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おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

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文学と宗教への招待―若者たちへ―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 ジョン・サザーランドの『若い読者のための文学史』(河合祥一郎訳、すばる舎、2020年)は、文学の魅力を分かりやすく語った名著である。著者は、ヴィクトリア朝小説と20世紀文学の専門家。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの現代文学名誉教授である。2005年には、イギリス最高の文学賞であるブッカー賞の審査委員長を務めた。
 本書は、イェール大学出版局の「リトル・ヒストリー」シリーズの一冊である。文学の森は途方もなく巨大で、入り組んでおり、どんなに本好きのひとでも、その森のほんの一部にしか入りこめない。「リトル・ヒストリー」という制約上、文学の森を踏破することなどできない。あれもこれも選ぶわけにはいかないとなると、どんな基準を設定するのか。著者は、本書の狙いを控えめに語っている。「『多くの人が大切だと思ってきた作品なので、あなたもそう思うかもしれないが、最後は自分で決めてください』式の助言であるとお考えいただきたい」(9~10頁)。膨大な文学作品のなかで、どんな本を読むことになるかは、本人の好み、関心次第であるが、よいブックガイドがないと、自分に合った本になかなかめぐり会えない。本書は、間違いなく最良の作品紹介書である。著者は、文学の歴史の全体を見渡しながら、特に若者にすすめたい作品を選んでいる。作家の描写や作品の切り口がシャープで、ユーモアにもあふれている。「これはぜひ読んでみよう」と誘惑される本が何冊も見つかるだろう。


