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生かされて生きること、ことばによって生きること―岩崎航の歩み―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 岩崎航の『点滴ポール 生き抜くという旗印』(齋藤陽道写真、ナナロク社、2013年)は、「ひとが生きること」についてさまざまなことを考えさせる「五行詩」と、病床の岩崎や自宅などをとらえた数枚の写真、エッセイなどを集めた本である。
 本書は、「巻頭詩」、「エッセイ 生き抜くという旗印」、「点滴ポール Ⅰ」、「エッセイ 母の手」、「点滴ポール Ⅱ」、「3・11 東日本大震災に寄せて」、「あとがき」からなる。
 岩崎航は、1976年に仙台市に生まれた。3歳で筋ジストロフイーを発症する。現在は、胃瘻からの経管栄養と人工呼吸器を使用し、在宅医療と介護サービスを受けながら、仙台の自宅で暮らしている。20代半ばから短詩に興味をもち始め、2004年から五行詩を書き始めた。
 岩崎は、「生き抜くという旗印」の冒頭で、17歳のときに、将来に何の希望もないように思えて、自殺を考えたことがあると述べている(4頁参照)。けれども、岩崎は「あるとき自分自身で葛藤にケリをつけ、『自分はこの病を持つ姿そのまま、隠したり恥じたりせず、顔を上げて生きればいいんだ』と思えるようになり」(177頁)、ありのままの自分を肯定して、自分の人生を生きることを決意した。その後、症状が悪化し、座れなくなり、ご飯も食べられなくなった。ベッドで寝たきりの生活になり、吐き気地獄で発狂しそうにもなった。呼吸器も必要になり、それから20年が経ち、病状はさらに悪くなった。

生かされて生きること、ことばによって生きること

立って歩きたい、風を切って走りたい、自力で心地よく息を吸いたいと思ってもそれができない(5~6頁参照)。しかし、岩崎はこう述べる。「でも、それができていた子どもの頃に戻りたいとは思わない。多く失ったこともあるけれど、今のほうが断然いい。/ 大人になった今、悩みは増えたし深くもなった。生きることが辛いときも多い。/ でも『今』を人間らしく生きている自分が好きだ。/ 絶望のなかで見いだした希望、苦悶の先につかみ取った『今』が、自分にとって一番の時だ。そう心から思えていることは、幸福だと感じている」(6~7頁)。今よりもはるかに自由だった子供時代よりも、不自由度が増した今の方が断然いいという岩崎の心境を、「青春時代を、抉りとられた」(5頁)ことのない者が安易に推測することはできない。
 岩崎は、現在の心境をこうつづっている。「授かった大切な命を、最後まで生き抜く。/ そのなかで間断なく起こってくる悩みと闘いながら生き続けていく。/生きることは本来、うれしいことだ、たのしいことだ、こころ温かくつながっていくことだと、そう信じている。/ 闘い続けるのは、まさに『今』を人間らしく生きるためだ」(7頁)。岩崎は、このエッセイを、「生き抜くという旗印は、一人一人が持っている。/ 僕は、僕のこの旗をなびかせていく」(同頁)という決意のことばで締めくくっている。
 「点滴ポール Ⅰ」では、授かった命を生き抜くという旗印を立てて闘う岩崎の日常の断面が詠われている。自分の体と心を見つめる心情や、生きることをめぐる葛藤と動揺、ベッドサイドの窓から見える季節の変化、虹、空、陽などの自然なども見つめられている。いくつか引用してみよう。


   手術を前に
   窓から見えた
   晩夏の虹を
   そっと心に
   首飾る (18頁)


   たたかいだ
   これで
   何回目かの
   救急車に
   乗る (19頁)

 

   此の 戦場を
   逃げ出すな
   寝たきりを
   言い訳にするな
   今日の茅舎(ぼうしゃ忌 (23頁)

 

   できることと
   できざることとを
   問う我は
   いったい何が
   できれば良いのだ (25頁)

 

   われてくだけて
   さけてちるかも
   実朝さねともの歌に
   想い、重ね合わせた
   あの受容の葛藤 (27頁)

 

   乾かない
   心であること
   涙もまた
   こころの
   大地の潤いとなる (34頁)

 

   どんな人でも
   木石ぼくせき扱いするなかれ
   みんなと同じです
   在るんです
   解るんです (39頁)

 

 「貧しい発想」は、静かなプロテストの詩だ。

 
   管をつけてまで
   寝たきりになってまで


   そこまでして生きていても
   しかたがないだろ?


