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ふたりのメジャー・リーガーと本―菊池雄星と大谷翔平―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 菊池雄星の『メジャーをかなえた雄星ノート』(文藝春秋、2019年)は、10代、20代の若者に特にすすめたい刺激的な1冊である。メジャーリーグで活躍するという夢を実現していくまでの苦闘や挫折、葛藤と喜びの軌跡が、「スタートライン 中学、高校時代のノートから」、「葛藤 2013,2014年のメンタルトレーニングファイルから」、「トレーニング&ピチング 2017年のノートから」、「MLBへのカウントダウン 2017年のルーズリーフから」、「ラストイヤー 2018年のノートから」の全5章に詳細に記され、読む者に圧倒的な印象を残す。
 14年間つづられた「野球ノート」を中心に、当時の記事や写真も豊富に再録されている。高1~2のときに書かれた『日本一になるための野球日誌』」には、「本日の自己分析」と題して、自分の投球や、チームの活動、相手チームの観察内容などが20日以上にわたって詳しく書かれている(40~63頁参照)。「高2の冬にカレンダーの裏に書いた決意」(70~72頁)、「高3の春センバツ後に書いた決意」(67頁)などの写真も何枚も含まれている。


 「はじめに」は、「『書く』という作業が僕の人生の中心にあります」(6頁)で始まる。菊池は、日記を書く時間をあらかじめ決めて、そこから逆算して、トレーニングや食事などのスケジュールを立てるという(同頁参照)。中学2年生の冬からノートを書き始めるきっかけとなったのは、花巻東高校の佐々木洋監督の「成功者はみんな日記を書いている」ということばだった。そのことばにつられて、菊池は、「よし、自分も書いてみよう」と決意した。その決意は、現在でも菊池の行動を支えている。
 菊池にとって、「書くこと」は、「行動すること」である。「高校時代、『日本一を目指す』という目標をノートに書いていました。毎日、毎日、書けば、書くほどに自分の思いが強くなっていったのを覚えています。ノートを書くということが僕にとって行動の一つだったからです」(6~7頁)。近未来の渡米を見据えた英会話の猛勉強も行動の一つだった。シアトル・マリナーズの入団会見のほとんどは英語で行われた。
 中2の菊池は、本を毎日1ページ以上必ず読むと決め、読んだ本の内容をまとめたり、いい詩を読んで感動した思いや、参加した講演会の感想を書きとめたりしている。何を書くか、ということはもちろんだが、書き続けるということに意味があると菊池は考えていた。
 菊池は、高校の2年生ころになって、日記を書くことが「自分自身と向き合うきっかけになる」のだと自覚している。一日の感情のゆれ、投球フォームのチェックポイント、よかったことと悪かったことなどを書き記す時間は、文字通り、自分がもうひとりの自分に向き合ってアドヴァイスしたり、自分の欠点や弱さを見つめなおしたりする時間である。日記を書くことによって、自己分析が深まっていくのだ。
 菊池は、中高時代を振り返ってこう述べている。「中学や高校の時というのは、まだ自分の軸がないときです。だから、その時は分からずに書いているんですけど、そういうことを繰り返していくうち、自分の価値観というものが出来上がっていくのではないでしょうか。ノートを書くことは、書いた内容が潜在意識として体の中に入っていくところに意味があるのかなと思います(18頁)。こうも回想している。「今思えば、日記は言語化する力がつくツールですから、自然と自分で考える癖をつけてもらっていたのかもしれません」(38頁)。
 日記を書くという習慣をもつひとは、一日一日の出来事を過ぎ去るままにせず、後から反復し、日々の経験を言語化することを通じて、いわば、一日を二度生きる。反復された生のさなかで、しでかした失敗の記憶や精神的な苦痛がよみがえり、後悔や悲しみ、喜びなどの感情も押し寄せてくる。それらに向き合うなかで、おのずと自分と対峙して考えるようになる。
 「メンタルトレーニングが僕を強くした」のなかで、菊池は、埼玉西部ライオンズに入団して5年目のオフに行った「集中内観」という修行について述べている(82頁参照)。2畳ほどの部屋にひとりで1日17時間こもって、幼児期の記憶を掘り起こしていくのである。1時間ごとに先生がきて、「どうでしたか」と聞かれ、母親から「してもらったこと」、「して返したこと」、「迷惑をかけたこと」などについて答えることを続けていく。菊池は、こう回想している。「この修行をすると、忘れているようなことがバンバン思い出されてきました。そしてボロボロと涙が出てくる。僕はどれほどみんなに支えられてきたんだろうと思い、泣けてくる」(同頁)。「自分を知る、自分の未熟さを理解する、感謝を知るという修行でした。人生を変えてくれた一番の経験と言えるかもしれない」(83頁)。菊池は、このメンタルトレーニングを通じて、自分自身を冷静に客観的に見つめる能力、なにを取捨選択するのかを考える能力が呼び覚まされたと自覚している。プロに入って1年目から5年目までは無自覚に過ごしていたと反省している。
 第2章「葛藤」には、2年間のメンタルトレーニングの詳細を示したファイルが載っている。「セルフイメージの再構築」では、「考えている事は何ですか?」、「どんな感情を抱いていますか?」、「どのような目的で何を欲していますか?」、「自分はどんな人だと思っていますか?」、「どんな信念と価値観を持っていますか?」、「どのような能力を兼ね備えていますか?」、「どのような行動をとっていますか?」、「どのような環境がありますか?」いう質問に対して、菊池は現状の自分と理想の自分を分けて書き出している(95~97頁参照)。徹底した自己分析を行う菊池の内省力の強さが見て取れる。
 2012年に行われた、メンタルコーチとの「日常内観」の記録も興味深い。「人様に何をして頂きましたか?どのような心でそれをお受けしましたか?」、「人様にどのようなお返しが出来ましたか?どのような心でお返ししましたか?」、「あなたが引き起こした嘘と盗みを記入してください」といった質問に、菊池は、1週間かけて答えている。これらの質問によって自分の言動を見つめなおすことで、日ごろ自分がどういう精神状態で過ごしているかが明らかになってくる。
 おしまいに、ノートに書かれた名言のいくつかを紹介しておこう(172~182頁参照)。「常に終わりを意識する」、「理屈は簡単、技術は努力が必要」、「コツコツ良くなるし、コツコツ悪くなる」、「努力の報酬は成功ではなく成長」、「野球はいきなり上手くなる そのキッカケをつかむために、日々練習することが大切」、「良いことばかりが続くわけではない。全てが貴重な学びとなる」、「才能ではなく、習慣だ」、「成功は『それぞれ』失敗は『あるある』」。

