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『夜と霧』-心理学者の強制収容所での体験報告―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』[新版](池田香代子訳、みすず書房、2002年)は、霜山徳爾訳による『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』[フランクル著作集1](みすず書房、1961年)の新訳書である。旧訳の末尾に収められた45枚の写真や図版は、新訳では削除されている。旧訳の「解説」には、戦後、イギリス占領軍の戦犯裁判法廷の法律顧問を務めたラッセル卿による強制収容所の詳細な全貌報告が加えられている。この報告を読むと、支配権を握った強者が被差別者や弱者や病者などに対して加えた仮借ない暴力にことばを失う。強制収容所は、ドイツ以外にもポーランド、オーストリア、オランダ、ベルギーなどにも作られた。犠牲者は600万人以上にのぼると言われている。ユダヤ人であるという理由だけで自分の肉親や親族をナチスによって殺害されたフランスの哲学者・レヴィナスは、人間同士の関係が暴力に行き着くことのない在り方を主題にした『存在の彼方へ』(合田正人訳、講談社学術文庫、1999年)の冒頭でこうしるした。「国民社会主義によって虐殺された六百万人の者たち/そればかりか、信仰や国籍の如何にかかわらず、/他人に対する同じ憎悪、同じ反ユダヤ主義の犠牲になった数限りない人々/これらの犠牲者のうちでも、もっとも近しい者たちの思い出に」(3頁)。


『夜と霧』の原題は、「ひとりの心理学者、強制収容所を体験する」だ。この訳書は、2000年末に行われた「読者の選ぶ21世紀に伝えるあの一冊」というアンケート調査で、翻訳書部門の第3位に選ばれた。『夜と霧』というタイトルは、夜の暗闇のなか、霧にまぎれてひとびとが連行され、消え去ったという歴史的な事実を暗示している。そのなかには、ユダヤ人だけでなく、ジプシー、同性愛者、社会主義者なども含まれていた。さらにその背後には、意識的にせよ、無意識的にせよ、彼らの連行に協力する普通のドイツ市民が多数存在していた。 

 1960、70年代に若者であった世代には、この本を読んで息苦しくなり、身震いするような恐怖を覚えたひとが多くいたに違いない。筆者も大学時代に読んで、状況次第で人間が残酷で暴力的な存在に変わりうるという事実に打ちのめされた。「自分が加害者、あるいは被害者のひとりだったらどうしただろうか」と、自問自答する時間が続いた。 

 訳者の池田は、「今この本を若い人に読んでもらいたい、という編集者の熱意に心を動かされ」(166頁)、改訳を引き受けたという。筆者も編集者の熱意に共感する。世間ずれした中高年齢者が仮にいま『夜と霧』を読んでも、「人間とは何か」という問題を深刻に考え始めるとは想像しにくい。しかし、若い世代がこの本を読めば、強大な権力を手中にした人間の途方もない傲慢さや、抑圧された人間が生きのびるために示す保身のずるさ、自分がいかに苦しくても、隣人にやさしく接する態度などに触れることで、自らの日常がすべて転覆させられるような感覚を味わうことだろう。若者に限らず、われわれ大人全員にも、人類は歴史から何を学んできたのかという痛切な反省を強いる本である。

 今日でも、大国の軍事的暴力の犠牲になる市民は増え続け、故国を離れざるをえない難民の数も膨れあがっている。強者は、敵を打ち砕く野望を満たすことに執念を燃やし、弱者の悲痛な苦しみや悲しみ、痛みをほとんど顧みることはない。

 本書は、「心理学者、強制収容所を体験する」と、「収容」、「収容所生活」、「収容所生活から解放されて」の3段階に分かれている。冒頭で、フランクルは、本書が事実の報告ではなく、自分自身に強制収容所がどのように映ったかを問うために書いたと述べる。ラッセル卿は、強制収容所で行われていた事実経過を冷静に客観的に記述したが、フランクルは自分の身近で起きたことに対して、自分の心理的な反応も含めて描いた。

