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バンコクからの報告―アジア管見―
推薦文:和田 渡 (阪南大学 名誉教授)

 プラープダー・ユンの『新しい目の旅立ち』(福富渉訳、ゲンロン、2020年)は、旅の途上での人間と自然についての思索、島民との交流や島の印象を克明に書きとめたものであり、文明批評でもある。本書は、序文に続く、「1 黒魔術の島 あるいは、時間のレンズの中のスピノザと蛍についてのまやかし」、「2 魔女 ソロー 魔術師 テロリスト そして心騒ぐ孤独」、「3 まやかし」からなる。
 ユンは、1973年にバンコクに生まれた。14歳で渡米し、デザイナーとして働き、26歳で兵役のため帰国し、その後執筆活動を始めた。2002年に、短編集『可能性』で東南アジア文学賞を受賞した。
 ユンは、本を書き始めて8年が経つ2007年頃に、次第に自分に違和感を覚えるようになった。「同じ引き出しを開けては古い持ち物を引っぱり出して、それを使って自分の思いや考えを書いていることに、ぼくはうんざりしていた。リサイクルだけで生計を立てているぼくは知のペテン師なんだという気持ちが、無視できないくらいに心の奥深くまで食いこんでいた」(13 頁)。ユンはこの現状を打破するために、思考回路を根本的に組み変え、息の吸い方さえも変えなければならないと考える。

