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おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

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危機の時代を生きる―若い世代への期待―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 ウスビ・サコの『「これからの世界」を生きる君に伝えたいこと』(大和書房、2020年)は、若者へのアドヴァイスが満載の本である。これからの世界の政治的、経済的な状況や環境の変化に対して楽観的な予測をもてるひとは少ないだろう。各国の経済成長優先政策によって地球環境の破壊が続き、気候変動による海面上昇も止まらない。異常気象に起因する大洪水、熱波、巨大竜巻、大規模な森林火災なども多発している。島の埋没を前にして移住を迫られるひと、水と食糧の不足に苦しむひとも増えている。経済格差も増大し続けている。他方で、現在(2021年)はコロナ禍で一時中断してはいるが、グローバル化が進む時代でもある。本書は、こういうむずかしい時代を生きていかなければならない若い世代に対して、「変貌する世界のなかでなにを学び、どんな職業を選択し、どのように生きていくのか」を問いかけ、指針を提供する本である。「はじめに」と「おわりに」にはさまれた、「不確実で多様化する世界で、どう生きるのか?」、「多角的でブレない価値観を築く『学び』」、「人種・文化を越える『コミュニケーション』」、「激変し続けるグローバル社会で『働く』」の全4章からなる。補足として、「『これからの世界』を掴むための推薦書」が紹介されている。文化的、宗教的な背景のことなる国々の多様性を尊重し、世界の複雑な構造を捉え、思考を鍛えるために役立つ本のリストアップである。


