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生きることを学ぶ―絵本はこころの扉を開く―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 柳田邦男の『人生の1冊の絵本』(岩波新書、2020年)は、絵本の魅力を語る一冊である。柳田によれば、いま、絵本の世界は、あたらしいルネッサンス期を迎え、多種多様な人生の課題に解答例を与える作品が次々と生まれているという(335頁参照)。「生まれた子どものこころが発達する瞬間って、目に見えるの?」、「人種の違う人や障害のある人を差別の目で見るこころを、どうすれば変えられるの?」、「この世は生きるに値するところなの?」、「人と動物がこころのコミュニケーションをすることができると思いますか?」、「木は人の生涯を見つめていると思ったことがありますか?」といった問いに対して考えるヒントを与えてくれるのが絵本だと、柳田は力説する(335~336頁参照)。「絵本は、子どもが読んで理解できるだけでなく、大人が自らの人生経験やこころにかかえている問題を重ねつつ、じっくり読むと、小説などとは違う独特の深い味わいがあることがわかってくるものだ」(336頁)。
 本書は、「こころの転機」、「こころのかたち」、「子どもの感性」、「無垢な時間」、「笑いも悲しみもあって」、「木は見ている」、「星よ月よ」、「祈りの灯」の8部構成である。それぞれ6ページほどの短文は、いずれもいのち、こころ、動物と生きる、生き物のまなざし、木々との交流、静寂、祈りなどについて語って味わい深い余韻を残す。ぜひ読んでみたいと思う絵本が何冊も見つかるだろう。

いきることを学ぶ

 古代ローマの政治家であり、哲学者、劇作家でもあったセネカは、『人生の短さについて 他2編』(中澤務訳、光文社文庫、2017年)のなかで、「生きるということから最も遠く離れているのが、多忙な人間だ。生きることを知るのはなによりも難しいことなのだ。(中略)しかし、生きることは、生涯をかけて学ばなければならないのだ」(37頁)と述べた。柳田によれば、絵本は幼少期、子育て期、中高年期と三度にわたって読むことができるものだ。いわば、生涯にわたって読んで、学べるのが絵本なのだ。とはいえ、忙しく生きていると、セネカが言うように、生きることがどういうことなのかなどと考える暇はあまりない。けれども、たとえ忙しくても、絵本や詩、絵画、音楽などとのふれあいの時間をつくることが人生を豊かにするためには何よりも大切なことだろう。いくつかの地域では、子どもに絵本を読み聞かせたり、子どもが自由に絵本を読んだり借りたりできる機会を増やす地道な試みがなされている。柳田自身も、9年前に絵本普及活動の核となる人を育てるために「絵本専門士養成講座」を開講し、講座修了者を中心にした活動も全国に広がりつつあるという。柳田はまた、こども園や幼稚園、小学校などに出かけて、絵本の読み聞かせや紙芝居をする活動も行っている。
 いじめや暴力の蔓延する社会で、絵本はわれわれがどうあるべきかを立ち止まって考えさせてくれる、というのが柳田の信念である。「合理主義、効率主義、利己主義、ネット依存が支配的になっている索漠とした時代状況のなかで、この本が人々のこころと人生の歩みに少しでも温もりをもたらすことができればと願っている」(337頁)。
 「こころのかたち」のなかから、「人はなぜ学び、なぜ働き、なぜ祈るのか」を紹介しよう。写真家・長倉洋海の写真絵本『いのる』(アリス館、2016年)が取りあげられている。「どの頁を開いても、胸にずんずんと響いてくる。祈る人間の敬虔な姿の写真と思索する長倉さんの言葉とが交響していて、読み進むほどにこちらが精神性の高みへと引き上げられていく思いが胸中に広がってくる」(52頁)。いくつかの写真から受ける感動をしるしたあとで、柳田はこう述べている。「この絵本写真『いのる』は、私の終生の伴侶というべき大切な本たちの一冊になるだろう」(55頁)。
 「星よ月よ」のなかの、「静寂のなかの音、のどを潤す冷水」という短文のなかでは、たむらしげるの『よるのおと』(偕成社、2017 年)が紹介されている。「書店で手に取って、はじめの三~四頁を読んだだけで、気持ちがすーっとその世界に入りこみ、『うーん、いいな』とつぶやく。それだけで、気持ちがやわらかくほぐれてくる。私が絵本を買うときの、きっかけとなる要素のひとつだ」(272頁)。柳田は、この絵本を手にしたときにもそういう印象をもったという。『よるのおと』は、池のほとりを歩く少年の耳に聞こえてくる蛙や犬の鳴き声、汽車の音、鹿が水を飲む音、フクロウに襲われた蛙が水中に逃げる音などを取りあげながら、生き物のいのちの鼓動と世界の呼吸を描き出している。どんなに忙しい日々を生きていても、病気で苦しんでいても、この絵本を手に取って読めば、何か大切なものを見失っていたことに気づかされ、こころのなかで変化が起こるだろうと、柳田は述べている(274頁参照)。
 本書で紹介されている絵本は、傑作ぞろいだ。図書館や書店の絵本コーナーに立ち寄って、ぜひ手に取ってみてほしい。