バンコクからの報告―アジア管見―

「吐く息のひとつひとつが、自身への失望の嘆息になってはいけない。その吐く息は、再び息が吸えるという興奮を伴った本物の吸気になるべきだ」(14頁)。過去の遺産にすがって生きているだけの自分を脱皮して、新しい自分を再生させるための模索が続いた。ユンは2009年に、「日本とフィリピンの現代美術と文化に見られる自然汎神論の新たな兆候」というテーマを選び、日本財団が主宰していたAPIフェローシップの助成金を申請した。それが受理されてフェローに選出され、フィイリピンと日本を訪れることになった。ユンは、この旅が、自分の「頭の中にあるものへの飽き」(21頁)を除去し、なにかしら新しいものをもたらしてくれることを期待した。ユンはまた、「汎神論の思想が、現代の環境危機に対しても応用できるかもしれないという考え」(186頁)を抱いてもいた。
 第1章の初めの方で、ユンは、フィリピンで計画していた主な調査(少数民族や、「自然」に関連した活動をする芸術家との対話、「汎神論」に関する書物を探し出して読むこと)を行ったが、それらが自分の思考の枠組みを壊すまでにはいたらないことに気づく。ユンが見たもの聞いたものは、ユンが見たい、聞きたいと思ったものでしかなく、新しい発見はなかったのである(33頁参照)。
 ユンは、フィリピンの作家たちとの会話のなかで出た「シキホール」という名前が気にかかる。これは、フィリピンのヴィサヤ諸島に位置する島の名前である。「黒魔術の島」とも呼ばれるこの島は、謎めいた島と見なされ、地元の人からは恐れられ、警戒されていた。魔女によって発狂させられた人がいるという噂話も広がっていた。ユンはこう考える。「霊から直接、あるいは霊魂と交信できる人々から話を聞くことで、僕が予測できる範囲より多くのものを得られるかもしれない」(36頁)。しかし一方で、ユンは、黒魔術による呪力を信じず、魔女や祈祷師も実際にはいないと考えていた。そうした両義的な見方を保ちながら、ユンは島の人々の慣習や生き方、信仰の継承について理解したいと願っていた(42頁参照)。
 ユンが注目している世界についての三つの「階層」分類が興味深い。第一の階層は、「『神聖なるもの・超自然なるもの』(唯一神、神々、阿羅漢、天使、女神、サタン、妖魔、霊魂、森の精などなど)」(41頁)。である。この超自然的な階層にはよき意志と凶暴さ・残忍さが含まれ、善と悪に二分されている。第二は、「神聖なるもの」(同頁)の生み出す「『人間』」(同頁)の階層であり、第三は、動物、病原菌、植物、石、砂などの「『自然』」(42頁)の階層である。「神聖なるもの」は、多様なルールを規定し、人間を教え諭し、苦痛からの解放を可能にしてくれる。他方で、人間は、決意して、自分を「神聖なるもの」に捧げることによって、その階層へ到達できる可能性をもつと見なされている。「自然」にはこうした変身の可能性はない。(41~42頁参照)。現代の人間中心主義者たちは、第一の階層を異端視して排除するし、自分たちが「神聖なもの」から生み出されたなどとは考えようとしないだろう。資本主義の世界では、しばしば、人間は交換可能な人材とみなされている。彼らにとっての「自然」は、しばしば支配や搾取、略奪の対象であり、経済的な利益を得るための資源としか見なされていない。
 ユンは、こうした三階層論に関心を払う一方で、汎神論的な見方を強調したスピノザの思想に強く惹かれている。スピノザの「神あるいは自然」という思想は、人間こそが自然の支配者であるというおごり高ぶった見方を打ち砕き、神と自然を同等視して、人間からは至高の地位を奪い去る。ユンは、スピノザの思想をこう理解する。「神が自然で自然が神ならば、自然であるどんなものも同時にすべて神であるということになる」(55頁)。ブラックホールも、犬の蟻のフンも、善や悪と見なすものも、美しいものも醜いものも、香るものも臭いものもすべて神の地位をもつのだ(56~57頁参照)。これは、世界の見方を一変させる画期的なものだ。万物が神聖を帯びて荘厳な光を放つようになるからだ。ユンは言う。「汎神論者とは、善も悪も、美も醜も、そのすべてが神聖であるという理由から、命をもつことに陶酔し、自然の一部になることに感銘を覚える人々だ」(59頁)。人間も「『神あるいは自然』」(60頁)の例外ではない。「ぼくたちもそれぞれみな神なのだ」(同頁)。