 著者は、文学への信頼をこう表現する。「物事を深く考える人の人生において、文学は大きな役割を果たす。人は、家や学校で多くを学び、自分より賢い人や友人からも学ぶ。けれども、私たちの知っている最も重要な事柄の多くは、文学を読んで学んだことではないだろうか。(中略)文学を読んで過ごす時間は、いつだって充実している。それはまちがいない」(10頁)。巷にあふれる多種多様な娯楽に時間を費やすよりも、読書の至福の時間を好むひとは、同意するだろう。著者はこうも述べる。「文学とは、私たちを取りかこむ世界を表現し解釈する最高の人知であると言うべきか。最高の文学は決して物事を単純化せず、複雑な世界を受け入れられるように、心と感受性を広げてくれる」(14頁)。優れた文学作品は、「なぜこんなことがおこるのだろうか」、「われわれはどんな世界に生きているのだろうか」、「この先どんなふうにして生きたらいいのか」といった無数の問いを読み手に投げかけてくる。これらの問いをじっくり考えるなかで、世界の複雑な仕組みや成り立ちに関心をもつようになり、それとともに心が深まり、感受性もより鋭敏になっていくのだ。
 「なぜ文学を読むのか」(14頁)。著者の見解はこうだ。「ほかのどんなものにもできないやり方で人生を豊かにしてくれるからだ。読むことで、さらに人間らしくなれるからだ。そして、じょうずに読めれば読めるほど、より多くの恩恵が得られるのである」(同頁)。どんな人生が貧しく、どんな人生が豊かなのか。正解はない。人間らしいとはどういう意味か。さらに人間らしくなるとはどういうことか。こちらにも正解はない。確かなことは、いい本を読むと、しばしば自分が貧しい生き方しかしてこなかったことに気づけるということだ。その反省をばねにして、もっと自分を豊かに成長させたいという欲望が生まれてくる。もうひとつ確かなことは、非の打ち所のない、真に人間らしい人間などどこにもいないということだ。脛に傷のないひとはいないし、悪事と無縁なひともいないだろう。人間の格好をしていても、人間にふさわしいふるまいをしているとは限らない。だからこそ、人間らしくなろうと願うひとがいる。そういうひとに生きるヒントを与えてくれるのがいい本である。
 「リトル・ヒストリー」と銘うった本書は、古代の神話から出発し、その後の文学の一部を概観しつつ、さらに文学の未来を展望している。英語で読める文学作品は数限りないので、どの本を読んだらいいのか戸惑うひとは少なくないだろう。本書は、そういうひとに、「こんなにも魅力的な本がありますよ。いかがですか、読んでみては」と巧みにつぶやきかけてくる。ぜひ誘いに乗ってみてください。
 本書は全部で40章からなるが、タイトルの一部は、こんな具合だ。1 文学とは何か(C・S・ルイス/ ディッケンズ)、4 人間であること―悲劇(アイスキュロス/ ソフォクレス/ エウリピデス)、8 本のなかの本―欽定訳聖書(ティンダル)、14 読み方―ジョンソン博士(サミュエル・ジョンソン)、19 人生文学―ブロンテ姉妹(シャーロット/ エミリー/ アン・ブロンテ)、21 デカダンスの華―ワイルド、ボードレール、プルースト、ホイットマン、24 偉大なる悲観論者―ハーディ、36 マジック・リアリズム―ボルヘス、グラス、ラシュディ、マルケス、37 文学の共和国―境界のない文学(ラクスネス/ モー/ 村上春樹/ シンガー)、38 罪悪感のある快楽―ベストセラーと金儲けの本(リチャードソン/スコット/ユゴー)、40 文学とあなたの人生―そしてその向こう(マクルーハン/ ギブソン)。
 それぞれの章は、長くて10ページで、ほとんどがそれ以下に短くまとめてある。しかし、中身は濃いので、じっくりと味わって読めばいい。神話、叙事詩、キリスト教、欽定訳聖書の影の訳者、ユートピアとディストピアなどについての記述には、著者の博識がいかんなく発揮されている。
 40章で、著者は、オーディオ・ビジュアルに慣れ、ヴァーチャル文化に親しむ若者には、ページの上の文字があまり魅力をもたなくなってきていると述べている(364頁参照)。日本でも同じだ。他方で、新しい傾向としては、インターネット上で、小説好きのひとが自由に小説を載せて、意見を言い合ったりして交流する「ファンフィクション」が流行しているという(365~367頁参照)。印刷の必要もなければ、出版社も不要である。ファンフィクションは、「大勢がわいわいと集まって書き合う読者に向けて書かれた小説」(366頁)である。複数のひとが参加するなかで、小説が増殖していくのだ。「これはなかなか刺激的である」(367頁)、著者の感想である。
 おしまいの方で、著者は1章の延長として、文学の効用についてこう語る。「文学は、私たちより偉大な思考の持ち主たちと会話をすることであり、どのように人生を生きたらよいのかの指標を楽しく示してくれるものであり、私たちの世界がどこを目指していて、どこへ向かうべきかについて論じてくれるものだ」(367頁)。今後は、読者が大量の情報に押しつぶされて身動きがとれなくなるという最悪の事態が出現するかもしれない。「しかし、まずだいじょうぶだろう。そう思える理由がある。人類の精神がすばらしい想像力によって生み出した文学が、どのような新しい形に変化しようとも、永遠に私たちの人生の一部となって、人生を豊かにしてくれるはずだから」(同頁)。著者の楽観的な予測は当たるだろうか。

 