 内館牧子は「暖簾にひじ鉄」という連載記事(週刊朝日2020.6.19.)のなかで、「雄星さんの読書」と題したエッセーを載せている(38~39頁参照)。2020年4月26日付けの「岩手日報」の記事をもとにしている。それによると、菊池は「岩手読書感想文コンクール」に全面協力するという。その理由はこうだ。「僕が読書、本に助けられ、本の影響をすごく受けてここまで育ったので、その本を広めていきたい。簡単に情報を得られる時代だからこそ、自分から取りにいく情報を大事にしたいと思っている」(39頁)。菊池の学習と読書についての考え方はすばらしい。「学ぶことは破壊することとイコールだと思っている。学ばないとこれが正しいと固定してしまう」(同頁)。しかし、本を読んで学ぶと、「これが正しいと思っていたがどうやら違うぞの連続になる」(同頁)。色々な本を読んで、知らなかったことを知り、自分の狭い見方や先入見を打ち崩していくことが大切だというのだ。
 この記事のなかで、菊池は3冊の愛読書(福岡伸一『動的平衡』(木楽舎)、竜門冬二『全一冊 小説上杉鷹山』(集英社文庫)、高橋克彦『氷壁 アテルイを継ぐ男』(PHP研究所)を紹介し、これらの本をどう読み、どう影響を受けたかを見事な文章で書いているという。中学時代から書く習慣をもち、その後も、毎日ノートに書き続けているからこそできることだ。
 菊池は、毎日読むこつについてはこう語る。「こつは、1日1ページでもいいから読むという癖を付けること。読書以外もそうだが、1日1回でも素振りしよう、1回でもいいからシャドーピッチングしようと心掛ける。そうすると1回で終わらない。いつの間にか、100回、200回になる。そういうことはテクニックとしてある」(同頁)。「ちりも積もれば山となる、千里の道も一歩から」の諺どおりだ。しかし、簡単にできることを、ずっと先まで持続することは強い決意がなければなしえない。
 菊池は、「人生を豊かにするのは人、本、旅」(同頁)だと言い、一番望むのが「人に出会うこと」という。菊池はこうつけ加えている。「亡くなった人には会うことができない。それを本がかなえてくれるともいえる」(同頁)。本を読めば、会うことのできないひとと会って、対話をすることができる。興味深い話を聴くこともできし、ガツンとやられることもある。読書は、死者から学ぶことができる最良のツールなのだ。