 

 長倉は、1952年、釧路市に生まれた。1980年にフリーの写真家になった。世界の紛争地や辺鄙な村を訪れ、戦争に巻きこまれたひとびとや、ひたむきに生きる子供たちの表情を写真におさめたのが『いのる』である。
 長く争いが続いたスリランカで、「子どもが争いにまきこまれないように」(3頁)と、教会で祈る女性、仏教の聖地で、「なくなった人が、/いいところにいけますように」(5頁)と花をたむけて祈る女性の写真が心に残る。インドネシアの教会で祈る女性たちを背後から撮影した写真には、内省的な言葉がこう記されている。「いのることで、/人はじぶんのいたらないところや、/おろかなところを知ることができる。/相手をせめるのではなく、/自分にわるいところはなかったのか。/人を貶めたことはなかったのか。/自分の気づかなかったところを深く問い返す。/自分が変わっていくことで、/まわりの人をしだいに変えていくことが/できるのではないだろうか」(14~15頁)。祭りの季節に、「『あなたたちのことは/けっして忘れないよ。/いつも、私たちの/心の中にいるから』」(27頁)と大きな声で口にする中央アフリカの遊牧民のボロロ、「『自分たちは自然の一部。/川も面山も、草花もすべて/兄弟なのです。/人は何もとくべつ、/足跡を残そうとしなくてもいいのです。/生きていること自体が/すばらしいことですから』」(31頁)と話すブラジル先住民などの印象深い写真と言葉も収められている。
 長倉は、小学生のときに祖母をなくした。「焼いた煙が高い空にのぼっていくのを見たとき、/すべてが無になったような気がして、悲しかった」(20頁)が、さまざまな死に出会ってようやく気づいた。「ただ死を恐れるのではなく、生きている、この時間、この瞬間を、/もっともっとしんけんに生きることが大切なんだ、と」(同頁)。祈るひとびとは、遠い祖先や神とつながることを真剣に求めて生きている。そのいちずなまなざしが美しい。長倉はこうしるしている。「人は、とても小さな存在だからこそ、/大きな存在とつながろうとする。/いのることで、/昔の人たち、宇宙、未来とも/つながることができる。/そうすることで、/わたしたちは『永遠』というものに/近づくことができるのかもしれない」(34~35頁)。
 おしまいの言葉を引用しよう。「今日も世界各地で、いのりは続いている。/そして、これからも続いていく。/人が生きているかぎり。/希望を捨てないかぎり。/人が人と生きていくかぎり」(38頁)。
 
