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サマセット・モームの世界―「雨」と『サミング・アップ』―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 サマセット・モーム(1874~1965)と言えば、かつては日本でもっともよく読まれた外国人作家のひとりであり、その作品は大学の入試問題や予備校の模擬テストで出題されることも多かった。1959年の来日を契機にして、翌年には「日本モーム協会」が設立された。しかし、1965年のモームの死を境にモーム・ブームは急速に衰退し、この協会は数年後には活動休止状態となる。2006年のモーム没後41年記念講演会をきっかけにして、この協会は復活し、活動を再開した。
 モームは1874年にパリで生まれた。8歳で母を、10歳で父を亡くしたのち、イギリスに住む叔父に引き取られ、カンタベリーのキングズ・スクールに入学するが、フランス語訛りの英語と生来の吃音症のためいじめられ、学校生活は辛いものだったようだ。16歳のときに叔母の勧めでドイツのハイデルベルクに遊学して、その地でのびのびとした青春の日々を過ごした。作家になる気持ちを抱いて帰国し、18歳でロンドンの聖トマス病院付属医学校に入学。赤裸々に感情を吐露する患者に接して、人間の内面の諸相や行動を冷静に観察することを学んだ。この時期、文学に目覚め、手当たり次第に本を読み、人生の意義とは何か、人生には目的があるのか、ひとは人生においていかに行動すべきかといった哲学的な問題について苦しみ悩んだ。


 23歳のときに、長篇『ランベスのライザ』を出版し、好評を得た。医師の免許を取得したものの、処女作の成功によって、文学で身を立てる決心をした。こうして『人間の絆』(1915年)、『月と六ペンス』(1919年)、「雨」、「赤毛」など6篇を収録した短篇集『木の葉のそよぎ』(1921年)、『サミング・アップ』(1938年)などの傑作が世に出ることになる。

 『雨・赤毛 他一篇』(朱牟田夏雄訳、岩波文庫、1962年)におさめられた「雨」は、モームの短篇のなかでも傑作に数えられる。舞台は、長雨の季節を迎えたトゥトゥイラ島(サモア諸島のひとつ)のパゴパゴの安宿である。登場人物は、キリスト教の布教に熱心な宣教師のディヴィッドスン夫妻、医師のマクフィル夫妻、安宿の家主ホーンと、刑務所行きを逃れて同じ舟で流れてきた売春婦のトムスン、総督などごくわずかであるが、この短篇の陰の主役は「雨」である。その描写をひとつ引用してみよう。「無慈悲な、どこか物すごさのある雨だった。何か、自然の原始的な力が持つ悪意というようなものが感じられた。(中略)まるで天からの洪水という感じで、ナマコ板の屋根に、人を発狂させそうな小やみもない執拗さでバタバタたたきつけた。雨自体が何かに激怒をいだいている感じだった」(40頁)。降り続く豪雨は、徐々に登場人物たちの神経を苛立たせていく。
 宣教師のディヴィッドスンは、キリスト教の教義を絶対化し、布教に熱意を注ぐ。島民の気持や土地の風習は考慮せず、おのれの信念をつらぬくことにのみ執念を燃やすエゴイストである。その妻も熱心な宣教師で、島民のキリスト教化に情熱を燃やす一方で、島民たちの生活は蔑視している。
 医師のマクフィルは、夫妻の言動を観察し、ふたりの独善と傲慢さを皮肉なまなざしで見つめている。