 ウスビ・サコは、マリ共和国(アフリカ大陸の西部に位置する)出身。中国での6年間の留学時代に建築学を学び、来日後は京都大学大学院で「建築計画」について学んだ。現在(2021年)は、京都精華大学の学長である。日本の大学では初めてのアフリカ系の学長として、国内外のメディアで取りあげられた。
 著者は、マリという国の外に出ることによって、社会や人間について初めて考えるようになり、自国の環境や制度になどについても思索を深めるようになった。中国留学の前に立ち寄ったパリでは、道路工事や清掃の仕事をするのはアフリカ系移民ばかりという光景に、「同じ祖国を持つ自分が全否定され、丸裸にされたようなショック」(5頁)を受ける。中国では、数々の偏見や誤解に直面した。「『君の国では、木の上で生活しているの?』」(6頁)と質問されることもあった。彼は、理不尽な経験をするなかで、自分自身が認められるためにどうするべきかを考えて、行動するようになった。そのことはまた、人間やお金、もの、情報が国境を越えて行き交うグローバル化の時代にあって、それぞれが個を大切にしつつ、相互の違いを認識しながら共存する可能性を模索するという姿勢へとダイレクトにつながっていく。
 第1章は若者論である。著者の診断によれば、現代の若い世代は、常に市場価値を問われるなかで、そのプレッシャーに追い立てられるようにして生きている。「自分がなにをしたい」ではなく、「自分になにが求められているか」を基準にして行動しているというのである(28~29頁参照)。そこで著者はこう提案する。「世の中に認めてもらえる力をつけるのではなく、自分たちが世の中の仕組みを変える力をつけることが重要です」(30頁)。そのためには、自分の人間的な価値を高める努力を怠らず、自分にとっての自由とはなにか、自分がなにに基づいて生きているのか、自分がなにを求めているのかを絶えず考えて行動することが必要になる。
 第2章は学問論である。偏見や先入見から完全に解放されたひとなどいない。われわれは、自分の色眼鏡で他人を見て、判断を誤ってしまう。だから、その事実をしっかりと受けとめて、自分の判断のあやまりを謙虚に反省する心がけが必要だという主張だ(64~65頁参照)。グローバル化が進む社会では、文化的、宗教的な背景がことなるひとびとに対するステレオタイプ的な発想は慎まなければならない。著者が若者に期待するのは、どんなことからも積極的に学ぶ謙虚な姿勢である。
 第3章は人間関係論である。マリには、登校前に自分より年長のひとと出会った場合、全員とながながと挨拶する習慣がある。5分以上かかることもあるという。著者がつき合った中国人は、本音でぶつかってきて、ケンカもいとわなかった。来日後、著者は、周りに気を使いすぎるひと、同調圧力に抗しきれないひと、空気を読めるひとと読めないひと、すぐにキレるひと、本音を隠して、建前で生きるひとなどに出会ってきた。その経験をふまえた数々のアドヴァイスが興味深い。著者によれば、「本音とは、自分のもっとも重要な心の声、あなたのヴォイス」(116頁)であり、お酒の席で本音が語れるなら、日常の場でもそれを積極的に語ってほしいと提言している。異なる文化的な背景をもつひとが集まるグローバル社会では、婉曲な会話をしていては相互理解が成立しない。率直に自分の考えを伝え、相手の考えを読み取ることが欠かせない。
 第4章は仕事論である。著者の主張は明確だ。仕事はあくまでも自分や家族、社会を幸せにするための手段であって、仕事を目的にするのは好ましくないという見解である。仕事を目的にすると、家族や友達、恋人や自分を犠牲にしかねない。仕事に執着して、心身にストレスをかけてしまうことにもなるという(152~155頁参照)。仕事と「趣味、やりたいこと、楽しいこと」を区別し、就職と同時に好きなことを諦める学生たちを何人も見てきた著者は、こう述べる。「今の時代は仕事が多様化しています。好きなことを仕事につなげる余地は十分にあります」(159頁)。ゲームが好きであれば、ゲーム作りの発想を別の商品企画に応用するなど、やり方はいくらでもあるはずだと言う。誰にもあてはまるとは思えないが、一理ある見方だ。
 職業の選択に関する著者のアドヴァイスは適切だ。進路についての他人の助言は有効であっても、最終的には自分で決めなければならない。そのためには、自分がどういうタイプの人間であり、なにを求めて生きるのかをはっきりさせる必要がある。大卒で就職した学生の3割が3年以内に退職すると言われて久しい。他人の勧めに従ったり、他人や世間の評価を気にしたりして就職先を選択すると、「こんなはずではなかった」ということになりかねない。「自分が本当になにがしたいのか」を見極めることがむずかしいとしても、一定の方向や目標は見定めなければならない、これが著者の見方だ(160~163頁参照)。
 著者は、AI化が進む社会に期待を寄せ、単純作業はロボットにまかせ、人間が人間らしい生き方ができる社会が到来すると予測している(164~165頁参照)。時間的な余裕も生まれ、友人や家族と過ごす時間、物事を考え、本を読んで思索にふける時間も増えると楽観的な見通しも語っている。ロボットにまかせられない仕事の領域では、創意や工夫をこらしてあらたな労働の世界を切り開いていかなければならない。そのためには、人文知や教養知を学び、思考力を身につけることが大切だ(167頁参照)。
 著者は、地縁、血縁にもとづく共同体、国家や都市などで構成される共同体とことなる3つ目の共同体を視野に入れている。「これからを担う世代の人は、従来の共同体には価値を感じておらす、インターネットなどに居場所を求めています」(190頁)。「すでに国家の手が届かない場所で、個々人が国境を越えてつながり、『人類』や『地球』という視点で物事を語っています」(191頁)。他方で、個々人の行動が監視され、個人情報も一括管理される時代が到来している。著者が個々人に期待する、自由で自発的な主体性がどこまで発揮されうるかは疑問である。
 おしまいに、「多様な生き方を知るために役立つ本」、「世界の構造を把握するために読む本」、「自分が深く考えるきっかけになるような本」(192頁)が、何冊も推薦されている。思考を鍛えるために役立つ本としては、サルトルの『実存主義とは何か』、アレントの『人間の条件』、アイザックソンの『スティーブ・ジョブズ(Ⅰ・Ⅱ)』などがあげてある。一冊を紐とくことで、自分や他人、世界の見方が変わるきっかけになるかもしれない。