 第一段階の「収容」は、フランクルも含め1500人を乗せ、何日も昼夜ぶっ通しで走った列車がアウシュヴィッツに到着した場面から始まる。ガス室や焼却炉での労働を強いられていたグループは、時期が来れば次のグループと交代させられて、犠牲者の側に回されていた。事情の飲みこめていないひとのなかには、「死刑を宣告された者が処刑の直前に、土壇場で自分は恩赦されるのだ」(14頁)という「恩赦妄想」につかれたひとがいた。しかし、現実は過酷だった。ひとりひとりの体をチェックする親衛隊将校の人差し指が左を指すか右を指すかで、披収容者の生死が決まった。働けそうにないひとは左を指示され、ガス室で殺害され、焼却室に送られた。

 ガス室行きをまぬがれた被収容者は脱衣場へ押しこまれた。親衛隊員が命令を発する。「『二分の猶予をあたえる。自分は時計を見ている。二分以内に、衣服をすべて脱げ。すべてをその場に置け、なにも携帯してはならない。靴もベルトもズボン吊りも、眼鏡も脱腸帯もだ。二分で停止を命じる。始め!』」(22頁)。別室では、全身の毛をそられ、シャワー室に追いたてられた。水が降り注いだため、ひとびとは歓喜し、幸運をかみしめた。しかし、彼らは身ぐるみ剥がされて「裸の存在」へと追いやられたのである。

 第2段階の「収容所生活」では、到着後の数日の間に起きた変化が語られる。「被収容者はショックの第一段階から、第二段階である感動の消滅段階へと移行した。内面がじわじわと死んでいったのだ」(33頁)。見るに耐えられないような光景を見ても、「心が麻痺して」(35頁)、何も感じなくなっていったのだ。「感情の消滅や鈍磨、内面の冷淡さと無関心。これら、被収容者の心理的反応の第二段階の徴候は、ほどなく毎日毎時殴られることにたいしても、なにも感じなくさせた。この不感無覚は、被収容者の心をとっさに囲う、なくてはならない盾なのだ」(37頁)。

 フランクルの観察によれば、内面生活が未熟な段階に引きずりおろされていく多くの被収容者とことなり、わずかながら「内面的に深まる人びと」(58頁)もいた。もともと精神的な生活をしていた感受性の強いひとびとは、収容所生活という困難な状況下でも、おぞましい世界から身を引き、世界の自由な国、豊かな内面へ立ち戻ることができたという(同頁参照)。彼は自分の内面をこう表現している。「収容所に入れられ、なにかをして自己実現する道を絶たれるという、思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ」(61頁)。

 フランクルはこうも述べる。「資質に恵まれた者が収容所生活で経験する内面化には、空しく殺伐とした現在や精神的な貧しさから過去へと逃れるという道も開いていた。一心不乱に、想像を駆使して繰り返し過去の体験に立ち返るのだ。たいした体験ではない。過去の生活のありふれた体験やごくささいなできごとを、繰り返しなぞるのだ」(64頁)。過去のこまごまとしたことを掘り返していくと、ひとつひとつの追憶に胸が張り裂けそうになったり、悪事の数々に後悔したり、悲しんだり、涙を流すこともあるが、そうした生々しい回想の時間は、悲惨な現在の苦痛を弱める効果をもつのだ。

 被収容者のなかには、自然や芸術の美しさに感動するひとびともいた。「わたしたちは、アウシュヴィッツからバイエルン地方にある収容所に向かう護送車の鉄格子の隙間から、頂が今まさに夕焼けの茜色に照り映えているザルツブルクの山並みを見上げて、顔を輝かせ、うっとりとしていた。わたしたちは、現実には生に終止符を打たれた人間だったのに―あるいはだからこそ―何年ものあいだ目にできなかった美しい自然に魅了されたのだ」(65頁)。彼らは、いままさに沈んでいく夕日とともに微妙な色合いで変化する雲にも見とれた(65~66頁参照)。誰かが口にした。「『世界はどうしてこんなに美しいんだ!』」(66頁)。

 フランクルは、ユーモアが「自分を見失わないための魂の武器」(71頁)と考えた。「ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒間でも、周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在にそなわっているなにかなのだ」(71頁)。彼は仲間に、「毎日、義務として最低ひとつは笑い話を作ろう」(同頁)と提案し、お互いに自作を披露し合った。「ユーモアへの意志、ものごとをなんとか洒落のめそうとする試みは、いわばまやかしだ。だとしても、それは生きるためのまやかしだ。収容所生活は極端なことばかりなので、苦しみの大小は問題ではないということをふまえたうえで、生きるためにはこのような姿勢もありうるのだ」(72~73頁)。