 第2章では、アメリカの作家、H.D.ソロー(1817~62)が主題だ。ソローは白人中心の社会を批判し、奴隷制の廃止を主張した反体制的な思想家のひとりだった。税金の支払いを拒否し、投獄された経歴ももつ。ソローは、詩人R.W.エマーソン(1803~1882)の影響を受けた。ウォールデン池畔の小さな木の小屋で自給自足の生活をした。エマーソンは、人間は神聖を宿す自然の一部であり、自然に従って生きるべきだと考えた。エマーソンは、人間には、動物的な欲望という自然に固執するタイプと、霊感や奇蹟などの自然に固執するタイプがあると見なした。ソローは山小屋で質素な生活をし、自然と共に過ごす暮らしが最高の価値をもつことを著作によって訴えた。ソローの本は、産業技術社会に批判的なひとびとや、環境意識に目覚めたひとびとにとって「聖典」となった(102頁参照)。ソローの思想は、ユンの自然観に対して、スピノザの思想と同様、強い影響を与えている。
 次の主題は「魔女」との出会いだ。「魔女」は地元の言葉では「マナナンバル」と呼ばれ、「伝統医」と訳される。外部の人間は、それを「魔女、祈祷師」と呼んでいるが、ユンにマナナンバルのひとりを紹介してくれたマックスによれば、「伝統医」は、民族知をそなえた「治療者」であり、訪問者の健康を診断し、治療方法を教える。時には、治療のために呪文を唱えたり、神聖な儀式をおこなったりするという。
 マックスが仲介してくれたのは、「花柄の服を身につけた、灰色に白の混じる濡れ髪の老婆」(119頁)だった。70過ぎと思われるその女性は、ユンの左手首を静かに掴んでしばらくしてから、ストレスを軽減するという理由で、握った拳も持ち上げ、唇のあたりに寄せた。ユンの左手首には老婆のつばで湿った米粒が塗りたくられた。彼女の口からは、祝福の言葉か、まじないか、呪いかなにかの言葉が塊になってあふれていた(124頁参照)。2,3日経っても身体的、精神的な変化は見られず、ユンは失望した(134頁参照)。
 この章で、もう一度、スピノザの思想が検討される。神と自然(万物)の同一性を強調するスピノザの視点を共有するとすれば、自然と人間を分離して考えたり、人間による自然破壊に抗して自然保護を訴えたり、自然に帰ろうとするのは、人間が自然の一部でしかないということを忘却した傲慢なふるまいに他ならない。人間が自分たちの外部に想定した自然に、人間の勝手な都合で「愛護」とか「搾取」とかいった態度で関わるのは、人間の自然性をないがしろにすることなのだ。しかし、万物と神を一体化する立場は、現実に存在するすべてのものの肯定に結びつくが、善も悪も、美も醜もすべてひっくるめて肯定することは、多くの人には受け入れがたいであろう。
 第3章では、アッシジの聖フランシスコのキリスト教的な自然観が照射されている。聖フランシスコは自然の細部に神の存在が反映されていると考え、人間やそれ以外の生物、無生物を区別しなかった。すべての動物、山や崖、森の木々、太陽や月、病までもが人間の親類になった(206~207頁参照)。彼にとっては、自然は神が創造したものであり、それゆえに、「人間が崇め、畏怖するもの」(207頁)になった。人間が自然を愛するのは、自然を創造した神を愛していることを神に示すためであった(209頁参照)。
 ユンは、スピノザの思想のなかに、聖フランシスコやソローの自然観とは異なる側面を見ている。それは、スピノザの政治や統治論に関連するものである。スピノザの「階級の存在しない多元主義的な社会認識」(212頁)は、マルクス主義者のアントニオ・ネグリに影響を及ぼした。ユンはまた、スピノザの思想がフランスの哲学者のジル・ドゥルーズや、現代の心理学や神経学にも影響力をおよぼしている点に注目している。ユンはスピノザの着想を受けて、「人間と自然(あるいは神)は、ひとつの身体だ。だが人間も、その身体における他の部分とは異なった特徴をもつ様態なのだ。それゆえ、人間の行為と生には、それ自体のための空間が存在する」(214頁)と述べる。だからこそ、人間が何を考え、何を行っているかを丁寧に見ていく必要があるというのだ。
 ユンは多種多様な自然観を検討した結果、汎神論が地球環境の保護に貢献しうるのではないかという当初の見立てを自己批判する。「結局その考えは、中産階級以上の人々の中にだけ存在できるロマンティックな思想の泥沼にはまっていた」(191頁)。それは、「まやかし」に過ぎなかったというわけだ。ユンは、シキホール島での経験や読書、思索を通じて、「社会の構造とそのシステムを見つめなおすことになった」(194頁)と総括している。「ぼくはロマンティックな思想の壁の中を、長いあいださまよっていた。そしてついに、シキホールの美しい姿容とスピノザの呼び声が、ぼくを壁の外に連れ出した。そして、ふりかえってその壁を眺めることができるくらいに、ぼくは壁から離れた。/ ぼくは都市の人間だ。そしてぼくは生きていきたい」(223頁)。 こうして、「自己発見」につながる長い思索の旅が終わった。
 ユンの真摯な思索は、人間と自然の関わりを見直し、資本主義的な成長と地球環境の破壊の行く末を考え直し、汎神論的な世界観と物質的な世界観を再考するためにも有益な示唆を与えてくれる。

