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おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

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考えるよろこび―思考がひらく地平―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 「人間は考える葦である」ということばでよく知られたパスカルは、『パンセ』のなかで、「考えることが人間を偉大にする」と述べた。考えることを通じて成長し、すぐれた存在にもなり、考えることを避けて通るうちに卑小な存在にもなりうるのが人間だと、パスカルは言うのである。
 「考える」とは、いったいなにを意味するのだろうか。学校では、「自分の頭でよく考えなさい」と先生に説教される。先生は、「考えること」がどういうことかを生徒に詳しく教えることをすっとばして、「よく考えなさい」と命令するだけだ。他方で、ベルトラン・ヴェルジュリというフランスの高校の先生は、『幸福の小さな哲学』(平凡社、2004年)という本のなかで、考えることも、音楽や哲学と同じく、学んで初めてできるようになることとだと強調し、こう述べている。「自分の考えを組み立てられるようになるためには、何年もかかる。先生がいて、生徒に哲学の本をきちんと読みこむことを教えて、はじめてそれができる」(17頁)。ヴェルジュリによれば、深く考えるためには長期にわたるレッスンが欠かせない。よい教師の手ほどきと、自分の積極的な習練がなければ、筋の通った思考にはつながらないというのだ。ことばを授かり、話せるようになれば、われわれは日記や作文を書き、友達との会話や議論をするようになる。その種の日常的な経験を通じて、われわれは考えながら生きていると思い、そのことを当然のこととして了解している。


しかし、その自明な事実を疑わないままに、考えて生きていると思いこんでいると、思考は平凡で日常的なレヴェルにとどまったままだ。「考えること」がどういうことなのかについて、いったん立ちどまって反省してみるのは、考えて生きているという思いこみを打ち砕くのに有効である。パスカルの言うように、人間は考える葦であるとしても、考え方には多種多様な差異というものがある。
 書店の本棚には、考えることを主題にした本や、思考力を強化する方法や思考術などについて述べた本などが並んでいる。論理的思考力や批判的思考力の身につけ方を論じる本もあれば、理系と文系の考え方がどう違うかを説明する本もある。考えるためには、先生の手ほどきを受けたり、しかるべき本を読んで、学んだりする必要があると信じるひとびとが多い証拠だ。
 しかし、思考力の強化に役立つのは、教師による指導や本にとどまらない。そうしたものに頼らずとも思考力を強化する方法がある。それは、自分の知らない世界に飛びこんで、思いがけない困難に直面し、もがき苦しむことである。困った事態に陥れば、そこから脱け出すためにどうすべきか必死で考えなければならない。一度は絶望して、行き場を見失ったとしても、それを生き抜いた経験のなかから、周りを観察する力、自分と対話する力や、自分を励ましたり、叱咤したりする力が育ってくる。苦しむという経験は、まぎれもなく思考力の強化につながるのだ。

