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インドの衝撃、日本の驚愕―作家、写真家、ジャーナリストの報告―
推薦文 :和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 堀田善衛の『インドで考えたこと』(岩波新書、第70刷、2021年)は、文句なしの傑作である。初版は1957年で、65年以上も前に書かれたものだが、いまも読みつがれている。堀田は、1956年にアジア作家会議に出席するために、インドのデリーを訪ね、各国の詩人や作家と交流する機会を得た。
 「はじめに」のなかで、本書の核心が述べられている。「人々が、この世の中について、人間について、あるいは日本、または近代日本文化のあり方などについて、新しい着想や発想をもつためには、ときどきおのおのの生活の枠をはずして、その生活の枠のなかから出来るだけ遠く出て、いわば考えてみたところで仕方のないような、始末にもなんにもおえないようなものにぶつかってみる必要が、どうしてもある、と思われる」(ⅰ~ⅱ頁)。堀田がぶつかった手に負えないようなもの、それがインドだった。堀田は、インドを梃子にして、日本で身についた思考の枠組みを壊し、これまで考えもしなかった問題を根本的に考えなおそうとしている。初めて見るインドの風土、そこに生きる人々の暮らしぶりへの驚きと困惑が、堀田の思考的な自己変革の誘因になっている。

インドの衝撃、日本の驚愕―作家、写真家、ジャーナリストの報告―

 「Ⅵ『怪奇にして異様なるもの』」のなかで、こう述べられる。「私はインドにいてときどきヒステリー気味になる自分を見出した。その理由はいろいろあるが、そのひとつに自分の知性乃至感性の幅だけではどうにもとらえきれないほどの広さ、始末におえぬ猥雑さというところまでときとして行くと見受けられる複雑さ、あるいは時間と能率にかかわるもの一切の、どうしようもないのろくささ加減に対する苛立ち、またそれが自分のなかに侵入して来ることのやりきれなさ、そういうものがあったと思う」(90頁)。堀田の見方によれば、われわれ日本人は「周辺のボヤケタ随筆的な限定」(94頁)のなかに住んでいるために、海外に対して憧れや期待をもつ。しかし、その反面で、自国の文化や知性、感性がアジア大陸からどう見えるのかを的確に把握しきれていないのではと疑う。結果として、「いまでもわれわれはわれわれ自身とさえしっくり行きはしないであろう」(94頁)と考えている。他国を見て憧れるだけで、他国からどう見られているかを知らなければ、自国の理解には結びつかないということだ。
 堀田は、幾度となく、夏目漱石のことばを思い起こしている。西洋と異なり、日本の現代の開花は外発的であり、皮相上滑りの開花でしかないが、やむを得ないので、涙を呑んで上滑りに滑っていかなければならいという見立てだ(47~48頁参照)。堀田は漱石の見方を否定しはしないが、漱石とは違った考えをしたいと望んでいる。漱石にとって西洋は模範であったが、アジアㇸの視野は欠けていた。堀田は中国やインドの一部を知り、アジアと西洋を比較することのできる立場を得た。それゆえに、こう言うことができた。「明治以来の、たとえば漱石や鴎外などとは別な、もっとちがった風な、そして違った風に、別な学問をしなければならないのではないか」(97頁)。
 堀田の記憶はレーニンにもつながり、「おくれたヨーロッパとすすんだアジア」という、民族問題に関してレーニンが書いた短文の表題がふいに思い出されている。レーニンは、アジアの後を追うヨーロッパをこう表現した。「『(ヨーロッパの)資本家の貪慾な目的をみたすために、彼らがアジアで反動を支持していることぐらい、はっきりしているものはあるまい』」(97頁)。堀田は、レーニンやガンジー、ネルー、孫文、毛沢東、漱石、鷗外、内村鑑三、多くの政治家、先覚者たちの考え方をつきあわせて考える人の出現を望んでいる。そういう人こそが、アジアにおける日本の土性骨をあらたに据えなおすことができるだろうと期待している(98頁参照)。
 本書の白眉は、「ⅩⅢ おれは生きたい」のなかの、エローラという場所にある奥深い洞窟の広間での経験を語った箇所だ。堀田は、正確な間隔で立っている石柱を何気なく、掌で叩いて、ぎょっとする。「なんともかとも気味と気持ちのわるい、しかも虚しさもきわまったようなこだまが、……ゴー……ボア……ルルル……ン、ゴーボア……ルル……ン、と陰にこもって何度も反響し洞内ぜんたいにひびきわたりはじめたのだ」(197頁)。恐怖とパニックのあと、堀田は、虚しさの極まったような音に、自分自身の内部に相通じ、相互に反響しあうものがあることを実感する(198頁参照)。「この虚無の音を、自分にも通うものありと認めたならば、作家としてのこれまでの私は、これまで通りではやって行けなくなるのではないか―そういうことを本能的に、私は感じていたと思われる」(198頁)。
 以下、虚無についての考察が続く。もっとも重要な箇所を引用しよう。「西欧の眼から見て,下等ながら決して死滅しそうもないと見える、死と虚無、無の思想を内に抱き、輝しい過去の遺産を正当に歴史化することに甚しい困難を感じながらも、アジアの諸民族は,前記のように見る西欧の政治的、経済的植民地支配に抵抗し、反抗し、そして、国内的には革命、人間解放にいたる、そういう歴史的な民族運動の過程を通じて、この実に扱いに困るような巨大な遺産をわがものとする、すなわち自らの歴史と化しつつあるのだと思われる」(209頁)。
 本書は、アジアと西欧、アジアの極東の日本を同時に視野に収めた鋭い洞察と、インドの現実という鏡に自分をてらいなく映し出した秀逸な自己批判の数々によって、すでに古典の地位を獲得していると言えるだろう。十代、二十代の若者にぜひ読んで、自己と世界について考えてほしい一冊である。
 この新書を読んで興味をもった人には、高志の国文学館・編の『堀田善衛を読む 世界を知り抜くための羅針盤』(集英社新書、2018年)も読んでほしい。池澤夏樹、鹿島茂、宮崎駿などが堀田の文学・思想の魅力について熱く語っている。

