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見る経験への問いかけ―身体とのあたらしい出会い―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 堀越喜晴の『世界を手で見る、耳で見る 目で見ない族からのメッセージ』(毎日新聞出版、2022年)は、2011年から2019年にかけて「点字毎日」に連載されたエッセイに修正を加え、編集したものである。「点字毎日」は、1922年の創刊以来、一度の休刊もなく、2022年に創刊100年を迎えている。
 堀越は1957年に新潟に生まれた。2歳半までに、網膜牙細胞腫により両眼を摘出された。筑波大学大学院博士課程修了。専門は言語学、キリスト教文学。現在(2022年)、いくつかの大学で教鞭をとっている。
 本書は、「目で見ないシーン」、「たかが言葉、されど言葉」、「何か変だぞ」、「点字は文字だ!」、「今、教育の現場で」、「大切な人、大切な場所、大切な記憶」、「近頃の事件から」の全7章と、「はじめに」と「おわりに」からなる。堀越の個人的なとまどいや困惑の体験、目が見えないからこそ遭遇する日常世界の断面、目の見えない教師が受けもつ教室での学生の態度などについて柔らかなことばで表現されている。

見る経験への問いかけ

 「はじめに」で、堀越はこう述べる。「目が見える人たちの中でも、目で見る以外の感覚に興味を持つ人、持たない人、それから目が見えない人たちの中でも、目で見る感覚に興味を持つ人、持たない人、またいろいろな見え方、『見えない』方、という具合に、『見る』ということが様々なグラデーションをなして立ち現れてこないだろうか」(7~8頁)。視覚だけでなく、触覚、聴覚、味覚、嗅覚などにも、「様々なグラデーション」が伴う。人の諸感覚は一様ではないので、それぞれが固有な仕方で世界を経験している。しかし、自他の感覚の差異に無頓着なままだと、自分とは違う感覚で生きている人の経験に身を寄せることがむずかしい。それぞれの経験がすれ違ったままになる。だからこそ、堀越は、「『見る』のグラデーション効果」(8頁)を読者と分かち合いたいと願っているのだ。
 第1章の「1 目」で、堀越は、目の見えない自分には目に対してのミステリーがあり、目で見る族の人たちにも目に見えないことへのミステリーがあると言う(13頁参照)。堀越は、これまで、「一人部屋で大丈夫ですか」、「包丁で手を切りませんか」、「風呂に入るの?」などと聞かれて、自分の暮らしぶりが全然理解されていないことに驚いてきた(12頁参照)。そこで、堀越は、お互いが胸襟を開き、よく分かっていないことについて忌憚なく語り合うという、楽しいコミュニケーションを提案している(13~14頁参照)。「楽しいコミュニケーション」とは、いつの間にか固まってしまった見方を、それぞれが肩の力をぬいてほぐしていくことばのキャッチボールだ。
 堀越は、「2 見た目がなんぼ?」で、「『目が見えない人の世界を、4脚の椅子の脚が1本折れたようなものだと考えるのは正しくない』」(16頁)という伊藤亜紗のことばに、「卓見だ!」(同頁)と同意している。堀越によれば、この社会では「『脚折れ椅子』的な引き算の障害者観で凝り固まってしまっている」(16頁)人が多いし、障害は、ともすれば心身の機能の欠如、あるいは異常としてしかとらえられていない(同頁参照)。「健常者」ということばがある。常に健康な人などいるはずもないのに、いるかのような想定がなされている。そういう不在の人間の基準から外れた人が、「障害者」と決めつけられているのだ。堀越は、遠くにある物の形に触れもせずに分かる視力は、自分には念力かテレパシーのように見え、あれば便利だろうが、なければないで十分にやっていけると述べて(17頁参照)、自分がものを見えないことを障害とは見なしていない。