 他方で、フランクルは自分の置かれた現実をこのように認識していた。「強制収容所の人間は、みずから抵抗して自尊心をふるいたたせないかぎり、自分はまだ主体性をもった存在なのだということを忘れてしまう。内面の自由と独自の価値をそなえた精神的な存在であるという自覚などは論外だ。人は自分を群集のごく一部としか受けとめず、『わたし』という存在は群れの存在のレベルにまで落ちこむ。きちんと考えることも、なにかを欲することもなく、人びとはまるで羊の群れのようにあっちへやられ、こっちへやられ、集められたり散らされたりするのだ」(82頁)。フランクルは、こうした状況は、「その状況をみずから体験した人にしかわからないだろう」(87頁)と言う。 

 われわれは、ふだん当然のように自分を自由で主体的な存在であると感じ、自由意志のままに生きることができると思っている。ではひとたびフランクルのような過酷な状況に陥った人間にとって、自由とは何を意味するのだろうか。それは、完膚なきまでに略奪されることによって、すべての意味を失うのだろうか。フランクルはそれを否認し、このような経験を経てこそ、ひとは自由の深い意味へと降りていくことができるのだと考える。このあたりから、本書のもっとも白熱した思考がうねり出す。

 収容所に閉じこめられた人間の精神病理学的な解明によれば、「人間の魂は結局、環境によっていやおうなく規定される、(中略)との印象をあたえるかもしれない」(109頁)。しかし、彼はそれに異議を唱え、「人間の自由はどこにあるのだ」と問いかける。たしかに、フランクルは、「収容所で披収容者を打ちひしぎ、ほとんどの人の内面生活を幼稚なレベルまでに突き落とし、披収容者を、意志などもたない、運命や監視兵への気まぐれの餌食とし、ついにはみずからの運命をその手でつかむこと、つまり決断をくだすことをしりごみさせるに至る、感情の消滅や鈍磨」(104頁)について述べた。だが他方で、フランクルは、過酷な状況にあっても、感情の消滅を克服したひと、感情の暴走を抑えていたひとや、「わたし」を見失わなかったひと、隣人に思いやりのあることばをかけたり、なけなしのパンを譲ったりしていたひとびとに出会うなかで(110~111頁参照)、こう述べる。「人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。典型的な「『披収容者』」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ」(111~112頁)。

 フランクルは、「『わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ』」というドストエフスキーのことばを引用し、こう述べる。「この究極の、そしてけっして失われることのない人間の内なる自由を、収容所におけるふるまいや苦しみや死によって証していたあの殉教者のような人びとを知った者は、ドストエフスキーのこの言葉を繰り返し噛みしめることだろう。その人びとは、わたしはわたしの『苦悩に値する』人間だ、と言うことができただろう。彼らは、まっとうに苦しむことは、それだけでもう精神的になにごとかをなしとげることだ、ということを証していた」(112頁)。

 「わたしがわたしの苦しみに値する人間になること」とは、苦しむことには意味があると信じることだ。フランクルは、苦しむことの意味を肯定する。「行動的に生きることや安逸に生きることだけに意味があるのではない。そうではない。およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ」(113頁)。

 フランクルは、強制収容所で、数日の内に死ぬことを悟っていた若い女性のことばを紹介している。「『運命に感謝しています。だって、わたしをこんなにひどい目にあわせてくれたんですもの』」(116頁)。「『以前、なに不自由なく暮らしていたとき、わたしはすっかり甘やかされて、精神がどうこうなんて、まじめに考えたことがありませんでした』」(同頁)。病棟の外のマロニエの木を指差して、彼女はこう語った。「『あの木が、ひとりぼっちのわたしの、たったひとりのお友だちなんです』」(同頁)。「『あの木とよくおしゃべりするんです』」(117頁)。不思議に思ってたずねると、彼女はこう答えた。「『木はこういうんです。わたしはここにいるよ。わたしは、ここに、いるよ、わたしは命、永遠の命だって……』」(同頁)。