 

 藤原新也の『印度放浪』(朝日文庫、2019年)は、写真家で作家によるインド放浪記である。この本は、極東の島国にあって身についた、あるいは身につけされた思考の枠組みを容赦なく打ち砕く一冊である。「十五年目の自白」、「語録」、第一章、第二章、「あとがき」、「熱球の下」からなる。1972年に出版された。
 著作を文庫化するにあたり、藤原はこう述べている。「この『印度放浪』は、私が二十三歳の時、はじめて熱球の下の大陸に遊んだときの記録である。はじめて、その土地を踏んだ一九六0年代の終りのころ、日本はちょうど高度経済成長の最中だった。(中略)そういう状況の中で、私は大学を捨て、自分の経歴のすべてを捨て去るようなかたちでインドに行った。この国は貧困であった。ただ、そこに私が見たものは、その物質的貧困と同時に、あの、我我が今現在失いつつある、熱、であった。(中略)私はその国の熱にうかされた。そして地上における生きものの命の在り場所をはっきり見たし、合わせて自分の命の在り場所もはっきり見ることができた。それは、私の二十代の一つの革命だった」(420頁)。
 「語録」のなかで、藤原はこう述べている。「たとえば堀田善衛が『インドで考えたこと』(岩波新書)の最後のあたりで、エローラの岩壁に掌をつくと、何とも気味わるい、虚しさのきわまったようなこだまがガラーンと響いてきて、わからなくなったと書いてるね。僕の旅は逆にそこから始ったような気がする。エローラでもどこでもいいんだけど、土なら土、岩なら岩というものにパッと手をついてみるところから、それを基準にして、いま人間の作りつつある機構を見ていこうじゃないか。片手に石を持って人の顔を見るとか、自分が人間として持ち得る根源的なもので対抗していきたい、そういう気分があったと思う」(30頁)。中年の堀田は、こだまを聴くことによって、思考を転換させる契機を得た。青年の藤原は、岩に手をつくことによって、ものを基準にして人間の作る機構を見る意志を固めた。
 冒頭に置かれた「十五年目の自白」が面白い。藤原は、二十代の頃から「あなたは何故インドに行ったのか?」と繰り返し尋ねられうんざりしていたが、三十代半ばになって心境が変わる。藤原は、同じ質問をしてきた二人の青年に、かつて青年であった自分を重ね合わせ、こう回想する。「青年は何かに負けているようであった。/ 多分青年は太陽に負けていた。そして、青年は大地に負けていた」(20頁)。このあと、青年時代の自分は、人、熱、牛、羊、犬や虫に負け、汚物や花、パン、水、乞食、女、神、臭い、音、時間に負けていたと続く。要するに、「青年は、自分を包み込むありとあらゆるものに負けていた」(同頁)。藤原は、ふとわれに返ってつぶやいた。「……何か知らんけど/ 無茶苦茶に何でもかんでも、/ 負けに行ったんじゃないかなア。……最初の頃は」(21頁)。「え、負けに……ですか」(22頁)。「目の前の青年はちょっと驚いたようにそう言った」(同頁)。 
 藤原は、なぜインドに負けに行ったのだろうか。インドを旅しながら、ありとあらゆるものに負けているという意識がどのようにして生まれ、徹底的な敗北感をもつにいたった理由は何なのだろうか。それは定かではない。しかし、藤原が自分の身をもっとも低くして歩きながら撮った写真には、自分の敗北を意識していないものには見えないものが写しこまれているように見える。人々であれ、生き物であれ、死者、風景、大地、太陽、大河であれ、それらはすべて荘厳の光を放っている。それらを前にして、藤原は「負けている」と認めたのだ。この敗北感を梃子にして、藤原は歩き始め、アジア各地を放浪した。

