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センス・オブ・ワンダー―レイチェル・カーソンの遺言―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 レイチェル・カーソン(1907~1964)は、当時約2500人の住むアメリカの小さな町で生まれた。幼年期には、母親とともに、周囲の自然に親しみ、自然の神秘的なまでの美しさに見入った。母親からは、人間も生きものも相互に依存して生きていることや、すべての生命が美しく輝いていることを教えられた。この時期の経験が後年のカーソンの発想の基礎をつくった。少女時代から作家をめざし、女子大学では文学部に所属した。しかし、生物学に魅了され、科学者への道を求めるようになった。ジョンズ・ホプキンズ大学大学院に進学し、動物発生学を専攻し、海洋生物の研究にも着手した。修士課程を終了後、アメリカ商務省の漁業局の生物専門官に採用された。彼女は、公務員生活をしながら、海の生きものや、海とかかわりの深い鳥の生態を探究して、「海辺」、「カモメの道」、「川から海へ」の3部からなる『潮風の下で』(1941年)にまとめた。生きものを生き生きと描いたこの本は評判になり、作家への道が開かれた。この本とともに、「海の三部作」と呼ばれる『われらをめぐる海』(1951)、『海辺』(1955)はベストセラーになった。


 カーソンは、ある日、読者から一通の手紙を受けとった。殺虫剤(DDT)が空中に散布されたのちに、自分の庭にやってきたコマツグミが死んでしまったと書かれていた。この手紙を契機にして、彼女は、1962年に、4年の歳月をかけて『沈黙の春』(青木簗一訳、新潮文庫[81刷]、2020年)を書きあげた。膨大な資料を読みこんで、化学物質が食物連鎖を通じて生態系の全体におよぼすリスクを明らかにし、環境汚染による深刻な危機を予見した。この本は、産業界からの批判をうけ、賛否両論を巻き起こす。この本の趣旨は、冒頭に引用されたE・B・ホワイトの文章に端的に示されている。「私は、人類にたいした希望を寄せていない。人間はかしこすぎるあまり、かえってみずから禍いをまねく。自然を相手にするときには、自然をねじふせて自分の言いなりにしようとする。私たちみんなの住んでいるこの惑星にもう少し愛情をもち、疑心暗鬼や暴君の心を捨て去れば、人類も生きながらえる希望があるのに」(7頁)。はるか昔、ソポクレスは『アンティゴネー』という悲劇を書き、おしまいでコロス(合唱隊)に、思慮を欠き、奢りたかぶる人間の大言壮語は、やがてひどい打撃を受けることになると歌わせた(『ギリシア悲劇Ⅱ』、ちくま文庫、1986年、218頁参照)。『沈黙の春』は、ソポクレスの予言が的中したことのあかしであり、地球環境や環境汚染問題を考えるひとにとってはいまもなお必読の書である。
 カーソンは、この本を執筆中にガンに冒され、余命が限られたなかで出版にこぎつけた。彼女は、ある雑誌に「あなたの子どもに驚異の目をみはらせよう」というタイトルで掲載された自分のエッセー(1956年)に手を加え、本にすることを最後の仕事と考えた。しかし、その仕事は、1964年の死によって中断した。
 『センス・オブ・ワンダー』(上遠恵子訳、新潮社、1996年)は、彼女の遺志を友人たちが受けつぎ、一冊の小品にまとめたものである。生きものや自然に対するカーソンの讃歌が、やわらかく、美しい文章で表現されている。原書では、メイン州の林や海辺、空などの写真が収められているが、邦訳では、写真家の森本二太郎が撮影した長野県や新潟県の自然や植物の写真が12枚挿入されている。
 この本にはふたつのメッセージがこめられている。ひとつは、子をもつ親に向けられたものである。「生まれつきそなわっている子どもの『センス・オブ・ワンダー』をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります」(23~24頁)。「センス・オブ・ワンダー」は、「神秘さや不思議さに目を見はる感性」(23頁)と訳されている。カーソンによれば、われわれは大人になるにつれて、「自然という力の源泉」(同頁)から遠ざかり、「つまらない人工的なもの」(同頁)に夢中になりがちである。だから、彼女は、子どもといっしょに空を見あげて、夜明けやたそがれの美しさや、流れる雲、夜空の星を見つめること、風の音をきくことを親たちにすすめる。「雨の日には外にでて、雨に顔を打たせながら、海から空、そして地上へと姿をかえていくひとすじの水の長い旅路に思いをめぐらせること」(27頁)、「公園やゴルフ場などで、あの不思議な鳥の渡りを見て、季節の移ろいを感じること」(同頁)、台所の植木鉢にまかれた一粒の種が芽を出し、成長する植物の神秘にふれて、いっしょに子どもと考える機会をもつことや、親子で自然の奏でる音を聴いて語り合うことなどができればすてきだ(同頁参照)。「雷のとどろき、風の声、波のくずれる音や小川のせせらぎなど、地球が奏でる音にじっくりと耳をかたむけ、それらの音がなにを語っているのか話し合ってみましょう」(38頁)。ありふれたつまらないものと思っていたものを、いっしょに虫めがねでのぞいてみることもおすすめだ。雪の結晶、浜辺の砂、森の苔、池の水草や海藻、木の芽や花のつぼみ、咲きほこる花などを虫めがねで拡大してみると、「自然のいちばん繊細な手仕事」(32頁)に接することができ、われわれは「人間サイズの尺度の枠」(34頁)から解放されるという(32~34頁参照)。