 廣津留すみれの『私がハーバードで学んだ世界最高の「考える力」』(ダイヤモンド社、2020年)は、思考力を鍛えるためのノウハウを、自分の留学経験をもとに平明に語った本である。「私がどうやって成果を最大化してきたか」、「考える力の伸ばし方」、「考える力を伸ばす習慣術」、「英語脳でロジカル・シンキングを伸ばす」、「考える力で仕事力をアップする」、「音楽脳で考える力を育てる」の全6章からなっている。
 廣津留は、地元の公立高校を卒業後、ハーバード大学に進学し、音楽理論と、副専攻で国際保健を学んだ。その後、ニューヨーク・ジュリアード音楽院でバイオリンを専攻して卒業した。留学の決断は、慣れ親しんだ生活からの決別、「『快適なゾーンから出る』」(2頁)ことを意味した。
 廣津留は、入学早々に、ハーバードの大学生たちの「知的好奇心」と「思考力」の高さに度肝をぬかれた。彼らは、さまざまなことがらに強い興味を示し、自分なりに熱心に考え、それを他人にきちんと伝達する力を身につけていたからだ。たとえば食堂での仲間同士の会話ひとつにしても、最先端の生物学や、投資会社が駆使する応用数学が話題にのぼり、それぞれが相手の考え方を聴いて、自分の意見を言う。丁々発止のやりとりが続くのだ。
 アメリカでは、小学生の段階で、自分が興味をもつことについての考えを誰にも分かるように論理的に表現する仕方を学ぶ。序論(導入部)で問題を提起し、本論でそれを詳しく論じ、結論を導くという小論文作成の技術を徹底的に教えこまれる(157~161頁参照)。こうした基礎訓練を受けているからこそ、大学生の多くは、議論に夢中になって楽しむことができるのだ。廣津留はその場に居合わせ、大学生同士の刺激的な会話を聴いているうちに、「『考えること』の楽しさ」(4頁)に気づき、ワクワクする。「考えること」は、面倒なことでも、嫌なことでもなく、純粋に楽しいことだという発見は、彼女のその後の生活を一変させた。
 彼女は、授業に出席するうちに、「考えること」は、楽しいだけでなく、学生生活を生きぬくために必要不可欠なことでもあると気づく。大学の少人数クラスの授業では、なによりも積極的な発言が求められる。日本の大学では、出席で学生を管理する傾向が見られるが、彼女のクラスでは、教師は出席を取らず、学生の発言回数と発言内容を重視した。成績評価でも、発言記録が重んじられた。授業内容をよく考えて、他の学生とは違う考え方や意見を表明しないと単位は出ない。出席さえすれば、黙っていてもOKという日本とは大違いだ。彼女は、最初はこの授業スタイルになじめず、ついていけなかったが、教師に助言を求め、苦境を打開して、困難を乗り越えた。
 アメリカの大学では、ハーバードに限らず、授業では毎回大量の課題が出される。それを必死にこなす過程で、おのずと考える力が磨かれる。彼女はこう述べている。「無理に思えるほどの課題を解決するために頭を超高速回転させるような、自分の限界を超えて頭を使わないといけない環境にあえて身を置くようにすれば、地頭力は鍛えられます」(117頁)。課題のなかでよく求められるのが小論文である。「ハーバードの授業では、『遺伝子操作の倫理性』や、『中国の大気汚染』といったトピックについて新聞記事を3本ほど読み、それをもとにして小論文で自分の考えをまとめる課題がよく出されていました」(173頁)。記事を精読し、論者の見解を把握し、自分の同意点や批判点を整理したうえで、序論で自分の問題を提起し、本論でそれを展開し、結論を導く作業は、思考力を強化するために有効である。
 本書には、大学生向けのアドバイスだけでなく、社会人にも役に立つ指摘があふれている。ぜひ参考にして、生きること、学ぶこと、考えることに目を向けてほしい。