 第一章、第二章は、藤原の眼と感受性と思考がインドの現実と交錯する章である。藤原の思考はとまどったり、はねたり、うねったり、きらめいたり、くすんだりしている。インド人の食べ方、排せつの仕方、ガンジス河のほとりでの火葬の光景などについての文章は、ただただ驚くばかりである。一つだけ引用してみよう。「汚れた犬が、炭のようになった人間の骨を、ガリガリ食っている。/ 何となくおもしろくないので、蹴とばそうとすると、こちらに向かって来た。ここでは、犬どもが人間と犬との関係をまったく知らない。/ ぼくのことを、それは食べるものだと思っている」(234~235頁)。
 藤原は、自分の旅をこう表現している。「ぼくは、≪旅≫を続けた……多分に、愚かな旅であった。時に、それは滑稽な歩みですらあった。歩むごとに、ぼく自身とぼく自身の習って来た世界の虚偽が見えた」(301頁)。
 ヒンドウ教についての文章が素晴らしい。その一部を引用する。「恐れずに言うと、地平線を見ること、これはヒンドウ教だ。傍にころがっている石や岩などを持ち上げてみること、これもヒンドウ教だ。月の軌跡を、その消え入るまで目で追って見ること、これもヒンドウ教だ。河に入って体を水にひたす、これもヒンドウ教だ。沼に降りて行って体に泥を塗りまくること、これもヒンドウ教だ」(303頁)。その他、旅、まったく動かないこと、歌うこと、花のにおいを嗅ぐこと、描いてみること、持ってみること、触れてみること、食べてみること、着てみること、裸になってみること、見てみること、見ないこと、在ること、行為などもすべてヒンドウ教に含まれている。「つまり、我々の中に失われつつあるもの、そのどれをとってみてもヒンドウ教だ」(同頁)。ヒンドウ教の世界には、暇があればすぐにスマホの画面に吸い寄せられて、延々と指先を動かしている人がはるか昔に見失ったものがいまも生きているのだ。
 『印度放浪』は、経済効率最優先、過度の清潔信仰といった、ある意味で正反対の価値観をもつ日本という国を相対化してみるのに最高の一冊である。

 

