蔵書検索(OPAC)
HOME > 資料案内 > 新しく入った本 > おすすめの一冊
新着資料 ベストセラー 学生の購入リクエスト
映画・ドラマの原作 テーマ図書 おすすめの一冊
おすすめの一冊 本学の教員や図書館員のおすすめの本を紹介します。
 

前の本へ

次の本へ
母国語を離れて―別のことばで考えることと書くこと―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 イリナ・グリゴレの『優しい地獄』(亜紀書房、2022年)は、自伝的なエッセイである。自分自身や家族、自分の病気や恋愛、身体、女性としての生きづらさ、地域や社会についての考えを述べた自伝的エッセイである。グリゴレの個人史や家族史は、同時に、体制が変わる時代の一面をも浮き彫りにしている。
 グリゴレは、1984年に、社会主義政権下のルーマニア南部の小村に生まれる。祖父母のもとで育ち、7歳のときに小学校に入学するため、両親が暮らす町の団地に移った。1989年に社会主義体制が崩壊し、チャウシェスク夫妻の最期の映像は、日本でも放映された。
 後述するように、グリゴレは川端康成の『雪国』に感動し、日本語に興味をもった。2006年に奨学金を得て留学し、2009年には再度国費で留学し、現在(2022年)は、弘前大学で非常勤講師をするかたわら、獅子舞の研究を続けている。
 「生き物としての本 上」は、母から何度も聞かされた誕生風景の描写から始まる。誕生直後は母の乳が出ないため、陽気で丈夫なジプシーの女性の乳を飲ませてもらった。母はあるときこう言った。「ジプシーの乳を飲んだせいで、あなたはずっとその日から自由を探している」(6頁)。グリゴレはこう思う。「その乳に含まれた野生のエキスは、私の性格に影響を与えたに違いないのだ」(6~7頁)。

