そこで、今回はカントの論文とふたりの日本人が書いた教養論をおすすめしよう。「自分で考える」、「自己を変える、掘りさげる」、「自己に配慮する」、「相互のコミュニケーションを深める」といった教養的な実践とその意味について考える機会にしてほしい。
カントは、『永遠平和のために/啓蒙とは何か』(光文社古典新訳文庫、2006年)所収の「啓蒙とは何か」という論文のなかで、「啓蒙」をこう定義した。「それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ」(傍点カント)(10頁)。「未成年の状態とは、他人の支持を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである」(10頁)。なぜそうなるのか。カントによれば、自分で考える代わりに書物に頼り、良心を働かせる代わりに牧師に頼り、自分で食事を節制する代わりに医者に食事療法を教えてもらうのがなんとも楽なことだからだ(11頁参照)。「お金さえ払えば、考える必要などない。考えるという面倒な仕事は、他人がひきうけてくれるからだ」(11頁)。
カントは、社会のなかに、人間に自力で理性を行使することよりも、未成年のままにとどまる快楽の方を選ばせるような仕掛けが潜み、それが人間の自力歩行を妨げる足かせとなっていると見なしていた。しかし、そういう状況のなかでも、自らの未成年状態を打破し、自分で考えるという使命と価値を信じるひともいるというのがカントの見立てであった。
カント自身は、理性の働きを行使して生きるのが人間だと確信していたから、理性を軽んじる人間に我慢がならず、「『自分の理性を使う勇気をもて』」(10頁)と檄を飛ばした。
自分の理性を働かせるとは、なによりも「自分の頭で考えること」である。カントは、それに加えて、「首尾一貫した仕方で考えること」を強調した。自分で丁寧に道筋を立てて、矛盾することのないような仕方で考えるということだ。カントは、もうひとつ、「他人の立場に立って考えること」も重要と見なした。いずれも簡単にできることではない。重要な問題について自分で考えて判断するよりも、誰かに考えてもらう方が楽だ。ひとつひとつ思考の歩みを確認しながら、方向を間違わないように考えることは大変厄介な作業である。さらに相手の立場に立って考えるとなると、はるかにむずかしい。相手の気持ちに即して考えず、自分の狭い尺度でしか他人を測れないひとは、広く、深い世界を生きているひとが理解できない。自分の浅い見方で切り取れる側面だけを見て、分かったつもりになってしまうのだ。
われわれは多かれ少なかれ未成年状態にある。完成された大人などどこにもいない。しかし、カントが言うように、理性を活用して、自分の未成年状態からの脱却を企てるひとはいる。そういうひとが増えてくれば、政治のあり方も変わっていくと、カントは考えた。
村上陽一郎の『あらためて教養とは』(新潮文庫、2009年)は、ある編集部の女性が村上の話を聞き取り、文章化したものである。序章 教養の原点はモラルにあり、第1章、教養教育の誕生、第2章、知の世界への扉―古典語との出会い、第3章、日本の教養のゆくえ、第4章、大正教養人の時代―知的教養主義の伝統と継承、第5章、価値の大転換―戦後民主主義教育で失われたもの、第6章、いま、ふたたび教養論―規矩について)、終章 私を「造った」書物たちからなる。目次から分かるように、村上は教養の定義、国内外の教養教育の過去と現在、教養と価値の問題などについて幅広い視野から語っている。
村上は国際基督教大学の教養学部で長く教えた。専門は科学史、科学哲学である。村上によれば、教養とは「自分に対して則を課し、その則の下で行動できるだけの力をつける」(16頁)ことである。自分の行動の原理原則を明確にし、それにしたがって動くことができるのが教養人だというのである。村上は、「則」の代わりに、「規矩(きく)」という、あまりなじみのないことばを好んで使う。「『規矩』は、自分独りに課したものでありながら、やはり自分の生きる社会との関係の中で、自らと社会との協働関係の中で、見出し、自分に課していくべきものです」(同頁)。要するに、ひとりのときにも、他人といるときにも、自分が自分自身に課したルールを厳守して生きるということだ。どういうルールを自分に課すのか、それを決めるのは個々人である。