 売春婦のトムスンが二組の夫婦と同じ安宿の部屋に泊まり、蓄音機で騒々しいジャズをかけ、周りをいらだたせる。トムスンを一刻も早く追い出したいディヴィッドスンが、総督にトムスンを島からすぐに退去させるように求め続けた結果、彼女はサンフランシスコ行きの船に乗せられることが決まる。本国に送還されれば投獄されることになるトムスンは、激しく動揺して、泣き叫び、送還の免除を懇願する。ディヴィッドスンは、刑罰を受けてこそ真の回心になると熱心に説得する。何日か泣き続けたあと、トムスンは悔い改めたいと口にする。この一言を聞いて、ディヴィッドスンは言う。「ああ、ありがたい! ありがたい! 神はわれわれの祈りを聞いて下さったのだ」(63頁)。
 この瞬間から、宗教的高揚感に駆られたディヴィッドスンの独走が始まる。「彼は、この哀れな女の心の、隠れた隅々にひそむ、罪の最後の痕跡を、根こそぎに抜きとろうとしていたのだ。彼は彼女とともに聖書を読み、彼女とともに祈った」(66頁)。その一方的な思いこみはこう表現される。「夜のように真黒だった彼女の魂が、今は振り立ての雪のように純白なのだ。私は謙虚な、また恐れる気持になっている。彼女が今までのすべての罪を悔いているその気持は、実に美しい」(同頁)。
 マクフィルは、まだトムスンを本国に送り返したいという気でいるのかと尋ねる。ディヴィッドスンの返答はこうだ。「目のあいていない君にはわからんのだ。罪を犯した彼女は苦しまねばならない。どういうひどい目にあうか、私は知っている。彼女は飢え、折檻され、恥ずかしめも受けるだろう。私は彼女に、人間の手による罰を神へのいけにえとして甘受させたい。喜んでそれを甘受させたい。彼女はわれわれが滅多に与えられない機会を、与えられたのだ。神は親切で慈悲深いのだ」(67頁)。
 ディヴィッドスンの熱意は妄想に近いものとなる。「終日私は彼女とともに祈り、もどって来るとまた祈る。全力をこめて祈る。それは、イエスが彼女にこの大恩寵をゆるしたもうことを願うからだ。私は彼女の心中に、ぜひ罰を受けたいという切なる願いを植えつけてやりたい」(同頁)。ディヴィッドスンの「いけにえ」になったトムスンは、「奴隷のようにわが意志を失って、彼につきまとった。しきりに泣き、聖書を読み、また祈った。ときにはヘトヘトになり無感情になった」(68頁)。
 その後、トムスンは、犯した罪も虚栄心も忘れ去って、自分の部屋でだらしない格好で、泣きながら歩き回るようになる。寝間着を4日も着たままで、靴下もはかず、部屋は散らかり放題というありさまとなる。
 雨の描写が、悲劇を予感させるかのように入りこむ。「そういう間にも雨は意地のわるい執拗さで降りつづけた。(中略)雨は、人間の気を狂わせそうな根気よさで、ナマコ板の屋根の上に、まっすぐ大量に降りそそいだ」(同頁)。
 だれもが、サンフランシスコ行きの船がシドニーから来る火曜日を待ちわびていた。トムスンは、総督庁の事務員が船中護送する手はずになっていた。マクフェイルが火曜日の明け方にホーンに起こされ、連れて行かれた先で、ディヴィッドスンの死体を発見する。「のどが、耳から耳まで切られて、右手には切るのに用いられた剃刀がまだ握られていた」(71頁)。トムスンのしどけない肉体に誘惑されてみだらな行いをしかけ、こっぴどく拒絶されたあげくに、激しい後悔にさいなまれて自らの命を絶ったのだ。
 その後、マクフェイル夫妻とディヴィッドスン夫人が安宿で、トムスンと再会する。ここ数日までの卑屈で自暴自棄的な態度は消え失せ、髪を念入りに結いあげ、けばけばしく化粧した、最初の頃のあばずれ女に戻っていた(74~75頁参照)。トムスンは、突然あざけるような笑い声をあげ、ディヴィッドスン夫人につばを吐きかけた。激昂して理由を尋ねる医師にたいして、トムスンは、侮蔑と憎悪のありったけをこめて叫んだ。「おまえたち男なんて! みんなうす汚いけがらわしい豚だ! みんな同じだ、一人のこらず! 豚だ! 豚だ!」(75頁)。