   という貧しい発想を押しつけるのは
   やめてくれないか


   管をつけると
   寝たきりになると


   生きているのがすまないような
   世の中こそが


   重い病にかかっている (100~101頁)

 

 「母の手」では、20代の「吐き気地獄」の日々と、苦しむ自分の背中をさすり続けてくれた母と父への感謝のことばがつづられている。
 20代の約4年間、吐き気は「頻繁に発生する台風」(105頁)のように岩崎を襲った。穏やかに生きられ、周りに迷惑をかけず、自分が苦しまずに死んでいければいいと考え、自分の人生が「余生」としか見えなくなっていた(105~106頁参照)。

 他方で、岩崎は、吐き気地獄の苦しみの渦中にあっても、自分の命の奥底に残る種火に気づく。


   誰もがある
   いのちの奥底の
   燠火おきびは吹き消せない
   消えたと思うのは
   こころの 錯覚 (106頁)

 さらにまた、自分を支え続ける母と父の存在に気づく。「『自分は今、苦しみの地獄にいるけれども、そばにこうして背中をさすり、励まし、祈り続けてくれる人がいるではないか』」(108頁)。岩崎は、「僕の苦しみを自分の苦しみとして、そこにいてくれる人の存在」(109頁)のためにも、絶対に負けずに生きていこうと、背中の母に心の中で誓った。

 

 「点滴ポール Ⅱ」からいくつかの五行詩を引用する。


   どんな
   微細な光をも
   捉える
   まなこを養うための
   くらやみ (115頁)

   ただの空が
   ただの雲が
   ただの風が
   こんなにも
   喜びになる (116頁)


   萎縮した
   肉に
   萎縮した
   心で
   滅びたくない (117頁)

 

   ここにいる そこにもいる
   目の前にいる普通の人こそ
   知られざる
   勇者であること
   わたしは生きて知りました (122頁)

 

   枯木かれきにも
   そして自分にも
   命の流れが
   あることを思う
   冬深夜 (132頁)

 

   どうしようもなく
   孤独の時間に
   こみあげた思いひそかに研ぎ澄ます
   それを
   凱歌がいかとして突き貫くのだ (135頁)

 

   すこし
   光りの当て方をかえて
   心を映しだす
   新しい
   旗を立てるために (157頁)



 岩崎航の『震えたのは』(ナナロク社、2021年)は、第2詩集である。「あとがき」で、岩崎は、今回は、前回と同様に、生き抜くという旗を掲げつつも、一人の障害者として発信し、社会の只中で生きる思いをこめたと述べている。(153頁参照)。「人と出会い、思いを感じることで生まれる化学反応は、せまかった自分の世界を広げてくれました。今まで自分で何とも思わずに受け入れていたこと、嫌なものは嫌だと言えること、自分で考えること、助けを求めること、大事の時に本心を折りたたまない大切さに、気づかせてくれました」(同頁)。
 三つの五行詩を引用する。


   しあわせ
   輝く
   こころの大地は
   すべて自身で
   拓けと母は (22頁)


   父と母が
   受けきった
   かなしみ
   そのままになんか
   しはしない (29頁)

 

   旗幟きしとは
   所属でも立場でもない
   人間としての旗幟
   ただ一本
   ひるがえす旗のことである (74頁)

 生かされてあることのありがたさ、生きることの苦しみと喜び、家族や介護する人に助けられて生きることへの感謝、体と心との応答、春風、木洩れ日、夏空、おじぎ草、ざんざ降り、夕景といった自然との交歓などが胸にしみいる。

岩崎の五行詩は、意識の一瞬を切開し、凝縮させて、無類の世界を開いている。

 

人物紹介

岩崎 航 (いわさき-わたる [1976-]

1976年、仙台市生まれ。本名は岩崎稔。3歳頃に症状が現れ、 翌年に進行性筋ジストロフィーと診断される。現在は胃ろうからの経管栄養と 人工呼吸器を使用し、仙台市内の自宅で暮らす。20代半ばから短詩に関心を持ち、 2004年秋より五行歌形式での詩作をはじめる。2006年『五行歌集 青の航』を自主制作。 2013年、本書を刊行。各界から大きな評価を得る。翌年には詩人の谷川俊太郎と 自身初となる朗読会を開催。以後、講演会、トークイベントなど精力的に活動中。 2015年、初のエッセイ集『日付の大きいカレンダー』(ナナロク社)を刊行。 2016年、NHK ETV特集「生き抜くという旗印~詩人・岩崎航の日々~」放送。 ―『点滴ポール:生き抜くという旗印』より

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