 文芸評論家、江藤淳の『考えるよろこび』(講談社文芸文庫、2013年)は、1968年から69年にかけて行われた6つの講演をまとめたものである。「考えるよろこび」、「転換期の指導者像―勝海舟について」、「二つのナショナリズム―国家理性と民族感情」、「女と文章」、「英語と私」、「大学と近代―慶応義塾塾生のために」の6つである。この時期の前後に、『成熟と喪失』、『漱石とその時代』、『一族再会』、『海舟余波』といった主要な著作が書かれている。
 「考えるよろこび」は、若者向けの講演記録である。学生時代にこれを読んで感動した日のことは、いまも筆者の記憶に鮮明に残っている。江藤は、ものを考えることを通じてなにかを発見したときに、人間はよろこび、一種の昂揚を感じるという(10頁参照)。「発見」についての江藤の発言が心に響く。「どんな人間にとっても一番根本的な問題は自分ですから、自分についてなにかを発見したとき、わたくしどもは目からウロコがおちたような啓示を味わいます。他人のことはどうでもいいとは申しませんが、結局自分というものをひきうけて、わたくしどもは何十年も生きるのですから、この自分についての発見ということが、ものを考える上で一番根本的な基準になろうかと思うのです」(10~11頁)。青春時代には、誰もが「自分は一体なにものなのか」、「自分はどこから来て、どこに行くのか」といった問題に思い悩む。こうした問題を「少し深く考えようとすると、いつも自分を通じて人間を考えてしまう。自分を通じて社会を考え、歴史を考える。そういう考えの経路をわたくしどもは無意識のうちにたどっているのです。したがって、自分についての発見ということが、ものを考えるということの出発点でもあり、ゴールでもあるのではないかと思われます」(11頁)。どんな問題を考えるにせよ、考えるのは自分自身であり、それを他人まかせにはできない。江藤は、考える存在としての自分に気づき、その自分が他人や社会、歴史に結びついていることを発見することはよろこび以外のなにものでもないと語る。この発見を起点として、自分を通じて考える試みが一生続いていくと江藤は考えた。この試みは、考える自分を考え、自分と結びついているものを考え、さらに、考えている内容を考え直しながらゆっくり進むものであるから、終わりがない。江藤がよろこびと見なした自分の発見は、一度限りのものではない。日々変化する自分は何度でも発見され直されなおすものであるから、そのつどよろこびを享受できることになる。すばらしい経験ではないだろうか。
 江藤は、この講演で3人の人物を取りあげている。ひとりは、ソポクレスの悲劇『オイディプス』の主人公である。この悲劇の最後で、オイディプスは、自分の忌まわしい過去の真実を知り、その罪を引き受けんと自分の両眼を抉り出して、放浪の旅に出る。江藤は、この人物に「どんな残酷なものであれ、勇気をふるって真実に直面する人間」(17頁)を見て、感動すると言い、こう語る。「ものを考える人間の姿。ものをつきつめて知ろうとする人間のおそれ。そしてものを考える人間が究極において持っていなければならない勇気。人間にとって一番重要なことは、自分を知ることである」(18頁)。
 二人目は、「あなた自身を知りなさい」という忠告で有名な哲学者ソクラテスである。江藤によれば、ソクラテスは考えるよろこびを説き、自分でもそれを実践した人物である。「彼はあくまでも物を考える、公平にものをみて、信念を行うという人であり、考えをつきつめてものごとを知るということが、必ず勇気を伴わなければならないということを知っている人だった」(35頁)。
 三人目は、エドマンド・ロスというアメリカの上院議員である。この人物は、大統領弾劾の可否が自分の1票で決まるという場面に直面して、賛成しなければ政治生命を絶たれるというぎりぎりの状況で、自分の政治上の信念を貫いて、反対票を投じた。江藤は、考えに考えぬいて、身の安定よりも、自分の思考に忠実であることを選択したロスの勇気を賞讃している。
 これら3人は、ものを考える人間として、周囲に妥協せず、未来を恐れず、自分を貫いて生きている。江藤は、その3人とも、自分に即して考えるよろこびを見出していたからこそ、勇気ある行動を取れたにちがいないと推測している。


 丹羽宇一郎、藤井聡太『考えて、考えて、考える』(講談社、2021年)は、2010年に民間人として初の駐中国大使を務めた老人と、将棋の世界で活躍する若者の対話をまとめたものである。ふたりの年齢差は63歳だ。帯には、「年齢も活躍する分野も大きく異なる二人。その二人の真摯な対話から見えてきたのは、人間の強さの本質、そして考え抜くことのおもしろさと喜びだった」とある。本書は、「『強くなる』ために何をするか」、「『勝つこと』がいちばんじゃない」、「学びの本質」、「自主自立の生き方」、「AIとこれからの世界」の全5章からなる。
 棋士には、パスカルの「人間は考える葦である」ということばがよく似合う。将棋は、盤上の40の駒をどう動かして、相手よりも早く王を詰めるかの勝負である。ものを言うのは、何十手も先を読む力、相手の心理を読む洞察力、駒の世界を組み立てる構想力などの思考力である。重要な局面では、長考が1時間以上も続く。こちらのコマの動きに相手がどう出るか、それに対してどう立ち向かうか、自他の駒の動きには無数の展開の可能性があるため、思考の働きは止まらない。
 将棋は、藤井が言うように、「一人で考えて指す孤独な闘い」(37頁)である。その闘いのなかで、相互の集中した思考力と、先の先を読んでいく思考力が競い合い、それが駒の動きに反映して、刻一刻と変化する世界が繰り広げられる。AIは、1秒間に数千手先まで読めても、自分の手を反省したり、しばらく盤面を離れて違うことを考えたりすることはできない。まして、局面の意外な展開に遭遇して、楽しいと感じたりすることはないだろう。藤井は、対戦相手の力強い構想を見せられたり、それまで経験したことのない局面に直面したりすると、楽しさを感じるという(18頁参照)。むずかしい局面になればなるほど、深く、するどく考えぬかなければならないが、藤井はそこに一種の快楽を見出すのである。藤井にとって、勝敗は二の次である。「未知の局面を前にしたときに、それに対してどう最善を追究するか。勝敗に関係なく、それを追究するのがいちばん大切なことかなという気がします」(204頁)。この発言に対して、丹羽はこう応じている。「勝ち負けだけじゃ、そんなに楽しいものにならないですよね。誰も解けないと思われるようなものを解いたときは、楽しいんじゃないかなと思います」(同頁)。藤井の「もっと強くなりたい」という発言は、勝負に勝つことよりも、困難な局面を一歩一歩乗り越えていく棋士になりたいという願望を意味している。それを可能にするのが、自分の弱点や短所を修正する思考、最善の一手を導く思考である。その思考に徹することが、藤井にとってのよろこびになる。