 もうひとつのメッセージは、最初のメッセージから必然的に導かれてくるものだが、われわれひとりひとりに向けられている。周囲のすべてのものに対する感受性に磨きをかけ、感覚の回路を開き、目や耳、鼻、指先で世界を学び直すよう、彼女はわれわれに促している(28頁参照)。学びなおすためには、なによりも注意深さが欠かせない。カーソンはこう述べる。「目にはしていながら、ほんとうには見ていないことも多いのです。見すごしていた美しさに目をひらくひとつの方法は、自分自身に問いかけてみることです。/『もしこれが、いままでに一度も見たことがなかったものだとしたら? もし、これを二度とふたたび見ることができないとしたら? 』と」(同頁)。われわれは刻々と変化する存在であり、自然界で起こることも瞬時に変わっていく。それゆえに、どの出会いもただ一度限りのものであり、まさに「一期一会」である。しかし、そのおごそかな事実を真摯に受けとめることは少ない。われわれは、いま見たり、聞いたりしているものは、また何度でも見聞きできると思いこみがちで、いましか経験できないのだという緊張感が薄れ、いま見ているものを心をこめて見ることができなくなる。見えているものを本当には見ず、その貴重な意味を見逃してしまうことになるのだ。
 カーソンは、生きものたちが奏でる音楽にわれわれを招待する。「虫のオーケストラは、真夏から秋の終わりまで、脈打つように夜ごとに高まり、やがて霜がおりる夜がつづくと、か細い小さな弾き手は凍えて動きが鈍くなっていきます。そして、とうとう最期の調べを奏でると、長い冷たい冬の静寂のなかへひきこまれていきます」(40頁)。「庭の小道に沿ったあたりからは、楽しそうなリズミカルな、ジーッ、ジーッという音がきこえてきます。それは、暖炉で薪がはじける音や、猫がのどを鳴らす音と同じように、なじみ深い家庭的なひびきです」(42頁)。彼女が「『鈴ふり妖精』」(同頁)と呼んでいる虫は、「小さな小さな妖精が手にした銀の鈴をふっているような、冴えて、かすかで、ほとんどききとれない、言葉ではいいあらわせない音」(同頁)を聞かせてくれる。広い空を飛び、仲間同士がはぐれてしまわないように呼びかわす渡り鳥は、「鋭いチッチッという音や、シュッシュッというすれ合うような音」(44頁)で低く鳴く。精妙な音の描写がすばらしい。こうした虫の音は、都会に住んでいても、近くの公園や草むらに行って耳を澄ませば聴くことができる。庭の木に飛んでくる鳥たちのさえずりに耳を傾けるのもいい。しかし、忙しさにかまけ、自然と交流する機会がもてないと、生きものの声は聞こえてこない。
 この小品のおしまいの方で、カーソンの信念が述べられている。彼女によれば、地球の美しさや神秘を感じとれるひとは、人生に飽きて疲れたり、孤独感にさいなまれたりすることはない。たとえ生活苦や日常的な心配事が絶えないとしても、そうした神秘に接することで内面的な満足感と生きる喜びに通ずる小道を発見できれば、死ぬまで生き生きとした精神力を保つことができる(50頁参照)。楽天的な見方にも見える。いったいどれだけのひとがカーソンの言う地球の美しさと神秘を感じとれるだろうか。気候の温暖化によって氷河は崩壊し、森林火災や豪雨も多発している。放射性物質やプラスチックによる大地と海洋の汚染も続いている。人間の利益追求のために森林は破壊され、生きものたちは住家を追われている。地球の美しさは失われる一方である。経済優先の多忙な生活に追われていると、夜明け前の鳥たちの音楽に耳をすますことも、沈みゆく太陽と雲のつかの間の共演に目を奪われることもなくなる。地球の神秘を感じとることは、日々困難になってきている。
 『センス・オブ・ワンダー』はこう結ばれている。「自然にふれるという終わりのないよろこびは、けっして科学者だけのものではありません。大地と海と空、そして、そこに住む驚きに満ちた生命の輝きのもとに身をおくすべての人が手に入れられるものなのです」(54頁)。カーソンにとっての地球は、水や土や空気や風に支えられた無数の生命が輝く星であった。
 かつて、ゲーテは、大気につつまれた地球を、絶え間なく息を吸い、息を吐いている大きな生きもののように考え、地球の呼吸と大気や水蒸気の動きとをむすびつけていた(エッカーマン『ゲーテとの対話』(上)、山下肇訳、岩波文庫、374頁参照)。
 長田弘という詩人はこう詠った。