 リチャード・ホロウェイの『若い読者のための宗教史』(上杉隼人、片桐恵里訳、すばる舎、2019年)は、宗教の起源から今世紀までの宗教史の全体を見直し、今日も存続する多種多様な宗教を公平な観点から解き明かした好著である。若くても仏門に入るひともいれば、熱心に教会に通うひともいる。しかし、日本の多くの若者は宗教には無頓着だし、家の宗派を問われても答えられないひとが少なくない。けれども、世界に目を転じれば、宗教の炎は燃えさかっている。イスラーム教の隆盛は、これからの歴史を激変させる可能性がある。
 著者は、スコットランド聖公会のエディンバラ主教を務めた。同性愛者の結婚や、女性聖職者を支持するなど、進歩的な人物だった。他のさまざまな宗教に関する恐るべき博識がこの本を可能にした。『ブックリスト』では、「宗教史に関して詳細で奥深く、かつ読みやすい解説を求める読者にとって本書は最適な導入書である」(337頁)と評せられた。本書は味気ない解説書などではなく、読者にすぐれた文学作品を読むときのような興奮と感動をもたらす格別の一書である。著者は、各宗教の評価や比較を行うだけにとどまらず、問題点も指摘している。宗教と暴力という喫緊の問題にも踏みこんだ考察を行っている。
 本書も、イェール大学出版局の「リトル・ヒストリー」シリーズの一冊である。1 誰かいるのか?から40 宗教の終わり?までの全40章で、それぞれ10ページ以下と、コンパクトにまとめてある。ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教、ユダヤ教、キリスト教、ゾロアスター教、儒教、道教、日本神道、ローマ帝国の密儀宗教、イスラーム教、シク教、イングランド国教会、クエーカー派、アメリカの先住民、黒人の宗教、モルモン教、セブンスデー・アドベンチスト教会、エホバの証人、キリスト教科学、サイエントロジー、統一教会、エキュメニカル運動、ババイ教、ファンダメンタリズムといった多彩な宗教の根幹に触れることができる。「目から鱗」の記述が満載で、人間と宗教の深い結びつきを知ると、人間や世界の見方が変わることは間違いない。ぜひ、さまざまの宗教の成り立ちや教義について知ってほしい。
 著者によれば、ことばを授かった人間は「考えずにいられない」(10頁)。人間は宇宙の起源を考えた。神による宇宙創造を信じるかいなかで、「有神論者」と「無神論者」に別れる。人間はまた、死ねばどうなるのかを考えた。死ですべてが終わるのか、それとも死後の世界があるのか。宗教は、このふたつの問いと結びつく。
 紀元前13万年頃からある種の宗教的な信念をもって死者が埋葬されていたという証拠が発見されている(14頁参照)。死者は別の世界へと旅立つと信じられていたのである。現代でも、薄れたとは言え、死者を丁重に弔う習慣は生きている。肉体を脱け出した魂が向かう世界があると信じるひとも少なくない。昔も今も、人類の歩みは、超自然的な存在としての神や、現実とは別の世界を信じるという宗教的な生と結びついてきたのである。
  時代が過ぎるなかで、向こうの世界を訪ねたというひとや、向こうの世界から会いに来たというひと(預言者や聖者)が現われ、自分の見聞をひとびとに話し、それを信じるひとびとが信者としてつき従うようになる。彼らの語りは信者によって記憶され、口伝えに広がるが、やがて紙に書きとめられ、聖書や聖典となっていく。「宗教の歴史とは、こうした預言者や聖者、彼らが始めた運動、彼らについて書かれた聖典に関する物語だ」(18頁)。
  以下では、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教に関する記述をのぞいてみよう。
  本書の第3章は、現存する宗教のなかで最古のヒンドゥー教が主題である。インドの預言者や聖者たちは、人間は死んでも、「各自のカルマによって決定された別の命を得て再び地上に戻る」(27頁)と考えた。「輪廻転生」である。人間のみならず、世界そのものも死と再生の法則に従う。しかし、このプロセスが永遠に続くわけではない。「魂は輪廻のなかを流転し、800万回も姿を変えるが、最後には『解脱』して、つまり存在から解き放たれ、海に落ちる雨粒のように永遠に姿が消えてなくなる」(28頁)。「解脱」がヒンドゥー教の最終目標だ。
  ヒンドゥー教の聖典を学びつつ、魂を輪廻の輪に拘束するものがなんであるかを問い、