 「5 読書の秋に」は、点字へのオマージュである。IT技術を読書バリアフリーに活かす努力がなされ、読書環境が変わり、「点字はもはやその役割を終えた」(26頁)という声さえ聞かれるようになったという。それに対して、堀越は、2000冊近くにも及ぶ『群書類従』を仕上げた塙保己一、日本語文法を体系化した本居春庭、聖書の数ページの記録を1万余行の詩に著したジョン・ミルトンなどの視覚障害者の労苦を思い起こすべきだと述べる(26~27頁参照)。堀越の読書讃を引用する。「布団をしっかりと肩までかぶり、頭を枕から持ち上げることもなく、もちろん灯りも点けずに、何人もの人の手の触れた点字書に指をはわせながら、時間をかけて文章の響きに心を澄ます。秋の夜長、私たち点字使用者だけに与えられたそんな至福の時をじっくりと味わうというのも、また一興だ」(27頁)。
 第2章の「7 『自力』と『自立』」は、「健常者」と「障害者」の比較論だ。堀越によれば、「健常者」は、道路や駅や建物の掲示板や地図などに守られて「完全介護状態」(57頁)にある。その手厚い介助に依存しているからこそ、「健常者」は自立し、自力で動くことができる(57頁参照)。それに対して、「障害者」は、依存先は極度に限定されているために、自力で動く工夫をする必要があり、通りすがりの人の介助や、制度の改善も求めなければならない。ところが、世間では、「障害者」は多くのことを人に依存しなければならず、自力では何もできないから、およそ自立できているとはいえないという、「『健常者』の発想」(58頁)が幅を利かせている。守られているから自力で行動できる「健常者」が、その状態にない人を「障害者」と呼ぶのは傲慢であり、今はその発想を転換するときだと堀越は言う。堀越はまた、マーティン・ルーサー・キング牧師の「黒人の運命と白人の運命とは分かちがたく結びついている。だから黒人の解放なくしては白人の真の自由はあり得ない」(58頁)ということばを引用し、これは「障害者」と「健常者」との関係にも当てはまると主張する。堀越はこう結んでいる。「今は、私たち目の見えぬ者たちが、社会の目から鱗を落とす時だ。そして、私たち障害者が、ともすると脆弱に陥ってしまうこの社会を救う時だ」(同頁)。
 第5章の「4 不気味な『進化』」は、昨今の学生論だ。学生たちに「あなたならどんな環境を望みますか」という質問をしたところ、ひとりの学生は「私は何も考えなくていい環境を選びたいです」(134頁)と答えたという。技術が進歩しているので、これからは、考えることはITやロボットやAIにまかせればよい。IT政治に移行すれば、私利私欲や忖度が除外されてすっきりする。障害も、いずれは医療や技術の改良などによって問題なくなるだろうなどと発言する学生も少なくないという(134~135頁参照)。堀越は、未来人の発言をこう予測する。「昔の人ってたいへんだったんだねぇ。本何冊も読んで『人生とはなんぞや』だなんて、眉間にしわ寄せて考えてたんだってね。今ならそんなこと、AIに聞いてみればすぐに正解を教えてくれるのにね」(136頁)。「人間は考える葦である」、「考えることが人間を偉大にする」と述べたパスカルのことばなど、だれもふりかえらない時代が来るのだろうか。
 本書には、自宅、学校、盲学校、大学、国会、選挙会場、障害者施設などで起きている出来事や事件に対する堀越の異論や反論、共感、祈りなどが随所に織りこまれている。堀越は、「『便利や効率を作り出すことのできない存在』」(205頁)こそが、これからの職場において、ゆとり、関わり、幸せ、愛などを意識化し、顕在化させうる存在だと考えている(206頁参照)。