 茂木健一郎の『頭は「本の読み方」で磨かれる』(三笠書房、2015年)は、あまり本を読もうとしない若者を読書の世界に引きこもうとする一冊である。著者は、肩肘張らない調子で、本を読むことのすばらしさ、楽しさについて語っているが、他方で、「『本なんて必要ない』と思っている人は、いずれ人生の深みや喜びに差がついて、絶対に後悔することになる」(4~5頁)と脅しをかけることも忘れていない。「読書は、間違いなく人生を豊かにするから、1冊でも読むにこしたことはない」というメッセージがこめられた本である。
 脳科学者の肩書きをもつ著者によれば、読んだ内容は記憶や聴覚、視覚をつかさどる脳の側頭連合野にデータとして蓄積されていく(21頁参照)。しかし、蓄積されて終わりではない。蓄積された過去のデータは、後のあらたな経験の展開と結びついて、経験を更新させていく。人間の経験は、現在、過去、未来が相互に反響し合いながら生成する過程である。読書は、こうした経験の生成にあらたな刺激を加え続ける。
 ひとは、筋肉強化のために、スポーツジムに通ってマシンを操作したり、ランニングやストレッチに励んだりする。筋トレに必要なのは、負荷をかけることである。脳トレには読書が最適だと、著者は主張する。なぜならば、練りあげられた文章を読むのは、「ボクシングジムに行って、気合を入れてスパーリングをするようなもの」(33頁)だからである。「メールや、フェイスブックやツイッターの文章を読むのは、普通にフラフラと街の中を散歩しているような状態でしかありません」(34頁)。それに対して、難度の高い上質な文章を読むことは、しばしば、苦痛を伴い、忍耐を要する。その困難な経験こそが、脳を鍛えるのである。困難を克服したよろこびに耽るとき、脳はドーパミンを出し、そのたびに脳は成長するという(38~39頁参照)。
 小説や評論を読んで、考えたことを自分のことばで書くことも簡単にはできない。それゆえに、教室で作文課題が提出されると、面倒な作業を避けて、インターネット上の文章を切り貼りしてすます輩があとをたたない。しかし、それでは脳は鍛えられない。「文字を自分の脳の中から搾り出すという行為は、負荷がかかってヘトヘトになるし、効率も悪いかもしれないけれど、だからこそやり遂げたときには脳は本当に喜び、成長するのです」(190頁)。簡単に手っとりばやくできることしかしないでいると、脳は成長とは逆に、劣化する一方だ。
 読書や作文の経験は、自分の心に種をまくことである。その種は年を重ねるとともにすこしずつ育って、心を豊かにしていく。それとともに、自分や他人、社会や世界を見る目が肥えてくる。どのようにしてそうなるかは分からない。確かなことは、種を撒かなければ、心は未開の荒野のままだということだ。著者はこう述べている。「どの本がどう役に立つかということはわからないけれど、たくさん本を読むと、それが腐葉土のように発酵して脳の中にいい土壌ができる」(158頁)。われわれは、自分のなかに心という畑をもつ存在なのであり、それを耕し、種を撒き、話を咲かせることを求められているのである。
 著者は、読書が生きる上での「ワクチン」になるという発想もしている。「ワクチンは、体の中に毒(病原体)を少しだけ取り込むことで、病原体と戦うための『抗体』を体につくらせる」(42頁)。本のなかにも、社会を崩壊させかねない「危険なもの」、「悪いもの」や人間心理にひそむ「闇」や「邪悪なもの」があふれている。それらを意識することによって、不思議なことに、われわれの心がより健康になったり、強くなったりすると著者は言う(42頁参照)。残酷な殺人事件や、不倫で破滅していく男女を描いた小説を読んでおけば、現実に類似の状況に巻きこまれた場合の対処法が見つかるかもしれない。現実の世界はきれいごとではすまず、ときには小説の話よりもすさまじいことが起きる。「事実は小説よりも奇なり」だ。しかし、本のなかで奇怪な事件や悲劇に出会う経験は、現実の出来事に立ち向かう力になる。これが、著者の言う「読書がワクチンとして働く」という意味だ。
 著者があげる読書のプラス効果をいくつか列挙してみよう。本を読むことによって、「『今、世界で起こりつつあることの雰囲気』」(76頁)をつかむことができるし、「『日本の常識は、海外の非常識』」(81頁)ということが分かる。世界で流行っている本を読めば、世界の常識をうかがい知ることができる(83頁参照)。どんな本でも、読めば読むだけ世界が広がるし、「読んだ本の数だけ、自由に旅ができる」(107頁)。「読書には『一発で人生を変える効果』と『じわじわ効く効果』」がある(113頁)。ノイズや信頼の置けない情報があふれたネット情報と違い、本は「『プレミアム情報』」(179頁)を提供してくれる(179頁参照)。
 アマゾンで本を注文して自宅で読むひとが増えているが、著者は外出を勧めている。「書店や図書館に行ってみると、バーッと一気に本の海を俯瞰できて、自分を呼んでいるような本にフッと行き当たるようなことも多いものです」(182頁)。それは、「背表紙が光っている本」(183頁)だ。たくさんの本が並んだ図書館に入ると、不思議なことに、「私があなたの待ち望んでいた本なのですよ」とサインを送ってくれる本が見つかる。その本を手にとって読んでみると、まさに自分の求めていたことが書かれている。この種の出会いが起こるのが書店や図書館なのだ。書を求めて町に出よう。
 おしまいの方で、著者はこう述べる。「科学でも、文学でも、ビジネスでも、人間関係でも、ぼくたちに問われるのは、どんなことをどんなふうに守り、反抗し、尊ぶかという『態度』なのだと思っています」(200頁)。著者の「態度」を形成するうえで貢献したという本が10冊紹介されている。フリードマンの『選択の自由』(日本経済新聞出版社)、ニーチェの『悲劇の誕生』(岩波文庫)、ファインマンの『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(上)(下)(岩波現代文庫)、夏目漱石の『硝子戸の中』(新潮文庫)、立花隆の『宇宙からの帰還』(中公文庫)、ソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』(新潮文庫)、ワイルドの『獄中記』(新潮文庫)、清少納言の『枕草子』(岩波文庫)、小林秀雄の『モオツァルト・無常という事』(新潮文庫)、ゲーテの『ファウスト』(第一部)(第二部)(岩波文庫)の10冊である。そのうちの一冊でも読んでみてほしい。