 フランクルは、生きる意味を見失い、生きていても何もならない、人生に期待するものはないと、よりどころを無くして、あっという間に崩れていったひとを何人も見た。しかし、彼は、それでいいのだろうかと問い、力強くこう宣言する。「ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない」(129頁)。

 「具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみを責務と、たった一度だけ課される責務としなければならないだろう。人間は苦しみと向きあい、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない。だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代わりになって苦しむことをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ」(131頁)。

 このように考え、苦しむことの意味に気づいたひとびとにとっては、苦しむことは何かをなしとげるという性格を帯びるようになった(132頁参照)。「詩人のリルケを衝き動かし、『どれだけ苦しみ尽くさねばならないのか!』と叫ばせた、あの苦しむことの性格を帯びていたのだ」(同頁)。苦しむことは、回避すべきことではなく、課題として受けとめるべきひとつの可能性として意識されるようになったのだ。苦しみに打ちひしがれて、折れて崩れるのではなく、苦しみが自分にしか引き受けることのできない唯一の機会と覚悟して、『精神の自由』に賭けたひともいたのだ。

 「第二段階 収容所生活」のおしまいで、フランクルはこう述べている。「わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった『人間』を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ」(145頁)。

 われわれの人生は思い通りになることは少ない。意志は簡単に挫折し、未来への希望が不慮の災難によって絶たれることも度々だ。かつてブッダも述べたように、人生は苦しみの連続でもある。いくつかの苦しみは、しばしば向こうからやってきて、われわれの人生を打ち砕いてしまう。平穏な日常が、病気や強盗の侵入や、軍隊の乱入、自然災害などによって非常時に変わる。苦しみが重くのしかかり、人生は暗転する。しかし、人間は理不尽な状況に一方的に押しこめられてしまう存在ではない。フランクルが述べたように、苦しみや困難を乗り越えることを責務として引き受け、状況に自発的に立ち向かう存在でもあるのだ。

 「第三段階 収容所から解放されて」のおしまいの方で、フランクルはこう述べる。収容所では、「わたしたちを支え、わたしたちの苦悩と犠牲と死に意味をあたえることができたのは、幸せではなかった。にもかかわらず、不幸せへの心構えはほとんどできていなかった。少なからぬ数の解放された人びとが、新たに手に入れた自由の中で運命から手渡された失意は、のりこえることがきわめて困難な体験であって、精神医学の見地からも、これを克服するのは容易なことではない」(156頁)。フランクルは、戦後も一貫して、この困難な体験に立ち返って考えることをやめなかった。

 収容所での体験は、フランクルに「人間とはいったいどういう存在なのか」という問いをつきつけた。フランクルはこの問いに答えるために、人間の自由や人生の苦悩と絶望、生きることの意味と希望といった問題について徹底的に考え抜いた。その思考の軌跡は、 『死と愛―実存分析入門』(1957)『それでも人生にイエスと言う』(1993)、『苦悩する人間』(2004)、『人間とは何か―実存的精神療法』(2011)といった著作のなかで表現されている。それらの本を読み、フランクルと対話することは、戦争や災害などによって苦しむ人間が増え続ける状況のなかで、われわれがどう生きるかを考える機会となる。 
 


人物紹介

ヴィクトール・E・フランクル (Viktor Emil Frankl) [1905-1997]

1905年、ウィーンに生まれる。ウィーン大学卒業。 在学中より、アドラー、フロイトに師事し、精神医学を学ぶ。第二次世界大戦中、ナチスにより強制収容所に送られた体験を、 戦後まもなく『夜と霧』に記す。 1955年からウィーン大学教授。人間が存在することの意味への意志を重視し、心理療法に活かすという、実存分析やロゴテラピーと称される独自の理論を展開する。 1997年9月没。
著書『夜と霧』『死と愛』『時代精神の病理学』『精神医学的人間像』『識られざる神』『神経症』(以上、邦訳、みすず書房) 『それでも人生にイエスと言う』『宿命を超えて、自己を超えて』『フランクル回想録』『<生きる意味>を求めて』『制約されざる人間』『意味への意志』(以上、邦訳、春秋社)。 ―本書より

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