 

 『サミング・アップ』(行方昭夫訳、岩波文庫、2007年)は、人生の終わりを意識した64歳のモームが自分の過去を回想しながら、自由に自分を語ったエッセイ集である。原題は、THE SUMMING UP であり、「締めくくる」という意味である。「要約すれば」と訳した本もある。「私がこれまでに達した見解は、荒れた海上に浮かぶ難破船の残骸のごとく私の頭の周囲にぷかぷか浮かんでいるのである。こういうものを多少とも整理してみれば、自分の考えがどういうものかはっきりしてくるし、そうすれば、自分の考え方に一貫性が生まれるかもしれない」(14頁)、こう期待して、モームは全部で77の小エッセイからなる本書を書いた。
 10と11では、モームの怜悧な自己観察や、作家批判が展開される。モームは自分の長所と短所を冷静に評価している。「私には鋭い観察眼があり、他の作家が見落としている多数のものを見ることが出来た。観察したものを明瞭な言葉で表現することも出来た。また私には論理的に考えるセンスがあり、言葉の豊富さとか珍しさに対する感覚は鈍いけれど、とにかく言葉の音、響きには敏感に反応できた。自分が望むほどうまい文章を書けるようにはならないのは分かったが、苦労すれば生来の欠点の許す範囲でうまい文章が書けるようになると思った。じっくり考えて、私が狙うべきは、明快、簡潔、音調のよさだと決めた」(41頁)。モームによれば、明瞭に書くことを身につけない怠慢者や、自分がなにを言いたいのかを自覚していない者は、あいまいな文章しか書けない(42~43頁参照)。モームはまた、自分には絢爛豪華なものを書く才能がなかったので、簡潔な文章をめざしたと述べている(45頁参照)。「音調のよさ」についてはこう述べている。「単語には重さ、音、外見がある。これらを検討して初めて、見た目によく、聞いて心地よい文が書けるのである」(52頁)。
 16では、モームの人間観が端的に表現されている。「個々の人間と人間との間に大きな差異はないのだ。誰もかれも、偉大さと卑小さ、美徳と悪徳、高貴さと下劣さのごたまぜである。(中略)私自身について言えば、大多数の人より良くも悪くもない人間だと心得ているのだが、もし生涯でなした全ての行為と、心に浮かんだ全ての想念とを書き記したとするならば、世間は私を邪悪な怪物だと思うことだろう」(68~69頁)。真っ白だけのひともいなければ、真っ黒だけのひともいない。非の打ち所のないひともいなければ、欠点しか目立たないひともいない。どれほど立派にみえるひとでも、すねには傷が残っている。モームの言うように、だれにも相対立する傾向が潜んでいるのだ。モームはさらにこう述べる。「自分が心の中で考えていることを反省するならば、誰でも他人を非難する図々しさを持ちうるはずがないと私は思う。我々の人生の大部分は夢想で占められており、想像力が豊かな人ならば、夢想は多彩で生々しいものになるだろう。自分が夢想している内容が自動的に記録され、目の前に示されたとしたら、それに耐えうる人はいったい何人いるだろうか。きっと恥ずかしくて堪らなくなるだろう。これほどまでに下劣で、邪悪で、ケチで、身勝手で、好色で、スノッブで、虚栄心が強くて、感傷的であるなんて―そんなのは嘘だ、と叫んでしまうことだろう」(69頁)。自分のみにくさやいやらしさ、邪悪さには蓋をして、他人の欠点を非難してはばからないひとは少なくない。その非難が自分に対してもあてはまると反省できれば、謙虚さが生まれるはずなのに、なかなかそうはならない。
 自分の信念に疑いをもたず、まっとうな人間だと自負するひとは、宣教師のディヴィッドスンのように、しばしば、自分の狭量な考えや信念を他人に強引に押しつけて、自分の世界にひきずりこもうとする。神を後ろ盾にして、身勝手な想念を駆使して、他人を支配したり、虐待したりするケースも生まれる。
 17ではモームの告白が興味深い。「私は皮肉屋だと言われてきた。人間を実際よりも悪者に描いていると非難されてきた。そんなことをしたつもりはない。私のしてきたのは、ただ多くの作家が目を閉ざしているような人間の性質のいくつかを、際立たせただけのことである。人間を観察して私が最も感銘を受けたのは、首尾一貫性の欠如していることである。(中略)人間は誰しも自分はこの世の中でたぐいのない存在であり、特権があるのだという確信を本能的に有している。このため、自分のすることは、他人がすればどれほど誤ったことだとしても、自分にとっては、当たり前で正しいとは言わぬまでも少なくとも許されるべきだと感じるのだ。人間の中に見つけた矛盾は私に興味を起こさせたけれど、それを不当に強調したとは思っていない」(72~73頁)。自他のふるまいを公平に観察し、 自分の特権意識やこっけいな過ちを見逃さず、きちんと自己批判すること、自分の見方はさしおいて、他人の立場に立って周囲の世界を見回してみることの大切さが語られている。
 「あなたは人間の短所のみを見て、長所を見なかったのではないか」という非難にはこう答えている。「善よりも美しいものはなく、普通の基準によれば容赦なく糾弾されるような人間に中にいかに多くの善があるかを示すのは、私には大きな喜びであった。この目でそれを確認したからこそ、それを示したのだ。善は、そういう人たちにあっては暗い罪に取り囲まれているので、いっそう光り輝くように思えた。私は善人の善は当然視し、彼らの短所なり悪徳なりを発見すると面白がるのだ。逆に、悪人の善を発見したときは感動し、その邪悪に対しては寛大な気分で肩をすくめるだけにしてやろうと思う」(74頁)。人間の善と悪を見抜くモームの観察眼は鋭く、モームはどんな人間にもその両面が見られると確信していた。善人の悪を面白がり、悪人の善に感動したというところに、モームのシニカルな一面がのぞいている。
 モームはこう続ける。「私は概して人間を額面通りに受け取ったことはない。人を見る目のこういう冷淡さが先祖から受け継いだ遺伝なのかどうかは分からない。私の先祖は成功した法律家だったが、見掛けに騙されぬだけの抜け目のなさがなかったら、とうてい成功しなかっただろう」(74~75頁)。他人を見るときの自分の冷静さは、医学生だったことで助長されたのは確かだとも述べている(75頁参照)。モームは、病室での患者との出会いから、人間が興味のつきない存在だと思うようになった。モームの作家としての特質には、本人が回想するように、遺伝的な側面と個人的な経験が色濃く反映している。
 モームに関心のあるひとには、行方昭夫の『サマセット・モームを読む』(岩波書店、2010年)をおすすめする。岩波市民セミナーの講義内容にもとづいている。明快な内容であり、受講者との質疑応答も含まれていて、読んで楽しい本である。 


人物紹介

モーム 【William Somerset Maugham】[1874~1965]

英国の小説家・劇作家。平明な文体と巧妙な筋運びで、懐疑的な人生観のこめられた小説を書いた。また、風俗喜劇でも知られる。小説「人間の絆」「月と六ペンス」「雨」、戯曲「ひとめぐり」「おえら方」。サマセット=モーム。

"モーム【William Somerset Maugham】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-08-22)


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