村上によれば、「『自分』という人間をきちんと造り上げていくこと」(185頁)が教養の意味である。政治家にして哲学者であったセネカは、自分自身を耕すひとは少ないと述べたが、村上も教養と「『自分を耕す』」(同頁)ことを結びつけている。畑は手入れを怠れば雑草が生え放題になり、荒れはててしまうから、入念に耕すことが必要だ。野菜や果物が実るためには、よい土を入れ、肥料を与え、水や光の配分に気を配らなければならない。それと同様のことは、自己についてもあてはまる。われわれは、未熟な自分に欠けていているものをおぎない、少しでも成長した自分へと自分を導いていく配慮を忘れてはならないのだ。
村上は、自分を造り上げていくタイプのひとを二種類に分けている。ひとつは、「自分をしっかり持って、自分を見つけて、自分をきちんと造り上げていく」(186頁)タイプである。親や友人、他人の意見を謙虚に聴いて、自分で考え直して、受け入れるべきものは受け入れて、自分の成長に役立てていくひとである。農民は、土や水、雨や風の声を聴いて、自然から学んで農業に専念する。漁民にとっては、海がともに成長する相手だ。
もうひとつは、「自分というものを固定化するのではなく、むしろいつも『開かれて』いて、それを『自分』であると見なす作業、そういう意味での造り上げる行為」(187頁)を死ぬまで続けるタイプである。この場合には、自分の狭い世界を広げてくれる小説や詩などが助けになる。村上は、それ以外に、紀行文や日記や書簡を読むことも自分を造り上げる試みに不可欠と見なしている(188頁参照)。
自分を造りあげていくためのアドヴァイスがいくつかなされている。間口をひろげて、積極的になんでも学んで吸収すること、善悪を見抜く目を養うためになんにでもぶつかっていくことなどである(199頁参照)。
自分で自分を造る教養の時間を生きることによって、新入生は「人間的成熟と知的成熟」(200頁)とを図ることができる。専門教育は後回しにしてよい、というのが村上の提言である。
終章では、自分の造り方にもっとも影響力のあった書物として、夏目漱石と宮沢賢治の本が取りあげられている。村上は、漱石の描く男の「弱さ」をひとつひとつ自分のなかに認めることによって、自分を造ってきたと述べ、漱石の描く女性を通じて、女性を見る目が作られたという(279頁参照)。賢治からは自然の見方を学んだという。「普通に接していたのでは見逃してしまうような自然の一襞一襞を、これを見逃しては駄目だよというように、私たちにそっと見せてくれる、それが賢治を読むときの醍醐味ではないでしょうか」(290頁)。
すぐれた作品は、読み手の心に響き、自己改造をうながす。長く読みつがれる本とは、それぞれの読者のなかで、それぞれの変容を遂げていく、そうした無限の変容体なのである。
亀山郁夫の『人生百年の教養』(講談社現代新書、2022年)は、教育・研究と翻訳を中心に過ごしてきた著者の回想録である。序章 人は信念とともに若く、第1章、「教養」、すこやかな喜怒哀楽、第2章、少年時代 「私」という書物1、第3章、青春時代 「私」という書物2、第4章、「私は外国語が苦手」、第5章、モンタージュ的思考、第6章、実践の技法、第7章、俯瞰的思考、第8章、老いの作法、終章、大厄災時代に贈る言葉からなる。著者は肩の力を抜き、自分の失敗談もまじえながら、ユーモラスに語っている。
亀山はドストエフスキーの研究者、翻訳者として知られている。教育者としては、天理大学、同志社大学、東京外国語大学などで教鞭をとった。