 ジョーダン・スコット(文)、シドニー・スミス(絵)『ぼくは川のように話す』(原田勝訳、偕成社、2021年)は、吃音にもがき苦しみ、自閉的になった少年が、父の導きでふたたび話し始めるまでの軌跡を描いた作品である。スコットはカナダの詩人であり、スミスはカナダの画家である。本書は、障害をもつ体験を表現した児童書におくられるシュナイダー・ファミリーブック賞を受賞した。

 

 ストーリーを追ってみよう。
 少年には、うまく口に出せない音がある。

 

 松の木の「ま」は、
  口のなかで
   根をはやして、
  ぼくの舌に
   からみつく。

  カラスの「カ」は、
   のどのおくに
    ひっかかって
   でてこない。

  月の「つ」で
   つっかえたぼくは、
    魔法に
     かけられたように、
   うめくしかない。(7頁)

 

 教室では、後ろの席でちぢこまっている。先生にあてられはしないかとびくびくしながら。みんなには、ぼくの口に松の木がはえているのが見えず、のどのおくでは、「カー、カー」というカラスの声がないているのに聞こえない。ぼくの口からはあやしい月の光が出ているのに、だれも目をふせない。みんなに聞こえるのは、ぼくのしゃべり方だけで、見えるのは、ぼくのゆがんだ顔と、かくしきれない、びくびくした心だけだ。世界で一番好きな場所について話す番が回ってきた。けれども、少年の口は動かない。(10~16頁参照)
 放課後、待っていた父親が、「うまくしゃべれない日もあるさ。どこかしずかなところへいこう」(17頁)と、少年を川に誘った。川岸を歩きながら、少年は、うまくしゃべれなかったことや、みんなから見られて、ぼくのくちびるがゆがんで、ふるえていたこと、みんなの口が、クスクス、ゲラゲラと笑っていたことを思い出し、胸には嵐が起こり、目は雨でいっぱいになる(17~23頁参照)。
 父は、少年の肩を抱き寄せ、川を指さして言った。「ほら、川の水を見てみろ。/ あれが、おまえの話し方だ」(25頁)。川は、あわだって、うずまいて、なみをうち、くだけていた。泣いてしまいそうなとき、だまりこんでしまいそうなとき、「ぼくは川のように話す」ということばを思い出そうと、少年は思う(26~35頁参照)。「思いどおりに、ことばがでてこないときは、どうどうとした、この川を思いうかべよう」(36頁)。「急流のさきでゆったりと流れ、/ なめらかに光る川のことを思いうかべよう」(39頁)。少年は、自分の話し方が川の流れと同じだと気づいたのだ。川だってスムーズには流れていないのだ、ぼくと同じように。
 少年は学校に行き、みんなの前に出て、世界で一番好きになった川のことを、川のように話す(41~42頁参照)。

 

 本書は、スコットの経験にもとづいている。おしまいの「ぼくの話し方」でその詳細が語られている。スコットは、言葉がうまく口から出てこず、一言しゃべるのも大変で、クラスの笑われ者になった。すらすらと言葉が口をついて出るひとには、吃音者のしゃべり方は不自然で、それを見たり聞いたりするのは気持ちのよいものではないと、スコットは言う。言語療法士からは、「きみのめざす目標は、流れるように話すことだ」(43頁)とよく言われたという。
 しかし、川を注意深く見ているうちに、言語療法士とは違う見方が生まれてきた。川は、下流へと、たゆまず流れていくが、人工的な水路のように等速度でよどみなく流れるわけではない。
 スコットは、われわれに問いかける。「話す感覚に意識を集中すると、なにが起きるでしょう? 言葉はあなたの体のどこにあると感じますか? 言葉を切ったり、ためらったりせずに話していますか? つかえたり、言葉をわすれたり、そもそも、なんと言ったらいいかわからなくなったりしませんか? ときには、話すことをさけていませんか? まったく口をききたくないときがあるのではないですか?」(同頁)。だれもが、多かれ少なかれ、程度は異なるが、吃音者なのだ。
 スコットは、吃音には、ひとそれぞれの吃音があり、「それは言葉と音と体がからみあった、とても個人的な苦労の塊」(同頁)だと言う。「吃音によって、ぼくは人と深く結びついていると感じ、同時に、ほんとうにひとりなのだとも感じます。吃音は怖いくらいに美しい」(同頁)。おしまいをこう結んでいる。「ぼくはときおり、なんの心配もなくしゃべりたい、『上品な』、『流暢な』と言えるような、なめらかな話し方であればいいのに、と思います。でも、そうなったら、それはぼくではありません」(同頁)。人工的な水路を見て美しいと思うひとがいないように、録音されたアナウンスやAIによる音声に心を動かされるひとはいない。川は自然のなかでさまざまな障害にぶつかり、よどんだり、逆まいたりする、その不規則な水の動きこそがわれわれの心を捉えるのだ。ひとの言葉とまったく同じように。