人物紹介

ウスビ・サコ 【Sacko, Oussouby】 [1966-]

京都精華大学学長。博士(工学)。
1966年、マリ共和国生まれ。高校卒業と同時に国の奨学金を得て中国に留学。
中国・北京語言大学、南京市の東南大学等に6年間滞在して建築学を実践的に学ぶ。
1990年、東京で短期のホームステイを経験し、アフリカに共通するような下町の文化に驚く。
1991年、来日。同年9月から京都大学大学院で建築計画を学ぶ。
京都大学大学院建築学専攻博士課程修了後も日本学術振興会特別研究員として京都大学に残り、
2001年に京都精華大学人文学部教員に着任。
専門は空間人類学。「京都の町屋再生」「コミュニティ再生」など社会と建築の関係性を様々な角度から調査研究している。
2013年に人文学部学部長、2018年4月同大学学長に就任。日本初のアフリカ系大学長として、国内外のメディアから大きな注目を浴びている。
バンバラ語、英語、フランス語、中国語、関西弁を操るマルチリンガル。―本書より

茂木 健一郎 (モギ-ケンイチロウ) [1962-]

脳科学者。ソニーコンピューターサイエンス研究所シニアリサーチャー。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。「クオリア」(感覚のもつ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究している。ベストセラーとなった訳書『「脳にいいこと」だけをやりなさい!』『もっと「脳にいいこと」だけをやりなさい!確実に自分を変えていく法』(いずれも三笠書房)の他、『脳と仮想』(新潮社)『結果を出せる人になる!「すぐやる脳」のつくり方』(学研パブリッシング)など、著書多数。 ―本書より

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