 パーラヴィ・アイヤールの『日本でわたしも考えた インド人ジャーナリストが体感した禅とトイレと温泉と』(笠井亮平訳、白水社、2022年)は、日本に関する予断や偏見をもたずに初来日した著者が滞在中に経験したことの記録書である。日本人が日常見すごしていることや、不思議に思わないでいることが驚きをもって詳細に語られている。原題はOrienting:An Indian in Japanだが、日本語訳は、堀田善衛の『インドで考えたこと』と、椎名誠の『インドでわしも考えた』を念頭に置いて工夫したものだという。
 著者は、インドを代表する英字紙『ヒンドゥー』の北京支局長およびジャカルタ特派員、インド有力経済紙『ビジネス・スタンダード』の欧州特派員を務めた。EU代表部に勤める外交官の夫の日本滞在に伴い、2016年から2020年まで東京に滞在した。それ以前には、英国、中国、ベルギー、インドネシアに滞在している。
 「日本語版への序文」、「プロローグ」と全10章からなっている。「プロローグ」で、いくつもの言い方をする日常会話へのとまどいが語られている。「thanks」は、中国語では「謝謝」ですむ。日本語では、「ありがとう」、「ありがとうございます」、「どうもすみません、ありがとうございます」、「よろしくお願いします」と多様な言い方があることを知った著者は、面倒な国だと面食らっている。日常会話でも困ることが多いのに、敬語や謙譲語をうまく使いこなすとなるとはるかに厄介だろう。
 本書では、その他、落し物が戻る日本、金継ぎの技術、四季、禅、俳句、マンホール、教育と差別、選挙、温泉、トイレ、新幹線、企業などの話題が取りあげられていて、そのいずれもがわれわれ読者に、他者の目で自分を見るという新鮮な感覚をもたらしてくれる。
 著者がもっとも感嘆していることのひとつは、新幹線のスピード、一日に350本以上の運行本数、36秒という年間の平均遅延時間であり、発車前数分間のルーティーン化された車内清掃の手際の良さである。多くの日本人には当たり前のことに見える日常が、インド人には驚異以外の何ものでもないのだ(158~159頁参照)。
 著者は、温泉地で入浴する際の条件が事細かに決められていることにも驚いている。タトゥーも水着もNG、裸になって入る、入る前に体をきれいに洗うといった日本人にはなじみの作法は、外国人にはすんなりとは受け入れがたいらしい(161~162頁参照)。著者も最初は抵抗があったが、ある温泉で身体を浸した瞬間から、大の温泉好きに変わった。彼女は冷たい空気を吸いこみながら、摂氏42度のお湯にうっとりし、一茶の「初雪のふはふはかかる小鬢哉」を思い出していた。その直後、タイ人の女性二人、次に子供を連れた若い中国人女性が現れて、浴場のルールを無視したふるまいをした(164頁参照)。「温泉における秩序の崩壊状態にショックを受けたわたしは、よろめきながら洗い場のところまでたどり着いたのだが、そこにはブロンドの女性がおり、全身タトゥー姿なのをまったく気にすることのない様子でシャンプーをしていた」(164頁)。
 著者は、自国と日本の違いをゆったりとした態度で見つめながら、ユーモアも交えて、感じたこと、気づいたこと、考えたことなどを書き記している。本書は、日本人が自国、そして自分自身を見つめ直すために役立つ本であることは確かだ。


人物紹介

堀田 善衛 (ほった-よしえ) [1918−1998]

昭和後期-平成時代の小説家。
大正7年7月17日生まれ。堀田くにの3男。中国上海で終戦をむかえ,昭和22年帰国。27年「広場の孤独」「漢奸(かんかん)」で芥川賞。国際的な視野をもつ戦後派作家として海外でも知られる。46年「方丈記私記」で毎日出版文化賞,52年評伝「ゴヤ」で大仏(おさらぎ)次郎賞。平成6年朝日賞,10年芸術院賞。同年9月5日死去。80歳。富山県出身。慶大卒。

"ほった-よしえ【堀田善衛】", 日本人名大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2023-08-04)


藤原新也 (ふじわら-しんや) [1944−]

昭和後期-平成時代の写真家。
昭和19年3月4日生まれ。東京芸大を中退,インドを中心にアジア各地を放浪。昭和53年雑誌連載の「逍遥游記」ほかで木村伊兵衛賞,57年写真集「全東洋街道」で毎日芸術賞。著作に「インド放浪」「東京漂流」「丸亀日記」「日本浄土」など。福岡県出身。

"ふじわら-しんや【藤原新也】", 日本人名大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2023-08-04)

パーラヴィ・アイヤール 【 Pallavi Aiyar 】

インド出身のジャーナリスト、作家。デリー大学ならびにオックスフォード大学を卒業後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス、南カリフォルニア大学で修士号を取得。インドを代表する英字紙『ヒンドゥー』の北京支局長およびジャカルタ特派員、インド有力経済紙『ビジネス・スタンダード』の欧州特派員を務めた。 中国での特派員経験を綴った Smoke and Mirrors (2008)、異国での育児と執筆の両立をテーマにした Babies and Bylines (2016),北京とニューデリーの大気汚染問題を取り上げた Choked!(2016)などの著書がある。2014年には世界経済フォーラムの「ヤング・グローバル・リーダーズ」の一人に選ばれた。EU代表部に務める外交官の夫の日本赴任に伴い、2016年から20年まで東京に滞在。現在は夫および二人の息子とともにスペインのマドリード在住。―『日本でわたしも考えた : インド人ジャーナリストが体感した禅とトイレと温泉と』より

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