母国語を離れて

 「生き物としての本 下」は、町に移ってからの生活の描写だ。「独裁者が殺害されて国の歴史が変わったのと同じ年、私の中の歴史も大きく変わった。(中略)社会主義の澱がよどんでいる、魂を失った人々の町に移ったのだ」(15頁)。両親の住んでいた団地から、一番貧しい地区の学校に通った。「道の途中には、まるでデスバレーのような深い穴が掘られたかなり広い空き地があって、ゴミに混ざって動物の死骸がたくさん投げ込まれていた。(中略)毎朝見かけるこの死の光景は、地獄そのものだった」(16頁)。貧しそうな子供たちはゴミをあさり、ゴミの山から顔を出してパンをかじっていた(17頁参照)。
 町の生活でグレゴリを救ったのは本だった。グレゴリは読書に没頭する日々を過ごした。高校生になって手にしたルーマニア語版の『雪国』が、生涯の転機になる。「車内の若い女が自分と重なりあい、忘れがたい感覚を呼び起こした。本の中ではじめてこんなに自分と似ている人がいた。(中略)同じ車内に私もいたと叫びたいぐらい、自分の体が痛いぐらい懐かしかった。日本語を勉強し始めたきっかけは、そんな読書体験からだった」(18~19頁)。
 「人間の尊厳」は、父の働く工場の描写を通じて、社会主義政権下の過酷な労働の一端を描いている。「完全に計画経済の子だったため、工場は彼らの身体を支配し続けた」(27頁)。グレゴリはこう述べる。「社会主義とは、宗教とアートと尊厳を社会から抜き取ったとき、人間の身体がどうやっていきていくのか、という実験だったとしか思えない。あの中で生まれた、私みたいなただの子供の身体が何を感じながら育っていったのか。それは、言葉と身体の感覚を失う毎日だった」(31頁)。「社会主義でもなく、資本主義でもない世界があるとすれば、そこはどんな世界だろう。人の身体が商品にならない日がきっとやってくる」(32頁)。
 「なんで日本に来たの?」は、留学生としての日本体験記であり、高校時代の回想記でもある。高校時代のグレゴリは、自分の考えをうまく他人に伝えられず、コミュニケーションに悩んでいたが(124頁参照)、『雪国』を読んで、「私がしゃべりたい言葉はこれだ」(同頁)と確信した。「何か、何千年も探していたものを見つけた気がする。自分の身体に合う言葉を。(中略)きっと新しい言葉を覚えたら身体が強くなる。日本語は、私の免疫を高めるための言語なのだ」(同頁)。日本語という外国語を学ぶことがグレゴリの自己解放に道筋をつけたのである。ある大学の日本語学科で日本語漬けの日々が始まった。2006年に奨学金を得て来日し、1年間滞在し、文化人類学を学んだ。3年後、日本で研究者になり、まだ誰も研究していないことをやりたいと決意を固めたグレゴリは、別の奨学金で再度来日した。
 「社会主義に奪われた暮らし」は、社会主義政権の成立以前と以後の状況の変化を、祖父母の暮らしぶりを回想しつつ描いている。以前は、牛や馬は身近な生き物であり、「乾いた牛と馬のうんちを素手で集めることも違和感はなかった」(155頁)。庭で収穫した果物や野菜はその場で食べ(同頁参照)、平穏で牧歌的な生活があった。
 しかし、体制が変わった。「馬も土地も国のものになり、若い時の暮らしは社会主義にとられたが、祖父の心と自由はとられなかった」(157頁)。祖父はマッチ工場で働かされることになり、早朝に電車で街に出て、午後に帰宅する生活に変わった。ある日、親指の半分が工作機械に切り落とされた(同頁参照)。グレゴリはこう述べる。「私は今『惑星ソラリス』にいると感じる。祖父母が今は失われた生活をしていたのは遠い地球だ。あの場所はドイツの大手スーパーに植民地化され、現在は昔からの習慣と文化を守る人などほとんどいない」(158頁)。
 「パジャマでしかピカソは描けない」のおしまいの4行を引用する。「二〇二二年二月二十六日。歴史は私たち個人のレベルまで影響を及ぼす。ロシアによるウクライナ侵攻があった。私が小学生の時に住んでいたのとよく似た団地が砲撃を受けていた。部屋のなかのソファと机が剥き出しになっているのを見て戦慄した」(236頁)。
 最後のエッセイは「紫式部」だ。グレゴリは、紫式部という植物の実から、作家・紫式部の実、見、身を連想してこう述べる。「女性の身とは、人類の始まりから実っていたこと、命が詰まっているクリエイティブな身であると共に、支配される身でもあるが、紫式部のように突破し、男並みの力を持つ身になれることを忘れてはいけない。これは全ての女の子に伝えたいと、授業でも知らないうちに口癖になってしまっている」(239~240頁)。
 『源氏物語』への愛はこう表現される。「実は日本語でまだ読んでいないが、今更ながら、もしかしたら私は日本語を覚えようとしたのも日本語で『源氏物語』を読むためだった思うぐらい日本語で読みたくてたまらない」(240頁)。登場する全ての女性が著者の分身であるという評者の見解に抗して、グレゴリは、光源氏こそが著者・紫式部の分身であると見なしている。「自分の女性としての身体を知れば知るほど女性が嫌になる気持ちが私の共感するところなのだ。女性として生きる苦しさから解放されるため、書くしかないと彼女は早くから理解したに違いない。書くことによって男性と同じ扱いをされるからだ。そして自ら源氏になって、愛が不足している女性に向けて、愛と情熱を届けた」(241頁)。
 毎日新聞の夕刊記事「母国語以外で見る世界」(2022年9月14日)に、「『日本語でしか書けないし、ルーマニア語では書きたいとは思わない』」というグレゴリの発言が引用されている。母語ではない言葉を通すことで世界が違う角度から見え、言いたいことを言えるようになるとグレゴリは考えている。この記事の執筆者の関雄輔は、こう結んでいる。「自分のための言葉を探す。そして、違う角度から世界を見る。それが生きづらい『地獄』で自分を失わないための方法なのだ」。母国語を離れることで羽ばたいた作家は少なくない。たとえば、中国人作家のイーユン・リーは、アメリカに移って、自国語では書きにくかったことを英語で表現できるようになった。ベンガル人のジュンパ・ラヒリも、母国語と英語との葛藤を経て作家として自立した。いずれの場合も、外国語は母語(生身の母のように、自分をいつくしむと同時に、骨がらみの桎梏ともなる両義的な存在)によって形づくられてきた自己をいったん解体し、そこからあらたによみがえる力を授けてくれるものとして現れる。ただ、それはひたすら幸福な出会いというわけではむろんなく、母語との緊張関係のなかで、つねに測定し、組み変えていかなければならない自己探求の道のりであることは言うまでもない。