 

 福富渉の『タイ現代文学覚書 「個人」と「政治」のはざまの作家たち』(風響社、2017年)は、ブックレット≪アジアを学ぼう≫シリーズの44冊目である。タイ文学に興味をもつひとのための案内書として書かれ、筆者が交流した作家たちの活動も記録されている。「はじめに 脚注なきタイ文学に向けて」、「タイ文学小史」、「二一世紀のタイ文学の潮流」、「独立系書店と地方の作家」、「おわりに タイ文学のこれから」からなる。
 1970年代から80年代にかけては、トヨタ財団の「隣人をよく知ろう」プログラムや大同生命国際文化基金の「アジアの現代文芸」シリーズで文学作品の翻訳・出版がなされた。90年代以降となると、タイ文学の紹介は散発的なものにとどまっている(6~7頁参照)。
 「1 タイ文学小史」では、現代のタイ文学を代表するプラープダー・ユンの作品を起点として、近現代のタイ文学史が概観されている。1950代に文学者たちに浸透した「生きるための文学」を取りあげてみよう。この文学活動にかかわった作家たちは、虐げられた弱き人々の声を代弁し、政治的・社会的課題を作中に反映させ、さらには理想的な政治と社会の在り方を提示する作品を生み出し、人々を導く知識人としての役割を担うべきだと考えていた(11頁参照)。その後、この活動の影響力は薄れ、作家は「創造的な著作」を執筆する個人として定義された。「生きるための文学」から「創造的な文学」へのパラダイム転換は、「社会主義」から「個人主義、実存主義」への変化として語られることも多い(13頁参照)。
 「2 二一世紀のタイ文学の潮流」では、タイ文学が「孤独の文学」と「政治の文学」に大別されている。前者では、個々の人間の孤独や苦悩や挫折を描く小説群が紹介され、後者では、現代タイの政治的混乱や軍事クーデターを色濃く反映した小説がいくつか取りあげられている。新しい傾向としては、個人と政治のはざまで揺れ動く人間を主題にした小説も生まれている。
 「3 独立系書店と地方の作家」では、1970年代以降の書店をめぐるバンコクと地方の状況が報告されている。1997年のアジア通貨危機によって、小中規模の書店・出版社は倒産や規模の縮小を余儀なくされたが、大手出版社が経営する書店チェーンは規模を拡大した。他方で、「独立系書店」と呼ばれる小規模書店が増え始めている。店主の個性を反映した特色のある本が並ぶこれらの書店は、社会が激動するなかで、人々が集まる知的交流の場にもなっている。バンコクでは、最近新しい書店が雨後の筍のように出現し、「おしゃれなブックカフェ」も増えているという。書店が激減する一方の日本とは異なるようだ。
 2016年に「タイ現代文学、若手作家の特色」と題するセミナーに参加した著者は、こう感想を述べている。「彼ら新世代の作家たちは、自らの人生やそれを取り巻く社会に対して、無関心で無気力、ある種の『諦念』ともいえる境地に達してしまっているかのように見えた。それはもしかすると、多感な年齢の、作家としての歩を踏み出すか踏み出さないかの時期に、激しい政治の季節を経験してしまった反動なのかもしれない」(63~64頁)。テーマの如何にかかわらず、文学が個々の状況から生み出されるのである以上、軍事独裁政権下の閉塞した空気が若手作家の作品に反映されるのは当然と言えよう。
 本ブックレット≪アジアを学ぼう≫シリーズは、興味深いラインナップだ。南部フィリッピンのイスラームとキリスト教、ジャイナ教徒における採食・托鉢・断食の生命観、あるペルシャ系ユダヤ人の半生、インドで闘う仏教徒、チベットのロックスターなど、読まなければ知らないままに終わる世界の出来事が報告されている。一冊でも読んで、アジアを、世界を見る目を鍛えてほしい。

 

人物紹介

プラ―ブター・ユン 【ปราบดา หยุ่น】 [1973-]

1973年バンコク生まれ。14歳のときに渡米。
美術の学士号を取得してデザイナーとして働いたのち、26歳で兵役のため帰国し、本格的に執筆活動を始める。2002年に短編集『可能性』が東南アジア文学賞の短編部門を受賞。現在は創作・エッセイの執筆で活躍する傍ら、バンコクで独立系出版社 Typhoon Studio を経営。デザイナーとして活動しながらアート作品や映画も発表している。邦訳に短編集『鏡の中を数える』(宇戸清治訳、タイフーン・ブックス・ジャパン、2007年)、長編『パンダ』(宇戸清治訳、東京外国語大学出版会、2011年)ほか。

―『新しい目の旅立ち』より

福冨渉(ふくとみ-しょう)[1986-]

1986年東京生まれ。
鹿児島大学グローバルセンター特任講師。タイ文学研究者、タイ語翻訳者。
主な論文に、「私たちは暗闇の中で再会し、仄かな希望の光をともに探す―プラ―ブダー・ユンの短編『崩れる光』における「他者」と「未来」に関する考察」(2014)など、共著書に『アピチャッポン・ウィーラセタクン―光と記憶のアーティスト』(夏目深雪・金子遊編、フィルムアート社、2016年)など、翻訳ウィワット・ルートウィワットウォンサー「2527年のひどく幸せなもう一日」(『東南アジア文学』14号、2016年)など。批評論『ゲンロン』でコラム「タイ現代文学ノート」の連載、プラーブター・ユン「新しい目の旅立ち」を翻訳連載中。―『タイ現代文学覚書書』より

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