人物紹介

ベルトラン・ヴェルジュリ 【Vergely, Bertrand】 [1953-]

1953年パリ生まれ。高等師範学校(エコール・ノルマル)卒。高等教育教授資格(アグレガシオン)取得。現在、パリ政治学院やリセ(オルレアン)の高等師範学校受験準備クラスで哲学を教える。著書に『苦悩 失われた意味を求めて』(ガリマール、1997年)、『カッシーラ 正義の政治』(ミシャロン、1998年)、『禁じられた死』(ジャン=クロード・ラッテス、2000年)などがある。また、本書『幸福の小さな哲学』(ミラン、2002年)に続いて、『軽薄にして荘重な小さな哲学』(同、2003年)、『悲しい日のための小さな哲学』(同、2003年)が出版されている。―本書より

江藤 淳 (エトウ-ジュン) [1932-1999]

批評家。東京生まれ。1957年、慶応義塾大学卒業。大学在学中の56年、『夏目漱石』を刊行。偶像化されてきた漱石像をくつがえし、その後の漱石研究の方向を示す。62年から幾度にわたりアメリカに滞在、『アメリカと私』を生むとともに、のちの「国家」への関心や敗戦・占領期研究の契機ともなった。主な著書に『小林秀雄』『成熟と喪失』『漱石とその時代』『一族再会』『自由と禁忌』『閉された言語空間』など。―本書より

丹羽 宇一郎 (ニワ-ウイチロウ) [1939-]

戦後初の民間人の中国大使に内定。中国大使。 2010年6月15日、伊藤忠商事の丹羽宇一郎相談役を中国大使に起用すると、政府が閣議決定。中国大使への民間人起用は、第二次世界大戦後初めて。 1939年1月29日、愛知県生まれ。62年に名古屋大学法学部を卒業、伊藤忠商事に入社。食料部門に従事、アメリカに通算9年間駐在して92年取締役に就任、常務取締役などを経て98年代表取締役社長に就任。翌99年には約4000億円の不良資産を一気に処理。翌年度の決算では同社の史上最高益を計上する手腕を見せた。04年会長、10年4月から相談役。社長、会長時代には中国との貿易や投資などに積極的に取り組み、中国政府や経済界との人脈も豊富とされる。また、「社長は6年で辞める」と宣言し実行。社長時代から社員の目線に近づくため電車で通勤を続け、業績不振の責任を取って給与を全額返上するなど、今最も人気と影響力のある経営者のひとりといわれる。内閣府の経済財政諮問会議議員、地方分権改革推進委員会委員長なども歴任。著書に「人は仕事で磨かれる」、「まずは社長がやめなさい」などがある。 [イミダス編] [2010.06] ©Shueisha "丹羽宇一郎[戦後初の民間人の中国大使に内定]", 情報・知識 imidas, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-02-24)

藤井 聡太 (フジイ-ソウタ) [2002-]

将棋棋士。 2002年7月19日、愛知県生まれ。5歳のとき、祖母に教わり将棋を始める。11年、全国小学生倉敷王将戦の低学年部門で優勝。小学4年生だった12年9月、杉本昌隆七段門下で、日本将棋連盟のプロ棋士養成機関である奨励会入りする。15年10月、史上最年少の13歳2カ月で三段に昇段。プロも参加する詰将棋解答選手権チャンピオン戦では15年、16年と2年連続優勝を果たす。16年9月3日、第59回奨励会三段リーグにおいて、13勝5敗で優勝し、プロ棋士となる四段昇段を決めた。三段リーグは半年がかりで計18局を戦い、原則として上位2人しかプロになれない。昇段日の10月1日付で14歳2カ月の史上最年少のプロ棋士となり、現役最年長棋士である加藤一二三九段の持つ14歳7カ月の記録を62年ぶりに更新した。中学生棋士の誕生は、加藤九段、谷川浩司九段、羽生善治三冠、渡辺明竜王に次いで5人目。 [イミダス編] [2016.09] ©Shueisha "藤井聡太", 情報・知識 imidas, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-02-24)
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