 

 つぎに、堀越も引用していた伊藤亜紗の本『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書、2015年)を紹介しよう。
 伊藤は、何人かの視覚障害者とコミュニケーションを重ね、ともに行動しながら、目の見えない人がどのようにして世界のなかで生きて、世界を認識しているかをさぐっている。「障害者は身近にいる『自分と異なる体を持った存在』です。そんな彼らについて、数字ではなく言葉によって、想像力を働かせること。そして想像の中だけかもしれないけれど、視覚を使わない体に変身して生きてみること。それが本書の目的です」(23頁)。「想像力」と「変身」はキーワードである。
 伊藤の好奇心の対象は身体である。しかし、「身体一般」を論じるのではなく、目の見えない人の身体の動きに身を寄せながら「新しい身体論」(28頁)をリサーチすることをめざしている。「私たちが最も頼っている視覚という感覚を取り除いてみると、身体は、世界のとらえ方はどうなるのか?」(同頁)という問いからの出発である。この問いは、「主体が周囲の事物にどのような意味を与え、それがどのような環世界を作り出しているのか」(34頁)という「意味」への問いと結びつく。伊藤は、「意味」が見過ごされがちなのが福祉政策や、福祉事業などの場合であり、福祉は「情報への配慮」(35頁)であふれていると言う。点字ブロックや音響信号、対面朗読サービスなどがその具体的な現れである。しかし、「『福祉的な視点』」(36頁)に縛られてしまうと、多くの情報を教えてあげなければならないと身構えてしまい、障害者との個別的な接触の機会が失われはしないかと、伊藤は危惧している。本書では、「意味」と「情報」の対比がポイントである。
 「序章」のなかで、伊藤はひとつのエピソードを紹介している。中途失明者の木下路徳が、いま・ここにないものを頭のなかで視覚的に思いうかべる想像力の働きについての説明を聞きながら、「『なるほど、そっちの見える世界の話も面白いねぇ!』」(40頁)と叫んだという。この発言は、障害についての凝り固まった考え方をほぐす力をもっているという(40頁参照)。「木下さんの言う『そっち』は、見える世界と見えない世界を隣り合う二つの家のようにとらえています。『うちはうち、よそはよそ』という、突き放すような気持ちよさがそこにはあります」(41頁)。伊藤は、目の見えない木下を「気遣ってなにかをしてあげる人」ではなく、友達、近所の人といった目で見ている。「意味ベースの関わり」(同頁)がそこにはある。
 第1章「空間」では、伊藤が木下と大岡山駅で待ち合わせ、自分の研究室に向かって歩き始めたときのエピソードが「目からうろこ」だ。「『大岡山はやっぱり山で、いまその斜面をおりているんですね』」(47頁)という木下の発言に伊藤は驚く。自分にとっては道順の一部でしかなかった通勤路を、木下は「もっと俯瞰的で空間全体をとらえるイメージ」(48頁)で把握していたからだ。伊藤は、自分が方向性をもつ道に、いわばベルトコンベヤーのように運ばれている「通行人」という存在でしかないと悟る(49頁参照)。「それに比べて、まるでスキーヤーのように広い平面の上に自分で線を引く木下さんのイメージは、より解放的なものに思えます」(同頁)。伊藤が言うように、都会では、目の見える人は視覚的な情報の洪水に飲みこまれ、情報の奴隷のように生きている。都市は「ひとつの巨大な振り付け装置」(54頁)であり、見える人はそれに踊らされがちになる。それに対して、目の見えない人は洪水とは無縁で、「『脳の中に余裕がある』」(51頁)から、道から自由なのだと伊藤は言う。
 中途失明の難波創太も、道から解放された経験を語る。「『見えない世界の新人』」(57頁)になった難波は、最初は情報の激減にとまどったが、2、3年もすると、たどりつけない情報にはこだわる必要がないと考えるようになり、心の安定を得たという(56頁参照)。ものが見えなくなったからこそ、情報に踊らされない生き方を実現できたのだ。
 第2章「感覚」は、見えない人の感覚の使い方を記述することによって、見える人の視覚理解の狭さや柔軟性の欠如を指摘する章だ。伊藤は、見えない人の聴覚や触覚の使い方が個別的で、多様であることに注意をうながす。歩行の際に、見えない人は、それぞれが音や杖と足裏の感覚、風などを頼りにしている(86~87頁参照)。
 伊藤は、視覚を高次、触覚を低次に位置づける発想を批判し、見るのは目だけではないと言う。13歳のときに失明した広瀬浩二郎は、「耳で見て目できき鼻でものくうて 口で嗅がねば神は判らず」(110頁)という、大本教の教祖・出口王仁三郎が詠んだ歌に支えられてきたという。人間の感覚を五つに分けるのは近代的な発想にすぎず、相互に協力し合って働いているというのが広瀬の実感である。伊藤はこう述べる。「器官とは、そして器官の集まりである体とは、まだ見ぬさまざまな働きを秘めた柔軟な可能性の塊なのです」(115頁)。
 以下、第3章「運動」、第4章「言葉」、第5章「ユーモア」と続いていく。どの章にも、伊藤ならでは新鮮な身体論がきらめくリズミカルな文章に展開されている。いわゆる「障害者」と「健常者」の垣根を取りはらうには、このような魅力的な語り口こそ最適だと思わずにはいられない。

 