 児玉光雄の『大谷翔平 86のメッセージ』(三笠書房、2018年)は、雑誌やスポーツ紙、インタビューなどでの大谷の発言を中心にピック・アップして、コメントをつけたものである。大谷が過去に考えたことや、現在の考え方、ポリシー、野球観などを知るには手ごろな文庫本である。
 大谷は、3年先輩の菊池雄星に憧れて、菊池と同じ花巻東高校に入学し、佐々木洋監督の強い影響を受けた。読むことと書くことを積極的にすすめた監督に出会えたふたりは幸いだ。菊池については、「目標にしていますし、何もかも上だなと思う。/中3のときも今でも、そういう位置にいてくれるのは助かるし、/僕としても嬉しいです」(32頁)と語っている。
 大谷は、高校1年生のときに、「目標達成シート」を作っている。それによれば、大谷は、「8球団からドラフト1位で指名されること」を目標にし、それを実現するためには「メンタル」、「スピード」、「キレ」、「体づくり」、「運」などが必要と考えていた。「運」を引き寄せるための具体策としては、「ゴミ拾い」、「部屋掃除」「プラス思考」などと並んで、「本を読む」ことをあげている。大谷は、2014年の雑誌インタビューで、読書の経験をこう語っている。「スティーブ・ジョブズの言葉は元気をくれます。/だから自分が思い悩んでいることが、/すごく小さなことだと思えたりする。/ラクになれるというか……自分が変わるための、/いいきっかけになってくれるんじゃないか、と思って読んでいるんです」(148頁)。本を読むと、自分のいきづまりを打開してくれることばや、自分を刺激したり、鼓舞したりすることばに出会うことができる。それが、大谷の言うように、変身のきっかけになる。本を読めば読むほど、新鮮なことばや魅力的なことばに触れる機会が増え、考え方にも幅ができてきて、成長につながるのだ。
 大谷は読む人だけでなく、書く人でもある。同じ雑誌のインタビューでこう発言している。「その日に起きたよかったこと、悪かったこと。/自分が感じて『次にこういうことをやろう』という内容を、/iPadに書き込むようにしています」(122頁)。「もちろん、野球に関することが多いですけど、そのほかにも自分が気づいたこと全般を一言二言、箇条書きで。あとで、『このときはこう思ってたんだ』と読み返すためです」(123頁)。児玉はこうコメントしている。「自分の感じたことを素直に書き込む習慣が、現在の大谷の成功を支えているものの一つとはいえないだろうか。もしもあなたがその日考えたことや、気づき、行動したことを形に残さなかったら、それらは記憶の闇の向こうに葬られる運命にある」(123頁)。目にしたことでも、読んだことでも、感じたこと、考えたことでも、文字にする習慣をもてば、日常の痕跡が脳に深く刻みこまれ、経験の密度が濃くなる。書くということは、次々と現われて立ち消えていく多種多様な出来事や感情に注意を払い、その断面にことばの楔を打ちこむ作業だ。それを通じて、ともすればすぐに忘れ去られる経験の相が現在にとどまり続けて、つぎに来る経験に結びついていく。このようにして、経験に目には見えない厚みが増していく。成長とは、経験が刻々と更新されていくこのプロセスを指す。
 大谷は、2021年の末に放映されたNHKの特集番組のなかで、「試合を重ねると足りない部分が見えてくるので、それをひとつひとつ修正して、克服していけるのは幸せなことではないでしょうか」という意味のことを述べている。本書では、「よかったときよりも/悪かったときのほうが記憶に残るんです。/自分の弱点があったら、しっかり直していきたい」(56頁)と語っている。野球というスポーツでは、弱点を発見して攻めてくる相手に対して、自分の弱点を修正して立ち向かわなければならない。弱点をもたないプレーヤーはいないから、問題は、いかにして自分の弱点に気づき、修正できるかである。そのためには、自分のプレーを観察し、プレーの質を深く考えながら、練習に取り組むことが欠かせない。大谷は、それが実行できている自分を幸せな存在と感じている。
 「去年より後退することはありえないし、/してはいけない。/まずは去年の成績より前進することが目標です」(172頁)。前年度の実績を上回るためには、昨年とは違うあらたな挑戦が求められる。大谷にそれを可能にする最たるものが、日ごろの読書と作文によって鍛えられた思考力である。
 大谷は、「座右の銘」を問われて、「先入観は、可能を不可能にする」(38頁)と答えている。自分には特別の才能などないとあっさりと見切りをつけたり、しょせん平凡な人間だからたいしたことはできないなどと思いこんだりするのは、根拠の確かでない先入観に飲みこまれて、自分の人生を狭く閉ざしてしまうことだ。できるはずのことを、できるはずもないと早々に結論づけて、可能性の芽を摘み取ってしまえば、チャレンジとは無縁な惰性的な日常が続くことになる。
 


人物紹介

菊池 雄星 (キクチーユウセイ) [1991-]

1991年、岩手県盛岡市生まれ。小学3年生の時に野球を始める。盛岡市立見前中学校在学中には、盛岡東シニアでプレーし、左腕の投手として頭角を現す。東北選抜の一員として、全国制覇に貢献した。花巻東高校に進学し、1年時から全国高等学校野球選手権大会(甲子園)に出場。3年時には春の選抜高等学校野球選手権大会に出場し、エースとして活躍、準優勝の成績をおさめた。夏の甲子園にも出場し準決勝まで進んだ。大会中、自己最速の154キロの記録も出した。2009年ドラフト1位で埼玉西武ライオンズに入団。16~18年に開幕投手を務め、17年は16勝でシーズン最多勝利を獲得。19年1月3日、MLBのシアトル・マリナーズへの入団を発表した。 ―本書より

大谷 翔平 (オオタニ‐ショウヘイ) [1994~ ]

プロ野球選手。岩手の生まれ。平成24年(2012)日本ハムに入団。投手と打者の両方をこなす「二刀流」として活躍し、平成28年(2016)には投手と指名打者の両部門でベストナインに選出された。平成30年(2018)米国メジャーリーグに移籍すると投打に渡って活躍、アメリカンリーグの新人王を獲得した。

"おおたに‐しょうへい【大谷翔平】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-04-18)

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