病床で成人式を迎えた彼は、自分がいったい何をしているのか無力感にとらえられる。「でも、そこからかな。本当の自分の人生の旅が始まったのは。自分の意思で主体的に始めたことには手応えがある。思った通りにはいかないことだらけで、厳しい試練にも出くわす。でも人は試練を経て、ようやく成長する。自らチャレンジして遭遇する試練は、受けて立つしかない。そしてそこから何かが始まる」(88頁)。体調がもどらず、彼はいったん旅の夢を諦めて実家に戻り、復学する。
 中野は、その後も、インドやネパールなどに旅をしている。「石の寺院や碑があり、人々の祈りがあり、何かほっとする穏やかな世界」(91頁)が広がるネパールの山里を訪ねて感銘を受けたことがきっかけで、彼は「宗教学科」に進むことに決めた。3年生の夏には、3度目のインド旅行に出かけ、翌年の3月から半年間はアメリカから中南米を旅している。
中野は、旅から学んだことを三つあげている。ひとつ目は、インターネットを通じて知る世界とは別の「世界」である。「空気感、人々の表情、街のにおい、食べ物の味や辛さ、人の怖さと優しさ、文化の違いと奥深さ」(96頁)、それは全身で体験する世界である。この世界を肌で知ると、「自分がこれが『世界』だと思っていた世界はガラガラと崩れ、更新されていく。『世界』はどんどん大きく深くなり、何かを知れば知るほど知らないことがたくさんあることがわかり、人は謙虚になる」(同頁)。
 ふたつ目は、旅を通じて身につく、自分で考え、判断し、決めるという「自己決定力」である。先の見えにくい現代を生きていくうえで、人生を豊かにするためには欠かせない力である(97頁参照)。
 三つ目は、旅は好奇心と想像力、愛を育むということである。好奇心がなければ未知の世界の旅を楽しむことはできない。旅の経験を積み重ねていくことで、たとえ未知の出来事でもその細部を想像できるようになる(同頁参照)。旅の途上で万物の輝く瞬間に触れた感動が、こう表現されている。「この世界の一切が、自分も他者も自然も生きとし生けるものも、それぞれがかけがえのない輝きを持って瞬き始めるとき、全存在への愛が生まれる」(98頁)。
 大学を出るのが1年や2年遅れても構わない。旅に出てみれば、生涯を通して輝き、相互に響き続けるたくさんの宝、ネタが得られるのだから、ぜひ旅をしなさい(同頁参照)。これが中尾流のメッセージだ。


 『10代の本棚 こんな本に会いたい』(あさのあつこ編著、岩波書店、2011年)は、作家や医師、教員など13人が若い時期の読書体験を自由につづったものである。いずれも読みやすい文章で書かれている。
 あさのあつこの「はじめに」がすてきな内容だ。あさのは、本を読むという経験によって、見知らぬ他人同士であっても繋がることができ、現実に生きている誰かとだけでなく、本の中の世界、現実とは違う虚構の世界に生きる人々とも繋がっていけることに気づいたと言う(ⅲ~ⅳ頁参照)。「わたしは、本に出会うまでまったく気がつきませんでした。私を取り巻く世界は平凡で、つまらなく、わたし自身も平凡で、つまらない人間だと思い込んでいました。/もし、本に出会わなかったら……そう考えると、今でも、背中の辺りがぞわぞわして、つーっと冷たい汗が流れます。/本と出合い、本を知り、本を読み、それで、わたしの人生が全て薔薇色になったわけでもなく、幸福に包まれ続けたわけでもありません。思い悩むことも、心が重く沈むことも、号泣したことも、辛くて辛くて唇を血がにじむほど噛み締めたこともあります。今でも、どたばたと足掻き、頭を抱え、唸り声をあげているのです」(ⅳ~ⅴ頁)。本は、ときにはわれわれを打ち砕き、生のどん底に追いこんでしまうのだ。われわれの悩みや苦しみ、悲しみ、痛みを即座に解消する力は、本にはない。本は現実の生活に直接に役立つこともない。にもかかわらず、なぜ本が存在し、必要とされているのかと、彼女は問い、その答えは13人の文章のなかに見つけられると述べる。
 あさのは、本に対する信頼をこう表現している。「みなさん、人は本によって支えられ、励まされ、希望を与えられることがあります。(中略)みなさんが、ふっと『今日は本でも読もうかな』という気分になるまで、静かに待ち続けているのです。そんなに優しいのですよ、本は」(ⅴ~ⅵ頁)。
 アン・サリーの「マンホールの暗闇の中で」を紹介しよう。彼女は在日コリアンの小学校時代に、全員で声を張り上げて歌うことに強烈な感動を覚えた。自分のアイデンティティがどこにあるのか悩む日々に、音楽が救いになった(16頁参照)。大学を卒業して内科医として働く傍ら、全国で歌のライブ活動を続けている。彼女は、小田実の『何でも見てやろう』に刺激され、アメリカに留学した。本を生きるよすがにしたひとりの患者との出会いが回想されている。「三〇代で亡くなった患者さんの枕元には、本が山のように積まれていた。言葉は少ないが本質を見据えたかのように目の光が鋭く、ぽつりぽつりと語られる言葉の力の強さが印象的だった。難治性の病気を抱えたことで、生きる上で余計なものがそぎ落とされ、研ぎ澄まされていったのかと想像する」(21~22頁)。
 本書には、それぞれの執筆者が若いころに夢中になって読んだ本がリストアップしてある。佐藤多佳子は「10代の伴走者」のなかで、わくわくしながら、繰り返し読んだ本として、トーベ=ヤンソンの「ムーミン」シリーズ、ルーシー・M・モンゴメリの「赤毛のアン」シリーズなどをあげている(93~94頁参照)。畑谷史代は「いつでも帰れる場所」のなかで、読書が苦手なひとにも自信をもって勧められる本として、アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』をあげている(143頁参照)。どの本でもいいので、「これ面白そうだな」と思ったら、まずは読んでみてほしい。好奇心からふと手に取った本が、みなさんの将来を変えるかもしれない。