 ミラン・クンデラの『小説の技法』(西永良成訳、岩波文庫、2016年)は、最初の評論集である。名エッセイストとしても名高いクンデラが、セルバンテス、カフカ、プルーストなどの作品について自在に語り、「小説とはなにか」を論じている。
 クンデラは、1929年にチェコスロバキアに生まれる。プラハ音楽芸術大学を卒業後に、同大学で世界文学を講義した。1968年に「プラハの春」が挫折し、共産党独裁政権が確立され、クンデラは大学の職を追われ、小説は発禁処分になった。1975年にフランスに亡命し、81年に市民権を獲得した。クンデラは、チェコ語で書いた作品の仏訳に多年を費やしたのち、自身もフランス語で書き始めた。グレゴリは、母国語とは違う言葉(日本語)に自己表現の可能性を求めて来日し、研究者の道に入ったが、クンデラは、フランス語で書くという強いられた運命を引き受けた。
 本書は、「評判の悪いセルバンテスの遺産」、「小説の技法についての対談」、「『夢遊の人々』によって示唆された覚書」、「構成の技法についての対談」、「その後ろのどこかに」、「六十九語」、「エルサレム講演―小説とヨーロッパ」の全7部からなる。
 第1部「評判の悪いセルバンテスの遺産」は、近代の創始者がデカルトだけではなく、セルバンテスでもあると確信するクンデラのセルバンテス讃である。セルバンテスは、人間の世界には唯一の絶対的な真理などというものは存在せず、誰もが相互に異論を唱え合う多数の相対的な真実に直面しなければならないと考えた(16頁参照)。ひとつの見解は別の見解によって相対化されるのであり、安易な二者択一や、二分法は許されないのだ。クンデラによれば、小説の精神は複雑性の精神であり、それぞれの小説は読者に「物事はきみが思っているより複雑なのだ」と告げるものであるが、この真実は問いに先行し、問いを排除する単純で迅速な答えの喧騒のなかでは消されてしまう(31頁参照)。「知ることの困難さと真実の捉え難さを語るセルバンテスの古い知恵などは迷惑で無益に思われるのだ」(32頁)。クンデラは、現代の状況をこうしるしている。「私たちの時代精神は今日性の上に固定されている。今日性は実に外向的で夥しいから、私たちの地平から過去を追い払い、時間を唯一現在の瞬間に還元してしまう。このような体系の中に加えられる小説はもはや作品(持続し、過去と未来を繋げるべきもの)ではなく、他の出来事と同じような今日の出来事、明日のない行為になってしまうのである」(同頁)。クンデラはこうした悲観的な見方を示しながら、「評判の悪いセルバンテスの遺産」(小説の伝統)に執着し続ける意志を鮮明にしている。
 第7部の「エルサレム講演」は、1985年にエルサレム賞を受賞したさいの講演原稿である。クンデラの小説観や人間観が示されている。
 クンデラは、小説家とはみずからの作品の陰に身を隠す者のことだというフローベールの見方を手引きにしながら、小説を書くときに何が起こるかを語っている。作家自身が前面に出ると、作品は彼の所作、声明、立場などの付録と見なされかねない。「ところが、小説家は誰の代弁者でもなく、極論すれば彼自身の思想の代弁者でさえもない」(220頁)。
 クンデラは、『アンナ・カレーニナ』執筆当時のトルストイについてこう述べている。「彼は執筆しながら、個人の道徳的信念の声をとは別の声を聞いていたのだ、と。私なら小説の知恵と呼びたいものに耳を澄ましていたのです。あらゆる真の小説家は、個人を超えるその知恵に耳を傾けるのであり、これが偉大な小説はつねにその作者よりすこしばかり聡明だということを説明します」(220頁)。作家は、設計図に従って家を建てる建築家と違って、自分の構想を書きつぐなかで、知恵の呼びかけに促されて、自分が予想もしない場所へと連れていかれるのだ。小説の知恵は、いわば、神のうながしの声なのだ。