亀山は「序章」でこう述べている。「教養とは、あくまでも自分と他者の関係性のなかで、それが共有されることで初めて価値をもつ知の体系であるということです。その意味で教養とは、対話とコミュニケーションの問題でもあるのです。私が考える『教養』は、何よりも、『語り合い』たいという衝動そのものに出発点を置いています」(9頁)。中身の濃い対話のためには、ひとりの時間のなかで自分の思考を深め、世界を広げる努力が欠かせない。しかし、自分の思考を深めると言っても、自分の狭い思考では限界がある。それゆえに、内外の文学や思想、文化・芸術などに関心をもち、見知らぬ世界との関わりを広げていかなければならない。自分とは違うものの見方をするひとや、自分の知らない世界に詳しいひとと交わることも大切だ。そのことを通じて、自分の素朴な常識や凝り固まった見方が崩され、あたらしい知の地平を目にすることができる。自分の教養に自己満足したり、驕り高ぶったりするのは禁物で、「謙虚な気持ちで隣人の言葉に耳を傾け、隣人の愛の対象を正確に見きわめる努力」(10頁)が大切だと、亀山は言う。「相手の立場に立って考えること」を強調したカントと重なる。
第1章の冒頭で、亀山は夏目漱石の『こころ』再読の経験を語る。亀山は、45年後にこの小説を再読して、先生の心情に深く入りこむことができたと言う。高校2年の夏休みに読んだときには、もっぱらKに同情していたと回想する。しかし、Kが親友のニックネームであったことに思い当たり、当時、「K」と「先生」の双方の視点からこの小説を読んでいたことに亀山は気づく。この記憶修正の経験を通じて、老いることで過去の見え方や現在のあり方が以前と根本的に違ってきたという確信をもった(19~20頁参照)。老いは経験のあらたな可能性の地平を開くのである。「こうして、たとえ老いても、喜び、怒り、悲しみ、楽しみをいきいきと経験できる主体であり続けることができれば、老いも一概に不幸な状態とはいえないと考えました」(20頁)。
この一文に続けて、幸福論が語られる。亀山によれば、人間の幸福とは、「感情豊かに、エモーショナルに生きること」(同頁)である。後半の意味は、「より高い次元、より普遍化され、浄化された次元で、『喜怒哀楽』をすこやかに経験できる知性を持つ」(21頁)ということである。そのためには、小説や詩、絵画、音楽などと親しみ、「人類が生み出した知恵や伝統の助け」(21頁)を借りる必要があり、こうしたバックグラウンド(すなわち教養)こそが友人との実りある対話の条件でもあると、亀山は言う。真の教養とは、単なる共通知のカタログなどではなく、人間の知と情念が一体化したものとして経験されるべきものなのだ(28頁参照)。
第3章は、青春回想記だ。東京外国語大学のロシア語学科に入学後に書き始められた読書ノートの一部が引用されている。カミュ、モーパッサン、ドストエフスキー、トルストイ、ジッド、フォークナー、カフカ、サルトルなどの作品が並んでいる。3年生の夏休みに、友人が「この夏休みはロシア語で『罪と罰』を読むかねえ」と言うのを聞いて、対抗心がわいた亀山は、ひと夏で『罪と罰』の原書を読破した。これを契機に、ドストエフスキーにのめりこんでいくことになる。その友人と30年ぶりに再会し、当時の発言についてたずねたところ、「『罪と罰』をロシア語で読めるなんて思ったこともないし、読もうと思ったこともない」(120頁)という答えが返ってきた。亀山は、ちょっとした誤解で運命が変わることもある人生に愉快さを感じ取っている。
終章には、2021年の3月の卒業式で読まれた「贈る言葉」が再録されている。亀山は卒業生にたずねる。「自分の考え方に柔軟性があると感じますか」、「自分の気持ちをコントロールできる自信がありますか」、「どんな状況でも『何とかなる!』という楽観をもてますか」という問いかけである(294頁参照)。思春期の亀山は、「しなやかさに欠け、自分の気持ちが抑えられず、何ごとも無理と決めつけ、物事を悪く考えがち」(294頁)で、ほぼ落伍者に近い後ろ向きの人間」(同頁)だったという。しかし、ただひとつ自分を支えてくれたのが「感謝の気持ち」(同頁)であり、それは、自分が何かしら「大きなもの」と出会い、自分という人間の小ささを自覚することから生まれると、亀山は語る(294~295頁参照)。小さな自分でも生きられるのは、「大きな力」のお蔭だと感謝するようになるというのだ。式辞はこう締めくくられる。「どうか、真の意味での『大きな力』との出会いを求めて、(中略)真の意味での『大きな人』になってください」(296頁)。
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