    今日、あなたは空を見上げましたか。
    空は遠かったですか、近かったですか。

 

    雲はどんなかたちをしていましたか。
    風はどんな匂いがしましたか。

 

    樫の木の下で、あるいは欅の木の下で、
    立ちどまったことがありますか。
    街路樹の木の名を知っていますか。
    樹木を友人だと考えたことがありますか。

 

    夜明け前に啼きかわす
    鳥の声を聴いたことがありますか。
    ゆっくりと暮れてゆく
    西の空に祈ったことがありますか。

    (詩・長田弘 絵・いせひでこ『最初の質問』、講談社、2013年より)

 

 ゲーテのように、生きて呼吸している地球というイメージを抱き、長田のように、空や雲、風や木、鳥の声との、そのつど一回限りの出会いをこころに刻む経験を生きることができれば、カーソンの言う「自然にふれるという終わりのないよろこび」を味わえるのかもしれない。自分のなかに閉じこもることをやめ、感受性を外へと開いて生きるあり方こそが、環境破壊の進むいまこそ求められているのだ。

 

 多田満の『センス・オブ・ワンダーへのまなざし レイチェル・カーソンの感性』(東京大学出版会、2014年)は、自然、科学、芸術、生命、社会と「センス・オブ・ワンダー」とのかかわりに焦点を定めて、自然観や社会観、生命観などを多岐にわたって検討している。カーソンの世界を多面的な観点から見るために有益な一冊である。多田は、カーソンの環境思想で強調されている特徴を以下の六つに集約している。1.神秘さや不思議さに目をみはる感性(Sense of Wonder)、2.生命に対する畏敬の念(Sense of Respect)、3.自然との関係において信念をもって生きる力(Sense of Empowerment)、4.科学的な洞察(Sense of Science)、5.環境破壊に対する危機意識(Sense of Urgency)、6.自主的な判断(Sense of Decision)(6~8頁参照)。カーソンの思想の射程を考えるうえでも大いに参考になる。
本書では、カーソンの自然観と類縁性をもつ何人かの人物とその思想が紹介されている。『ウォールデン―森の生活』を書いたヘンリー・デイビッド・ソロー、自然の生態系の尊重を説いた社会学者の鶴見和子、人間は自然の一部だと強調し、人間中心主義から生態系中心主義への転換を唱えた倫理思想家のアルド・レオポルド、詩人のエマソン、水俣のひとびとの切実な声を世界に届けた作家の石牟礼道子、複合汚染の実態を描いた有吉佐和子などである。空海や南方熊楠のエコロジカルな観点にも言及されている。
いまや、世界は危機に瀕している。今日の地球には、膨大な数の新規化学物質や多種多様な合成物質があふれ、海や空や大地の汚染には歯止めがかからない。かつて、石牟礼道子は、原発事故の直後に、この国を「毒死列島」と表現した。人間もふくめて生きものには生きにくい過酷な環境が拡大しつつある。本書の第6章「社会―技術文明とセンス・オブ・ワンダー」は、『沈黙の春』の予見の確かさを指摘し、現に進行中の危機をさまざまな角度から検証している。今後も汚染と破壊が繰り返されれば、この先なにが起こり、どういう事態が訪れるのか。崩壊を食い止めようとする欧米の若者の運動のひろがりに期待しつつも、楽観的な予測を可能にする要素は限りなく少ない。
本書は、危機的な現状をどのように受けとめ、われわれがなにを考え、なにをすべきかについて貴重な提言をおこなっている。じっくり読んで、現に進行する事態を見つめながら、環境と生きもののかかわり方を考えてほしい。

人物紹介

レイチェル・カーソン 【Rachel Louise Carson】 [1907-1964]

アメリカの海洋生物学者、作家。ペンシルベニア州スプリングデール生まれ。ペンシルベニア女子大学、ジョンズ・ホプキンズ大学動物学科大学院に学び、1932年修士号を取得。メリーランド大学で短期間教鞭 (きょうべん) をとったのち、政府の漁労野生生物局に海洋生物学者として入り、のちにウッズ・ホールとボーフォートの海洋生物学研究所に勤めた。少女時代から文章家を目ざし、農薬の危険性を警告した『沈黙の春――生と死の妙薬』(1962)によって世界的名声を博した。この著作は文明諸国に大きな衝撃を与え、自然保護や環境保全の重要性を認識させる先駆けとなった。

[藤原英司]

©Shogakukan Inc.

"カーソン", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-06-03)

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