 クンデラは、つぎに「人間は考え、神は笑う」というユダヤの諺を取りあげ、自分の想像を語る。「フランソワ・ラブレーに神の笑いが聞こえ、そのようにして最初の偉大なヨーロッパ小説の着想が生まれたのだ」(221頁)。
 クンデラは、なぜ考える人間を見て、神は笑うのかと問いつつ、こう答えている。「人間が考えても、真実は人間から逃れるからです。人間たちが考えれば考えるほど、ひとりの人間の考えが別の人間の考えと食い違ってくるからです。そして、人間はみずからがそうだと考えている者ではけっしてないからです」(221頁)。われわれの自己認識はあてにならない。自分を知ろうとすればするほど、自分から遠ざかる。そのことを忘れて、誰もが言いそうなことしか言わず、付和雷同する者たちは、神の笑い者になるのだ。
 クンデラによれば、ラブレーはアジェラスト(苦虫族、笑うことがなく、ユーモアのセンスを欠く者たち)が大嫌いで、恐れていたという(222頁参照)。「神の笑いを一度も耳にしたことがないアジェラストたちは、真実は明瞭であり、すべての人間は同じことを考えねばならず、じぶんたち自身はみずからそうだと考えている者だと信じこんでいるのです」(同頁)。モンテーニュは、自分が間抜けな愚か者であると知り、そういう自分を笑うことこそが大切だと考えていた。ラブレーは、窮屈な考え方に縛られ、依怙地になっていると神に笑われるほかはないと見ていた。ふたりは、「神が自分を笑う」、「自分が自分を笑う」と、視点はことなるものの、笑いに重きを置いていた。
 この講演では、フローベールによる愚行の発見が、自らの科学的理性を誇っていた世紀の最大の発見であると見なされている。愚行は教育によって矯正されるようなものではなく、科学技術が進歩しても消えることはない。その進歩とともに、愚行も進歩するのである(226~227頁参照)。「愚行とは無知ではなく、紋切り型の考えの無-思考を意味しているのだ」(227頁)。
クンデラは、ヘルマン・ブロッホが語ったキッチュについても言及している。キッチュとは、最大多数の者たちに気にいられたいために、みんなが聞きたがっていることを承認し、紋切り型の考えに奉仕する態度を指す。「キッチュとは、紋切り型の考えという愚考を美と感動の言葉に翻訳すること」(228頁)である。「現在では、近代性はマスメディアの途方もない活力と混同されて、現代的であるとは時流に遅れないための、もっとも順応的な者たちよりさらに順応的になるための狂おしい努力を意味します。現代性はキッチュの衣をまとったのです」(同頁)。
セルバンテスやラブレー、フローベールなどにとって、すぐれた芸術作品のためには、アジェラスト、紋切り型の無-思考、キッチュが、「三つの頭をもつ同じ唯一の敵」(229頁)になるとクンデラは考える。個人の尊重や独創的な考え、私生活の権利などが脅かされつつある現代において、小説の知恵こそが尊重されるべきだというのがこの講演の締めくくりである。



人物紹介

イリナ・グリゴレ 【Irina Grigore】 [1984-]

1984年ルーマニア生まれ。2006年に日本に留学し、2007年に獅子舞の調査をはじめる。一時帰国後2009年に国費留学生として来日。弘前大学大学院修士課程終了後、東京大学大学院博士課程に入学。主な研究テーマは北東北の獅子舞、日本で生活して女性の身体とジェンダーに関する映像人類学的研究。現在はオートエスノグラフィー、日本における移民の研究を始めている。
―本書より

ミラン・クンデラ 【Milan Kundera】 [1929-]

チェコの小説家。長編小説「冗談」で地位を築くが、のち、反体制派として作品の発表を禁じられる。1975年にフランスに亡命。他に「存在の耐えられない軽さ」「不滅」など。

 

"クンデラ【Milan Kundera】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2023-01-20)


ページトップへ戻る