 長棟まおの「手による認識」(山田宗睦ほか共著『手は何のためにあるか』(風人社、1990年所収)は、触れることの豊かな次元を明晰な文章でつづったエッセイである。
 長棟は、盲学校の中・高6年間、先述の堀越と同級生だった。現役で和光大学に進学し、日本文学、特に仏教文学を専攻した。
 このエッセイは三つのエピソードからなっている。触読の訓練を受け、触覚によって事物を認識するようになった長棟は、まず、みやげ物屋で出会った両手におさまるほどの観音像について述べている。長棟は、観音像の全体に人差し指や親指で触れながら、「仏像のかもす魅力」(255頁)に魅せられていく。
 つぎは、ラマ教寺院を体感するために出かけたチベットでの体験報告である。牛糞を丸く伸ばしたものが壁に貼りつけてあった。目の見える人たちは、それが湿っていて汚らしく見えるので触ろうとはしない。長棟は、その手触りとやわらかさを知りたくて、人差し指を壁に突き立てたが、牛糞は「軽石かひからびた地面」(257頁)のようだった。その事実を友人に告げても、それを自分で確かめる人はほとんどいなかった。長棟はこう記す。「せっかく触ろうと思えばいくらでも触れる状況に居合わせながら、自分でもそれと気付かぬうちに、その触覚の醍醐味を惜しげもなく放棄してしまっているというようなことが、視覚的な世界に生きる人達には案外多いのではあるまいか」(258頁)。離れて見ることに慣れている人は、じかに触って見ることの幸福から遠ざかっているのだ。ほとんどのものがもつ「触覚的個性」から鮮烈な触覚感を感じないままに人生を終えることにもなるのだ(259頁参照)。
 三つ目は、東北の古刹の観音との出会いである。「『岩手県のさる古刹になんとも流麗な感じのする鉈彫りの観音がある』」(260頁)と聞こえてきた。長棟は、その相容れないイメージの実際を確かめたくて、仲間たちと現地を訪ねた。
 御堂に安置されている木像は、ガラスケースに収められていた。しかし、鍵はかかっていなかったので、仲間たちが見張り役をして、長棟は仏像に触れることができた。長棟は自分の触覚感をこう表現している。「息をのむほど美しいノミ跡が、衣全体をびっしりと覆い尽くしていたのである。まるで魔法の指が、スルスルと無駄を刮げすり切っていったかのような、その小さな面の連なり、そしてその面と面とをつないで、一見、縦横無尽と表現したくなるような不思議な規則性を持ちながら、伸びやかに満ち広がっている微細な曲線の円やかさに、私は心の底から驚嘆せざるを得なかった」(262~263頁)。目の見える人は、ともすれば仏像の姿形に注目するかもしれないが、長棟は仏像の肌触りに感動している。
 長棟は、おしまいにこう述べている。「私にたまたま具わっている目が見えないという特質は、確かにある場合には障害となるが、また別の場合には、極めて強固な独自性を生む原因とも力ともなる。そういう二面性を持つ、限りない可能性をはらんだ素晴らしい特質をただ一面的に『障害』と決めつけてしまうことが私にはどうしてもできなかった。拙稿中、『健常者・障害者』ではなく、『目の見える人・目の見えない人』という言い方を用いたのはそのためである」(268頁)。目が見えるからといって、ものがよく見えているとは限らない。見るものが多ければ、見過ごすことも多くなる。長棟は、目の見える人には近づきにくい触覚で感じられる世界を繊細に描いている。「健常者・障害者」といういびつな区分に対する長棟の抗議が響いてくる。

   

人物紹介

堀越 喜晴 (ほりこし-よしはる) [1957-]

1957年新潟生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は言語学、キリスト教文学。現在、明治大学、立教大学、日本社会事業大学で教鞭をとる。2歳半までに、網膜芽細胞腫により両眼を摘出。1991年から99年まで、NHKラジオ第2放送「視覚障害者のみなさんへ」に出演。また2011年から19年まで「点字毎日」に「堀越喜晴のちょいと指触り」を連載。主な著書に『羊のたわごと 会衆席からのメッセージ』『バリアオーバーコミュニケーション 心に風を通わせよう』(ともにサンパウロ)『ナルニアの隣人たち(かんよう出版)がある。―本書より

伊藤 亜紗 (いとう-あさ) [1979-]


1979年東京都生まれ。東京工業大学リベラルアーツセンター准教授。専門は美学、現代アート。もともと生物学者を目指していたが、大学3年次より文系に転向。2010年に東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻美学芸術学専門分野博士課程を単位取得のうえ退学。同年、博士号を取得(文学)。日本学術振興会特別研究員などを経て2013年より現職。研究のかたわら、アート作品の制作にもたずさわる。主な著作に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、参加作品に小林耕平≪タ・イ・ム・マ・シ・ン》(国立近代美術館)などがある。―本書より

長棟 まお (ながむね-まお) [1956-]

1956年生まれ。随筆家・仏教文学研究者。著書『ナム・ワルサボウズ』(戯曲) ―本書より
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