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推薦文
:和田 渡 (阪南大学 名誉教授)
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ローゼ・アウスレンダーの『雨の言葉 ローゼ・アウスレンダー詩集』(加藤丈雄訳、思潮社、2007年)は、第2次世界大戦中の戦争と暴力の嵐をかろうじて生きのびた女性が残した膨大な数の詩の一部を本にしたものである。記憶からけっして消えない過去との対話と内省の記録である。
ローゼ・アウスレンダー(1901~1988)は、ユダヤ系のドイツ詩人である。彼女は、当時オーストリア領(現ウクライナ)の一地方の首都、チェルノヴィッツに生まれた。この地域では、ドイツ人、ウクライナ人、ルーマニア人、ユダヤ人などが共存して平和な生活を享受していた。1939年にポーランドに侵攻したドイツ軍は、2年後にはこの地域を占領した。ドイツ系ユダヤ人は敵視され、弾圧され、排除の標的とされた。ゲットーが作られ、ユダヤ人の強制収容者への移送が始まり、毒ガスによる虐殺が繰り返された。チェルノヴィッツに住んでいた約6万人のユダヤ人のなかで、戦後の生存者は5000人にすぎなかった。アウスレンダーは、母とともに地下室や防空壕に隠れて逃走しながら、詩を書き続け、過酷な出来事の細部を記録しようとした。フランスでは、『フランス組曲』(白水社)の作者のユダヤ人女性、イレーネ・ネミロフスキーが、パリに侵攻したドイツ軍から逃げる途上で、現に目の前で起きていることを書きとめていた。彼女は、逮捕され強制収容所に送られ、そこから生きて戻ることはなかった。 | |
1946年、アウスレンダーは友人たちの尽力でアメリカに単身で移住し、そこで母の死を知る。その後、1959年まで「『母なる言葉であり、殺人者の言葉』」(13頁)であるドイツ語を使わず、英語の詩を発表し続けた。1964年にウイーンに移住するが、反ユダヤ主義の風潮を恐れ、翌年に友人たちの住むドイツのデュッセルドルフに移った。1972年に同地のユダヤ人の老人ホームに入居し、1988年に死去した。彼女にとって、「詩を書くこと」は「呼吸すること、生きること」であり、同時に、「死者たちのために生きること」であった。詩作は老人ホームの病床で最期まで続けられた。失われた故郷、同胞のユダヤ人の強いられた死、ことば、生きのびた自己の存在、苦しみと老い、記憶、愛といった問題が、繰り返し詩の主題となった。いずれの詩も、われわれの魂に深い余韻を残す。
「伝記的メモ」という詩を引用してみよう。 |
私は語るのです
あの燃え上がった夜のことを
それを消したのは
プルート河
悲しみにしだれる柳のことを
血色欅の木
歌うことをやめた小夜啼鳥のことを
黄色い星のことを
その星の上で私たちは
刻一刻と死んでいった
あの死刑執行の時代に
薔薇について私は
語りはしない
彷徨い揺らぎ
ブランコにのって
ヨーロッパ アメリカ ヨーロッパと
私は住むのではない
私は生きるのです (20~21頁)
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戦争と、戦争によって殺されていった同胞のことを思い、過去と向き合いながら、生きて、書きとめる自分の「生きる」覚悟を伝える詩である。
アウスレンダーの「書き続けること」への覚悟は、「あたえてください」という詩に表明されている。ことばを通じて「時代の姿」を克明に現そうとする彼女の意志が鮮明だ。
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私にあたえて!
まなざしを
私たちの時代の
姿を射抜く
私にあたえて!
言葉を
その姿を写し取る
言葉を
力強い
この大地の
息吹のような (27~28頁)
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アウスレンダーは、差別と憎しみ、暴力の連鎖に巻きこまれ、翻弄され続け、生きることに怯えながらも、死者たちの記憶に遡行することを止めなかった。「雨の言葉」は、自己の存在の悲劇的なあり方を鮮烈にうたう詩である。氾濫することばによって天空に導かれ、やがて血塗られた現実に下降するというイメージは、受動的な実存のありようをあらわにしている。 |
雨の言葉が
私に氾濫する
滴によって吸い上げられ
雲の中に押し上げられ
私は雨となって
開いた
真っ赤な
罌粟の口もとに降る (31頁)
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ことばによって生きる自己の実存を鮮明に示すのが、「私は誰」というつぎの詩だ。 |
絶望に陥ると
私は詩を書く
うれしいと
詩が自ずとわく
この私の中に
私は誰
もし
詩を書かないのなら (35頁)
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「ことば」には、アウスレンダーの「ことばは私のいのちである」という強い思いが現われている。 |
私をこのままあなたの下僕としてください
生きている限り
呼吸するのはあなたの中で そう私は思っています
私はあなたを求め 渇いています
一語一語 私はあなたを飲みほします
私の泉よ
あなたの怒りのきらめき
冬の言葉
リラのようにかすかに
あなたは私の中で花を咲かせる
春の言葉
私はあなたに付き従う
眠りの中にまで
あなたの夢のひとつひとつを綴りにかえる
私たちは分かり合っている 文字通りに
私たちは愛し合っている お互いに (55~56頁)
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「わからない」には、目的も方向も定かでなく、理不尽なことが起こる人生の諸相を顧みて、「断定できることはなにもない」と諦観するアウスレンダーがいる。 |
なぜ今まで生きてきた
私にはわからない そのわけは
まだこれからも私の呼吸は続く
いつそれがやむのか そして
噴水の言葉は
窓の向こうの
ポプラをはきだす緑は
犬の鳴き声 そして日曜の鐘は
鶫の声 錯綜する騒音は
血で血を洗う兄弟の争いは
また この歯の痛みは
ずきずきする頭の痛みは
ああ 捨て去られた魂は
なぜ なんのために
私はわからない
それでいい
何も私はわからない (116~117頁)
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『雨の言葉』の最後の詩は、「再び」である。 |
どうか再び
私を水にもどしてください
流れていきましょう 私は
流れとなって
海へ
そそいで (134頁)
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ことばによって生きのび、過去の記憶と悪戦苦闘してきた詩人の生との別れを告げることばが胸を打つ。
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ローゼ・アウスレンダー 【Rose Ausländer】 [1907.5.11-1988.1.3]
ドイツのユダヤ系女性詩人。チェルノヴィッツ(現ウクライナ、チェルノフツイ)に生まれ、同郷のツェラーンとの交流もあった。初めての詩集『虹』Der Regenbogenは1939年に出版されたが目下消失。第二次大戦中の1941~44年ゲットーでの迫害の時を生きぬき、46年アメリカに移住、詩の翻訳などして、61年帰欧。65年ゲットー時代の詩も含む詩集『盲目の夏』Blinder Sommerでドイツ文壇に復帰、以後20冊を超える詩集が刊行され、多くの文学賞を受賞した。71年からデュッセルドルフのユダヤ人老人ホームで暮らした。
(神品友子)
©Shueisha
"アウスレンダー ローゼ", デジタル版 集英社世界文学大事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-05-11)
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