魂が救済されるまでに800万回もの転生が必要なのかどうかを考え続けたのがガウタマ(ゴータマ)・シッダールタ)である。王子として恵まれた環境にあった彼は、29歳のときに、そとの世界で生きるひとびとの現実を知って、ひとは生まれて、病気になり、老いて、死んでいかざるをえない(生病老死)、ひとはつきることのないさまざまな欲望にまといつかれて、苦しまざるをえない(四苦八苦)と認識した。その後、彼は欲望の苦しみから自らを解放し、悟りを得るために、6年間、厳しい瞑想と苦行に明け暮れたが、求めるものは得られなかった。ある日、彼は菩提樹の下でこう決心した。「この皮膚や神経や骨が腐ろうと、血が枯れようと、悟りを得るまでここにずっと座り続けよう」(47頁)。7日後に、彼は、欲望を消し去ろう、煩悩から逃れようと望むことこそが悟りの障害だと気づいた。悟りを開いた者(仏陀)となった彼は、欲望による輪廻転生は、欲望と苦しみのどちらにも傾かない「中道」を歩むことで閉じられると説いた。「中道」の道標となるのは以下の4つの真理である。1.すべての生は苦にみちている、2.苦しみの原因は煩悩である、3.煩悩は滅することができる、4.煩悩を滅するために8つの道(八正道)がある。すなわち、正しい見方をし、正しく考え、他人を中傷せず、粗暴なことばを使わず、盗みや殺生や恥ずべきことをせず、他人に害を及ぼさないようにすれば、苦しみはなくなるというのである(49頁参照)。仏陀の教えは実践的である。今日でも、仏教の世界に生きるひとは、座禅や瞑想、日々の修行を通じて、煩悩の制御と自己の魂の浄化に努めている。
  仏陀の死後、仏教は世界に広がったが、インドの地にとどまったのがジャイナ教である。ジャイナ教は、きわめて厳格な禁欲の道を説く宗教である。ジャイナ教の開祖と言われるマハーヴィーラは、ブッダと同じ地域に生まれ、同時代を生きた。一豪族の王子だったが、特権的な生活を放棄した。マハーヴィーラも仏陀と同様に、欲望が苦しみの原因であり、それを捨て去ることで救済が可能になると説いた。そのための五戒が、「生きものを傷つけない」、「他人のものをとらない」、「嘘をつかない」、「みだらな性的関係を結ばない、出家者は性的な行為を行わない」、「なにも所有したいと思わない」である(52~53頁)である。このなかでもっとも厳しい戒律は、不殺生である。ジャイナ教徒は、気味の悪い昆虫であれ、ひとの血を吸う蚊であれ、決して殺さない。地面を歩くときには、無数の小さな生き物を殺さないように、柔らかい羽の箒を使って掃きながら注意深く歩く。動物は言うまでもなく、生えている植物も食べない。彼らは、地面に落ちた果物を口にして生きる果食主義者である。
  マハーヴィーラは、72歳で断食による死を選んだ。それまでに14000人の僧と、36000人の尼僧を従えたと言われる(57頁)。
  インドには、いまでも、ジャイナ教の戒律を厳守する僧や尼僧のほかに、在家信者も多いという。ジャイナ教の考え方は、ベジタリアン運動につながった。政治家のマハトマ・ガンディーやマーティン・ルーサー・キング牧師にも影響をおよぼした。極端な考え方を退けることは易しいが、人間の際限ない欲望が現代の地球環境の激変、気候変動や生態系の危機をひき起こしていることを考えれば、いまこそわれわれはジャイナ教に多くを学ばなければならないのかもしれない。

 

人物紹介

ジョン・サザーランド 【 John Sutherland 】 [1938-]

1938年生まれ。レスター大学を卒業後、エディンバラ大学で博士号を取得。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの現代英文学名誉教授。世界中の大学で教鞭をとり、著名な作家、文学評論家でもある。2005年にはブッカー賞の審査委員長を務めている。邦訳書に『ヒースクリフは殺人犯か?―19世紀小説の34の謎』『ジェイン・エアは幸せになれるか?―名作小説のさらなる謎』(みすず書房)(ほか略)などがある。ロンドン在住。 ―本書より

リチャード・ホロウェイ 【 Richard Holloway 】

神学者、著作家。スコットランド聖公会の元エディンバラ主教であり、1992~2000年には首座主教を務める。同性愛者の結婚や女性聖職者を支持するなど、進歩的で人気のある主教だった。現在は、著作家およびコメンテーターとして国際的に活躍。著書は20冊を越え、『教会の性差別と男性の責任―フェミニズムを必要としているのは誰か』(新教出版社)(ほか略)など。スコットランド、エディンバラ在住。 ―本書より
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