 

人物紹介

柳田邦男 (やなぎた-くにお) [1936-]

昭和後期-平成時代のノンフィクション作家。
昭和11年6月9日生まれ。35年NHKにはいる。47年「マッハの恐怖」で大宅壮一ノンフィクション賞をうけ,49年フリーとなる。医療,航空事故,災害などを対象に多角的に取材をつづけ,54年「ガン回廊の光と影」で第1回講談社ノンフィクション賞。60年ボーン上田国際記者賞。平成7年菊池寛賞。著作はほかに「マリコ」「撃墜」「犠牲」など。栃木県出身。東大卒。

"やなぎだ-くにお【柳田邦男】", 日本人名大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2023-03-01)

 

長倉 洋海 (ながくら-ひろみ) [1952-]

1952年、北海道釧路市生まれ。
1980年、務めていた通信社を辞めフリーの写真家となり、世界の紛争地を精力的に取材する。中でも、アフガニスタン抵抗運動の指導者マスードやエルサルバドルの難民キャンプの少女へスースを長期間に渡り撮影。 戦争の表層よりも、そこに生きる人間そのものを捉えようとしてきた。
土門拳賞、日本写真協会年度賞、講談社出版文化賞等を受賞。
写真集として『サルバドル 救世主の国』(宝島社)、『マスード 愛しの大地アフガン』(改訂版・河出書房新社)、『地を駆ける』(平凡社)、『北の島』『南の島』(偕成社)など。
一般書として『ぼくが見てきた戦争と平和』(バジリコ)、『私のフォトジャーナリズム』(平凡社新書)、『アフガニスタン ぼくと山の学校』(かもがわ出版)、児童書として『へスースとフランシスコ エルサルバドル内戦を生き抜いて』(福音館書店)、『ザビット一家、家を建てる』(偕成社)、『世界は広く、美しい 地球をつなぐ色』(全6冊。新日本出版社)などがある。 ―本書より

たむらしげる [1949-]

1949年東京生まれ。桑沢デザイン研究所修了。
独特の詩情とユーモアのある世界をジャンルをこえて発表している。作品に、絵本『ありとすいか』『よるのさんぽ』『ランスロットとパブロくん』『おばけのコンサート』『ゆき ゆき ゆき』、絵物語『モービーディック航海記』『夢の旅』、漫画集『結晶星』、画集『ファンタスマゴリア』『メタフィジカル・ナイツ』(小学館絵画賞)、映像作品『銀河の魚』(毎日映画コンクール大藤信郎賞)、『クジラの跳躍』(文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞)などがある。 ―本書より

ジョーダン・スコット 【Jordan Scott】 [1978-]

1978年生まれ。カナダの詩人。2018年、これまでの業績に対して The Latner Writer's Trust Prize を受賞。初めて絵本のテキストを手がけた本書により、画家シドニー・スミスとともに、障害を持つ体験を芸術的な表現としてあらわした児童書を対象に選ばれるシュナイダー・ファミリーブック賞を受賞。
―本書より

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