 頭木弘樹『絶望読書 苦悩の時期、私を救った本』(飛鳥新社、2016年)は、絶望状態にあるときに読むべき本のすすめだ。世の中には、ある時期に絶望的な状況に追いこまれ、どうしてよいのか分からず途方にくれるひともいれば、やがて本によって救われるひともいる。本書は、未来の展望が消えて、孤独な世界に落ちこんで抜けられないひとに向かって書かれている。
 本書は2部構成である。第1部「絶望の『時』をどう過ごすか?」は、「なぜ絶望の本が必要なのか?―生きることは、たえずわき道にそれていくことだから」、「絶望したときには、まず絶望の本がいい―悲しいときには悲しい曲を」、「すぐに立ち直ろうとするのはよくない―絶望の高原を歩く」、「絶望は人を孤独にする―それを救ってくれるのは?」、「絶望したときに本なんか読んでいられるのか?―極限状態での本の価値」、「ネガティブも必要で、それは文学の中にある―非日常への備えとしての物語」の全6章からなる。第2部「さまざまな絶望に、それぞれの物語を!」では、太宰治、カフカ、ドストエフスキー、金子みすず、桂米朝、マッカラーズなどの本が紹介されている。
 頭木は、大学の3年生のときに難病にかかった。医師からは、一生治らない病気であり、大学院への進学も、就職も無理で、ずっと両親の世話にならなければならないと告げられた(46頁参照)。「まだ二十歳の若者で、前途洋々と思っていたのが、突然に、問答無用に闘病生活を強いられ、未来の展望も失ってしまったのです」(50頁)。
 頭木は、病院の見舞いで前向きな本や闘病記を渡されても読む気にはならなかったが、長期入院の経験者からもらった絶望的な内容の本がよかったと言う。その種の本は、なによりも心にしみ、共感できるし、普通のコースから脱落した人生の脚本を書き直す力をもたらしてくれるからだ(52~53頁参照)。とはいえ、絶望の初期の段階から「絶望本」が読めるはずはない。頭木によれば、絶望の底に沈みこんでも、じっとそれに耐えていると、やがて「高原現象」という、絶望の横ばい状態が続く段階が訪れる(76~77頁参照)。この段階をうまく過ごすには、絶望の文学や絶望の映画が有効だと言う。彼は活字好きではなく、できれば文字を読みたくないタイプだったが、病院では「自分の絶望と響き合う本」(93頁)のみをむさぼり読んだという。長期入院患者のなかには、本とのつき合いが薄かったひとでも、頭木がすすめたドストエフスキーの熱心な読者になったひとも多くいた(94~95頁参照)。「生存をおびやかされ、どうしていいかわからない、精神的に追い詰められたときこそ、本を読みたくなるのだと思います」(99頁)。
 「みんな、勝つのはいいことだと聞かされてきた。だが、私は言いたい、負けるのもいいことなのだと」(ホイットマン)、「人は幸運の時に偉大に見えるかもしれない。しかし、真に向上するのは不運の時だ」(シラー)などのことばに触発されて、頭木は、弱い人、負けた人、挫折した人、困難を乗り越えられなかった人のなまの声を聞きたいと思う(107~108頁参照)。しかし、ネガティブな手記はほとんど日の目を見ないので、それに代わるのがネガティブ思考の底力を表現した文学作品だと、彼は主張する(110頁参照)。具体例としてカフカの『変身』や、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』などがあげてある。
 自分がどういう人間で、どういう状況にあるかで、どういう本を読むべきか、読まないほうがいいかがある程度まで決まってくる。頭木は自分の絶望体験のなかで、絶望したときに読む本に出会って救われた。本書は、本がいざというときの命綱になることを教えてくれる。



人物紹介

あさの あつこ [1954-]

1954年、岡山県生まれ。作家。青山学院大学文学部卒業。97年、『バッテリー』で野間児童文芸賞受賞。『バッテリーII」で日本児童文学者協会賞受賞。『バッテリーI~VI』で小学館児童出版文化賞受賞。著書に『ガールズ・ブルー』(ポプラ文庫)、『福音の少年』、『ラスト・イニング』、『挽夏のプレイボール』(すべて角川文庫)、『NO.6』シリーズ(講談社文庫)、『チュウガクセイのキモチ』(小学館)、『グラウンドの空』(角川書店)、『13歳のシーズン』(光文社)など多数。 ―「本書」より


頭木 弘樹 (かしらぎ-ひろき)

筑波大学卒業。 文学紹介者。
著訳書に、
『「逮捕+終り」―『訴訟』より』 フランツ・カフカ 創樹社 (翻訳と評論)
『絶望名人カフカの人生論』 フランツ・カフカ 飛鳥新社 (翻訳と解説)
『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』 ゲーテ、カフカ 飛鳥新社 (翻訳と解説)
がある。 ―「本書」より

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